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岩片仁次「毛野の/たてがみ/今は倒れて/みなすすき」(『群馬百人一句α』より)・・

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  林桂編著『群馬百人一句α』(鬣の会・風の花冠文庫・税込1000円)、その「あとがき」に、 ・本書は群馬ゆかりの俳句作品をまとめたものである。 (中略) ・作家・作品は一党一派に偏ることなく対象を広くし、収録した。従って「俳句」の名の下に発表されている有季、無季、自由律、多行表記なそ、そのほとんどを含む多岐にわたる詞華集となっている。それはそのまま俳句表現の豊かさの表現となっているものである。現時点で、群馬に関わる最も優れた俳句詞華集であると自負する。(中略)     とあり、巻末には、索引として、「作者五十音順」「作者生年順」「詠地市町村別(五十音順)が付いている。中の一例のみだが、示しておくと、   夏石番矢  谷空の鳥へ投石続くなり    上野村吟行の作。深い多野の渓谷の上を悠然と飛ぶ猛禽類は、目線の高さを飛びかのようだ。思わず石を放りたくなる距離感である。無季句。夏石番矢は、1955年(昭30)年生まれの俳人。俳句誌「吟遊」代表。世界俳句協会代表。明治大学教授。現代俳句協会賞。モンゴル作家協会最高賞。                   (『猟常紀』静地社・昭和58年)より 以下には、収載された句のみだが、いくつか挙げておきたい。   里芋の芋串 (く) し梅見団子かな       矢島渚男    うれしい牛の背でみる片原饅頭屋       阿部完市    杖よどちらへゆかう芽吹く山々       種田山頭火    ただ在るを陽はつつみたり広瀬川       那珂太郎    白樺のしんしん 沼の蒼しんしん      伊丹三樹彦    電柱の   キの字の   平野   灯ともし頃                 高柳重信    郭公の山や一湖を加へたる          村越化石    ここは牧場光る揚羽に手をあげて      野見山朱鳥    榛名万緑の押しのびるなり          小澤 實    草笛をぴいぴい鳴らし上毛へ         小林貴子    夢に立つ不二は榛名や虫しぐれ        三橋敏雄    月に吠える犬一代の広瀬川          清水哲男    前橋は母の故郷霜夜明け           星野立子    一村のしぐれはじまる峠口          石 寒太    凩の碓氷は悲し海の色            石井露月   

土井探花「薄つぺらい虹だ子供をさらふには」(『地球酔』)・・

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 土井探花第一句集『地球酔』(現代俳句協会)、帯文に堀田季何、それには、     ひきがへる地球は誰の遺作だらう  朝顔で戦争が見えない中、パンジーが幕府をひらく話が出て、地球は夏を繰り返す。  季節も社会も混迷し、轡虫と帰るは昏迷する。そう地球酔だ。  酩酊の蛙が蟇になる頃、ヒトだったぼくは花の陰でゆっくり退化する。  最高にポップだけど、インディーズ、しかもロック!  空前絶後の探花ワールドに、あなたも酔ってみませんか。  とある。序文は橋本喜夫「俳句表現のガラパゴス化に抗して」、その中に、 (前略) 今回の土井探花の第四十四回兜太現代俳句新人賞受賞と本句集『地球酔』の上梓は口語俳句普及のブレークスルーになる可能性を秘めていると期待する。俳句は極端に短い、だから口語俳句を突き進むのは決して平たんな道ではないかもしれぬ。私自身も長年の手癖がつき、ついつい文語で作句する。俳句の性格以上、短歌界ほどの比率でなくても、せめて20~30%の俳人が口語で作品を詠むあるいは口語作品を楽しむ時代がきてもいいのではないか。大衆化という意味では俳壇も短歌界に追従する必要があるのではないか。そのためには口語俳句の魅力をもっともっと広めてゆかねばならぬ。土井探花はガラパゴスに舞い降りた最後の天使かもしれないのだ。  とある。さらに思うに、愚生は、現代仮名遣いの表記のほうが、句がもっと生き生きするように思うのだが如何に…。また、跋の五十嵐進「詩人の宿命」では、 (前略) 読者は句集『地球酔』を読んでいるうちに気づくのだ。悲しみはここに書かれなかった言葉の中にあることを。十七音の詩型が切り捨てた言葉の存在に気づく。余白の中に木霊のように響く言葉たち、孤独という心の孤島を見てしまった詩人は、詩とともに生きるしかない。語ることのできなかった言葉たちが、捨て置かれたのちに鳴り響く。詩によって生かされる詩人の宿命を、探花俳句の純度が読者に教えてくれる。  とあった。そして、著者「あとがき」には、   地球という舟にいまだ慣れぬまま生きています。それを悲観することもありましたが、幸いにして俳句を詠み続けることでこの星の住人との交信が出来ています。(中略)  本句集は口語俳句に主軸を置き始めた二〇一九年以降の作品を中心に編年体によらず二九九句収録しました。受賞作の「こころの孤島」は題名の是非も含めて熟

