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杉美春「処理水の無限ループや春の闇」(『蝶ゆらぐ』)・・

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 杉美春第二句集『蝶ゆらぐ』(ふらんす堂)、帯文は高野ムツオ。   杉美春は感覚の触手をどこまでも伸ばす。  洋の東西を越え、時間と空間を跨ぎ、貪欲に言葉を探る。  その先に展開される洗練濾過されたしなやかな抒情こそ彼女の俳句の魅力の源泉だ。  とある。また、栞は栗林浩「強い芸術指向ーーごく私的な鑑賞ーー。跋は佐怒賀正美、それには、   本句集『蝶揺らぐ』は、ニ〇一八年(平成三十年)から二〇二五年(令和七年)の約七年間の作を収めた第二句集。新型コロナ禍(二〇二九年~二〇二三年)の時期をはさむ。その間に、作者は乳がんの手術をしたり、恩師・有馬朗人の長逝に遭ったりするが、それらの個人的苦難を強調せず、日常生活の「いま」から独自の発想を探求する。けっして奇譚ではないが、発想の飛躍を含めて明晰な文体で描く。独自の発想や感覚にふさわしいことばを最短距離で引き出すのは、先師・有馬朗人に学んで身についたものであろう。作者はわかりやすい文体で、自分の主張を端的に表明するのである。   バイオリンの転調初蝶の揺らぎ   夏蝶が揺らぐ永久凍土溶け   秋の蝶地祇のまばたきかもしれず  とあった。また、著者「あとがき」には、   第一句集『櫂の音』から七年半が経ちました。この間に世界では新型コロナウイルスによるパンデミックやウクライナでの戦争、ガザ侵攻、震災など様々な出来事がありました。個人的には乳癌による入院、恩師有馬朗人の逝去、母の急逝など、悲しい出来事があった一方、ひとり娘の結婚や孫の誕生など、嬉しいこともいろいろありました。その間も俳句はつねに側にあり、心の支えとなり、喜び悲しみの表現手段となってくれました。俳句を通じて、以前には思いもよらなかった人たちと知り合い、句座を共にし、親交を深めることができたのは、大きな喜びです。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、、以下にいくつかの句を挙げておこう。    麻酔から覚めてこの世に大嚏       美春     追悼 師有馬朗人    冬の虹母国へ架けて逝かれけり   てのひらの薄き詩集や初蝶来   湖水浴ふいに足裏恐ろしき   アバターの何度も生くる冬銀河   ゆで卵のやうなロボット春の月   とんぼとんばう風の迷路を抜けにけり   聖域の水より青き蜻蛉かな   さくらひとひら返信として手のひらに   透視図の消失点へ...

羽村美和子「霜柱ここよりどっと短音階」(第172回「豈」東京句会)・・

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   1月31日(土)は、二ヶ月に一度の「豈」東京句会(於:ありすいきいきプラザ)だった。 以下に一人一句を挙げておこう。    五日目の以呂波紅葉はもう動詞          羽村美和子    春はすぐそこその先がささくれる         杉本青三郎    捨てた故郷の水に言 (こと) を点せり       川名つぎお    🎼 (ト音記号) かついでゆけり ゆきの まち    凌    硝子戸に光明ゆがむ一月尽            伊藤左知子    「森のくまさん」有情の孤独            小湊こぎく    目詰りの茶漉しふるへば未生の韻          幸田 晋    一月の畳に亡父来ておりぬ            大井恒行 次回は、3月28日(土)。   ★閑話休題・・城貴代美「つらら透明つらつら想う人のこと」(月刊「ひかり2月号『「西山俳壇』」・選者詠より)・・  「月刊ひかり2月号・第792号『西山俳壇』」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)、選者は「豈」同人でもある城貴代美。その特選句を以下に紹介しておこう。    雪蛍己が周りをくるくるり    奈良市 澤田妙子    QRコード入場晩秋の民藝展    洲本市 柴田祥江    校庭の落葉に帚やせにけり    田辺市 米澤 百 ◎投句規定・・ 締切毎月20日。ハガキにて当季雑詠5句。        〒617-0811 長岡京市栗生西条ノ内26の1                   総本山光明寺内 ひかり編集室        ハガキ投句の横に住所とお名前をお書き下さい。               撮影・中西ひろ美「一枝の先の真白や寒の梅」↑

