高橋鏡太郎「りんご齧りニィチェなどよみ春もまた」(『無縁者』)・・


 高橋鏡太郎句集『無縁者』(満保魯志社)、編者は下平尾直(共和国)とある。巻末「編者より」には、


 文人、つまり文字どおり、“文を生きた人“として四十九歳で早逝した高橋鏡太郎(一九一三ー六二)の名は、いまでは伝説ないしは虚像となって独り歩きしているように思われる。それはかれが遺した俳句や詩や評論の評価をめぐってというより、酩酊のあげくにギターを抱えて旧国鉄信濃町駅近くの崖から転落して亡くなったことに象徴されるような奇矯で無頼な言動にもっぱらよるもので、そのことは、たとえば、かれが世を去った直後に、知友によってあいついで発表されたいくつかの小説ないしエッセイに活写されている。(中略)

 高橋鏡太郎は生前しばしば箸袋に句をしたためて酒手をねだったという。また同じような目的で、みずから編集した私家版作品集も何種か存在するそうだ。自作の価値を知っての行動といえるが、それらの句も、かれの千二百枚になるというリルケの評伝とともに散佚してしまい、所在が不明である。全集と言わないまでも。まとまった作品集を編んだり、作品の発表順に配列し直したりすることは、そう簡単に編者の手には負えない。そのため、ここでは、これまでに刊行された作品集の構成を生かしながら、わずかに増補するにとどめた。


 とあった。 ともあれ、本書中より、愚生好みに偏するとは思うが、いくつかの句を挙げておきたい。


      新宿伊勢丹屋上にて

  噴水(ふきあげ)の水なき空やアド・バルウン

  闇の瞳(め)に息づく螢あまたゐて

      パラオ島にて

  ひと来ると蜥蜴はめぐる椰子の肌

  愛うすきひととあればよ遠花火

      颱風一過

  今朝秋の風なまぐさき露地に佇つ

  空蟬を掌にまろばせばうつろなる

     東京駅

  雑沓にささげし遺骨かくれなき

  貧窮のおもひあるときダリア枯れ

     入院の妻に

  夜の暑し市井のことは妻に告げず

  子の咳の咽喉裂くがにひびかふよ

     疎開一年

  露葎焦土出づるも憂かりける

     石橋秀野さんを憶ふ

  秋あをき星にうれひはかよひけり

     月島に夢道大人を訪ねて

  夏川を越へてありつくどぜう汁

     この時代にぼくの書く歌が、エレジィでなくて何であろう。しかも、

     それがただの哀しい歌であってはならないとあっては、……

  また秋の生をうべなふ露けさよ

     鈴木石夫に示す

  手相見に出す春の掌はわが持たぬ

     リルケ評伝千二百枚脱稿・合浦海岸にて

  はまなすは棘やはらかし砂に匍ひ

  子を肩に瓦礫のなかに陽炎へり


 高橋鏡太郎(たかはし・きょうたろう) 1913年3月24日~1962年6月22日。

                    大阪市北区生まれ。



★閑話休題・・村上直樹「一人ひとり一人ひとり卒業す」(第66回「ことごと句会」)・・


 本日、2月19日(水)は、第66回「ことごと句会」(於:新宿大久保地域センター)だった。兼題は「金」。以下に一人一句を挙げておこう。


  線香や今整いぬ汝との距離        渡辺信子

  羊水に居る春眠の無重力         江良純雄

  光り合う雨水の水を解く真昼       渡邉樹音

  不気味とは廊下の奥の余寒かな      村上直樹

  春立ちて能登は總持寺豆を打つ      金田一剛

  あの日から八十回目節目なし       杦森松一

  建国記念日癖になる金属臭       杉本青三郎

  逃水や情報戦の現在地          林ひとみ

  老梅の咲き誇りおる負けられん      石原友夫

  雪空の中に落暉の急ぎけり        武藤 幹

  にっぽんや米中韓露しぐれつつ      大井恒行  


 次回は、定例の第土曜にもどって3月15日(土)、於:ルノアール新宿j区役所横店。



     撮影・芽夢野うのき「春さむしかの世のむかしの家族ふと」↑

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