秋山博江「みづいろの付箋にふくれ本の秋」(『全肯定』)・・

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 秋山博江第一句集『全肯定』(私家版)、加藤典洋「 人は死ぬと、別の形で生き始める 」の献辞がある。また、黒田杏子の「藍生」での選評が帯にある。それには、    初花や生まれなかつた子のひかり  初花の句として異色の作品ではないだろうか。初桜の句は毎年詠まれており、それぞれに発見もある。しかし、秋山さんのこの一行はこれまで誰も詠まなかった世界を提示している。作者は常々ありきたりではない俳句を詠みつづけている人。広島発のこの作品にハッとする。(「藍生」誌選評より)  とある。集名に因む句は、    全肯定全肯定と踊りけり       博江  であろう。そして、懇切な序は杉山久子。その中に、  (前略 )小説、エッセイ、詩ではそれぞれ著書のある博江さんの、これは初めての句集である。 (中略)     狐火を見しこと長く言はざりき    夏帽子被れば景色深く見え  文芸の多様なジャンルで同時に作品を生みつづけた人が、小説やエッセイよりは遅れて出合った俳句という小さな詩型においても着実に表現を磨いて来られたことは、同じ師の元で、また身近で学んできた者として非常に嬉しい。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    繭玉はゆれ嬰児は乳を飲み   下書きは紙飛行機にして涼し   凩や香月泰男の塗り残し   読みさしの本に挟みて種袋   封筒のなか春潮のすみれ色   新茶汲む空を行き交ふ水の音   傷口の泡だちさうな蝉時雨   荒星や遺髪入りなるペンダント      悼 今井恒久先生   散る花の土にふれゆく時ひかる      悼 篠田賢治   柩には原稿の束緑さす      広島平和祈念式典   白服をまとひ生者の側にをり   流星に打たるる死なら迎へたし   草紅葉治る癒えるとは違ふ      悼 黒田杏子先生   永訣のあとの青空初桜   天地の軋むあはひを滝しぶき   針山の芯は髪の毛冬の虹  秋山博江(あきやま・ひろえ) 1949年、広島県三次市生まれ。 ★閑話休題・・大井恒行「雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ」(「現代俳句」9月号より)・・  「現代俳句」9月号(現代俳句協会)のブックエリアに、鳥居真里子が『水月伝』(ふらんす堂)の書評を書いてくれている。本句集を紙媒体で、書評として、掲載されたのは、先の「図

竹中宏「ヒロシマの日や山ゆかば草むす田」(「翔臨」第110号)・・

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 「翔臨」第110号(翔臨発行所)、中田剛「 半醒半睡の記ー虚実は縄を糾うごとく(五) 」の中に、 (前略) 「草苑」に入会した理由は、関わっていた同人誌「鷺」のリーダーで、信頼していた先輩・三浦健龍氏がかつて「最近の桂信子の作品はおもしろいぞ」と言っていたのをふと思い出したからだ。因みに三浦健龍氏の奥さんの谷村能里子さんも俳人で、「草苑」で新人賞を獲って、一時期、期待の新鋭であったが止めてしまわれたのは至極残念なことであった。   とあり、愚生も、その三浦健龍を中心とした同人誌「鷺」に、高柳重信論を何回か連載させていただいた。同人でもない愚生によくページを割いてくれたと思う。重信はまだ健在だったので、その頃、重信論を書いた人はまだ居なかったように思う。中田剛も注目されていた同人の一人だった。妹尾健もいたのではなかろうか。愚生は、後で知ったのだが、確か岸和田に居た三浦健龍の父は三浦秋葉という「雲母」の同人で、主宰誌を持たれていた。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。      西陲 (せいすい) に踊りて歌をうながせる     竹中 宏    龍天に登る自在に車椅子             西川章夫    呉線に海と朱欒の照り返し            洲﨑展子   あやふやなわたくしそして月の海         土井一子    夕ざくら父より娘へ「帰らうか」        稲守ゆきほ    未来図は自販機で買へ白魚食ふ         中山登美子    十日月かなひよつとこの豆絞り          加田由美    パリこの頃半袖の人毛皮の人           小門 都    春の日の青いいちごを召しあがれ         林 達男    鵜か鮎か鵜匠か波か知れぬまま          戸村静生    昼の貨車ぎしぎしに音残りけり          槌井元子    半夏生餅祈るかたちの手となりて         小林千史    雛流し極悪人から方舟に             小笠原信    みづうみの風は山へと青田波           尚山和桜    二 (ふた) 声を机の吾に青葉木菟         小山森生    より高く深く喰ひ入るいかのぼり         中村紅絲    童貞聖母マリア無原罪の御孕りの祝日に芬々たる下穿き     

