佐藤りえ「この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ」(『おやすみ短歌』より)・・


 枡野浩一・pha・佐藤文香編著『おやすみ短歌』(実生社)、編著者3人の連名の「まえがき」に、


 眠る前に読むのに最適な本というのは、先が気になってワクワクしてしかたがないような本ではなく、ひとつひとつの文章が短くて、どこから読んでもいいような本ではないでしょうか。そう考えると、短歌がちょうどいいのではないかと思いました。

 短歌は詩なので、ぱっと見ただけでは意味がよくわからないものもあるけれど、そういうところも眠りぎわに読むのにちょうどいい気がします。(中略)

 この本を枕元に置いて、毎晩少しずつページを、めくって、すやすやと、ぐっすりと、眠りについてもらえたらうれしいです。読者のみなさんが安眠できますように。


 とあった。また、各人の「あとがき」のなかで、pha(ふぁ)は、


  短歌を読む人が増えた、と最近よく言われているけれど、短歌というのは、慣れていない人にはやっぱりちょっととっつきにくいものだ。解説など抜きで、短歌だけを見て面白がれるようになるには、ある程度の慣れが必要だ。(中略)

 この『おやすみ短歌』は、歌の鑑賞の助けになるような散文を歌に添えることで、短歌を読むのに慣れていない人でも楽しめる本になったと思う。(中略)

 短歌はまだまだ、世の中に知られていない面白さのポテンシャルを秘めていると思う。その面白さ少しでも広めていきたい。


と。短い鑑賞文の付いた一例をあげると、


                      岡本真帆(おかもとまほ)

  おやすみと唱えたあとのおやすみのことだま眠るまでそこにいて

                     『水上バス浅草行き』ナナロク社

 ちゃんと眠れるまで、自分の言った「おやすみ」の言霊に守られたいと願うのは、眠るのがむずかしい人なんだろう。だれかが添い寝してくれているわけではなく、言葉の残響のようなものに包まれていると感じる。ひとりであることをまっすぐ受けとめているような、芯の強さも感じられる一首                        (枡野)


 ともあれ、以下に、短歌のみになるが、本集より、いく首か挙げておこう。


 目を閉じる度に光が死ぬことや目を開ける度闇が死ぬこと      木下侑介

 はるのゆめはきみのさめないゆめだからかなうまでぼくもとなりでねむる

                                 佐々木朔

 むばたまの眠る間際に読む本は「山羊の育てかた」山羊を飼はうよ 大室ゆらぎ 

 電飾が樹木をさらに暗くした もともとくらい いのちというは   辰巳泰子

 ねむいねむい廊下がねむい風がねむい ねむいねむいと肺がつぶやく 永田和宏

 地下室にとろりと水の流れゆく夜は素直に眠る階段         東 直子

 灯(ひ)は街にしずかに満ちてこの夜もきっと誰かの時効の前夜      toron

   眠り課の暗躍により第五号議案もつつがなく夢の中         石川美南

 はみ出すことを弱さに変へて僕は僕を欺くために眠るしかない    山田 航 

 今生に果たす全ての約束の今どのあたり おやすみ、またね    北山あさひ

 ゆゑ知らぬかなしみに真夜起き出せば居間にて姉がラジオ聴きゐき  川野芽生

 そしてまた追われる夢で目をさます 二度寝をすれば追っ手が変わる 佐々木あらら 

 約束は果たされぬまま約束を信じたころのかたちで眠る       千葉 聡

 終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて    穂村 弘

 この世から少し外れた場所として午前三時のベランダがある     荻原裕幸

 世界じゅうのラーメンスープを泳ぎきりすりきれた龍おやすみな   雪舟えま



        撮影・鈴木純一「またパンかよと食ってる春を急ぐ」↑

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