秋山博江「みづいろの付箋にふくれ本の秋」(『全肯定』)・・


 秋山博江第一句集『全肯定』(私家版)、加藤典洋「人は死ぬと、別の形で生き始める」の献辞がある。また、黒田杏子の「藍生」での選評が帯にある。それには、


  初花や生まれなかつた子のひかり

 初花の句として異色の作品ではないだろうか。初桜の句は毎年詠まれており、それぞれに発見もある。しかし、秋山さんのこの一行はこれまで誰も詠まなかった世界を提示している。作者は常々ありきたりではない俳句を詠みつづけている人。広島発のこの作品にハッとする。(「藍生」誌選評より)


 とある。集名に因む句は、


  全肯定全肯定と踊りけり      博江


 であろう。そして、懇切な序は杉山久子。その中に、


 (前略)小説、エッセイ、詩ではそれぞれ著書のある博江さんの、これは初めての句集である。(中略)

   狐火を見しこと長く言はざりき

   夏帽子被れば景色深く見え

 文芸の多様なジャンルで同時に作品を生みつづけた人が、小説やエッセイよりは遅れて出合った俳句という小さな詩型においても着実に表現を磨いて来られたことは、同じ師の元で、また身近で学んできた者として非常に嬉しい。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  繭玉はゆれ嬰児は乳を飲み

  下書きは紙飛行機にして涼し

  凩や香月泰男の塗り残し

  読みさしの本に挟みて種袋

  封筒のなか春潮のすみれ色

  新茶汲む空を行き交ふ水の音

  傷口の泡だちさうな蝉時雨

  荒星や遺髪入りなるペンダント

    悼 今井恒久先生

  散る花の土にふれゆく時ひかる

    悼 篠田賢治

  柩には原稿の束緑さす

    広島平和祈念式典

  白服をまとひ生者の側にをり

  流星に打たるる死なら迎へたし

  草紅葉治る癒えるとは違ふ

    悼 黒田杏子先生

  永訣のあとの青空初桜

  天地の軋むあはひを滝しぶき

  針山の芯は髪の毛冬の虹


 秋山博江(あきやま・ひろえ) 1949年、広島県三次市生まれ。



★閑話休題・・大井恒行「雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ」(「現代俳句」9月号より)・・


 「現代俳句」9月号(現代俳句協会)のブックエリアに、鳥居真里子が『水月伝』(ふらんす堂)の書評を書いてくれている。本句集を紙媒体で、書評として、掲載されたのは、先の「図書新聞」8月31号(3653号)に続いて、二度目だと思うが、いわゆる俳句雑誌としては初めてに等しいと言ってよい。少しばかり、引用しておきたい。


(前略)戦争に注意 白線の内側へ

 日常という扉の隣はなんなく異界へ続いてしまうとこの句は教えている。「白線」が「渡邊白泉」を想起させるのに時間は要しない。ホームの白い線は薄暗く長い廊下へと伸びていく。そして「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。読者はこの一句に導く仕掛けに気づくのである。(中略)

  雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ

 敢えて言うなら、意識された表現と意識されない直感的な感覚から生まれたような一句である。「雪花菜」の漢字表記の美しさに言葉の調べの優雅さ。意味性を遠ざけた不思議な漂泊感に包まれる。

 大井恒行の俳句に向き合う姿勢は一貫している。「俳句」を固定観念で縛ることなく、自己の俳句表現を揺るぎなく完結させてゆく。まるで、万物流転を遥かに見渡しているかのようである。



   撮影・中西ひろ美「ふつうの家にただの野分が来ていたり」↑

コメント

  1. 拙著を紹介いただき、大変ありがとうございました。うれしく拝見しております。
    本日、御句集『水月伝』拝受しました。詳しく具体的な前書きのある追悼句群に打たれると同時に、こんな作り方もあるのかと新たに学びました。とりあえずお礼申し上げます。

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