井上芳子「将来の夢『石ころ』と寒椿」(第49回「きすげ句会」)・・

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  1月29日(木)は、第49回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「雪」。句会の後、府中駅そばの「きた樽」で、新年会兼愚生の退院祝いをしていただいた。以下に一人一句を挙げておこう。   影踏みの影ほつれゆく冬夕焼け       高野芳一    白湯を手に口寂しや寝正月         杦森松一    逢ふ雪も螺旋のいのちさざえ堂       山川桂子    窓の鳥こたつの我に飛べよとな       寺地千穂    乳飲み子の匂ひ抱きしめ寒い帰途     久保田和代     古希の吾へ鈴の音かろき破魔矢かな     新宅秀則    元旦や富士借景に屠蘇旨し         清水正之    〆飾りメイドインチャイナのラベルあり   井上芳子    股視 (またのぞ) き視界にぬーと寒紅梅   濱 筆治   晩年の刃先の雪のふわりかな        大井恒行 次回は、2月19日(木)、兼題は「卒業」。 ★閑話休題・・髙島野十郎「花は散り世はこともなくひたすらに/たゞあかあかと陽は照りてあり」(『髙島野十郎/作品と遺稿』より)・・   『髙島野十郎画集/作品と遺稿』(求龍堂)・川崎浹著『過激な隠遁/髙島野十郎評伝』(求龍堂)、評伝の「あとがき」に川崎浹は、   私が最初に髙島野十郎と知り合ったのは、昭和二十九年(一九五四)、私が二十四歳、髙島さん六十四歳のときである。  その野十郎が最晩年を千葉県柏のアトリエで過ごし、最後に野田市の介護老人施設に収容され、漂泊の人生に終止符をうったのは昭和五十年(一九七五)、享年八十五歳。 (中略)  無名の野十郎の絵に初めて注目があつまるのは、画家の死後十一年目の昭和六十一年(一九八六)、本書の冒頭で述べているように、福岡県立美術館で、「写実にかけた孤独の画境 髙島野十郎展」が開催されてからである。  その後、東京の美術館で二度展覧会が開かれ、画家への注目が東京圏にも拡がった。野十郎の展覧会は鑑賞者たちが私語も交わさないで静かにひたすら作品を凝視する、異様ともいえる情景で他の展覧会とは際だって異なる。それほど人を魅了する画家でありながら、一部のファンを除けば全国的にはまだ知られていないに等しい。 (中略)  野十郎は生前画壇と殆ど交流をもたず、時代様式の先端に走ることもなく、十五年戦争の最中、また...

曵尾庵 璞「出発の発も発句の発や春」(『俳体新書 拾壱号/浅沼ゼミⅡ』)・・

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 『俳体新書 拾壱号/浅沼ゼミⅡ』(発行人 浅沼 璞/編集人 坂本佳樹)、巻末にエッセイ、曵尾庵 璞「『西鶴ざんまい』番外篇(抄)」があるので、その部分を少し紹介し、連句、俳句、短歌、詩(短いもの)をいくつか挙げておきたい。  14 《ニ〇二三年一二月二七日》  10項でもふれたように、本年は小津安二郎の「生誕一ニ〇年 没後六〇年」ということで、いろいろな催し物が各地で目白押しだったようです。 (中略)  しかし愚生にとって最も興味深かったのは、同じ映画監督の溝口健二との両吟を記した小津自筆の色紙でした。撮影禁止だったので、メモ蝶に写し取った内容を、以下に記します(改行や字アキなどは極力ママとします)。  小津安二郎 書画  溝口健二の句   白足袋のすこし   忘れて 菫ぐさ  そして僕の句   紫陽花にたつきの    白き足袋をはく     小津安二郎         (オフィス小津蔵/鎌倉文学館寄託)  両吟の下には足袋の白猫、小津の署名、そして二つの落款(姓名印と関防印か)があります。季重ねながら、両句とも映画のシーンを髣髴させるように感じるのは愚生の僻目でしょうか。  溝口といえば『西鶴一代女』(一九五二年)がまず思い浮かびます。学生時代、西鶴の好色物に興味を持ちながら、『好色一代女』(一六八六年)だけはなかなか読破できませんでした。なにか文体もストーリーも冗長な気がしてならなかったのです。それが溝口映画の一代女を観てからは、主演の田中絹代のイメージに助けられ、あっさり読了できたというだけではありません。 (中略)  溝口の白足袋の句を目にした際も、田中絹代ひいては一代女のイメージを打ち消せませんでした。連句の心得のあった小津もまた、田中絹代ひいては一代女の面影を詠んだのかもしれません。  とあった。    ’25ゼミⅡ連句 巻弐 脇起・オン座六句「混ぜる二歳児」の巻蕊 さゝがにとなるさゝがにをと思ふとき    山口誓子   蟹と蜘蛛とを混ぜる二歳児        浅沼 璞 メレンゲの菓子さまざまに作られて     坂本佳樹   さも自慢げにサボテンを愛づ       小倉海零 繊月の窓辺に揺るゝ赤カーテン          璞  隣を埋めていく鰯雲             佳樹  (以下略)     街ごとに違ふ門出や初桜        坂本佳樹...