宮入聖「月の姦日の嬲や蓮枯れて後」(「ふらんす堂通信」181より)・・

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  「ふらんす堂通信」(ふらんす堂)、藤原龍一郎連載「こわい俳句」の本号(第25回)は、昨年逝去した宮入聖の「 月の姦日の嫐や蓮枯れて後 」である。それには、 (前略) 月の姦とは、月ごとの姦淫の謂いか? 日の嬲とは、毎日の嬲り嬲られる淫行の謂いか? いずれにせよ、この上の句からは、倫理的にはずれた荒淫もイメージが濃密にある。そうなると、枯蓮とは荒淫の果ての男女の亡骸の映像ともとれなくはない。グロテスクなヴィジュアルが読者の脳裡に浮かびあがる。 (中略)   青大将に生まれ即刻殺 (う) たれたし   槍持てる霊蒼惶と夏の暮   桃啜り恍惚の子を啜りたし   黒牡丹毒のむ将の金の髭   祈祷師が札貼りちらす涼しさよ  どの句からも、読者は想像力によって、こわい物語を紡ぎ出すことができる。月の姦の句と同様に恐怖と官能性が融合している。  宮入聖ははじめ飯田龍太門下の「雲母」の新人として頭角をあらわし、一九七三年には伝説の「俳句研究第一回五十句競作」で佳作第一席になり、一九八三年には現代俳句協会主催の第一回現代俳句新人賞を受賞している。句集も前記の『聖母帖』をはじめ、八冊刊行している。一九四七年生れなので、攝津幸彦と同世代になる。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくかの句を挙げておこう。   手に足に指あり扇風機には羽         池田澄子    蚊を打つて講義はじめる漢かな       大木あまり    にいにい蟬のむくろをノート綴ぢ目に置く   小澤 實     大言も壮語もはるか雲の峰          林昭太郎      ぶつかられたるはうの蟻俊敏に        阪西敦子    あかつきの夢に雨音ほととぎす        浅川芳直    手にむちゆむちゆねばりつくジェル朝暑し   南十二国    火取虫沈みきれざる水の嵩         小野あらた ★閑話休題・・中村裕子ジュエリークラフト展(於:国立 ギャラリービブリオ)8月22日(木)~27日(火)・・   昨日、愚生は、9月4日(水)から始まる立川市曙福祉会館でのシルバー大学「俳句講座」の会場の下見をした後、隣の国立駅に降り、ギャラリービブリオに立ち寄った。その「ひろこの庭」の説明文には、  「ひろこの庭」には、自然のリズムで生きる動物、鳥、植物、そして昆虫の営みがあります。 (中略)   ガマ

