各務麗至「春夙吾妻絶命慟哭来(はるまだきあづまぜつめいどうこくく)」(「私小説ならぬ私俳句」より)・・
各務麗至『私小説ならぬ私俳句』(栞版 令和七年三月十五日発行・私家版)、各務麗至は、先般、妻の岡田佐代子を1月9日に失くしたばかりだ。本栞の末尾に「春の接吻うれし涙もさよならも」を結句にして、その各務麗至と妻の履歴を記している。
岡田佐代子(おかだ・さよこ)/一九五一年香川県生まれ。旧姓五味、一九七四年岡田秀一と結婚。二〇二一年一月九日歿。
各務麗至(かがみ・れいじ)/一九四八年香川県生まれ。一九六六年個人誌創刊、現在「詭激時代『戞戞』」編集発行。
「私小説ならぬ私俳句」1・Ⅱから、以下に抜粋紹介したい。
初恋にして小走りは時雨かな
息が目が何かもの言ふ年のくれ (中略)
花散る如息絶えて後号泣す
私小説ならぬ私俳句春まだき
人間ならば老衰のような
透析患者のリスクといわれる身体の劣化と機能不全が年月と
ともに進行していただろう。
四十数年の闘病生活の中で何度も死にそうになりながら、
それでも負けずに回復して今度の最後の最後まで精一杯生きる
という姿勢を見せてくれた。
それこそ昏睡状態もなく、
突如ポロッと花散るように逝ってしまった。(中略)
正座して鈴打って、
お前に手ェ合せているのに、
微笑んでそんな顔して見られていたら涙が出るわ。
ごめんなぁ。
それにしても、佐代子お前もそっちで淋しいかもな。
なんでって、そりゃオレがいないから。笑うより、やっぱり
お互いそっちこっちから、今まで通り励まし支え合おな。 (中略)
まう春と書いて明るくなつてきた
Ⅱ
(前略)長い闘病の、闘病の、そんな辛さもみせず、
しあわせそうに寄り添い、連れ合ってくれて、
送迎も、いつも見えななくなるまで手を振ってくれて、
あれは、それが、最後になるかも、との……。
透析という苛酷は、朝見えて、
それなのに、治療途中で突然逝ってしまうのを、
二人は何度も見て来ていた。(中略)
いつもいつも感謝していてくれたのかもしれない。
こちらこそ、本当に感謝して、
いくら大事にしても。しぃ足りないのに、
大事にしてあたり前だったのに……。 (中略)
春の接吻うれし涙もさよならも
撮影・芽夢野うのき「だからといって緋梅は白くなりたがる」↑
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