佐藤鬼房「木枯の失明の海さらばさらば」(『佐藤鬼房俳句集成』第二巻/随想・評論より)・・

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 『佐藤鬼房俳句集成』第二巻/随想・評論Ⅰ(朔出版)、栞は、宮坂静生「しなやかな荒蝦夷(あらえみし)(ー荒の旧字出ず・失礼ー)」、坪内稔典「海が見ゆまた海が見ゆ」、中原道夫「喜太郎と鬼房」。帯には、   この稀なる作者の、頸くかつ潔い論説や、素樸で透明な随想の類は、面語以上の親しみを感じさせてくれる。ーー塚本邦雄  俳句を見渡す高台に、独り愚直を抱えて立つ鬼房は広い視野と鋭い眼力をもって、  戦後俳壇を牽引した。/俳句と人生を悲しくも熱く書き綴った鬼房の言葉がいま、蘇る!  【随想集『蕗の薹』『片葉の葦』他、単行本未収録の原稿を多数掲載】 とある。高野ムツオの「あとがき」には、  本書は『佐藤鬼房俳句集成』全三巻の第二巻である。「随想・評論Ⅰ」として1章に佐藤鬼房の初の随想集『蕗の薹』、Ⅱ章に『片葉の葦』を完全再録し、この二冊に未掲載の雑誌発表原稿を第Ⅲ章に「現代俳句逍遥」としてまとめた。 (中略)  鬼房は折にふれて、同時代の俳句と俳人について書き綴った。時にかなりの長文もあるが、批評というよりは、鬼房の詩想から発せられた俳句を追究する内なる声といった趣であった。Ⅲ章には、永田耕衣、阿部みどり女、加藤楸邨、金子兜太、平畑静塔らに関する文章を中心に収めた。「小熊座」に創刊以来連載した「泉洞雑記」や既刊未収録の文章類は第三巻を予定している。  とあった。思えば、若輩だった愚生に、同時刊行昭和56(1981)年2月に同時刊行された『蕗の薹』『片葉の葦』を恵まれて以来、改めて、本書を眺めるだけでも、遠望、敬愛し、同時進行の時代の多くの方々は鬼籍に入られた。先達俳人に眩暈を禁じ得ない。さまざまな作品に出会う僥倖、胸に迫るものがある。ともあれ、本書に留めらた懐かしい方々の、わずかではあるが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    一月のみどり児に降る山埃 (やまぼこり)    飯島晴子    岩魚透く瀬に青絹の母流れ            中島林炎    蝸牛桜は雲の湧く木なり             廣瀬直人    いづくかに鹿の闇ある山を焼く          森山夕樹    我等鷹狩りはにわ固めの夜が燃える        川崎三郎    岩山の闇に眼が慣れ雪ふれり           清水径子    北空へ発つ鳥の血をおもふなり          三橋敏雄 ...

志賀康「鷹ひとつ全山鷹の雨となる」(「俳句界」2月号より)・・

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 「俳句界」2月号(文學の森)、特集は「50代俳人~新たなきづき」。その高山れおなの近作6句とミニエッセイ「俳句においての、50代になっての気づき」で、  綿飴は、溶融した砂糖を遠心力で飛ばし、空中で冷えて糸状になったところを割箸で巻き取るようにして作る。この割箸に相当する一単語(多くは名詞)の決定から私の句作りは始まる。その決定に際し、近年―-つまり五十代も半ば以降ーー頼りにしているのが「PictureThis」だ。道を歩いていて花や実をつけた植物に出会ったらとにかくこのアプリで撮影して名称を調べ、それを起点に句を作る。近作中の植物名に、比較的見慣れないものが目立つ所以である。   とあった。また、ブログタイトルにした志賀康の句「 鷹ひとつ全山鷹の雨となる 」 は「注目の句集」からのもの。論考に谷口愼也「『現象としての志賀康」、志賀康の一句鑑賞に「 埴輪そは声を目深に立つものを 」(森澤程)、「 しじまより空飛ぶいのち兆すらん 」(表健太郎)がある。ともあれ、本誌より、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。    朴落葉累々父の如く伏し            高山れおな    束ねるに葱立たされて立ち通す          山田耕司    来し方や明教館の窓に月             櫛部天思    息止めてゐるか雨中の綿虫は           佐藤郁良    日の暮や風のミモザの波頭           津川絵理子    野に雲雀啼く和解せよ和解せよ          野崎海芋    熊の目は黒目のみ無善無悪          マブソン青眼    久女の忌戻り来し夜の髪の冷           和田華凛    知命のわれへ虚空から振るねこじやらし      関 悦史    団地から基地のあはひを木の葉の地        鴇田智哉    風花の吸ひこまれゆく不凍港           田中亜美    噴き上げて潮を火花とわが鯨           成田一子   生死即涅槃雪浮上せり              川越歌澄    初鏡いきものばかり映りこむ           瀬間陽子    白菜となまけて眠る寿命かな           田島健一    人知れず魚氷に上る野付牛            前田 弘    商ひのまことおつとり冬茜        ...