大野林火「萩明り師のふところにゐるごとし」(『大野林火論ー抒情とヒューマニズム』より)・・

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 村上喜代子著『大野林火論―—抒情とヒューマニズム』(コールサック社)、その帯の惹句には、   詩を愛した少年時代から俳句に導かれ臼田亞浪に師事。  亜浪に「思うように句作せよ」と励まされ、高浜虚子を学び、  広く俳壇を知り見識を養い、俳壇のリーダーとなった林火。  家庭の不幸に見舞われ、俳句によって救われたとの思いから  病者や不運な人を俳句によって救おうとしたヒューマニストでもあった。 第一章「大野林火評伝」の結び「14.辞世三句」には、 (前略) 先師の萩盛りの頃やわが死ぬ日     残る露残る露西へいざなへり     萩明り師のふところにゐるごとし  この辞世三句を松崎鉄之介に書きとらせ、その後は昏睡状態になり、昭和五十七年八月二十一日午前四時半、ついに帰らぬ人となったのである。臼田亞浪宅より移植した萩。この萩を病床から眺め、師亞浪との思い出を頭に描いていたのであろう。三句ともに亞浪に繋がる句である。高浜虚子を学び、師風としては亞浪を継がなかったが、辞世三句共々亞浪を慕う心に胸を打たれる。 (中略)   九月二日、俳句文学館において俳人協会と濱俳句会の合同葬が執り行われた。暑い日だったという。戒名は「俳宗院師風林火居士」勲三等瑞宝章が追贈された。 (中略) 生涯を通じて、「初心」を忘れなかった人であった。病むもの苦しむ者への捨て身の愛、人間性、俳句への情熱、進取の心意気、俳壇のリードする力、包容力。林火の生きざまに学ぶことは多い。「石楠」を主宰した臼田亞浪の大きな懐に抱かれつつ、虚子を研究、虚子を学んだことでミイラ取りがミイラになって俳句の本道を知った林火。その幅広い視野と中庸の姿勢から俳壇のリーダーともなった。この功績はもっと検証され、顕彰されて当然かと思う。  とあった。愚生は、大野林火の弟子・松崎鉄之介の自宅に一度だけ伺ったことがある。その時、「化石が句を出し続ける間は、『濱』の発行はやめない」と仰っていたのを思い出す。その約束を果たされたのち「濱」を終刊にされた。その鉄之介もまた、師の林火の命日の翌日にあたる2014年8月22日に死去した。享年85。ともあれ、本書中より、林火のいくつかの句を挙げておこう。    燈籠にしばらくのこるひかな         林火    霜夜来し髪のしめりの愛しけれ   焼跡にかりがねの空懸かりけり   ねむりても旅の花

羽村美和子「月見草きのうの錆びた昼がある」(「俳句界」9月号より)・・

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 「俳句界」9月号(文學の森)、特集は「世界の『芭蕉』を追う」。論考は、堀田季何「 芭蕉はどれだけ、世界で有名なのか 」、マブソン青眼「 芭蕉の取り合わせと“二重写し“のアニミズム 」、奥坂まや 「世界に一つだけの詩 」、ラーシュ・ヴァリエ「 芭蕉の魅力/芭蕉30句選 」。もう一つの特集は「 私が愛する『一品』 」で、執筆陣は小島健・細谷喨々・中原道夫・福神規子・福永法弘・稲畑廣太郎・遠藤由樹子・碓井真希女・辻村麻乃・藤原暢子。中では、中原道夫「CPAP」が変わっていて面白い。句もその計測機械に関するもの、        無呼吸の谷間に覚めて明易し      道夫  ここでは、「豈」同人でもある羽村美和子の「私の一冊・『萩原朔太郎 名著初版本復刻珠玉選』(1985年・日本近代文学館)」を紹介しておきたい。その中に、  (前略) 私は口語で俳句を書く。文語は五七五のリズムに乗りやすいが、口語は一筋縄ではいかない。大袈裟だが、近代詩の苦悩と似ているかも知れない。口語俳句と格闘する私を「WA」の岸本マチ子、「橋」編集長の加藤佳彦が、受け止めてくれた。また今も所属する「豈」や「連衆」は多様性の集団。皆自分のめざす俳句を掲げ、新しい俳句を目指している。 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    奥右筆の裔の家とや白芙蓉           山本鬼之介    ががんぼの足が押さえて世界地図        羽村美和子    腰紐を緩めたる手や夜の秋            辻村麻乃    半生の悔いありありと水澄めり          森岡正作    頬杖に唇まで隠れ金魚玉             東野礼豊    方針はないけど石鹸玉である           中内火星  ★閑話休題・・星野愛「イヤホンの中に街騒夏夕(まちざいなつゆうべ)」(「朝日新聞夕刊」7月31日付け)・・  「朝日新聞・7月31日夕刊」の「あるきだす言葉たち」に、星野愛「銀翼」12句が発表されていた。略歴に、1980年生まれ。「玉藻」同人、日本伝統俳句協会・現代俳句協会共に評議委員、とあった。星野高士の息女である。    並び飛ぶみんみんも市街地生まれ            愛   銀翼や喜雨 (きう) の虹へと天翔 (あまかけ) る   不夜城にブーゲンビリア絡まれり     

