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田村明通「薄氷の影遊びをりバードバス」(第182回「吾亦紅句会」)・・

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   2月28日(金)は、第182回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「冴返る」。以下に一人一句を挙げておこう。    寒明 (かんあけ) 忌革新の道三千里     齋木和俊    早春の花香と揃い紅をさす         村上さら   盆栽の息詰め一手初剪定          牟田英子    冴返る貼り紙告げる店仕舞         関根幸子    三丁目バス停前の春の風          笠井節子   冴返る菩薩と夜叉のせめぎ合い       武田道代    夕がすみ胸に住まうはいつも君       西村文子   亡き友を語る友無く春の虹         佐藤幸子      母が逝く闇で手を振り冴え返る      三枝美枝子    冴返る街角地蔵「やれやれ」と       松谷栄喜    神なき世ゼレンスキーの虎落笛       須崎武尚    縄文を偲び建国記念の日          田村明通    冴返る爪切る音もためいきも        渡邊弘子    大雪や命綱なく雪下 (おろ )し      佐々木賢二    面をとる汗と涙の初試合         吉村自然坊    蕗のとう五粒の世界果てしなく       奥村和子    むさしたまたちかわなべて冴返る      大井恒行 ★閑話休題・・佐藤幸子「山茶花や遊女の墓に石ひとつ」(図書館俳句ポスト11月選句結果/お題・山茶花)・・  図書館俳句ポスト11月選句結果に、今月も吾亦紅句会から2名入選していた。選者は太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄。もう一人の佳作入選句は、    石蕗咲いて生意気になる一年生       田村明通          撮影・鈴木純一「またパンかよと食ってる春を急ぐ」↑

各務麗至「春夙吾妻絶命慟哭来(はるまだきあづまぜつめいどうこくく)」(「私小説ならぬ私俳句」より)・・

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  各務麗至『私小説ならぬ私俳句』(栞版 令和七年三月十五日発行・私家版)、各務麗至は、先般、妻の岡田佐代子を1月9日に失くしたばかりだ。本栞の末尾に「 春の接吻うれし涙もさよならも」 を結句にして、その各務麗至と妻の履歴を記している。  岡田佐代子(おかだ・さよこ)/一九五一年香川県生まれ。旧姓五味、一九七四年岡田秀一と結婚。二〇二一年一月九日歿。  各務麗至(かがみ・れいじ)/一九四八年香川県生まれ。一九六六年個人誌創刊、現在「詭激時代『戞戞』」編集発行。  「私小説ならぬ私俳句」1・Ⅱから、以下に抜粋紹介したい。   初恋にして小走りは時雨かな  息が目が何かもの言ふ年のくれ    (中略)   花散る如息絶えて後号泣す  私小説ならぬ私俳句春まだき     人間ならば老衰のような     透析患者のリスクといわれる身体の劣化と機能不全が年月と     ともに進行していただろう。     四十数年の闘病生活の中で何度も死にそうになりながら、      それでも負けずに回復して今度の最後の最後まで精一杯生きる     という姿勢を見せてくれた。     それこそ昏睡状態もなく、     突如ポロッと花散るように逝ってしまった。 (中略)     正座して鈴打って、     お前に手ェ合せているのに、     微笑んでそんな顔して見られていたら涙が出るわ。     ごめんなぁ。     それにしても、佐代子お前もそっちで淋しいかもな。     なんでって、そりゃオレがいないから。笑うより、やっぱり     お互いそっちこっちから、今まで通り励まし支え合おな。   (中略)  まう春と書いて明るくなつてきた   Ⅱ (前略) 長い闘病の、闘病の、そんな辛さもみせず、      しあわせそうに寄り添い、連れ合ってくれて、     送迎も、いつも見えななくなるまで手を振ってくれて、     あれは、それが、最後になるかも、との……。     透析という苛酷は、朝見えて、     それなのに、治療途中で突然逝ってしまうのを、     二人は何度も見て来ていた。 (中略)      いつもいつも感謝していてくれたのかもしれない。     こちらこそ、本当に感謝して、     いくら大事にしても。しぃ足りないのに、     大事にしてあたり前だったのに……。   (中略)  ...