中島進「陽のうすき枯野ゆく喪失をゆく」(『中島進遺稿句抄』)・・

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 各務麗至編『中島進遺稿句抄』(詭激時代社・限定非売品)、その「あとがき」に相当する各務麗至「悼 中島進 嗚呼……」には、     あざやかな道の黄葉へうもれたい      進    さみしくないか真直ぐに立つ穂麦            第171回 豈 句会 2025.1.25  私が目にする「豈」への句会投稿作が最後の句になって、「豈」に「俳句新空間」へとその投稿発表順で編集することになった巻末の『今』にも通じそうで、 その頃、―-病棟を探検したり外を眺めたり、俳句のネタ探し楽しんでいます。そんな電話だった。どうしてもジッとしていられなかった。 扨―-中島さんとの始まりは、私が「豈」に入会してからのことで、知りあってまだ二年ほどでしかなかった。しかし、ご縁のありがたさはその比でない。 一人冊子だったからか、私のズレさ加減からこれまで殆ど無いことで、俳句や文芸一般について、重くあったり深くあったり深くあったりの面白い話が飛び交って……、身近(同郷県内)にそんな話相手ができて喜んでいたのに……。 昨年の夏の熱中症など何するものぞ、……だったのに。その後検査入院がつづき、黒ではないが灰色と医者に言われた、と、 それでも当人は、どこがぁ、と、本当に至って元気だったのに。早過ぎました。合掌。  とあった。ともぁれ、以下に、本遺稿句抄から、いくつかの句を挙げておこう。    熱帯夜うちなんちゅうの冷たい目   陽炎や死者の奢りの波の跡  (大江健三郎氏追悼)   炎天の一枚の鉄熱の鉄   凍つる夜や点滴引きし廊下の児   虹とふる黄とふる水の木の葉かな   防空壕寒気果てなき都市の地下  (東京・ソウル)   きざみこむ一切皆苦ねはんにし   尾のない蜥蜴・逃げよ  (香港民主党)   売るものの己しかない新社員   巻貝の時を知らざる遠干潟   ふちはない   枯野しかない目の前の枯野しか   時のなき原野の風のあげは蝶   かわきながら道の金魚がはねている  (攝津幸彦氏追悼)   かこむ霧きえぬ霧   あざやかな内臓ばかり見せにくる   たましいを凝視する真冬を乗りこえる   かぎりなく今のまぶしき雪やなぎ  中島進(なかしま・すすむ) 1954年~2026年1月16日 享年71。福岡県若松市(現・北九州市若松区)生まれ。句集に『探求1』、評論集『考察1』(文學...

行方克巳「図書館の地階のさむき灯によりて/ただにゐしのみ/ひとののしりて」(『歌の訣れ』)・・

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 行方克巳歌集『歌の訣れ』(東京四季出版)、栞は伊藤一彦、その中に、   短歌界は逸材を失っていたのだな、行方克巳さんの若き日の短歌作品を読んでの私の感慨である。 (中略)   人生は劇 (ドラマ) の連続である。ことに青春時は将来に影響を与える大きな劇が些細なことから生じる。村木道彦が行方克巳に自作を読ませたことで短歌界は一人の逸材を失い、俳句界は一人の逸材を得た。 (中略)    さくらがひいしだたみはたよめがかさ   つのがひふじつぼ   安房の海の夏  桜貝、石畳、嫁が笠、角貝、藤壺。すべてひらがな書きである。写生を徹すると、こういう歌になるのか。私はニヒリズムを感じる。村木道彦との出会いがなくても、歌の訣れは必然だったか。   さくら貝あとくされなき恋なんて  「俳句」二〇二五年六月号の行方克巳さんの近詠である。渚にうちあげられている桜貝が美しいのは「あとくされ」だからである。短歌では詠み得ない作品と感じ入った。  とあった。また、本集には行方克巳の「随筆」2篇が収められおり、一つは村木道彦の「儒ルナール律」の10首すべてを引用。なかでも、愚性も当時、 「 めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子 」にインスパイヤされたことを思い出した。二つめは愚生には初耳の関谷正孝についてのもの。それには、   関谷正孝という私にとって忘れることができない男がいる。私の十九歳までに作った歌の集を出そうと考えた理由の一つは、この関谷正孝の歌を何らかのかたちで世に残したいという思いがあったからに外ならない。  わずか十九首しか私の手元には残されていないのであるが、これが私の知る関谷正孝の作品のすべてである。その筆書きの歌稿には、「昭和四十三年六月三十日うつす」と私のメモがある。   暖房の職員室に佇みぬ女   教師にさからえぬまま     (以下略)  とあった。ともあれ、本集より、行方克巳の歌のいくつかを以下に挙げておきたい。    ためらはずわが頬打ちし   少年の 今住むといふ   鉄柵の家   教師にはなるなと言ひて   高笑ふ師の横顔の   とみに老いたり   楽しげに蜜柑食ひゐし女らよ   その皮をあまた車窓 (まど) に   すてにき   利根川にかかるつりばし   その橋の   なかほどにして会ひし少女よ   ゆくりなく煙草とり出...

