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なつはづき「髪切って人魚をやめる青水無月」(「現代俳句」6月号)・・

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  「現代俳句」6月号(現代俳句協会)、本号のメインは「第41回兜太現代俳句新人賞」。選考委員は小林恭二・穂村弘・田中亜美・山本左門・瀬間陽子・赤野四羽・堀田季何・永瀬十悟。今回、令和5年度の新人賞受賞者は楠本奇蹄「触るる眼」。佳作は十川長峻「路上よりの歌」、とみた環「詩と吃音」。以下に2句ずつ挙げておこう。    思惟の手にみづのゆきさき鳥曇        楠本奇蹄    弔ひの手で綾取りの橋渡る           〃    炎昼に旗振る友に茶を渡す          十川長峻    青テントまた燃やされて風生忌          〃    ぶらんこの 子と  ・ 空爆の再生数    とみた環    言霊を先に ゆ か せ る ・ 地雷原     〃  巻頭エッセイの「直線曲線」は網野月を「 『はじめての俳句教室』考 」。その他、本誌本号よりいくつかの句を挙げておこう。    風すっとやみてどこかに夏鶯          池田澄子    湾岸を縁取るやうに夜光虫           橋本喜夫    足裏を恥じらうプール開きの日        なつはづき    七つ釦のさくら未だし父の魂         佐怒賀正美   遠花火 当たりの方の明日であれ        岡田美幸    ビリヤニのスパイス辛くクリスマス       村山温子    夕涼や仕掛け絵本のひらく音         中村亜希子    火炎瓶の虹の抵抗 空を切る          林ひとみ ★閑話休題・・日本太極拳法一楽庵・中級審査合格!・・  愚生も後期高齢者、苦節ウン年、先日、ようやく一楽庵宗家より中級審査を受け合格した。健康のために始めた太極拳だから、のんびり、無理せずにやっているのです。今後も地道に精進したいと思っています。     撮影・中西ひろ美「初夏の街にはまっすぐが似合う」↑

河村正浩「万葉の森に師の影祥生忌」(『枯野の眼』)・・

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 河村正浩第15句集『枯野の眼』(東京四季出版)、その「あとがき」に、     本句集は「山彦」創刊三十周年を記念して上梓したもので、平成三十一年から令和五年までの五年間の作品より収録した。 (中略)   第五句集『春宵』(平成二十六年』で、「私は、構えることなく自在にそして楽しむことをモットーに、その上で、井上ひさしの〈むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく……〉を自戒の言葉とし、平明かつ無頼に徹して詠むことができたらと思う。」と述べた。その思いは今も変わらない。  とあった。ブログタイトルにある句「 万葉の森に師の影祥生忌 」には、前書「 十一月十一日は師大中祥生忌 」とある。愚生が、俳句を初めて作って投句したのが、毎日新聞「防長俳壇」、選者は大中青塔子(後の祥生)である。俳人に知り合いのいなかった愚生は、山口を出て、上洛していた折、大中青塔子に数回句を送る手紙を出し、その返信の葉書には〇×が付してあった。そして愚生は、迷わず、立命館大学俳句会「立命俳句」の門を叩いたのだった。今思えば、当時の「立命俳句」の顧問は松井利彦、国崎望久太郎で、あきらかに天狼系だった。   集名に因む句は、     淋しすぎる男枯野の眼となりぬ        正浩  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    影持たぬもの紛れる原爆忌         一途なる木から始まる落花かな   喜寿なるも少しの侠気寒の鵙     岸信介、佐藤栄作兄弟宰相出身地    田布施てふ街に祇園柿たわわ   冬枯の蓮田こんなにも自由   終戦に生まれて喜寿の敗戦日   この肉体剥けば白骨稲びかり   指輪を買つて枯野に亡妻 (つま) を待たせをり    かつて死の川に無数の蟹の穴   地図にある村に家なく葛の花 ★河村正浩「蛇の衣吹かるる先のこころざし」(『うたかたの夢』・四季書房)・・   同日発行の句集、収録された句の年限もほぼ同じ。序の祝句は、松澤雅世。    いくとせに夢の夢こそ悦ばし          松澤雅世  また、本書の「あとがき」の中には、  (前略) さて、今年の一月に「四季」は創刊六十周年を迎え、偶然にも「山彦」は五月に創刊三十周年を迎える。当初は両誌に発表した句を一本にまとめようかと思ったが、やはり前回と同...

