小倉蒼蛙「あおがえる一歩を何処に向けようか」(『優しさの手紙』)・・
小倉蒼蛙第4句集『優しさの手紙』(書肆アルス)、序は、河内静魚「誠の俳人」、その中に、
(前略)私がこれから述べるのは、俳人小倉蒼蛙の俳句の世界である。結論からいうと、多彩な小倉一郎さんの才能が、混ざり合い、渾然一体になって花開いているのが、蒼蛙俳句と言っていいように思える。その本質を一言で表すとしたら「誠の俳句」であろう。誠とは,嘘のない心、飾り気がないことである。以前、蒼蛙俳句を、等身大の俳句、素の俳句と述べたことがあったが、誠の俳句の方がピッタリするようだ。(中略)
蒼蛙さんとの出会いは、二十五年ほど前のことである。一緒に荻窪で女優の松岡みどりさんたちと句会を楽しんだ。そしてどんどん蒼蛙さんは俳人としての腕を上げた。俳句番組を共にしたこともあった。私の主宰する「毬」という結社の初代編集長を務めてくれた。(中略)
病気がちの蒼蛙さんだが、いつもその都度克服して立ち上がる。今回の肺がんのステージ4でさえ奇跡的に乗り越えている。つよい精神力と家族の励ましが支えたのだろう。(中略)
蒼蛙さんはこころ優しい俳人だ。暖かい俳人だ。そしてやさしい、いい人だ。
いい人にたくさん会えた梅の花
シャボン玉別れは常にあるんだよ。
とあった。 そして、著者「あとがき」の中に、
癌という病を得て、数ヶ所あった教室を閉じ、俳句結社「あおがえるの会」を作ったのは生き急いだからで、美しい日本語を残したい、伝えたいという思いから多くの句友に助けられて今日に至っています。
告げられた余命を過ぎても癌は現在の医学で消滅しました。
これを機会に、生まれ変った気分で芸名を俳号の小倉蒼蛙にしました。
再発防止のための抗癌剤治療は今も続いていましすが、もし俳句がなかったら私は途方に暮れていたでしょう。
私にはいつも俳句が傍らにあった。幸せといっていい。
これからも駄句を量産していくと思います。
とあった。集名に因む句は、
山田太一さんサヨウナラ
優しさの手紙を今も冬あたたか 蒼蛙
であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。
山の音空の音きき木守柿
丹波哲郎さんサヨウナラ
霊界に色なき風は吹きますか
蠟梅や武甲しだいに低うなり
おでん酒わしゃああんたを好いとるもん
母の日の思慕は齢を重ねても
秋逝くや泣き虫静魚がまた泣いた
鹿の子百合には黒揚羽よくとまる
本業は私なりけり今朝の秋
星野哲郎先生サヨウナラ
厚き雲に冬月かくれ歌が流れた
髙田純さんサヨウナラ
書き継げと春に未完の稿遺し
父の日の父でありけり子も父に
なしてかねどぎゃんもこぎゃんも小春たい
コンと打ちゴンと叩いて鏡割
毎日は今日という日や今日の月
母の日や男は決して泣かぬもの
余命宣告受く
薄氷や吾子に告げたる我が病
はや五月溢るる涙もて余す
北星勝さんサヨウナラ
君が呉れし蛙のかざり胸に秋
美しきこの世のい眺め去年今年
「そうしよう」初演さる
わが歌の広がってゆく春の風
みんなみんな霧の中から出てこいよ
小倉蒼蛙(おぐら・そうあ) 1951年10月29日、東京生まれ。
撮影・芽夢野うのき「訣れゆく魂あじさい丸く揺れ」↑
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