攝津幸彦「露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」(「むじな」2024・通巻8号 より)・・


 「むじな」2024・通巻8号(むじな発行所)、同人全員が平成生まれ。平成16,17年生まれも6人ほど、つまり10歳代である。年長といってもせいぜい30歳代前半だから、見事に若い。かつて愚生が参加した今は無き「未定」もその出発に際して、30歳以下を参加資格?にしていた。かくいう愚生が、いまや老いぼれて後期高齢者だから、まさに光陰矢の如し。したがって本誌は今後の可能性大いにありと思うが、総じて俳句形式そのものに対しての試みにはいささか遠い印象だった。それでも特集は座談会「分からない句会」、同人諸氏の俳句の神に捧げ続けようとする志に期待しよう。座談会のなかで、「(二)内容が分からない句/…俳句の内容が曖昧で、読者がどのように解すべきか分からないもの」の部分に、


■露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな   攝津幸彦『陸々集』

 ◎特選…なし 〇並選…山口、遠藤

うにがわ(提出者) 句意は「路地裏のことを夜汽車と思う金魚なのでした」ということになると思うんですけれども、どのようにイメージを膨らませて読み味わえば良いのかが難しいです。「本当にそうかなあ?」「金魚がそんなこと思わないでしょう」と一刀両断されてしまいそうな。でも攝津の代表句といえばこれなので、どうして代表句になったのかなというところを含めて、句全体が」いまいちピンと来ていないんですよ。

遠藤 景が浮かばないということですか?

うにがわ そうですね。

田口(並選)私はお祭りの後に金魚掬いの透明な袋に入れられて、人に提げられて夜道を行きく金魚の目に映る光景を詠んだものだと思いました。(中略)そうするとちょっと不思議なのが、普通なら「夜汽車」=「その金魚が入れられている袋」で、動いていない「路地裏」はその夜汽車から見える景色のはずです。それを「露地裏」=「夜汽車」としたことで、内と外が反転するような、不思議な感覚に繋がっているんだと思います。ただ、他にも様々な解釈ができると思います。(中略)

 うにがわ たしかに攝津ってそういう作り方はしますよね、その写生というよりも言葉自体を面白がる、その洒落も含めてね。そのご指摘はなるほどと思いました。

遠藤(並選) (中略)さっきの「反転」については、いくら「と思ふ金魚」としても、実際に夜汽車のように感じているのは作者であり、作者は手に吊るす金魚にその共感を求めていつような寂しさのある句かなと思いました。金魚が赤く小さいほど、作者の寂寥感や不安感が溢れだし、迫ってくるようです。


 とあった。他に、宇佐美魚目、飯島晴子、赤尾兜子、阿部青鞋、坪内稔典、髙柳重信など18名の句が俎上に挙げられている。興味ある方は、直接、本誌に当たられたい。ともあれ、以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。


  虫すだくパーシャルショットとろとろと      浅川芳直

  電話いつも片耳でしか沈丁花           新谷桜子

  Wi-Fiの偶に届かぬ草雲雀            有川周志

  短夜や「シナぷしゅ」待機するあくび      一関なつみ

  芋堀りや芋よりも先生が好き        うにがわえりも

  裏といふところが無くて石鹸玉          遠藤史都

  波すべて波の影なり揚羽蝶           及川真梨子

  虫の音を止めつつ進むハイヒール         大崎美優  

  手水舎に花おぼれけり青嵐            木村幸人

  桜蘂降り空薫きの廊下かな           佐々木祐義

  フナムシの目線逸らして現るる          漣波瑠人

  春炬燵徐々に相槌遅れゆく            佐藤友望

  心臓とラジオのノイズ冬銀河           佐藤 幸

  春光の遍く復興商店街              島貫 悟

  はくれんや思うときだけ死者の立つ       菅原はなめ

  過呼吸の夢から覚めて百合の花          鈴木綾乃

  自販機の当たりごろんと流れ星          鈴木萌曇

  風死して父のラジオが鳴り出しぬ         須藤 結  


★閑話休題・・池田篤・池尻洋史「JAZZ TO sutand Alone」(於:イン・ヴィーノ・ヴェリータス3F)・・

 昨日、2月25日(土)午後3時~「耳のごちそう」Vol.20の池田篤(サックス)・池尻洋史(ベース)(於:INvino VERITAS)に、以前から池田篤のファンだという武藤幹と出掛けた。終演後、篤氏にご挨拶に行ったら、篤(母上は池田澄子)氏は、「母から、いらっしゃることは連絡がありました」とおっしゃた。

 場所のイン・ヴィーノ・ヴェリータス3Fは愚生が3年程以前に府中市シルバー人材センターの仕事で、府中市グリーンプラザで施設管理の仕事をしていたときに、そのホールのそばにあったサングリアという喫茶店が移転したビルであった。顔なじみだったオーナーの方もおられたので懐かしかった。


    撮影・芽夢野うのき「崖よりの春の花とてアマテラス」↑

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