松尾芭蕉「しら菊の目にたゝ見る塵もなし」(「新・黎明俳壇」第11号より)・・

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  「新・黎明俳壇」第11号(黎明書房)の特集は、「江戸時代の女性俳人VS男性俳人」。「気鋭の俳人10人が鑑賞!」の気鋭の俳人は、 田彰子・千葉みずほ・小枝恵美子・後藤麻衣子・横山香代子・村山恭子・なつはづき・川島由紀子・かわばたけんぢ・山科希 。さまざまな連載記事があり、意外に楽しめる。前田砥水「 私の海外詠⑨ /ポートレート・イン・赤い風車」、松永みよこ「 俳句の中の人たち⑨ /妻棄て子棄て風となり・俳人広瀬惟然」、太田風子「 ニューヨークから俳句⑪ /SOHOとヨーコ・オノ」、村井敦子「 遠くの句碑・近くの句碑 /滋賀・北村季吟句碑」、赤石忍「 俳句こぼればなし /子規は『自由人』」、朝倉晴美「二 十四節気を俳句で楽しむ /小雪11月22日~12月6日」、千代女 「俳句殺人事件簿⑪/ 幽霊」など。なかでも、武馬久仁裕「 俳句は省略の文芸ではありません 」の中には、  (前略) 俳句は、言葉によって作られた世界です。五・七・五や切れ字・季語も含めた様々な言葉さばき (・・・・・) によって。我々が生きる日常そものではなく、我々が生きる日常を踏まえつつも、我々が生きる日常を超えた世界、すなわち虚構の世界を生み出す器です。ですから、散文を省略すればできる世界ではないのです。  その意味で『俳句』二〇二四年二月号の「特集省略」にある鳥居真里子の推敲過程は興味深いです。   【原句】陽炎や繃帯ほどきつつ来たり   【推敲】かげろふの繃帯ほどきつつ来たり  原句は、「陽炎や」と、「や」で切られているために、かえって「繃帯ほどきつつ来たり」が、日常に引き付けられます。繃帯をほどくのが、人間になるのです。しかし、推敲句は、「や」が「の」に変えられることで、繃帯をほどくのは「かげろふ」自身になります。日常を超えた不思議な世界の出現です。  とあった。ともあれ、本誌本号の「黎明俳壇」入選句より、いくつかの句を挙げておこう。  特選  鳥曇り低空で飛ぶプロペラ機      水野巨海      夏の雲酸素ボンベを引く少女     松岡久美子  ユーモア賞       ドライヤーなど要らぬ齢や春の風    霧賀内蔵      友達もみんなも骨が折れている      早希子     ★閑話休題・・朗読グループ八重の会・第36回「夏の朗読会/千鳥ヶ淵に行きましたか」(府中市中央文化センター

齋木和俊「読み返す『広島ノート』夏の果」(第176回「吾亦紅句会」)・・

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   昨日、8月23日(金)午後1時~は、第176回「吾亦紅句会」(立川市高松学習館)だった。兼題は「踊」。以下に一人一句を挙げておこう。   海女小屋に手鏡ひとつ今朝の秋      佐藤幸子    小夜更けて地下衆で踊る風の盆      齋木和俊   踊り手の皆帰省子か過疎の村      吉村自然坊    敗戦忌三歳の吾引揚者          渡邉弘子    原爆忌地球のあちこち戦火の子      牟田英子    七夕や母の形見の千字文 (せんじもん) 松谷栄喜    風鈴や住む人のなく鳴りやまず      西村文子   あらここに黒い服着て元気蟻      三枝美枝子   盆踊同じ輪の中異国の子         関根幸子    お囃子の少し遠慮の盆踊り        笠井節子    爽涼や飛行機雲の線続き         奥村和子    喫煙の螺旋階段星涼し         折原ミチ子    仏桑華平和を祈念次世代に       井上千鶴子    球児らの願いかなわず雲の峰       高橋 昭    振袖の乱れず踊る舞妓はん       佐々木賢二    蝶となり蜻蛉となりて花野行く      田村明通    黙祷の壁に空蝉取り残す         村上さら    踊りの輪もじもじとしては入れぬ子    武田道代    巴里五輪ひばりの「柔」しみじみ と   須﨑武尚    まねく灯踊りの男女みな頭巾       大井恒行 ★閑話休題・・皆川燈「著者は現在の俳句界にあって、深々と屹立する存在である」(「図書新聞」3653号・2024年8月31日・『水月伝』書評)・・ 「図書新聞」第3653号・2024年8月31日(武久出版)に、皆川燈が「二十三年ぶりに刊行した第三句集/著者は現在の俳句界にあって、深々と屹立する存在」とのタイトルで、愚生の『水月伝』(ふらんす堂)を評してくれている。拙著の刊行後、俳句総合誌、新聞などでの書評ではもっとも質量ともに有難く評していただいた。  皆川燈は、永田耕衣亡き後、清水径子・鳴戸奈菜を擁して俳誌「らん」を創刊し、編集人を務めた。それも先般、終刊した。現在は、新たに創刊した同人誌「風琴」の発行人であり、実力派の俳人である。この評のなかに、 (前略) 父の世代の戦争はまぎれもない現在として呼び出される。     凍てぬため足ふみ足

