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清水昶「大寒や真水のごとく友逝けり」(『ソノヒトカヘラズ』より)・・

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  南椌椌著『ソノヒトカヘラズ』(七月堂)、帯文には、   帰らなかった/その人が/帰るという  とある。また、著者「あとがき」には、 『ソノヒトカヘラズ』は、学生時代の私家版はそっと置いて、齢(よわい)重ねての「処女詩集」となります。足早に去っていった友人たちや、なつかしい父母への追慕と幼少期の記憶、実在しない架空の友への思いに導かれ、書き留めたもの、若き日の旅の思い出、好きな音楽、詩や映画から零れ出た物語風の詩文から収めました。言うまでもなく、いつしかソノヒトになる自身への、追意の念も込めてあります。父祖の地である韓国的なイメージを咲かせたいとも考えて来ました。韓国の詩人、李箱 (イサン) と中原中也、金鐘漢 (キムジョンハン) についてのエッセイは、僕の手に余るものでしたが、詩人時代の悲劇的な相克のさまに触れ、心に沈潜した思いを刻んでおきたいとという思いから収録しました。  詩集タイトルの『ソノヒトカヘラズ』は、まことに僭越ながら西脇順三郎詩集『旅人カヘラズ』に依っております。 とあった。本ブログでは、長い詩篇の紹介は無理なので、短めの一片を以下に記します。 因みにテラコッタ像の制作は南椌椌。          ソノヒトカヘラズⅡ   ソノヒトのこと   ミエナイヒトだが たぶん   痩せて背が高くおとぼけで  くさめしてテーゲー屁もこくさ  カールした髪も性格も天然  ソノヒトが誰だか誰も知らない  墓地の入り口、素っ気ない茶屋で  ソノヒトの形と骸 (むくろ) を読む  ざら紙に鉛筆3Bほどのかすれ  ゆるい速度で天然の日常が浮かんでくる  ソノヒトは雲を見るのが好き  お酒と夕暮と銭湯が大好き  会社のひきだしには天使を飼っている  あ、また天使に餌をやってるね  同僚みんなが知っているさ  酔っぱらって 飲み屋の止まり木から  天使をつかみそこねて転げ落ち  初冬のでんぐり坂を でんぐりしながら  馴染みの辨天湯にたどり着き  脱衣所で顔見知りと二言三言  ぐるりを ぐるりと見回し  じゃあ失敬! と言って  みずから天使になって昇天していったそうだ  遺されたソノヒトの3B文字を  夢と知らず ぼくはすべて読んだよ 南椌椌(みなみ・くうくう) 1950年、東京新宿区生まれ。     本名は南相吉、みなみしょうきち、ナムサンギルと日韓異なる音をもってい...

大木あまり「呼び鈴も核のボタンもあり真冬」(『山猫座』)・・

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 大木あまり第7句集『山猫座』(ふらんす堂)、その「あとがき」には、  (前略) 次の句集は「山猫座」という書名にしよう。その思いを実現すべく、四年前、句集を纏めようとした矢先、新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめ、世の中は一変した、コロナ禍は人々から仕事も命も奪い、未だに終息していない。持病のある私は外出せず、不安と閉塞感の日々を送りながら四年が過ぎた。  だが、コロナ禍の中でも季節はめぐってくる。麗しい声で鶯が鳴くと、負けじと小綬鶏が「チョットコイ」と鳴いて応える。実に微笑ましい。タンポポやすみれや二輪草が群生する我が家の庭にも束の間の華やぎが…… 。  私は家に籠りながら、二〇一五年の新年から二〇二一年の春の句までを収めた第七句集『山猫座』をやっと纏めることができた。あらためて夢や希望や失意を自己表現できる俳句が好きになった。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    湯気が目に猫舌亭の牡丹鍋         あまり    火星近づく朴の木は花かかげ      六月六日    野のばらの棘いきいきと晴子の忌       義母永眠   葛の蔓引けど引けども母はなし   寄鍋の目のあるものを喰うて雨   人間は酷なことして夏の空   柊忌とは母の忌よ蒲団干す   夢の世にただゐるだけや着ぶくれて   帰らざる旅をするなら狼と   炎より人恐ろしと雪女   描きたきは光の柳影の馬   雪の野やここにも罠があつたはず   漣も皺の仲間や鳥帰る   春愁を近づけぬほど眠る君   天使にも悪魔にも編む毛糸帽   花種を蒔くや地球を宥めむと   大木あまり(おおき・あまり) 1941年、東京目白生まれ。   撮影・芽夢野うのき「いつ会えなくなるかも知れぬ寒夜の宴」↑