大竹多可志「青空の風の花かも花水木」(『デジャ・ビュ』)・・

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   大竹多可志第9句集『デジャ・ビュ』(東京四季出版)、著者「あとがき」に、  (前略) 昭和六年に俳誌「かびれ」を創刊主宰した祖父大竹孤悠、そして「かびれ」主宰を継承した小松崎爽青のもとで、門前の小僧として俳句を始めた。それは昭和三十七年、十四歳の時であった。あれから六十年が過ぎた。こんなに長く俳句をやるとは、思ってもみなかった。私も七十五歳、後期高齢者となった。年は取っても俳句に年を取らせないように心掛けている。 (中略)   「かびれ」の生活信条「生活即俳道」(社会人として、己の責務生活に真摯に生き、その生き様の中から湧き上った詩的情感を俳句に詠む)の実践の結果が本句集と思っている。  私たち「かびれ」は、詩的生活の実践の中から実感を大切にした季感詩俳句を目指してしる。目標はあと七年後の「かびれ創刊百年」である。    デジャ・ビュの思ひふと湧く春灯       多可志  とあった。ともあれ、本集より愚生好みになるが、いくかの句を挙げておこう。    東京にビルがまた建ち霞みけり       春愁の飛べぬ木馬の翼かな   吾が家を全て灯して年迎ふ   生き方に減り張りがあり花擬宝珠   朝夕によく笑ひたる生身魂   八月や団塊世代かくも老い   秋日差やや身の影の詰まりけり   凍鶴の拒絶の影の黒さかな   ふらここを漕ぎて触れたる白き雲   天国も地獄も水の温むころ   ネコと言ふボス猫がをり漱石忌   十月の風が身を透く夕べかな  大竹多可志(おおたけ・たかし) 1948年、茨城県日立市生まれ。 ★閑話休題・・山内将史「正津勉の詩に寄せて/川に降る雪や眠りにゆく故郷」(「山猫便り・2024年4月27日」)・・  山内将史の葉書便りの「山猫便り/二〇二四年四月二七日」に、  (前略) 「眠りにゆく故郷」は正津勉」の詩「九ツノ頭ノ竜ノ川」からの借用。自選句集に入れたかったが前書に悩んだ。「正津勉に」は乱暴。「氏」を付ければ気安い。詩を引用すると字数が多すぎるかと。   『月とカナリヤ』は来年の今頃に自費出版する。 とあった。   撮影・芽夢野うのき「五月のひかりとどまることもなく聖地」↑

各務麗至「荒梅雨や地は球にして上下ある」(「戛戛」第162号より)・・

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   各務麗至個人誌「戛戛」第162号、その「あとがき」の中に、   巻頭は夏礼子である。そして、私も、今回新作俳句をたくさん載せることになったが、そこには、書くべきエネルギーとでもなるものがあって溜まっていたのだろうか、十五、六年ぶりの俳句で、思い立ったら……、で、 「ともかく俳句は(俳句にかぎりませんが)他に紛れることのない独自性を目指すのが大切でよいわるいはその後の問題と考えます」 三橋敏雄先生の言葉を思い出しながら、 そんなこんな経緯を気持のゆらぎとして書き遺すことにした。    * 小説の長い作文から、短詩形の俳句に又転換することになった。 俳句が無性に書きたくなったのだ。 (中略) 文章勉強で俳句を知ってから、……だった。 いかにも個人的だが、何でもない日常の中にこそ大事なものがあるようなそんな作風の小説に変わって、そして文体にしても同じところにはもういない、常に初心をして一歩でも完成・円熟へと足掻いてきてで、 私のこれからの俳句がどんな俳句になるかわからないが、 理屈ではない人間の持つ特権のようなやさしさだけは……、と思っている。   とあった。 ともあれ、本誌よりいくつかの句を挙げておきたい。     三人の日と書いて「春」桜餅         夏 礼子     そのうちに捨てる団栗ポケットに        〃     てのひらに秋だるまさんがころんだ       〃     雪虫が痛いの痛いの飛んで行け         〃     初電車座席の下にヘアカラー          〃     懐手遥か火薬のにほひかな          各務麗至     放たれてより今生の青嵐            〃     戦争が押しよせてくる夏の海          〃     さくらさくらはらはらゑひどれをどれ      〃     野の菊や矜持とは何風めきぬ     きみがよにいとはにほへとちるさくら      〃    笹ながし死生ととのふ天の川          〃       撮影・中西ひろ美「ひいらぎの棘あり棘なし若葉かな」↑

