土井探花「薄つぺらい虹だ子供をさらふには」(『地球酔』)・・


 土井探花第一句集『地球酔』(現代俳句協会)、帯文に堀田季何、それには、


   ひきがへる地球は誰の遺作だらう

 朝顔で戦争が見えない中、パンジーが幕府をひらく話が出て、地球は夏を繰り返す。

 季節も社会も混迷し、轡虫と帰るは昏迷する。そう地球酔だ。

 酩酊の蛙が蟇になる頃、ヒトだったぼくは花の陰でゆっくり退化する。

 最高にポップだけど、インディーズ、しかもロック!

 空前絶後の探花ワールドに、あなたも酔ってみませんか。


 とある。序文は橋本喜夫「俳句表現のガラパゴス化に抗して」、その中に、


(前略)今回の土井探花の第四十四回兜太現代俳句新人賞受賞と本句集『地球酔』の上梓は口語俳句普及のブレークスルーになる可能性を秘めていると期待する。俳句は極端に短い、だから口語俳句を突き進むのは決して平たんな道ではないかもしれぬ。私自身も長年の手癖がつき、ついつい文語で作句する。俳句の性格以上、短歌界ほどの比率でなくても、せめて20~30%の俳人が口語で作品を詠むあるいは口語作品を楽しむ時代がきてもいいのではないか。大衆化という意味では俳壇も短歌界に追従する必要があるのではないか。そのためには口語俳句の魅力をもっともっと広めてゆかねばならぬ。土井探花はガラパゴスに舞い降りた最後の天使かもしれないのだ。


 とある。さらに思うに、愚生は、現代仮名遣いの表記のほうが、句がもっと生き生きするように思うのだが如何に…。また、跋の五十嵐進「詩人の宿命」では、


(前略)読者は句集『地球酔』を読んでいるうちに気づくのだ。悲しみはここに書かれなかった言葉の中にあることを。十七音の詩型が切り捨てた言葉の存在に気づく。余白の中に木霊のように響く言葉たち、孤独という心の孤島を見てしまった詩人は、詩とともに生きるしかない。語ることのできなかった言葉たちが、捨て置かれたのちに鳴り響く。詩によって生かされる詩人の宿命を、探花俳句の純度が読者に教えてくれる。


 とあった。そして、著者「あとがき」には、


 地球という舟にいまだ慣れぬまま生きています。それを悲観することもありましたが、幸いにして俳句を詠み続けることでこの星の住人との交信が出来ています。(中略)

 本句集は口語俳句に主軸を置き始めた二〇一九年以降の作品を中心に編年体によらず二九九句収録しました。受賞作の「こころの孤島」は題名の是非も含めて熟考の末、そのまま掲載してあります。


 とあった。集名に因む句は、


  轡虫あなたも地球酔ですね       探花


 である。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するが、いくかの句を挙げておこう。


  花ぐもりスプーンの恥丘を撫でる

  ジャイアンの滅んだ国の雪もよひ

  間脳に蝶ゐて動かない痛さ

  背泳ぎの空は壊れてゐる未来

  滝であることを後悔しない水

  空き缶の底に去年ありすすげない

  人形は氷るたひらな夜に飽きて

  水温む飲まねばたぶん死ぬ薬

  白日を囀りだつたものが降る

    十二月十二日

  オリオンへ行きたい鳥に切って貼れ

    十二月十五日

  木守柿ただ情熱の色でした

    十二月十九日

  冬牡丹こころにベホイミが効かぬ

  無実だがきのこをよけて通ります

  バレンタインデーみなになで肩を授ける


 土井探花(どい・たんか) 1976年、千葉県生まれ。


★閑話休題・・土井探花「紫陽花を愛しすぎるのも破戒」(「合同句集/カルフル」第9号)・・


 探花つながりで、「合同句集/カルフル」第9号(発行人:土井探花)、サブタイトルに「俳句の交差点からお届けする連作と鑑賞」とある。A4一枚のシンプルさ。その中から、


  俥夫立夏水を飲む間に次の客      古田 秀

  清水汲まねば本尊が寂しがる    このはる沙耶



           鈴木純一「流氷や左右の翼かさなって」↑

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