中里雅子「冬の世へ面舵を取る米国船」(らいらっく句会)・・

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   一昨日、2月25日(火)は、今泉康弘の「らいらっく句会」(於:川崎市多摩区役所生田出張所)に招かれて小田急線生田駅前まで出かけた。句会の前に、愚生の来し方、とりわけ、当時(1972~83年)の弘栄堂書店労働組合の闘争記録である『本屋戦国記』(北宋社・1984年刊)と俳句活動についての話をして欲しい、ということだった。今泉康弘の質問に答えるかたちだった。そのレジメの「大井恒行略年譜」と「大井恒行作品抄」では、初期から約40句があり、ほとんど、愚生の宣伝のようなもので、恐縮した。                 今泉康弘作成のレジメ↑  愚生の話ののち、句会にも参加させていただいた。兼題は「面」と「寒」と雑詠1句の計3句出しであった。句会後は、今泉康弘と夕食を共にし、歓談した。  ともあれ、以下に、一人一句挙げておきたい。    針供養ひかりは星に返すべく         小坂尚子    豪雪に「まめでらがぁ」のぬくき声      中里雅子             (元気にしてるか?)    ひゆるひゆると風鳴り続け二月果つ      佐田智子    女体山の胎内くぐり春の蝶         加納ひろ子    寒の絵馬個人情報保護シール         今泉康弘    御神渡り湖面凍結今ひとたび         佐藤弘子    朝陽浴び向かう公園まだ余寒         山本雍子    面とむかい告げられた病名冬景色       佐野雅子    良寛忌なれ仮説にも木の表札         大井恒行      撮影・中西ひろ美「ラーメンの旗見て醤油バターかな」↑

岩井かりん「言の葉の羽化のはじまる星月夜」(「甲信地区現代俳句協会会報第104号・第37回紙上句会」より)・・

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  甲信地区現代俳句協会会報第104号(甲信地区現代俳句協会)、第39回定時総会が来る3月9日(日)正午より、松本市大手公民館が開催される。先だって、会報に、第37回紙上句会の結果が発表された。愚生も選者のい一人だった。ブログタイトルにした 岩井かりん「言の葉の羽化のはじまる望月夜 」の句を特選に選んだ。講演は 仲寒蟬で演題は「戦争と俳句」。  ともあれ、以下に、各選者による特選句を挙げておこう。    秋高くありダリの脚長き象      原田宏子(秋尾敏選)    逝く時は夜の木の実の降るやうに   松下勝昭(神野紗希選)    銃持たぬ七十九年鰯雲       久根美和子(宮坂静生選)     廃校の窓を染めゆく秋夕焼      古畑 和(佐藤文子選)    竜渕に潜みて家に帰られず      佐藤文子(小林貴子選)    湿原は丈を競はず吾亦紅      久根美和子(堤 保徳選)    風死して崩落のビル睨む少年     奈都薫子(中村和代・久根美和子選)    秋の浜赤児のやうな不発弾     大野今朝子(仲 寒蟬選)    鰯雲空一面が動き出す       三石なるみ(島田洋子選)    青蜜柑畳の部屋の英語塾      斉藤文十郎(青木澄江選)   ★閑話休題・・大井恒行『水月伝』ー第23回鬣(TATEGAMI)賞受賞(「鬣」第94号より)・・  第23回「鬣」賞が発表になった。今回は、 伊藤政美『天王森集』(菜の花会)、土見敬志郎『岬の木』(朔出版)、松本勇二『風の民』(文學の森)、大井恒行『水月伝』(ふらんす堂) の四句集に授賞されている。  愚生は、昨夜は帰宅が遅く、郵便物をそのままにしておいて、まったく気づかず。朝イチのメールで、高山れおなが知らせてくれて、初めて知った。ありがとう!! そして、愚生の『水月伝』も、その一冊に選んでくれた「鬣の会」の皆さまに感謝したい。外山一機が、最後に書いてくれていることは嬉しい。  (前略) ともすれば過去の俳句史の遺産にただ乗りするかのような昨今の書き手を思うとき、自らの方法に自覚的であろうとする大井の句は重厚そのものだが、同時に、いわばたったひとりで俳句史に決着をつけようtぽしているかのようなその姿は孤独だ。俳句史にとって本当の絶望とは、このような書き手がなかったことにされることだろう。        撮影...