栗林浩「添水鳴ると分かつてゐても構へける」(『あまねし』)・・

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  栗林浩第3句集『あまねし』(角川書店)、著者「あとがき」に、   この句集『あまねし』は、第一句集『うさぎの話』(二〇一九年六月)、第二句集(SMALL ISSEUE』(二〇二二年六月)につぐ第三句集です。三句集とも二九五句に絞りました。 (中略)   第一および第二句集の際は、思いの丈を入れこんで構成いたしましたが、今回は多くの句集のパターンに倣い、四季別にいたしました。ただし、第二句集から余り日がたっていませんので、時系列には従っていません。通底するテーマは「日常の生活と旅、そして命」といったものに目を向けて「あまねく」詠んだつもりであります。  とあった。集名に因む句は、巻頭に置かれた、   この慈光あまねかるべし初山河         浩  ではなかろうか。ともあれ、愚生好みになるが、以下にいくつか句を挙げておきたい。    大旦国旗に深きたたみ皺   木と紙の家に梅の香水の音   名水は温むことなし初つばめ   かげろふのゆらりかみんぐかうとかな   父の日の口に淋しき桜の実   合歓咲いてむかしの風の吹く日かな   飛魚 (あご) とぶや刹那を鳥になりきつて   無花果をひらけばあまたちさき花   菊人形わらはぬ眼ふたつづつ   墓碑に「寂」ほかには「空」と枯葉風   山らしき山なきロシア国境 冬   雪二尺誰も作らぬ雪だるま   草の戸に蓑・笠・棒 (ぼ) つこ・竹馬も   ポケットに去年の冬の浄め塩   大願は鬼にもあらむ鬼も内   栗林浩(くりばやし・ひろし) 1938年、北海道生まれ。 撮影・芽夢野うのき「シオカラトンボしずかな渚の波を追い」↑  

永井陽子「少女期の白い夏野を裸馬よぎる」(「トイ」Vol.13より)・・

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 「トイ」Vol,13(トイ編集室)、同人は青木空知・池田澄子・仁平勝・樋口由紀子・干場達矢。句と1ページのエッセイをそれぞれ収める。干場達矢「青春」には、   人に『永井陽子全歌集』(青幻舎)をもらった。永井陽子といえば〈ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり〉がまず思い浮かぶ。 (中略)   『全歌集』を開いて知ったのだが、永井は俳句も書いていた。  〈少女期の白い夏野を裸馬よぎる〉  歌人が書いた俳句は気になる。面白い句を書く人もいる。だが、永井の句はムード先行だ。おもに十代のころの作のようである。 句歌集『葦牙』のあとがきにこうある。 「私と俳句の間には、明らかな距離があった。(略)俳句は現代詩である。伝統とはかかわりのない、現代に息づく詩 (うた) である」  短歌には千年にわたって連続する生命があり、それが青春の入口に立つ自分を魅了したといい、これに対して俳句は、という。そして「俳句は一生続けられる」が、短歌には青春以外のものをたくせないというのである。  と記されていた。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。    堪忍袋の口をしばるに力草        池田澄子    だんだんと正方形の顔になる      樋口由紀子    髪はまだ濡れてをらざり水遊び      青木空知    日の丸のしろいところが涼しさう     仁平 勝   今朝の秋ものみないつか人を去り     干場達矢 ★閑話休題・・津髙里永子「動物園暑しペンギン爪黒し」(「~ちょっと立ちどまって~2024・7~」)・・  「ちょっと立ちどまって」は津髙里永子と森澤程の二人の葉書通信。もう一人の句を以下に挙げておこう。    空蟬の一心不乱風吹く日        森澤 程      撮影・鈴木純一「権力はテッポウユリのめしべから」↑