奥村和子「オスプレイ響かす空に悴めり」(第192回「吾亦紅句会」)・・

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  1月23日(金)は、第192回「吾亦紅j句会」(於:立川市高松学習館)+新年会だった。兼題は「悴む」。以下に一人一句を挙げておきたい。    終りなき戦続くも初日の出            佐藤幸子    悴む手開く朝刊また戦火             渡邉弘子    欲張りな地図を広げて去年今年          松谷栄喜    鳥羽伏見戦一月義仲忌              齋木和俊     閻魔の目かっと開きて寒に入る          佐藤幸子    吾もまた奔放に生く久女の忌           武田道代     鬼は外何が正気か鬼ばかり            村上さら    スキップをしたくなる日や蜜柑むく        奥村和子    柏手を打つ手悴む富士まいり          吉村自然坊    初商い地球を翔けるあばれ馬           須崎武尚    もう十五年傷あと残し風冴ゆる          髙橋 昭    古稀の早朝 (あさ) かじかむ両の手そっと抱く  三枝美枝子    女正月コーヒー淹れる昼下り           関根幸子    パーで勝つジャンケンポンの かじかむ手      西村文子   冬の月フォッサマグナの歪みをり        堀江ひで子   スーパーの素甘桃色年迎ふ           折原ミチ子   悴みて指が短くなつてをり            田村明通    悴んで見ればひたすら降れる星          大井恒行 次回は、2月27日(金)、兼題は「蕗の薹」。    ★閑話休題・・関根幸子「紅玉のタルトタタンの午後三時」(「図書館俳句ポスト」10月選句入選)・・  「図書館俳句ポスト10月選句結果」の選者は太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄。今回の立川市高松図書館から、吾亦紅句会の関根幸子が入選を果たしていた。 撮影・鈴木純一「薔薇族の組織はとても複雑で誰も神にはたどりつけない」↑

鳥居真里子「寒し赤し幾夜花嗅ぐ犀と鬼」(「門」1月・第463号・40周年記念号)・・

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 「門」1月・第463号・40周年記念号(門発行所)、巻頭に鳥居真里子「『門麗抄 門四十周年記念特別作品三十句」と合わせて「主宰あいさつ 門四十周年を迎えて」、その中に、 (前略) いま、手元に創刊0号と創刊号が置いてある。そこに置かれた鷹夫の言葉を紹介しておこう。「とにかく自分に忠実であったら、後は自分の作りたい俳句を精一杯自由にやって貰いたい。指導者には二通りの型があって、自分の物差に合わぬものは認めないという型とそれぞれの個性を発見してそれを伸ばすという型である。私はなるべく後者でありたいと思っている。(中略)そのためにも諸君は自分の個性に磨きをかけて、大いに研鑽してほしい」(昭和六十一年ハ月創刊0号より) (中略) こうして改めて眼を通してみると、私が平生より皆さんに口にしてる言葉と少しも変わらないということに驚いてしまう。ひとつ付け加えておくと「後者でありたい」と初代が残したその願いは、いみじくも私自身の指導の中心に据えられ、多くの個性が芽吹き開花している。 (中略)   そしていま、四十周年を迎えている。門の皆さまが命を燃やすように俳句と向き合う姿に、限りない勇気を頂いている。句会におけるその真剣な眼差しにふれるたび、選者、いや私なりの主宰としての自覚が芽生えてきたように思う。  俳句は詩だが、詩は俳句で俳句ではない。このダブルバインドという美しい鎖のなかで言葉との格闘を続けていきたい。誰のモノでもない、それぞれの個性が自ら育んだ俳句がこの「門」にはある。小さくても「門」俳句会は頼もしい作家集団の俳誌であり、「俳諧自由」の精神が横溢する発表の場である。  とあった。他の主要な記事に、桐野晃選「鳥居真里子三十句」、石山ヨシエ選「鈴木節子三十句」、三上隆太郎選「鈴木鷹夫三十句」、村木節子「『門』が開かれたあの頃」、佐々木歩「句集『鼬の姉妹』評 出会うもの」、垂水文弥「句集『月の茗荷』評 鶴といふ器」、加藤閑「『門麗抄』の鳥居真里子」など。また本号は、「今年の各賞」発表があり、同人賞に川森基次句集『あやまちに似て』、東門賞に中澤美佳『はらはらと白』、四十周年特別奨励賞に大熊峰子、兼題賞に中島悠美子の表彰が行われている。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの挙げておこう。    雪踏みの音かすか夢殿・雪蛍       鳥居真里子    少年よ荒野のひかりは戦です...