岡田一実「灼け駈けて舟虫の思惟(しゐ)ささ止まり」(『醒睡』)・・

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   岡田一実句集『醒睡』(青磁社)、帯文は平井靖史、それには、   未完了に揺らぐ瞬間をピン留めする魔法などどこにもないはずなのに、この句集には、  数多の〈体験質〉たちが驚くべき解像度のまま封じ込められている。  著者は、言葉の水路網を指先で測深し、それらをこまやかに梳き合わせ、  そこにたまさか現れる時間の浅瀬に風花雪月の工芸をつぎつぎと生け捕っていく。  切子のごときメカニカルな精緻さと和紙のごときたおやかな陰翳とが饗応する幻の庭。  既存の手法では決して計測できない質の洗練に、それでも固有の測度があることを、  この句集は証し立てている。  とある。また、著者の自跋には、    私性 (わたくしせい) を超えた私 (わたくし) が表出されるとき、しれは過剰化されながら私 (わたくし) と連動し、時代に開かれながら流転していく思念と伴走する。時間を折り畳みつつ気分が滑り奔る物質としての身体は、未来を撓め入れながら、自らの厚みに退隠する対象の意味の公共性をマルチモーグルにに呼び覚ます。モノを汎ゆる隠喩性が作動する他我的な回転軸の芯と見做し、自得的押韻を言葉のうちに見る興の風情よ。 (中略)   自由な戯れの中での生動化を逃さず、動的な複雑性を減縮して二元論的な安直に整理されがちな知覚の、反響を聴き、純テクストを疑い、認知と遊び、踊り、闘い、遡り、関係し、書く。業は深まり、愉悦は乱反射する。 この地獄のような極楽で他生の縁のあった一切のものに感謝申し上げる。  とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが幾つかの句を挙げておこう(多行表記の句があったが、字体など再現する能力は愚生には無いので割愛)。   西鶴忌その十日後の定家の忌         一実    くるくると巻き枯蔓が切れてゐる    若竹の高きところに籜 (たけのかは)     雨、兄をしぞ思(も)ふ    兄の忌を座し徐に黴 (かび) の風   太陽は影を落とさず大旦 (おほあした)    法面 (のりめん) や縦に斜めに霜柱   冬すでにまぼろし深きマドレーヌ     茜さす愛の日姉の舌を舐め   歩みをり日永の影が足の前   日の当たる櫻の花や影を裡   岡田一実(おかだ・かずみ) 1976年、富山県富山市生まれ。          鈴木純一「愚者國を象に揺られて見て廻る」↑

大井恒行「雪花菜(きらず)なれいささか花を葬(おく)りつつ」(「相子智恵の/俳句の窓から」・5月25日「東京新聞」夕刊より)・・

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 5月25日(土)「東京新聞」夕刊の俳句時評「相子智恵の『俳句の窓から』」で、愚生の新句集『水月伝』を評していただいた。その中に、    70年安保世代の大井恒行が24年ぶりに上梓した『水月伝』(ふらんす堂)もまた、歴史や社会から目をそらさずに、自身の句世界を極めようとする句集である。 (中略)   〈頃中 (コロナ禍) は戦時に似たり猛々暑〉や〈戦争に注意 白線の内側へ〉は、隙逢あらば日常に入り込もうとしてくる有事を、諧謔に包んで表現する。  こうした批評のまなざしをもちながら、〈雨を掬いて水になりきる手のひらよ〉〈くるぶしを上げて見えざる春を踏む〉〈雪花菜 (きらず) なれいささか花を葬 (おく) りつつ〉といった句も作る。現実の写生ではたどり着けない、言葉によって築いた美しい情景である。  とあった。愚生にはめずらしく「 雪花菜 (きらず) なれ・・・ 」の句には思い出がある。コロナ禍前のこと、白石正人と福田鬼晶が若い人俳人たちとともにやっていた浜町句会?に招かれた折、この句を出句した。そのとき、唯一の1点を入れてくれたのが鳥居真里子だったのだ。相子智恵の評も見事だ。ともあれ、本時評に挙げられたいくつかの句を上げておきたい。    春愁のいとまなき世や詩も細り       中嶋鬼谷    国深く病めりと記せり初日記         〃    まつろはず生きぬ白息太く吐き        〃    除染また移染にしかず冬の旅        大井恒行    原子炉に咲く必ずの夏の花          〃 ★閑話休題・・「パギハチヨーエン ジョイントライブ3」(於:国立市 ギャラリービブリオ)・・  昨夕は、国立市駅近くのギャラリービブリオで行われた「パギハチヨーエン ジョイントライブ3」に出かけた。久しぶりで詩人の生野毅にも会えた。  そこで、偶然に趙博のCD「ながらくご無沙汰してるけど」「橋」(withソウル・フラワーユニオン)をゲットした。                  趙博 CDとDVD↑   YOーEN(ヨーエン)は本日、27日(月)18時30分開場・19時30分開演で、吉祥寺マンダラ2・2400円+ドリンクで悲恋歌ばかりを歌うそうである。お時間が許す方はお出かけあれ!!      撮影・芽夢野うのき「かつて人は白い素粒子紫陽花も」↑

