岡田一実「灼け駈けて舟虫の思惟(しゐ)ささ止まり」(『醒睡』)・・
岡田一実句集『醒睡』(青磁社)、帯文は平井靖史、それには、
未完了に揺らぐ瞬間をピン留めする魔法などどこにもないはずなのに、この句集には、
数多の〈体験質〉たちが驚くべき解像度のまま封じ込められている。
著者は、言葉の水路網を指先で測深し、それらをこまやかに梳き合わせ、
そこにたまさか現れる時間の浅瀬に風花雪月の工芸をつぎつぎと生け捕っていく。
切子のごときメカニカルな精緻さと和紙のごときたおやかな陰翳とが饗応する幻の庭。
既存の手法では決して計測できない質の洗練に、それでも固有の測度があることを、
この句集は証し立てている。
とある。また、著者の自跋には、
私性(わたくしせい)を超えた私(わたくし)が表出されるとき、しれは過剰化されながら私(わたくし)と連動し、時代に開かれながら流転していく思念と伴走する。時間を折り畳みつつ気分が滑り奔る物質としての身体は、未来を撓め入れながら、自らの厚みに退隠する対象の意味の公共性をマルチモーグルにに呼び覚ます。モノを汎ゆる隠喩性が作動する他我的な回転軸の芯と見做し、自得的押韻を言葉のうちに見る興の風情よ。(中略)
自由な戯れの中での生動化を逃さず、動的な複雑性を減縮して二元論的な安直に整理されがちな知覚の、反響を聴き、純テクストを疑い、認知と遊び、踊り、闘い、遡り、関係し、書く。業は深まり、愉悦は乱反射する。
この地獄のような極楽で他生の縁のあった一切のものに感謝申し上げる。
とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが幾つかの句を挙げておこう(多行表記の句があったが、字体など再現する能力は愚生には無いので割愛)。
西鶴忌その十日後の定家の忌 一実
くるくると巻き枯蔓が切れてゐる
若竹の高きところに籜(たけのかは)
雨、兄をしぞ思(も)ふ
兄の忌を座し徐に黴(かび)の風
太陽は影を落とさず大旦(おほあした)
法面(のりめん)や縦に斜めに霜柱
冬すでにまぼろし深きマドレーヌ
茜さす愛の日姉の舌を舐め
歩みをり日永の影が足の前
日の当たる櫻の花や影を裡
岡田一実(おかだ・かずみ) 1976年、富山県富山市生まれ。
鈴木純一「愚者國を象に揺られて見て廻る」↑
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