四ッ谷龍「万両のかげに死人の爪吊らる」(「むしめがね」No,26)・・

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 「むしめがね」No.26(むしめがね発行所)、四ッ谷龍「連載 再論・田中裕明/第4回 浄化された厭世―-『花間一壺』から『櫻姫譚』へーー、「補論C『現象学的還元』って何だ」、「 補論D田中裕明論をめぐるQ&A」。四ッ谷龍講演録「横井也有を愛した文人たち~坪内逍遥から高遠弘美まで」。その「再論・田中裕明(連載その4)」の中に、「柳元佑太への反論」の部分に(四ッ谷龍の反論は精緻を究めているので、興味ある読者は直接、本誌に当られるようにお願いしたい)、  (前略) 柳元は、田中裕明の時間観は円環的なものだと強弁するために、「時間が逆流したように見えるのは過去が循環してくるからだ」という理屈をひねり出している。そのためにニーチェまで登場させるのだが、それならば「夜の形式」の文章とニーチェの文章は具体的にここに共通性があると、対比して示す必要があるだろう。柳元は「俳句」2024年12月号の田中裕明特集に「『夜の形式』という多面体」という文章を寄稿し、そこでは裕明の時間観はインドのウパニシャド哲学やストア派に見られる「円環的時間」と同じ理屈だと言っているのだが、そう説くのであればウパニシャド哲学やストア派のテキストを実際に引用して、「夜の形式」とどこが一致するのかを検証しなければならない。私が『嘔吐』や『知覚の現象学』や『正法眼蔵』を具体的に例示したように。  要するに、柳元の論は元のテキストに基づいた実証性というものが欠けているのである。自分の思いついたことを書いて、それにニーチェだインド哲学だストア派だといった飾りをつけているにすぎない。     四、渚にて  柳元は続いて、裕明の時間観は円環的なものであったと主張するために    大学も葵祭のきのふけふ       『山信』    渚にて金澤のこと菊のこと  の二句を挙げ、これが円環的時間構造を体現していると論じている。このうち、「大学も」の句については私はとくに反論すべき必要を感じない。なぜなら、これは「夜の形式」が書かれる前の『山信』時代の句であり、当時はまだ現象学を自作に反映させるには至っていないからだ。最初期の裕明は「ホトトギス」的な季節循環の世界観、つまり虚子が「寒来暑征秋収冬蔵」という語を引いて言っていたような、自然随順の態度で句作していた。それを円環的時間の体現と言いたければ言ってもよい。だが、「渚...

大井恒行「令和俳人と気どるな奔馬 初山河」(第2回「令和俳人展」より)・・

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  ー銀座真ん中で今活躍中の俳人による俳句展ー・ 第2回「令和俳人展」(於:ギャラリーGK)来る1月26日(月)~31日(土)12時~19時(最終日16時)。   昨年の「第一回・令和俳人展」と同じく、俳優・シャンソン歌手・俳号山頭女の藤田三保子と書家・俳人の市原正直のお二人が世話人である。  愚生は、ブログタイトルにした「令和俳人と気どるな奔馬 初山河」を含めて、短冊3点を出品する予定である。以下に案内状より出品作家の名を挙げておくので、御用とお急ぎでない方は、期間中においで下されば幸甚である。  浅草みかん・石川聡・市原正直・乾佐伎・大井恒行・大川祟譜・おおしろ建・尾崎人魚・鎌倉佐弓・加茂一行・河西志帆・髙坂明良・小藤康人・佐佐木あつし・清水千文・杉浦正勝・髙津葆・鳥居真里子・中嶋憲武・夏石番矢・なつはづき・藤田三保子・麻里伊・水内慶太・山﨑猿屋・吉田悦花 ★閑話休題・・八田木枯「春を待つこころに鳥がゐてうごく」(生誕100年『八田木枯戦中戦後私史』出版記念「八田木枯と仲間俳書展」より)・・  「生誕100年『八田木枯戦中戦後私史』出版記念「八田木枯と仲間俳書展」(於:五感肆パレアナⅡ)は1月20日(火』で終了したが、 来る 1月31日(土)14時~(於:新宿歴史博物館2階講堂・先着70名・1000円)、藺草慶子・鳥居真里子・西村麒麟による座談会「俳人八田木枯を語る」(晩虹舎) が開催される。        撮影・芽夢野うのき「魂は誰ぞに宿る寒の速達」↑