上田玄「撃チテシ止マム/父ヲ//父ハ」(「鬣TATEGAMI」第91号より)・・

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  「鬣 TATEGAMI」第91号(鬣の会)、いくつかの特集がある。まず、第22回「鬣 TATEGAMI」俳句賞に対する評は、吉野わとすん「 最後の美しき雲ー秦夕美句集『雲』に寄せて 」、外山一機「 なぜ有季俳句なのか―小山玄紀『ぼうぶら』 —」。そして、「鬣」同人の九里順子句集『日々』特集、神保喜利彦評論集『東京漫才全史』特集。さらに「 追悼 上田玄 」。その執筆陣は、高橋修宏「仮構とと空白ー来たるべき上田玄論のために」、中里夏彦「仮借なき閃光」、深代響「上田玄の空隙」と同人各氏による「上田玄追悼句」。その高橋修宏は、   「わたしは一人の人間が、たった一人で壊れた現実のかけらを拾い集める、そういう場所を好む」*―—この一節は、上田玄とほぼ同年代を生きた詩人 (愚生注:佐々木幹郎『溶ける破片』) によって、一九七〇年代のエッセイで吐息のように記されてしまった言葉だ。  いま上田の句集を振り返るとき、わたしは、しばしばこの一節に立ち止まる。しかし、そこで指示される「現実」とは、ついに不可解でしかないものではないか。己れの手が触れたと思った瞬間に、たちまち拡散していくような感触しかないことも、経験的に思い知らされている。だが、表現へと自らのベクトルが向かうとき、そんな頼りない感触だけを手掛かりにして、「壊れた現実」を招きよせるしかないのではないのか。それを、ときに仮構への端緒と呼んでもいいだろう。   そして、結びには、   (前略) 一行と四行を空白のまま欠いた異形は、晩年の『句控―—二〇一九年以降』に収められた「 /戦場孤影/乳母車/ 」にも引きつがれる作者独自と言ってもよい失語的な手法だ。 上田玄は、多行形式を失語寸前の臨界にまで追いつめることで、自らもまた救われていたのではないだろうか。  と記している。ともあれ、本誌より幾つかの句を挙げておこう。    逝 (ゆ) きて    不在 (ふざい) の    濛雨 (もうう) の水面 (みなも)    藻 (も) が覆 (おほ) ふ             中里夏彦     金魚坂で句会。上田は「著莪坂の日向日陰を蝶は斜に」を投句。     金魚掬いをして上手だと驚かれた。    夏の蝶ときをり死者の眼のほとり        水野真由美   ふゆがあけてほしとつながる         西躰かずよし    コーヒ...

山本敏倖「昭和の日にんげんにある海の音」(第162回「豈」東京句会)・・

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  本日は、奇数月、隔月開催の第162回「豈」東京句会(於:しろかね台いきいきプラザ)だった。雑詠3句。以下に一人一句を挙げておこう。    一睡の千年を終え更替          山本敏倖    覗くのは六字の名号夏来ぬ       小湊こぎく    回遊魚しんがりに夏の罠        羽村美和子    蛇衣を脱いですぐさまブーケトス     川崎果連    無季を編む有季定型の波間に      川名つぎお    ファリシズムあじさい番地の抜小路    早瀬恵子    来たる赤紙虎は千里を駆けたのか     大井恒行   次回、7月27日(土)から、現在地の会館が改装工事に入るため、新たな場所として、「ありすいきいきプラザ」(日比谷線広尾駅1・2番出口。徒歩8分)で行われることになったふぁ。 ★閑話休題・・車谷長吉「甘橿の丘に上ればきりぎりす。」(『夫・車谷長吉』より)・・  高橋順子著『夫・車谷長吉』(文藝春秋)、その最終章「Ⅵ 墨書展」に、  (前略) 作品を見せ合うことは別に約束したことではない。でもそれは私たちのいちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、二十年来変わらなかった。相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。緊張して、うれしく怖いような生の時間だった。いまでは至福の時間だったといえる。    展覧会では私は長吉の軸を一つ求めた。  甘橿の丘に上ればきりぎりす。  蕪村調で、さりげない句である。「甘橿(あまがし)」の字が大きくて、後は尻つぼみに小さくなる。字も句も技巧を拝した、といえば聞こえはいいが、稚拙である。味があるとはいえ、このような軸を有り難がって求めて、床の間に飾る人もいないだろうと思い、私は自分のものにすることにした。頒価六万円。奈良、明日香村の甘橿の丘には二人して登った。長吉が喜んでくれそうな気がした。  床の間ではなく壁に軸をかけると、長吉が佇んでいるように見えて、涙が出た。軸の両側に長吉が買ってきた大きな犬張り子と猫の張り子を置いて、阿吽像のように従わせた。だが何に従わせる?紙の上に飛び上がってやまない、きりぎりす、にか。  まだまだ長吉の思い出は尽きないが、彼の三回忌に間に合わせたく、ひとまず筆を置くことにする。  とあった。ともあれ、本書中より、車谷長吉と高橋順子(泣魚)の句をいく...

