黛まどか「枯野より出でて虚空へつづく道」(『私の同行二人』)・・


  黛まどか著『私の同行二人』(新潮社)、帯には、


 出合い、判れ、俳句、死生……/「答えのない問い」を問い続ける

 一〇八札所、一六〇〇キロ


 とある。また、「プロローグーー歩かざるを得ない生」の中に、


(前略)私はこれまでスペインのサンティアゴ巡礼道800キロ、韓国プサンーソウル500キロ、熊野古道(中辺路・大和路・伊勢路)、四国遍路1400キロと幾つかの道を歩いてきた。

 いずれも目的はあった(つもりだった)が、今にして思えば単に“口実“だったのかもしれない。旅をするようになって気づいたのだが、もともと私は日常のルーティンには弱いが、予想外の出来事には強いらしい。見知らぬ土地を歩いていると、自分でも驚くほど生きる力を発揮する。思いもかけない出来事に遭遇したときや、道に迷ったときほど命がいきいきと躍動するのを実感する。(中略)

 二〇一七年に最初の遍路をした時から、生涯で三回は遍路をしようと決めていた。「一度は父のため、一度は母のため、一度は自身のため、三たび巡礼せよ」(真鍋俊照『四国巡礼を考える』NHK出版)

 この一節に出会ったことが、私が遍路を始めるきっかけだったからだ。結願後(けちがん)後は八十番霊場大窪寺(おおくぼじ)に金剛杖(こんごうづえ)を納める人も多いが、私は家に持ち帰った。あとの二回も同じ杖で巡礼するつもりだった。

 

 とあった。そして「エピローグーー『歩行する哲学』と空海の宇宙」には、


 六年ぶりに再びの四国遍路を行った。三年前に他界した父の供養、母の健康祈願、そしてウクライナやロシアの友人たちの無事を祈りながら歩いた1600キロの道のりであった。

  大いなる夕日の中へ遍路消ゆ    黛 執

 思えば、私の巡礼への憧憬はこの一句にはじまったように思う。(中略)

 今回の遍路も摩訶不思議な出会いに満ちていた。そしてそれれらと遭遇するたびに仏教の「空」と「無」に向き合うことになった。「空」も「無」も追えば追うほど逃げ水のごとく遠のいていく。ようやく掴みかけたと思ってもあっという間に指の間からこぼれ落ちた。


 とあった。ともあれ、本書中の俳句からいくつかを挙げておきたい。


  曼殊沙華この世の淵に咲きにけり      まどか

  月待つもつひの二十日となりにけり

  水音に蹤(つ)く鈴音や秋遍路

  お遍路の色なき風につまづける

  鬼の子に風収まりし夕日かな

  動かざる山に囲まれ秋水忌

  巡礼の過ぎて露けき石畳

  山彦のほろほろ木の実落としけり

  せつせつと落葉を溜めて手水鉢

  鳥にとも巡礼にとも木守柿

  つくづくと同行二人秋の風

  

 黛まどか(まゆずみ・まどか)、1962年、神奈川県湯河原町生まれ。



      撮影・中西ひろ美「風止んでものの芽潜みいる梢」↑

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