山本敏倖「昭和の日にんげんにある海の音」(第162回「豈」東京句会)・・


  本日は、奇数月、隔月開催の第162回「豈」東京句会(於:しろかね台いきいきプラザ)だった。雑詠3句。以下に一人一句を挙げておこう。


  一睡の千年を終え更替         山本敏倖

  覗くのは六字の名号夏来ぬ      小湊こぎく

  回遊魚しんがりに夏の罠       羽村美和子

  蛇衣を脱いですぐさまブーケトス    川崎果連

  無季を編む有季定型の波間に     川名つぎお

  ファリシズムあじさい番地の抜小路   早瀬恵子

  来たる赤紙虎は千里を駆けたのか    大井恒行


  次回、7月27日(土)から、現在地の会館が改装工事に入るため、新たな場所として、「ありすいきいきプラザ」(日比谷線広尾駅1・2番出口。徒歩8分)で行われることになったふぁ。



★閑話休題・・車谷長吉「甘橿の丘に上ればきりぎりす。」(『夫・車谷長吉』より)・・


 高橋順子著『夫・車谷長吉』(文藝春秋)、その最終章「Ⅵ 墨書展」に、


 (前略)作品を見せ合うことは別に約束したことではない。でもそれは私たちのいちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、二十年来変わらなかった。相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。緊張して、うれしく怖いような生の時間だった。いまでは至福の時間だったといえる。

   展覧会では私は長吉の軸を一つ求めた。

 甘橿の丘に上ればきりぎりす。

 蕪村調で、さりげない句である。「甘橿(あまがし)」の字が大きくて、後は尻つぼみに小さくなる。字も句も技巧を拝した、といえば聞こえはいいが、稚拙である。味があるとはいえ、このような軸を有り難がって求めて、床の間に飾る人もいないだろうと思い、私は自分のものにすることにした。頒価六万円。奈良、明日香村の甘橿の丘には二人して登った。長吉が喜んでくれそうな気がした。

 床の間ではなく壁に軸をかけると、長吉が佇んでいるように見えて、涙が出た。軸の両側に長吉が買ってきた大きな犬張り子と猫の張り子を置いて、阿吽像のように従わせた。だが何に従わせる?紙の上に飛び上がってやまない、きりぎりす、にか。

 まだまだ長吉の思い出は尽きないが、彼の三回忌に間に合わせたく、ひとまず筆を置くことにする。


 とあった。ともあれ、本書中より、車谷長吉と高橋順子(泣魚)の句をいくつか挙げておこう。


   名月や石を蹴り蹴りあの世まで     長吉

   鮟鱇を喰うて昼寝妻思ふ

   寒椿今日も女から手紙来る

   まばたきをする間に昔の女恋ふ

   鈍重な女の恋や黴のごと

   大寒や柱時計に音もなし

   立春や遅れがちなる時計かな

   啓蟄や腹の時計はおさまらず

   日に夜に薬呑むうち夏来たる


   長吉に木瓜かつがせて月の夜      順子 

   還暦の少年に寄す土用波

   鮟鱇の行部岬に吊られけり

   寒椿散り落ちしまま家に入る

   まばたきをすればこの海若返る

   わが恋はどの紫の花菖蒲

   薬ひとつ減りたるうれし桐の花


 車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ) 1945年7月1日~2015年5月17日、享年69。

 高橋順子(たかはし・じゅんこ) 1944年、千葉県飯岡町生まれ。



      撮影・鈴木純一「武者飾るダビデはガザにめしいても」↑

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