高屋窓秋「きりぎりすきのふのそらのきのこ雲」(「トイ」Vol.15より)・・
「トイ」Vol.15(編集発行人:干場達矢)、池田澄子のエッセイ「たいへんな自慢話」の中に、
(前略)赤い罫のあるその原稿用紙には「きりぎりす」という題名と八句と細めの黒の万年筆で丁寧に書かれていて、その中の二句が鉛筆の線で消され、横に私の鉛筆の文字で二句加えられている。欄外に、「一九八七年作 高屋窓秋」丁寧な文字で記されている。(中略)
タイトルの「きりぎりす」の句は、
〈きりぎりすきのふのそらのきのこ雲〉
次の行の〈昨日より鳥渡りゐる遺骨かな〉が〈なきがらは花いつぱいの花野かな〉と直されていて、最後の句は〈落花この終わることなき大地かな〉。窓秋の作品は透明感が美しいと言われているけれど。人類を憐れみ、地球を心配し胸を痛めている人の、濃い思いが満ちている。
人と話すことが嫌いです。食べることが嫌いです、と、賑やかな大勢の酒席で先生は、隣席に居た私に静かに仰った。その静かな、しかし、本当のことをきちんと仰って、この世に居ることの嘆きのようなものに、まるで嫌みがないのだ。
とあった。ともあれ、以下に、本誌より、一人一句を挙げておこう。
一帯の桜を撮つて人を消す 仁平 勝
恋猫になつてしまへば鳴くほかなし 干場達矢
咲けば散る桜やわっと咲きそめし 池田澄子
神さまと会ったことある草の上 樋口由紀子
傘を打つ雨粒ひうがみづきにも 青木空知
撮影・中西ひろ美「梅雨が消えたので消えます私たち」↑
コメント
コメントを投稿