渡邉弘子「母の日のひとこともなく暮れにけり」(第173回「吾亦紅俳句会」)・・

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 本日は、第173回「吾亦紅俳句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「新樹」。以下に一人一句を挙げておこう。    いずこより新樹ふるわすカンパネラ          佐藤幸子    新樹光無き瓦礫畳畳 (じょうじょう) 戦下の地     牟田英子    母の日の母梳 (くすけず) る九十九 (つくも) 髪   吉村自然坊    走り出す茅花流しに囃されて             田村明通   知覧発ち帰らぬ兵や蛍とぶ              齋木和俊    乳母車天使の寝顔新樹陰               関根幸子    太陽フレア磁気あらしハテ新樹光           渡邉弘子   窓際にテーブル移す五月来ぬ             西村文子   夏めくや一人に余す終の家              奥村和子     「イエスタディ・ワンス・モア」と新樹光       松谷栄喜    薫風や兄は彼岸の母のもちと             武田道代    深呼吸新樹の生気お福 (ふく) 分け          村上さら   万緑や断崖に挑むクライマー            折原ミチ子    鯉のぼり白い雲喰いみな悠々 (ゆうゆう)      笠井節子    紫蘭咲き小さき庭に春の風              高橋 昭     揚羽蝶肩にそうっと三回忌             三枝美恵子     ガザの地にミレーの描くゆやけかな          須崎武尚    千枚田復興願う田植えなり             佐々木賢二     夢に来る死者あまたなり山ざくら           大井恒行  次回は、6月28日(金)、兼題は「短夜」。また、図書館俳句ポスト(現代俳句協会主催)2月の選句結果に、吾亦紅俳句会から、佳作・入選に2名掲載されていた。題は「早春」。    早春や木の根で拭ふ靴の泥         松谷栄喜    駅いでしやがて一人の春の月        佐藤幸子  そして、松谷栄喜は、朝日新聞俳壇の高山れおな選(5月12日)に4席に入選。   裁く人裁かれる人万愚節          松谷栄喜 ★閑話休題・・たかまつり「第42回 高松学習館文化祭」(於:立川市高松学習館)令和6年5月31日(金)~6月2日(日)午前10時~午後4時まで・・  吾亦紅...

佐藤りえ「真夜中に葡萄を食べる仲となりドミノがひとつ倒れる予感」(『恋の短歌コレクション1000』)・・

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  日本短歌総研『恋の短歌コレクション1000』(飯塚書店)、「まえがき」には、   ここに、古代から今日までの色々な恋が一斉に光を放っています。メンバー六名が二年にわたってさまざまな知見を撚り合わせた産物です。企画に当たっては、先ず、大きな網を打ちました。古典にはじまる幾多の名著、あまたの青春歌集から昭和万葉集や評伝、加えて本著のための公募作に至るまで、多方面から収集を始めました。また、全ての歌が恋歌であるような歌人の作品からは厳選する一方で、ほとんど恋歌のない歌人の歌集からは希少歌を発掘しました。  とあった。その6名の編者は、梓志乃・石川幸雄・川田茂・水門房子・武田素晴・依田仁美である。ともあれ、ここでは、紹介に限界があるので、現役かつ、愚生の一見の方から、恣意的にをいくつかを紹介しておきたい。  雨上がりをあをいリボンを見かけたらきつとうさぎは耳を押さへる     山崎郁子  ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて         永田 紅  透明の伽藍のごとく楽章がその目に見ゆる青年を恋ふ           水原紫苑  きょう会ったばかりでキスは早くない?/ヤヨイ・トーキョー春花咲きて  林あまり    つけてくる運命の鰐に向きなおれ私を愛しはじめたあなた         高柳蕗子  わが裡のいづこに棲めりかのひとの名は・・・半身にシャワーを浴びて   井辻朱美  足長のものならグラスも馬も好き階段のぼる恋人はなお          松平盟子  春雷よ「自分で脱ぐ」とふりかぶるシャツの内なる腕の十字        穂村 弘   なれの眼に湧きてさざめく感情をしばし見てゐて たがて別れぬ      鎌倉千和  あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場    永田和宏   たちくらむ春の名残の木下闇かるがるきみの腕にいだかる         沖ななも  潮風に君のひおいがふいに舞う 抱き寄せられて貝殻になる        俵 万智  君といふ魚住まはせていつまでも僕はゆるやかな川でありたい       喜多昭夫   たったひとりの女のためにあかあかと燈しつづけてきたるカンテラ     福島泰樹   にくしみとならぬ愛なし万緑の底しずかなる蟻の隊列           伊藤一彦  一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ぬ」と思...