辻桃子「星の入東風夢の中にも目覚めても」(「や」第79号より)・・

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 「や」第79号(や発行所)、鑑賞文に、月犬「78号を読む さまざまな個性が集う俳句誌」、その他同人各氏による「ひとり吟行」、戸松九里「中国禅寺巡り旅 一日作さざれば一日食らわず」、関根誠子「言の羽衣」などのエッセイがある。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。    打ち水や戦火と墓標増殖す        石川ひろ子    死に場所は今生きる場所花万朶       関根誠子    少年の胸板薄し賢治の忌         田中由つ子    竹笹に隠しごとめく願 (ねげ) の絲     菊田一平    ぐんぐんと水を翼に鮭上る         中沢 春    なぜかしらカキクケコ柿黙りたい      森田笑母    巻貝の先まで満ちて春の潮         田沼塔二    顔寄せてヒソヒソくすくす木の実落つ    小野磨女   風紋に今日を残して大夕焼          一 猫    つまようじ折る癖今も震災忌        松本芽生    八方へ光り飛び散る大氷河        久能木紀子    みどり女かな女久女鷹女の扇風        麻里伊    正しく歌えず君が代制定日         柏原空見    去年今年夢の続きはまた続き        戸松九里    千本針や千羽鶴や春待ちぬ         中村十朗    猟銃の音の乾いて木の根明く       三瓶つなみ    そのひとの声の涼しく彼岸かな       尾野秋奈    用も無き渋谷に迷う秋の昼        下村とし子    又来よと送り火夫の掌にて消し       石井 和   終戦日涙を汗と言う祖母よ         三浦縫子      撮影・中西ひろ美「よきことの小さき音を聞きて寒」↑

水原秋櫻子「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」(『水原秋櫻子の百句』)・・

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    野中亮介著『水原秋櫻子の百句』(ふらんす堂)、巻末に、野中亮介「秋櫻子の絵画」がある。それには、  秋櫻子俳句は絵画、あるいは展覧会や画家の生涯に発想を得て作句することが少なからずあったが、「野口謙蔵」(「雑談」昭和21年9・10合併号)の中で興味ある作句経緯を明かしている。「或る絵画雑誌で『野口謙蔵』号を特輯したことがある。七八年も前であつたらう。その頃私は曾宮さんの画室にあそびにゆくと、そこへその雑誌の記者が原稿を依頼に来てゐた。/『野宮謙蔵なら僕も大好きだ。帝展に出た霧の朝 (・・・) といふ絵をいまでもはつきりとおぼへてゐる。』/(中略)『あの人の絵を見ていると、すぐ俳句が詠めますね。この頃は俳人で魞 (えり) の句を詠むのが多いけれど、油絵であれを描くのは野口さん位のものでせう。』」とその絵画に描かれた風景を俳句に詠むことを明かしている。 (中略)  このように秋櫻子は絵画そのものに影響をうけつつ、帝展や院展、清龍会や二科の画家、画壇の動向を自らの行動の基準に置いていた可能性がある。ただ、大正末期から昭和初期に始まった新興美術運動については関心を寄せていないことは、この俳人の立ち位置を明確にするものである。  とあった。一句鑑賞の一例を上げ、それ以外は、句のみになるが、いくつかの句を挙げておこう。     むさしのゝ空真青なる落葉かな    『葛飾』                      大正十五年  武蔵野に秋櫻子はよく足を伸ばし、医学博士を取得するべく勉学を重ねていた時期にも、寸暇を惜しんで吟行している。国木田独歩の『武蔵野』に描かれた風景に惹かれたのかもしれないが、楢や欅の高木樹林が一斉に葉を落とし幕を切ったように現れる青空に驚く心中が中七に滲む。後年、交遊のあった富本憲吉の開窯にも参列して、より好む地になったようだ。また、秋櫻子が「ホトトギス」を辞する覚悟を固めたとき最後に武蔵野探勝会で粕壁(現・春日部)吟行を提唱し幹事を買って出ている。秋櫻子の「むさしの」には様々影が錯綜する。    高嶺星蚕飼の村は寝しづまり   夜の雲に噴煙うつる新樹かな   葛飾や桃の籬も水田べり   梨咲くと葛飾の野はとの曇り   啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々   馬酔木咲く金堂の扉 (と) にわが触れぬ   蟇ないて唐招提寺春いづこ   妻病めり秋風...