三橋敏雄「絶滅のかの狼を連れ歩く」(「トイ」Vol.14より)・・

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  「トイ」Vol.14(編集発行人 干場達矢)、各同人が、12句と1ページのエッセイを寄せている。干場達矢は、その「ルサンチマン」で、 (前略) 兜太といえば引っかかっている句がある。かの〈銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく〉だ。日銀に勤めていた人で、見ていた景を書いている。 (中略)   兜太のこの句はつまるところ倒置法で書かれた文章で、作者のルサンチマンが強調されている。そもそもオフィスにやってきた勤め人たちが卓上のスタンドを次々点灯するさまをホタルイカにたとえるのが気がきいているとも私は思わない。  この句が代表作のひとつとされているのが不思議なところだが、洗練された楽曲よりもナマの感情をうたう歌が愛されるのはよくあることだ。芸術至上主義的な詩歌は愛唱されない。 兜太はそのことをわかっていた気がする。  とあった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    この道をとほること減りゐのこづち        青木空知   手拍子のやがて朧となりぬべし          干場達矢    寒鴉来て水道の水を飲む             仁平 勝    悪縁のいちばん好きなミックスジュース     樋口由紀子    夕日仄白しうっかりメランコリー         池田澄子  ★閑話休題・・造本作家・佐藤りえ「文芸豆本 ぽっぺん堂」(於:ホテル雅叙園東京・ミニチュア×百段階段)~3月9日(日)11時~18時まで。・・   案内チラシには、「ミニ チュアは各時代・各地域で人々の傍らで愛されてきまあいた。現実で見慣れたmのがちいさなスケールで出現することの面白さや精巧な技術と遊び心にあふれた世界を隅々まで観察すること、それを愛玩することの魅力は、時代や国を越えて人を惹きつけるものであると言えるでしょう。  本展では、文化財『百段階段』の7部屋を舞台に、さまざまなジャンルや技法、感性によって創り出される“ちいさな世界“が出現します。 (中略) 文化財の中にもう一つの『ちいさな日本』が広がります 」とあった。  予想以上に人気があって、長い行列、一時間の待ち時間を費やして、観た(百段階段と各部屋はそれでもゆったり見られる)。一見の価値ありです。佐藤りえの豆本コーナー―は最初の部屋にあったので、有難くゆっくり見ることができた。 撮影・芽夢野うのき「春浅しはらわた浅し人さ...

中河与一「夜ふかきやまのいほりにゆめさめてそらわたる月をきゆまでみし」(「『天の夕顔』のかげで」より)・・

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  中井三好著『「天の夕顔」のかげでー不二樹浩三郎愛の一生ー』(彩流社)、本書は第一部「『天の夕顔』のモデル不二樹浩三郎、第二部「隠棲」の二部建てになり、その第一章「不二樹浩三郎を求めて」には、  九十三歳の春を迎えた一人の男が、自分の死期が見えないまま、一九九〇年(平成二年)三月二十六日午後三時、神川県の北の山中にある特別養護老人ホームの志田山ホームで倒れた。 (中略)  男の名前は不二樹幸三郎 (ふじきこうざぶろう) と言い、中河与一が1938年(昭和十三年)一月に発表した『天の夕顔』という小説のモデルである。いや、一般にいう小説のモデルという概念以上に、深くこの小説の成り立ちに関わっている男である。  筆者は、不二樹浩三郎が倒れる十二年前の夏、彼が一九三九年(昭和十年)から二冬(ふたふゆ)、恋に苦悩して隠棲していたという岐阜県の山之村を取材するために、富山県側から国道四一号線をおんぼろ自家用車で登り、奥飛騨の岐阜県吉城郡神岡町まで行き、町の雑貨店に入って、六十がらみの女主人に道を尋ねた。  とあり、巻末には、 (前略) 「『天の夕顔』は自分自身以外の何ものでもない。ゲーテもミュッセもない。文中のゲーテの詩も自分が教えたものである。中河与一がモデルを公表しないばかっかりに、学者の柳田国男までが、民俗学の立場に立って、『天の南瓜』という随筆まで書いている。『天の夕顔』は他国の民話から採ったものでもなんでもない。まぎれもない不二樹浩三郎の恋の半生に他ならない。学者まで欺いた行為は許されない。文学界がまるで攪乱されているではないか」 (中略)   不二樹浩三郎は慕い通した姉不二樹文子の元へ走り逝く時がいつ来るか、その日がまったく見えないまま悶々とした日々を過ごして、そのまま九十三歳の生涯を閉じた。  そして、不二樹浩三郎は生涯女神のごとく慕い通した姉文子の待つ、永遠の墓碑の体内の中へと入っていった。  とある。ブログタイトルにした、大和田峠の文学碑にある短歌は、書き直すと「 夜深き山の庵 (いおり) に夢さめて空渡る月を消ゆるまで見し 中河与一」 となるのだそうだが、此の短歌は『天の夕顔』の文中には出て来ない、という。つまり、「 『天の夕顔』の文中にない短歌が、突然『天の夕顔』の短歌として文学碑に彫り込まれている 」と本書の著者・中井三好は指摘している。  中...