能村登四郎「白椿落ち際の錆まとひそめ」(『俳句のマナー、俳句のスタイル』より)・・

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  井上泰至著『俳句のマナー、俳句のスタイル』(本阿弥書店)、帯の惹句には、   俳句をより高度にし、 / より深化させる“俳句のマナー“と“俳句のスタイル“  「俳壇」で好評を博した連載  「俳句文法 そこが問題、そこがポイント」の一部に加筆し、補説を加えた。  創作の高みを目指す俳人、俳句愛好家、必携の一冊。  とあり、表4側の帯には、目次より 「デリケートな『かな』」、「切れ字より大切な切れ」、 「『の』のさまざま」、「便利な『て』の注意事項」、「昭和俳句の焦点『は』」、「よい字余り、悪い字余り」、「句またがり文体」、「命令形というレトリック」 とある。  また、「はじめに」には、    俳句のエッセンスとして季語・季題のことはよく言われます。それに比べて、広い意味での「文体(スタイル)」について語られる機会は、そう多くありません。ここでいう「文体」とは、切れ字や切れによって形作られる俳句独自の「構文」や、俳句が「詩」として成立するためのの「調べ」、そしてそれらの焦点となる、「助詞」「助動詞」を含みます。 (中略)   文法を単純な「ルール」とだけ捉えない私の姿勢にも、好意的な評価を頂きました。同じ「俳壇」令和四年三・四月号の「俳壇時評」で、仁平さんが、この連載を取り上げて下さいました。仁平さんは、「俳句文法は法律のようなものではない」という私の立場をさらに先鋭化した論を展開されています。文法違反の取り締まりだけが俳人の務めではない、という仁平さんの論旨には立場を同じくするものです。 (中略)   「補説」は、この現状認識に対する私なりのスタンスを語ったもので、この俳句観に無理に共鳴する必要はありません。俳句の長い「伝統」から推して、俳句とはこう考えられてきた歴史があり、それを背景に「スタイル」や「マナー」が積み重ねられてきたわけです。俳句の「思想」を変え、「スタイル」や「マナー」を根底から相対化するような、そんな「活力」が出てくれば、それは歓迎すべきことだと考えていることは、お断りしておきます。  とあった。興味のある方は、直接、本書に当たられたい。ここでは、本書中より、句のみになるが、いくつかを紹介しておきたい。    人入つて門のこりたる暮春かな       芝不器男    今日何も彼もなにもかも春らしく      稲畑汀子    物音は一個にひ...

渡辺信子「木洩れ日や鞦韆重く眠るとき」(第59回「ことごと句会」)・・

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 本日、5月21日(火)は通常の第二土曜日から皆の都合をつけての、イレギュラーながら、第59回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「母」。  以下に一人一句を挙げておこう。    寝る時も起きた時にも起きていた母      金田一剛    噴水のアドリブ風が歌わせる         江良純雄    乾涸びし香水瓶に妣ありき          武藤 幹    母の日や今日一日の柔らかき         村上直樹    母の日やいましあわせか妣の声        石原友夫    夏来る母に小さな三面鏡           渡邉樹音    島国の斑模様の敗戦日            杦森松一    母と歩く小6猛暑の昭和             照井三余    老人と老犬桜吹雪に煽られつ         渡辺信子    かなしみの飛行船そは母ならめ        大井恒行  ★閑話休題・・「冬野虹展~油彩を中心に」(於:hino gallery)・5月20日(月)~6月1日(土)11時~18時(土曜は17時まで)・・  作日、地下鉄は八丁堀もしくは新富町から歩5分のところのhino gallery(ヒノ ギャラリー)で開催されている「冬野虹展ー油彩を中心に」(5月20日~6月1日、日・祝日休廊)に出かけた。在廊中の四ッ谷龍にも会った。鎌倉芸術館の第一回歌詞コンクールに入賞した作詞冬野虹の歌曲「あした りすに」(作詞・冬野虹/作曲小森昭宏/鈴木寛一[テノール]・小原孝[ピアノ」)も聞かせていただいた。開催期間がまだまだあるので、機会がありましたら、是非お寄り下さい。  冬野虹の新刊『 ロバの耳―冬野虹画集 』、『 編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集 』(ともに 素粒社 刊)も披露されていた。  愚生は、大昔のこと、もしかしたら、まだ四ッ谷龍が20歳代後半?の頃、冬野虹と三人でお会いして、対談の企画をいただき、楽しく過ごさせていただいたことがある。その後、神戸だったか、街中で、こんな偶然があるのか、と思うように、お二人にお会いし、誘われるまま永田耕衣の句会(たしか蕎麦屋の二階だったか)に連れていっていただき、出した句は全く覚えていないが、句会に参加させてもらった記憶がある。      撮影・芽夢野うのき「近寄ればかすか...