細谷源二「丁丁と妻を打つわれより弱き故に」(「ペガサス」第20号より)・・

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 「ペガサス」第20号(代表・羽村美和子)、トピックⅠに「『ペガサス』1年遅れ5周年記念・鎌倉吟行会」、トピックⅡは東國人句集『白熱灯』、作品評に、外部から鈴木牛後「ワンダーを求めて」など。連載の論考に瀬戸優理子「雑考つれづれ『細谷源二~生きるための俳句④』」。本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    ややこしい生い立ちところてんつるり      浅野文子    落椿スティックのりのふとつきる        東 國人    夏浅し柱時計の音軋む             石井恭平   月涼し裏に紅旗のはためけど          石井美髯    金魚鉢くもりて魚影らしきもの        伊藤左知子    小判草乳母車から小さき足          伊与田すみ   初夏の太き一行心太              Fよしと    富弘の鉄線模写す傷心など           小川裕子    つつがなく孟宗竹にございます          きなこ    花茨恋愛偏差値低めです            木下小町   地球から弾き出されてハンモック        坂本眞紅    初夏の海風翼生えて来た            篠田京子   青葉騒なにか忘れて軽い鞄          瀬戸優理子    まだどこも濡れていない水着干す        髙畠葉子    草笛の半音低く祖母の庭            田中 勲    初桜時間の外に椅子ひとつ           中村冬美    良い戦争悪い戦争梅雨きのこ         羽村美和子    駅ピアノ一気に夏へ転調す           水口圭子    迎え梅雨眼みひらく白龍図           陸野良美 ★閑話休題・・谷口智行「夜の長し死者は褒められ叱られて」(「山猫便り/2024年8月7日」より)・・ 「山猫便り」は山内将史の葉書通信。冒頭には、    人形の唇に鏡をあてて霜      山内将史  とある。そして、  安井浩司さんは葉書に〈貴句「人形の唇に鏡をあて」る=それは何だろう。そこに鏡の作用で二体の神、すなわち汝神と我神が生れるに違ない。それでよいのだと、思わずにいられない、実に不思議な仕草ですね〉と書いてくれた。自慢です。  とあった。      撮影・中西ひろ美「魂迎えゆっくり行けばよいものを」↑

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

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   岩田奎著『田中裕明の百句』(ふらんす堂)、「はじめに」には、   本書の想定読者は、俳人ではない。まず、俳句と無関係な人文系の学部一年生。つぎに、むしろ短歌や川柳、現代詩の方に親しいヒト、あるいは鑑賞力をつけたい高校生や初学者。これらの人を念頭に書かれた本だ。 (中略)  そして、それをつとめて外部向けに解剖する鑑賞があれば、それは裕明俳句だけでなく、他の俳人が書く今日の俳句の楽しみ方のガイドにもなるのではないかという大それた仮説が本書のコンセプトだ。もちろん、俳人にも歯応えのあるものをこころがけたつもりだが。  とあった。百句シリーズはどれも、右ページに一句を置き、左ページに解説がレイアウトされているが、その二例を紹介しておこう。     みづうみのみなとのなつのみじかけれ    『夜の客人』  俳句、とくに田中裕明の第一の鍵。声に出して音やリズムで味わうこと。俳句は意味だけではないのだ。 (中略) ここで音韻をみよう。四つの「み」(そのうち三つは頭韻を踏んでいる)と二つの「な」がなめらかに流れていく。その韻律の上質なさびしさが宿る。「みじかけれ」は已然形だから文法上は破格なのだが、なにかそのあとに続いていきそうな気配がする。もちろん平仮名表記も味のひとつ。  季語=夏(夏)     去年今年人の心にわれいくつ    遺稿                     二〇〇四・一二・二九  去年今年 (こぞことし) とは、一夜を境に年が改まる不思議な感覚を捉えた言葉。いよいよ零時になるというとき、ふと思った。いま、それぞれの家で年を越しながら、誰か自分のことをちらりとでも気にかけて思い浮かべてくれたりはしないだろうか。何人の心に自分はいるだろうか。そんな人間臭い自意識。 (中略) この句を書いて翌十二月三十日、五年弱患った骨髄性白血病にる肺炎のために、裕明は新年を迎えることなくこの世を去った。享年四十五。  季語=去年今年(新年)  ともあれ、以下に、句のみになるが、本書よりいくつか挙げておきたい。   空へゆく階段のなし稲の花        裕明   たはぶれに美僧をつれて雪解野は   大学も葵祭のきのふけふ   をさなくて昼寝の国の人となる   水遊びする子に先生から手紙   箱庭にありし人みな若かりし   悉く全集にあり衣被   小鳥またくぐるこの世のほか