志賀康「まどろみに蝶の闘い激しかれ」(「俳句界」2025年3月号)・・

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 「俳句界」3月号(文學の森・2月25日発売)、特集は「句に刻まれた師系を語る」。執筆陣は、井上泰至「俳句の中の『師系』」、矢野景一「教えてならぬもの」、江見悦子「温故知新」、淵脇護「叙情詩としての俳句にひかれてー斬新なもどき芸ー」、阪西敦子「居続けの顛末」、髙田正子「伏流水のごとく」、守屋明俊「鍵和田門に草鞋を脱ぎ」、草深昌子「ダイナミック」、長谷川槙子「『しだれざくら』と『木の実』を仰いで」。   もう一つの特集は「心を揺さぶられた俳句」。執筆陣は奥田好子・中西夕紀・矢作十志夫・手拝裕任・中内亮玄・西生ゆかり。ともあれ。本誌本号の中からいくつかの句を挙げておこう。    ものの芽のみん産濡れのごとくかな       横澤放川    地虫でづどこも神の地仏の地         古賀しぐれ   草原の風に祓はれ春の駒            檜林弘一   野牛 (のうし) 行くありきあらずと唱えつつ   志賀 康    朽ちかけの蛇籠を抜けて寒の水         染谷秀雄    流星を数ふ眼の青むまで            髙田正子    鶏頭の脈を取らせてもらひけり         守屋明俊    奥津城のひかは春田でありにけり        草深昌子    雛の間に大海原の光かな           長谷川槙子   生きてゆく僕の追い焚き秋土用         市原正直    遠隔会議画面顔顔朧              相子智恵    キャッチボール斜めに春野使ひけり       沼尾將之   叱られて顔まで潜る春炬燵           中本真人    あつけなく一人となりぬ夕雉子        石地まゆみ   囀や赤子も我も舌をもち            加川幸江    一羽翔つ音に万羽の鳥かえる          里村里邨    巾着の中こまごまと花疲れ           東あふひ    葦の角萌ゆ水泡の消ゆるたび          南 悦子    ライオンの檻にすずめの来る小春        原 清香    陽炎や不動裂帛 (れっぱく) 乱拍子       米田よし          撮影・鈴木純一「梅一輪わが家たずねるひとがいて」↑

もてきまり「可燃性二十歳のころの思草」(「俳句新空間」第20号より)・・

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  「俳句新空間」第20号・2025早春(販売・日本プリメックス株式会社)、本号概要hさ新作20句(巳巳帖)31名。その他の記事は「高橋比呂子追悼句」、筑紫磐井評「大井恒行『水月伝』Ⅲより」、「令和五年俳句帖(夏輿帖~冬輿帖)」、もてきまり・小野裕三「前号作品鑑賞」。  「巳巳帖」より全員は無理なので、ここでは、「豈」同人各一句を以下に挙げておきたい。    ばらばらにくちすいういてこいこない       加藤知子    ひとりだつてとんぼかなぶんリビングに      神谷 波    応じない免許返納建国日             川崎果連   藪蘭の実に残りたる冬日かな           五島高資    白孔雀晩夏の風に吹かれいる           坂間恒子    月の舟無蓋の海へ星こぼす            佐藤りえ    蓮破れて上野アメ横摩利支天           清水滋生    その声の高低偲ぶ桃青忌             妹尾 健   戦争は絶対多数で進みゆく            筑紫磐井    認識は光! つぶやきしのちに転移する      冨岡和秀   水澄むや一角獣に声なき声           なつはづき   一切合切空缶空瓶去年今年            夏木 久     先島諸島基地群   静けさや野分南西二千キロ            中島 進    えぴきゆりあん月光の鵺飼ひ馴らす        中嶋憲武    御神火を揺り炎ゑ起こす炉心かな         渤海 游    齧られていし〈戦争〉の書を曝す         堀本 吟   一穢無き天の底ひへ登高す           眞矢ひろみ    フズリナのためいき美濃のはつざくら       村山恭子  以下は、高橋比呂子追悼句より、いくつかを挙げる。    風果ての書屋の霜や津軽富士           大井恒行    風果ててやまぐわ紅葉柔らし          妹尾健太郎    末広を上野に去った夏の人           川名つぎお    碩学や『風果』の風をスカーフに         早瀬恵子    産土を滔滔と抱く林檎なり           小湊こぎく    冬帽子と微笑み遺し消えしまま          山本敏倖    冬帽子何処へ行こうか何処もない...

