各務麗至「荒梅雨や地は球にして上下ある」(「戛戛」第162号より)・・
各務麗至個人誌「戛戛」第162号、その「あとがき」の中に、
巻頭は夏礼子である。そして、私も、今回新作俳句をたくさん載せることになったが、そこには、書くべきエネルギーとでもなるものがあって溜まっていたのだろうか、十五、六年ぶりの俳句で、思い立ったら……、で、
「ともかく俳句は(俳句にかぎりませんが)他に紛れることのない独自性を目指すのが大切でよいわるいはその後の問題と考えます」
三橋敏雄先生の言葉を思い出しながら、
そんなこんな経緯を気持のゆらぎとして書き遺すことにした。
*
小説の長い作文から、短詩形の俳句に又転換することになった。
俳句が無性に書きたくなったのだ。(中略)
文章勉強で俳句を知ってから、……だった。
いかにも個人的だが、何でもない日常の中にこそ大事なものがあるようなそんな作風の小説に変わって、そして文体にしても同じところにはもういない、常に初心をして一歩でも完成・円熟へと足掻いてきてで、
私のこれからの俳句がどんな俳句になるかわからないが、
理屈ではない人間の持つ特権のようなやさしさだけは……、と思っている。
とあった。 ともあれ、本誌よりいくつかの句を挙げておきたい。
三人の日と書いて「春」桜餅 夏 礼子
そのうちに捨てる団栗ポケットに 〃
てのひらに秋だるまさんがころんだ 〃
雪虫が痛いの痛いの飛んで行け 〃
初電車座席の下にヘアカラー 〃
懐手遥か火薬のにほひかな 各務麗至
放たれてより今生の青嵐 〃
戦争が押しよせてくる夏の海 〃
さくらさくらはらはらゑひどれをどれ 〃
野の菊や矜持とは何風めきぬ
きみがよにいとはにほへとちるさくら 〃
笹ながし死生ととのふ天の川 〃
撮影・中西ひろ美「ひいらぎの棘あり棘なし若葉かな」↑
コメント
コメントを投稿