河村正浩「万葉の森に師の影祥生忌」(『枯野の眼』)・・
河村正浩第15句集『枯野の眼』(東京四季出版)、その「あとがき」に、
本句集は「山彦」創刊三十周年を記念して上梓したもので、平成三十一年から令和五年までの五年間の作品より収録した。(中略)
第五句集『春宵』(平成二十六年』で、「私は、構えることなく自在にそして楽しむことをモットーに、その上で、井上ひさしの〈むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく……〉を自戒の言葉とし、平明かつ無頼に徹して詠むことができたらと思う。」と述べた。その思いは今も変わらない。
とあった。ブログタイトルにある句「万葉の森に師の影祥生忌」には、前書「十一月十一日は師大中祥生忌」とある。愚生が、俳句を初めて作って投句したのが、毎日新聞「防長俳壇」、選者は大中青塔子(後の祥生)である。俳人に知り合いのいなかった愚生は、山口を出て、上洛していた折、大中青塔子に数回句を送る手紙を出し、その返信の葉書には〇×が付してあった。そして愚生は、迷わず、立命館大学俳句会「立命俳句」の門を叩いたのだった。今思えば、当時の「立命俳句」の顧問は松井利彦、国崎望久太郎で、あきらかに天狼系だった。
集名に因む句は、
淋しすぎる男枯野の眼となりぬ 正浩
であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。
影持たぬもの紛れる原爆忌
一途なる木から始まる落花かな
喜寿なるも少しの侠気寒の鵙
岸信介、佐藤栄作兄弟宰相出身地
田布施てふ街に祇園柿たわわ
冬枯の蓮田こんなにも自由
終戦に生まれて喜寿の敗戦日
この肉体剥けば白骨稲びかり
指輪を買つて枯野に亡妻(つま)を待たせをり
かつて死の川に無数の蟹の穴
地図にある村に家なく葛の花
★河村正浩「蛇の衣吹かるる先のこころざし」(『うたかたの夢』・四季書房)・・
同日発行の句集、収録された句の年限もほぼ同じ。序の祝句は、松澤雅世。
いくとせに夢の夢こそ悦ばし 松澤雅世
また、本書の「あとがき」の中には、
(前略)さて、今年の一月に「四季」は創刊六十周年を迎え、偶然にも「山彦」は五月に創刊三十周年を迎える。当初は両誌に発表した句を一本にまとめようかと思ったが、やはり前回と同様に、四季会の一同人として四季書房から出版させて頂くことにした。しかし、選句する内に、これまでの作品と比べ何ら進展がみられない。当初の目的は果たされず、むしろ後退しているのではないかと思うようになった。
「四季」の一同人として取り組んでいる心象造型。その一方で、「山彦」を維持して行くために、無意識の内に生じた指導方針への制約等によるものか、或いは加齢による集中力や感性の衰えによるものかもしれないと、いずれにしても世間のご批評を仰ぐことにした。
とあった。ここでも前句集と同じく、いくつかの句を挙げておこう。
蛇口から四万六千日の水 正浩
時効無き六日九日浮いてこい
十二月八日切れ字が見当たらぬ
風の私語なり菜の花は蝶に化す
冬ざれにさ迷うてゐるマンネリズム
河村正浩(かわむら・まさひろ) 1945年、山口県下松市生まれ。
撮影・鈴木純一「善きなすび悪しきなすびと衣替え」↑
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