黛まどか「枯野より出でて虚空へつづく道」(『私の同行二人』)・・

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  黛まどか著『私の同行二人』(新潮社)、帯には、  出合い、判れ、俳句、死生……/「答えのない問い」を問い続ける  一〇八札所、一六〇〇キロ  とある。また、「プロローグーー歩かざるを得ない生」の中に、 (前略) 私はこれまでスペインのサンティアゴ巡礼道800キロ、韓国プサンーソウル500キロ、熊野古道(中辺路・大和路・伊勢路)、四国遍路1400キロと幾つかの道を歩いてきた。  いずれも目的はあった(つもりだった)が、今にして思えば単に“口実“だったのかもしれない。旅をするようになって気づいたのだが、もともと私は日常のルーティンには弱いが、予想外の出来事には強いらしい。見知らぬ土地を歩いていると、自分でも驚くほど生きる力を発揮する。思いもかけない出来事に遭遇したときや、道に迷ったときほど命がいきいきと躍動するのを実感する。 (中略)  二〇一七年に最初の遍路をした時から、生涯で三回は遍路をしようと決めていた。「一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ」(真鍋俊照『四国巡礼を考える』NHK出版)  この一節に出会ったことが、私が遍路を始めるきっかけだったからだ。結願後 (けちがん) 後は八十番霊場大窪寺 (おおくぼじ) に金剛杖 (こんごうづえ) を納める人も多いが、私は家に持ち帰った。あとの二回も同じ杖で巡礼するつもりだった。    とあった。そして「エピローグーー『歩行する哲学』と空海の宇宙」には、   六年ぶりに再びの四国遍路を行った。三年前に他界した父の供養、母の健康祈願、そしてウクライナやロシアの友人たちの無事を祈りながら歩いた1600キロの道のりであった。   大いなる夕日の中へ遍路消ゆ    黛 執  思えば、私の巡礼への憧憬はこの一句にはじまったように思う。 (中略)   今回の遍路も摩訶不思議な出会いに満ちていた。そしてそれれらと遭遇するたびに仏教の「空」と「無」に向き合うことになった。「空」も「無」も追えば追うほど逃げ水のごとく遠のいていく。ようやく掴みかけたと思ってもあっという間に指の間からこぼれ落ちた。  とあった。ともあれ、本書中の俳句からいくつかを挙げておきたい。    曼殊沙華この世の淵に咲きにけり       まどか    月待つもつひの二十日となりにけり   水音に蹤 (つ) く鈴音や秋遍路   お遍路の色な...