高橋修宏「つちふるや天皇陵の棺は空」(「WEP俳句通信」139号より)・・

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「WEP俳句通信」139号(ウエップ)、特集は「『戦後俳句史nouveau 1945-2023 ―ー三協会統合論』を読む」である。執筆陣は青木亮人「俳句という詩型の蘇生」、福田若之「二冊の《俳句史》から」、後藤章「表紙の謎 1969」、角谷昌子「『俳句通史』の醍醐味」、川名大「『碩学』の方法をこそ」、本井英「ほんとに怖いですよ」、堀田季何「書名通りの本」、柳生正名「『言葉そのもの』という橋頭堡」、松田ひろむ「わたしの体験的俳句史」。中では福田若之が「二冊の《俳句史》から―ー俳句史家としての筑紫磐井と川名大」において、  (前略) ことによると、時代が俳句に求めることは、もはや川名が望むような「独創的な仕事」ではなく、筑紫が危ぶむ「作品としての先人たちのデータを操作すること」のことのほうかもしれないわけだ。思うに、これまでそうした仕事は、作家がみずからの〈意志〉を賭けるには値しないとみなされてきた。しかし、新しいものを創りだすよりも、むしろ、古いものをばらして組みかえたりするほうに心血を注ぐ書き手が現れたとしたら、すべてが覆るだろう。ただし、挑むべきは〈意志〉のイデオロギーなのだから、あくまで心血を注がなければならない。たとえば、外山一機がとりわけニ〇〇九年(平成二一年)の半ば以降に繰り広げたさまざまの試みとその受容を、俳句における何らかの美学的な転換点として顧みることはできないか。当人は決してその位置づけを望まないだろうけれど、近ごろ若い俳人を中心に議論の盛んな《参照》ということについていえば、思い返すかぎり、句においてもっとも先を歩んでいたのはあのひとにほかならない。  先を急ぎすぎた。筑紫の《俳句史》の裏を返せば、平成以降の俳句史的な動きがみえないのは、要するに、作家の意志をめぐる言説が希薄になっていたからだとはいえないか。 (中略) そのとき、二冊の《俳句史》は、それぞれ、立ちはだかる山並みの一角をなすに違いない。  とあった。本号の他の記事で、以下に紹介するのは、八木忠栄「詩人の俳句(6・最終回)/ 現代詩人たちと俳句 」である。この連載の最後に「現代詩人たちと俳句」として、「七〇名分一人一句を列挙しておこう」とあり、本ブログでは、おもに現在活躍中の詩人・幾人かの句を挙げておきたい。    花や鳥この世はものの美しく        高橋睦郎    道を聴く...

山本敏倖「にんげんの前後に影を生む良夜」(「原点」No,15・「第6回口語俳句作品大賞顕彰/記念(誌上)俳句大会」)・・

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  「原点」NO.15(主流社)、特集は「第6回口語俳句作品大賞顕彰/記念(誌上)俳句大会」(主催・口語俳句振興会/後援・現代俳句協会)の巻頭言に田中陽は「 口語俳句 タテ軸とヨコ軸と―ー口語俳句振興会を閉じます。 」と記している。従って「次号『原点』NO.16は終刊号として発行します。」とある。田中陽いなければここまで続くことは無かったであろう口語俳句振興会であった。いわば、だれも代替えすことのかなわない活動であった、と言えよう。本文の中に、 (前略) さて、以上述べてきたように、文学的に成功を収めたと見られる第六回口語俳句作品大賞、その懸賞記念としてのこの(誌上)俳句大会をもって、口語俳句振興会を閉じることにします。幹事長当時、「口語俳句協会」といった正式な組織を維持するに見合う人材が欠乏し、その解散を決議、「協会」は現代俳句協会に委ねて、新たに口語俳句振興会として再出発したとき、僕はすでに80歳を超えていた。  今は90歳、「卒寿」という山に登頂できて、かつ先述のとおり、栄えある第六回作品大賞顕彰(誌上)記念大会も無事済ますことができて、チャンスだ!と終止を決断した次第です。勿論、体力の衰えを自覚してのことでもあります 。  とあった。ともあれ、以下に各選考委員選・高点句を紹介しておこう。     捨てた未来が蝸牛になっていた       神山姫世     麻痺の指ひらけば河口のある手相      林美代子     戦争する国には行けぬかたつむり     小林万年青     はらわたに初日を入れて座禅する      山本敏倖     にんげんの前後に影を生む良夜        〃     剥いでも剥いでも白菜秘密を黙秘する   加藤かほる     ラセン階段龍の鱗が落ちて来た       新庄佳以     俺が居てお前が居ない年の暮        鈴木築峰     父の日か昭和語らぬおやじだった       〃     多喜二忌が来る戦争が止まらない      山岸文明      布団干す 2次避難がはじまったようだ   杉山朝子     略語氾濫冬野の脳がおぼれ出す       鈴木喜夫  ★閑話休題・・大泉史世(書肆山田)3回忌追悼供養の会(於:酉松)・・  本日、5月18日(土)は、雑司ヶ谷「割烹 酉松(とりまつ)」に於て、明日、5月19日の大泉...