原雅子「水澄むや原発洩るる水いづこ」(『明日の船』)・・

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 原雅子第3句集『明日の船』(紅書房)、その「あとがき」に、   『明日の船』は『日夜』『束の間』に次ぐ第三句集です。二〇一一年の前句集『束の間』から十数年経ちました。その間、思いがけず俳句鑑賞に関する文章を二冊出版していただいたりしたのは望外のことでしたが、自分の句をまとめることからは遠ざかっておりました。 (中略)   指摘されて気がついたくらいで意識していた訳ではありませんが、このたびの『明日の船』もたまたま未来を指す言葉が入っています。私自身の未来の時間はさしてたっぷりある訳ではありませんが、未知なる時間であるのが気に入って句集名といたしました。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏すると思うが、いくつかの句を挙げておきたい。    一日を使ひ減らしぬ鳥雲に         雅子    雪月花じわじわ被曝してゐたる   晩凉のゐもりながむしひきも来よ    民族にかぶさる国家冬深む   老人や蚊柱に杖差し込んで   戦はぬ国是いつまで唐辛子   ステンドグラスに聖者は痩せてクリスマス   忘れ易く諦め易き国家凍つ   菰を巻くいづれ伐らねばならぬ木に   里神楽山影山を移りけり   絶滅危惧種ヒトにあらずや蚊など打つ   夢にだに立たぬ亡き人盆が来る   墓洗ふ童子童女の名を濡らし   水澄んでもう出てゆかぬ氷川丸   来るな来るなと啄木鳥の急調子   綿埃からつまみ上ぐ木の葉髪      原雅子(はら・まさこ) 1947年、東京生まれ。 ★閑話休題・・ナマステ楽団10周年生誕祭ライブ(於:下北沢lete)・・                   末森英機↑  午後から早めに、末森英機のナマステ楽団10周年生誕祭ライブ14時半~(於:下北沢lete)に出かけたが、京王線の人身事故のための遅れで、一時間半以上かかってしまい、少し遅刻、満席で演奏者をかいま見ることもなく、演奏だけを聞いて終演になった。とはいえ、隅っこの丸椅子に腰かけ瞑想にふけりつつ、曲のみを聞くのも悪くはない。            鈴木純一「気の抜けたコーラに 2 本麦の稈」↑

岡田耕治「楊梅を摘む一瞬の力抜き」(『父に』)・・

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 岡田耕治第4句集『父に』(銀河書籍・税込1100円)、解説は久保純夫「 受容と均衡―—岡田耕治句集『父に』ついて 」、その中に、 (前略) 肯定と否定をほどくシャワーかな  体験を経験とする力。つまりは、わが身が被ったひとつの事件を擦過するだけではなく、変容として定着させているのだ。そのあたりの内容はたったひとつの助詞「を」を発見したことでも判る。それがこの句である。    自らの重みを落ちる海鼠かな 読者はこの覚悟と自覚を正視せよ。 (中略)    没年であり生年を送りけり 『父に』の最後に収められた句である。 没年という語の内容はすぐ理解できる。 生年をどう捉えたらよいのか。現況の社会状況を思い浮かべると、ひとつの答が導き出されるような気がした。ガザやウクライナから伝えられる赤ん坊の死なのかと。作者の立場となると、そうでもないらしい。やはり「父に」の範疇だった。 岡田耕治からすると、父であり、孫という存在。なるほど、掉尾に相応しい。ここから新しい展開が始まる。   とあった。また、著者「後記」には、    師である鈴木六林男は、よく次のように私たちを指導した。年の初めに自分がどんな俳句を書きたいかというテーマを設定し、そのテーマに向かって俳句を書いていくように、と。 (中略)   この年のテーマである「戦争と気候変動の時代、読み手に生の肯定を届ける俳句」は、「父に生の肯定を届ける」という思いでまとめることにした。本句集名も、このような経緯で、『父に』とした。 (中略)   鈴木六林男師から、俳句は三人に通じたらいいと指導されました。その内の一人は自分自身だと。久保純夫さんと私、そして本書を手にされたあなたが、三人目となってくだされば、何よりの幸せです。  とあった。巻尾には、自筆年譜も添えられている。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    大きさを保っていたり懐手          耕治    春の雷先師の声を近くする   点眼に直前のあり風光る   亡き人が先にみており雛飾   振って出す万年筆のさくらかな   方舟と別に流され落し文   さくらんぼ種出してより甘くなる   ばったんこ起こるべくして起こりけり   本人を確かめている薄氷   冷し酒はじめに水をふくみおり       父逝く   線香を立てそうめんをす