濱筆治「オキザリス震へ心臓手術室にきみ」(第39回「きすげ句会」)・・

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   本日、2月20日(木)は、第39回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「木」、以下に一人一句を挙げておこう。     木の芽風新たな鍵の重さかな        高野芳一    日めくりの音湿りきて春きざす       寺地千穂    黒雲を仰ぐ黒富士寒落暉          山川桂子    風光る旅の鞄にカバン入れ         井上芳子    立ち席の子ども食堂能登の春        杦森松一    隠れん坊息を殺して春の闇         濱 筆治    立春やよちよち歩くティラノサウルス   久保田和代    青天に同じ国かと積もる雪        大庭久美子    残照や魁夷もかくや冬木立         清水正之   木の根明く夜には星の匂いせる       大井恒行  次回は3月20日(木)、兼題は「石」。 ★閑話休題・・細見綾子「春立つや能登の岩海苔焼き焦がし」(『武蔵野歳時記』より)・・  細見綾子著『武蔵野歳時記』(東京新聞出版局)、その「あとがき」に、  十数年にわたって書いた文章のなかから身近な一木一草に寄せる情、各地の旅の思い出、古里丹波の回想、日常茶飯の身辺雑録なそを選んで一冊にまとめました。(中略)  私は今年数え九十となりました。多くの方から賜りましたご恩を身に沁みてかんじおります。長く生きて来て良かったという一言を記して感謝申し上げます。   とあった。本書は正月・春・夏・秋・冬と分類されているが、ここでは当季の春の章からいくつか、句を拾っておこう。    春立つや月眉形と見たるより       綾子    女神仏に春剥落のうづきをり   海鳴りの音珠洲焼に牡丹挿す   細見綾子(ほそみ・あやこ) 1907年3月31日~1997年9月6日。兵庫県氷上郡生まれ。       撮影・鈴木純一「遠ざかる冬は時おり振りかえり」↑

高橋鏡太郎「りんご齧りニィチェなどよみ春もまた」(『無縁者』)・・

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 高橋鏡太郎句集『無縁者』(満保魯志社)、編者は下平尾直(共和国)とある。巻末「編者より」には、   文人、つまり文字どおり、“文を生きた人“として四十九歳で早逝した高橋鏡太郎(一九一三ー六二)の名は、いまでは伝説ないしは虚像となって独り歩きしているように思われる。それはかれが遺した俳句や詩や評論の評価をめぐってというより、酩酊のあげくにギターを抱えて旧国鉄信濃町駅近くの崖から転落して亡くなったことに象徴されるような奇矯で無頼な言動にもっぱらよるもので、そのことは、たとえば、かれが世を去った直後に、知友によってあいついで発表されたいくつかの小説ないしエッセイに活写されている。 (中略)   高橋鏡太郎は生前しばしば箸袋に句をしたためて酒手をねだったという。また同じような目的で、みずから編集した私家版作品集も何種か存在するそうだ。自作の価値を知っての行動といえるが、それらの句も、かれの千二百枚になるというリルケの評伝とともに散佚してしまい、所在が不明である。全集と言わないまでも。まとまった作品集を編んだり、作品の発表順に配列し直したりすることは、そう簡単に編者の手には負えない。そのため、ここでは、これまでに刊行された作品集の構成を生かしながら、わずかに増補するにとどめた。  とあった。 ともあれ、本書中より、愚生好みに偏するとは思うが、いくつかの句を挙げておきたい。       新宿伊勢丹屋上にて    噴水 (ふきあげ) の水なき空やアド・バルウン    闇の瞳 (め) に息づく螢あまたゐて       パラオ島にて    ひと来ると蜥蜴はめぐる椰子の肌    愛うすきひととあればよ遠花火       颱風一過    今朝秋の風なまぐさき露地に佇つ    空蟬を掌にまろばせばうつろなる      東京駅    雑沓にささげし遺骨かくれなき   貧窮のおもひあるときダリア枯れ       入院の妻に   夜の暑し市井のことは妻に告げず   子の咳の咽喉裂くがにひびかふよ       疎開一年   露葎焦土出づるも憂かりける       石橋秀野さんを憶ふ   秋あをき星にうれひはかよひけり       月島に夢道大人を訪ねて   夏川を越へてありつくどぜう汁       この時代にぼくの書く歌が、エレジィでなくて何であろう。しかも、      それがただの哀し...