岡田美幸「愛という供物記され絵馬揺れる」(『天使魚』)・・

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   岡田美幸第一句集『天使魚』、歌エッセイ・評論集『光のパイプオルガン』(コールサック社) 句集の解説は鈴木光影「この世界をおかしがり、異質の豊かさを得る俳句」、それには、  岡田美幸さんは既に二冊の歌集をもつ歌人であるが、その俳句作品にも、ポップで親しみやすい現代短歌の良さが感じられる。しかし、その俳句は単に短歌的であるだけではなく、美幸さんが表現者として備えている内的衝動が俳句形式の中でのびのびと生かされている。既存の「俳句らしさ」に囚われることがない作者の句には、清々しさすら覚える。 (中略)   タイトルの「天使魚 (てんしうお) 」が使われた句では、作者は、自身の記憶の水の底へとおかしみを求めて潜っていく。   天使魚いた幼稚園私いた        Ⅲ 世界樹   天使魚側面ばかり見せてくる        〃  「てん」を起点として、幼稚園に通っていた頃の幼い自分と出遭う。園の水槽で飼われていた「天使魚」・別名エンゼルフィッシュは、俳句の神様つかわされた、文字通りの天使なのかもしれない。二句目の「側面ばかり見せてくる」は、子どもごころに感じたこの世界の「不思議」さだ。これは、水槽という狭い空間で一面的にしか生きられない宿命を抱く存在の哀しみを、子どもながらにして直観した記憶ではないだろうか。同時に、いくら正面を見せてとお願いしても思い通りにはいかない、自然の予測不可能性や不制御性に対するおかしみであり、その摂理に向けた寿ぎなのだろう。 とあり、 また、著者「あとがき」には、 私が俳句を作るようになったきっかけは、28歳の時に句会に誘われたことだった。元々私は短歌をずっと続けているが、その人脈の関係で句会に参加し、短歌との違いを楽しんだ。 (中略)    この句集では主に、日常生活のちょっとしたおかしみや、旅先で出会った輝き、ユーモラスな動植物を大事に思いつつ俳句の選をした。俳句にしなければ忘れてしまうような物事ばかりで、写真に出来ないような、その時の気持が詠み込まれている句も多い。急に失業したり、世の中は良い事ばかりではないが、良いことがあったり、素敵な物事を見つけることができたら作品として残していきたいと思う。  とあった。評論集の方の解説は、鈴木比佐雄「誰もが『光のパイプオルガン』を奏でるために/岡田美幸 詩歌エッセイ・評論集『光のパイプオル...

大井恒行「天日(てんぴ) にんげんをそうぞうしなおしてください」(「俳壇」2月号)・・

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 「俳壇」2月号(本阿弥書店)、主な記事は、第40回俳壇賞決定発表/選考座談会 井上弘美・佐怒賀正美・鳥居真里子・星野高士。ここでは、仁平勝新連載「季語を考える」第二回を引用したい。   五七五という俳句の定型は、連歌の発句がその母体になっている。季語もまた連歌から生まれたものだ。とすれば季語を考えるには、まず連歌から始めないといけない。  ところで本題に入る前に、ひとつ片付けておきたい問題がある。   「季語」という言葉が一般に使われるようになったのは明治以降のことで、連歌および俳諧連歌(俳諧)では「季の詞 (ことば) 」とか「季の題」といった。それをここでは「季語」という用語に統一したい。 (中略)   連歌の式目では、「花」と「月」はとくに重要な題として扱われる。百韻では四ヶ所、「月」は七ヶ所で詠むというルールで、しかも詠む場所が定座(じょうざ)として決まっている。歌仙では「花」が二ヶ所、「月」が三ヶ所になり、俳諧でもやはり重要なテーマだ。  ところで「花」の座では、原則として「桜」は詠まない。連歌の百韻は一ヶ所だけ「桜」が認められるが、歌仙にはまずみられない。 (中略)  ちなみに「芭蕉七部集」には、〈月と花比良の高嶺を北にして〉という芭蕉の平句がある。ようするに季語としての「花」は、「桜」と同じではないということだ。ここにも季語のフィクション性がある。 (中略)  今日の俳人も、「花」という季語にその「重層的な規定」を意識しているはずだ。まさか二文字のときは「花」で、三文字のときは「桜」なんて人はいませんよね。  先に「月と花」を詠んだ芭蕉の句を挙げたが、最後は次のような俳句で締めてみたい。   花の如く月の如くにもてなさん       虚子  「田中家女将に代りて」という前書がある。「花」という季語は、こんなふうに使っていいのです。     とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。   初東風の一筋逸れし秩父谷           安西 篤   天つ日の光ちりばめ冬ざくら          田島和生   後醍醐の玉座に著し隙間風          森田純一郎   蝶ひとつ一千年の枯野へと           坊城俊樹   春光へ抱かれ出てよく吠えること        石田郷子   漁村凍つむかし移民の選択肢         ...