白戸麻奈「彼岸此岸どちらでも良い日向ぼこ」(『東京(バビロン)の夜空に花火』)・・

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 白戸麻奈遺句集『東京(バビロン)の夜空に花火』(破殻出版)、序は山﨑十生、それには、   「晴天の霹靂」と云う言葉があるが、それ以上に白戸麻奈同人の訃報には驚愕した。句会の最中に妻からのメールが送信されて来た。思いもかけない知らせに動揺しつつ帰宅した。麻奈同人の御母堂である白戸章子様からの報告の内容が詳しくメモに記されていた。第二句集は『少年』というタイトルまで決まっていた。私もあと一年後には原稿が揃うのではないかと期待していただけにショックであった。 (中略)   本集は、第一章を「東京 (バビロン)」 として、主に俳句雑誌「紫」に発表された作品、FM川口の「俳句らいふ」に寄せられた作品をまとめたものである。第二章は、「少年」の作品に限定したものを季節毎に編集させていただいた。それにしても本句集が遺句集となったのは残念極まりないが、麻奈さんが我我へメッセージを遺してくれたのではなかろうか。また章子様の御息女への愛の結晶となった一書のような気がする。  とあった。また、御母堂白戸章子の「あとがき」には、  「今朝、麻奈ちゃんが亡くなりました。」麻奈の夫からの電話です。「ほんと、ほんとに!」私の頭には、昨夜、麻奈と「秋になったら展覧会めぐりをしようね」と話し、「お互いに腰や膝の痛みが軽くなるよう努力しようね」と話していた麻奈の笑顔や声が浮かんでいましいた。 (中略)  麻奈にとって俳句の世界は、大きく深いものだったと思います。この度、刊行いたしました『東京(バビロン)の夜空に花火』を出させていただけたのは、山﨑十生先生の大きなお力を頂けたおかげです。 (中略)  麻奈は「これからは好きな昆虫の俳句を作っていくからね。」と言っていたのに。その作ったであろう虫の俳句に出合えないのが、とても残念です。 (中略)  これからは、私の内にいる麻奈と一緒に残り少ない私の人生を感謝しながら温かく毎日を生きていきたいと思います。    彼岸此岸どちらでも良い日向ぼこ       麻奈                       白戸章子(母)  とあった。愚生は白戸麻奈と一度だけだが、電話でお話したことがある。それは「豈」を購読したいがどうすればよいか、ということであった。その時、どこかで記憶している名前だと思った。「紫」の同人だと言われ思い当たった。山崎十生は「豈」の古くからの同...

清水正之「てんてんつく子供神楽に五月闇」(「第28回「きすげ句会」)・・

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 本日、5月16日(木)は、第28回「きすげ句会」(於:府中市中央文化センター)だった。句会終了後は近くの府中市中央図書館のあるルミエール1Fのレストランで、「水月伝」刊行の御祝をしてくださった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。   鍋底に舌吐くシジミ泡二つ        井上治男    波のあと砂なめらかに夏来たり      寺地千穂    火男のしぐさ可愛い祭の子        清水正之    亀の子や明日が在るかは不明       濱 筆治               新緑の口いっぱいの握り飯        杦森松一    幻の羽ひろげたり青葉風        久保田和代    晩春に児が去る教室 (クラス) 神隠し   井谷泰彦     だるまさんがころんだ路地に沙羅の花   井上芳子    柿若葉視力はなんと正常値        高野芳一    牡丹花の残像の赤崩れけり        山川桂子    蜘蛛の囲や青きひかりを縫いたまえ    大井恒行  次回は、6月20日(木)13時半から、於:府中市中央文化センター第4会議室。兼題は「雨」一句を含む三句持ち寄り。  ★閑話休題・・5月25日(土)午後3時~第39回詩歌文学館賞贈賞式・記念講演「井口時男『喩の力―—震災俳句を中心に」(於:北上市・日本現代詩歌文学館講堂)・・  来たる5月25日(土)午後3時より、北上市・日本現代詩歌文学館・第39回詩歌文学館賞贈賞式が行われる(入場料は無料)。受賞者は俳句部門は正木ゆう子『玉響』(春秋社)、短歌部門は三井ゆき『水平線』(角川文化振興財団)、詩部門は松岡政則『ぢべたくちべた』(思潮社)。記念講演は、井口時男『 喩の力―—震災俳句を中心に 』。選考委員は俳句は西村和子・三村純也・渡辺誠一郎、短歌部門は加藤治郎・吉川宏志・米川千嘉子、詩部門は伊藤比呂美・小池昌代・佐々木幹郎。井口時男の記念講演は聴講されてソンはないと確信するので、お近くの方はお出かけあれ!!        撮影・中西ひろ美「静けさの音滴らす神の水」↑