小澤實「年酒また常温がよししましふふむ」(「澤」2月号)・・

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 「澤」2月号(澤俳句会)、巻首に近い高橋睦郎「季語練習帖」第182回は、二月【碧梧桐忌 碧梧忌 寒果忌 寒明忌 春隣忌】である。それには、  いざ子供碧梧桐忌の句を競ホへ       明治新派の俳句の創始者、正岡子規の後継者として高浜虚子と双璧の河東碧梧桐(幼名碧梧)の忌日は二月一日、歳時記に碧梧桐忌の項はあるが、傍題の寒明忌を含めて例句は寥々たるもの。 (中略) 加えて虚子忌が四音で五七五音律に収まり易いのに対して、碧梧桐忌が六音で収まりにくいこともあるのではないか。ついでに傍題の寒明忌が寒中からの解放を言いながら、事実は寒明けではなく寒果てだという理由によるものではないか。 (中略) 明るさを求めるなら寒果ては春の隣だから春隣忌としてもよかったかもしれない。傍題として新たに寒果忌、春隣忌を提案する次第である。  とあった。あとひとつは、愚生の句集『水月伝』(ふらんす堂)を木内縉太が「窓 俳書を読む」に採り上げてくれている。深謝!!!、それを以下に引用しておきたい。    流浪。反骨・異端・星雲・てんと虫   叫びは立ち込め土砂より速く飲み込む海   戦争に注意 白線の内側へ  一般的な俳句において定型がことばに潤いを与えるとき、掲出の句々は定型がことばをささくれだたせる。そればかりか、句点、中黒、一字空けなどの反定型いしきはほとんど暴力的であるとさえいえる。これらの乾いたことばに対応するだけの現実があるということを忘れてはいけない。   ともあれ、本誌より、わずかになり、恣意的になるがいくつかの句を挙げておきたい。    新傾向自由律ルビ寒ンは寒 (ふゆ)      高橋睦郎    ストーブ列車ストーブ横の小さき書架      町田無鹿    二竈目の餅米臼へ移さるる           川上弘美    灯して喫茶「扉」よ夕時雨           池田瑠那   俺のセーター着るな別れてひと月ぞ       榮 猿丸   吾子といふ火の玉抱へ吾も咳く         金澤諒和   「子はゐません」詐欺の電話を切る寒夜   東徳門百合子    雪空や逮夜まゐりの女僧            大文字良    オリオンや厩舎に馬の安楽死          梶等太郎    我が前に野火の炎の果ててをり        山口方眼子    吹けば燃えうつゝの炭や御食国...

佐藤りえ「この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ」(『おやすみ短歌』より)・・

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 枡野浩一・pha・佐藤文香編著『おやすみ短歌』(実生社)、編著者3人の連名の「まえがき」に、   眠る前に読むのに最適な本というのは、先が気になってワクワクしてしかたがないような本ではなく、ひとつひとつの文章が短くて、どこから読んでもいいような本ではないでしょうか。そう考えると、短歌がちょうどいいのではないかと思いました。  短歌は詩なので、ぱっと見ただけでは意味がよくわからないものもあるけれど、そういうところも眠りぎわに読むのにちょうどいい気がします。 (中略)  この本を枕元に置いて、毎晩少しずつページを、めくって、すやすやと、ぐっすりと、眠りについてもらえたらうれしいです。読者のみなさんが安眠できますように。  とあった。また、各人の「あとがき」のなかで、pha(ふぁ)は、    短歌を読む人が増えた、と最近よく言われているけれど、短歌というのは、慣れていない人にはやっぱりちょっととっつきにくいものだ。解説など抜きで、短歌だけを見て面白がれるようになるには、ある程度の慣れが必要だ。 (中略)   この『おやすみ短歌』は、歌の鑑賞の助けになるような散文を歌に添えることで、短歌を読むのに慣れていない人でも楽しめる本になったと思う。 (中略)   短歌はまだまだ、世の中に知られていない面白さのポテンシャルを秘めていると思う。その面白さ少しでも広めていきたい。 と。短い鑑賞文の付いた一例をあげると、                        岡本真帆 (おかもとまほ)   おやすみと唱えたあとのおやすみのことだま眠るまでそこにいて                       『水上バス浅草行き』ナナロク社  ちゃんと眠れるまで、自分の言った「おやすみ」の言霊に守られたいと願うのは、眠るのがむずかしい人なんだろう。だれかが添い寝してくれているわけではなく、言葉の残響のようなものに包まれていると感じる。ひとりであることをまっすぐ受けとめているような、芯の強さも感じられる一首                          (枡野)   ともあれ、以下に、短歌のみになるが、本集より、いく首か挙げておこう。  目を閉じる度に光が死ぬことや目を開ける度闇が死ぬこと       木下侑介  はるのゆめはきみのさめないゆめだからかなうまでぼくもとなりでねむる    ...

攝津幸彦「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」(「むじな」2024・通巻8号 より)・・

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 「むじな」2024・通巻8号(むじな発行所)、同人全員が平成生まれ。平成16,17年生まれも6人ほど、つまり10歳代である。年長といってもせいぜい30歳代前半だから、見事に若い。かつて愚生が参加した今は無き「未定」もその出発に際して、30歳以下を参加資格?にしていた。かくいう愚生が、いまや老いぼれて後期高齢者だから、まさに光陰矢の如し。したがって本誌は今後の可能性大いにありと思うが、総じて俳句形式そのものに対しての試みにはいささか遠い印象だった。それでも特集は座談会「分からない句会」、同人諸氏の俳句の神に捧げ続けようとする志に期待しよう。座談会のなかで、「(二)内容が分からない句/…俳句の内容が曖昧で、読者がどのように解すべきか分からないもの」の部分に、 ■露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな   攝津幸彦『陸々集』  ◎特選…なし 〇並選…山口、遠藤 うにがわ(提出者) 句意は「路地裏のことを夜汽車と思う金魚なのでした」ということになると思うんですけれども、どのようにイメージを膨らませて読み味わえば良いのかが難しいです。「本当にそうかなあ?」「金魚がそんなこと思わないでしょう」と一刀両断されてしまいそうな。でも攝津の代表句といえばこれなので、どうして代表句になったのかなというところを含めて、句全体が」いまいちピンと来ていないんですよ。 遠藤 景が浮かばないということですか? うにがわ そうですね。 田口(並選)私はお祭りの後に金魚掬いの透明な袋に入れられて、人に提げられて夜道を行きく金魚の目に映る光景を詠んだものだと思いました。 (中略) そうするとちょっと不思議なのが、普通なら「夜汽車」=「その金魚が入れられている袋」で、動いていない「路地裏」はその夜汽車から見える景色のはずです。それを「露地裏」=「夜汽車」としたことで、内と外が反転するような、不思議な感覚に繋がっているんだと思います。ただ、他にも様々な解釈ができると思います。 (中略)  うにがわ たしかに攝津ってそういう作り方はしますよね、その写生というよりも言葉自体を面白がる、その洒落も含めてね。そのご指摘はなるほどと思いました。 遠藤(並選)  (中略) さっきの「反転」については、いくら「と思ふ金魚」としても、実際に夜汽車のように感じているのは作者であり、作者は手に吊るす金魚にその共感を求めていつよ...

三橋米子「探梅や位置情報をインプット」(「立川こぶし句会」)・・

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  昨日、2月14日(金)は「立川こぶし句会」(於:立川市高松学習館)、新年会でもあったが、そちらは失礼して、先約のあった本阿弥書店の第39回俳壇賞、第36回歌壇賞の「俳壇・歌壇 懇親の集い」(於:アルカディア市ヶ谷)に出掛けた。  ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。    茜空彫りを深める雪の山             井澤勝代   大けやき千手観音冬青空             川村恵子    鳥雲や予測不能の世を生きる           山蔭典子    一夜明け水仙月の四日かな            髙橋桂子      護摩太鼓ひびきて梅の香を揺らす         伊藤康次    信楽のたぬき子を連れ凩に            尾上 哲    松の傷八十年の寒さ耐え             和田信行    マスクとり笑顔の友の笑顔あり          大澤千里    手袋の片方ばかり子引き出し           三橋米子    立春や腹をくくりて母介護           宗像ヨシ子    青空のかぷかぷ笑い春となる           大井恒行    次回は、3月14日(金)、立川市高松学習館にて、持ち寄り4句。  ★閑話休題・・弘理子監督『鹿の國』(於:ポレポレ東中野)・・  ドクメンタリー映画。チラシには、   日本列島のヘソ、諏訪盆地に位置する日本最古の神社の一つ、諏訪大社。年間200回を超えるその祭礼は謎に満ちている。重要神事で降ろされる精霊・ミシャグジ。そして神事に欠かせないとされた鹿の生贄……。ネパールやチベットで生と死の文化を追ってきた監督・弘理子 (ひろりこ) は、四季の祭礼を追ううち、そこにあるいのちの循環への原初の祈りに気づく。 とあった。       撮影・中西ひろ美「ほしいもの丸くて甘くてもの言わぬ」↑