佐藤鬼房「木枯の失明の海さらばさらば」(『佐藤鬼房俳句集成』第二巻/随想・評論より)・・


 『佐藤鬼房俳句集成』第二巻/随想・評論Ⅰ(朔出版)、栞は、宮坂静生「しなやかな荒蝦夷(あらえみし)(ー荒の旧字出ず・失礼ー)」、坪内稔典「海が見ゆまた海が見ゆ」、中原道夫「喜太郎と鬼房」。帯には、


 この稀なる作者の、頸くかつ潔い論説や、素樸で透明な随想の類は、面語以上の親しみを感じさせてくれる。ーー塚本邦雄

 俳句を見渡す高台に、独り愚直を抱えて立つ鬼房は広い視野と鋭い眼力をもって、

 戦後俳壇を牽引した。/俳句と人生を悲しくも熱く書き綴った鬼房の言葉がいま、蘇る!

 【随想集『蕗の薹』『片葉の葦』他、単行本未収録の原稿を多数掲載】


とある。高野ムツオの「あとがき」には、


 本書は『佐藤鬼房俳句集成』全三巻の第二巻である。「随想・評論Ⅰ」として1章に佐藤鬼房の初の随想集『蕗の薹』、Ⅱ章に『片葉の葦』を完全再録し、この二冊に未掲載の雑誌発表原稿を第Ⅲ章に「現代俳句逍遥」としてまとめた。(中略)

 鬼房は折にふれて、同時代の俳句と俳人について書き綴った。時にかなりの長文もあるが、批評というよりは、鬼房の詩想から発せられた俳句を追究する内なる声といった趣であった。Ⅲ章には、永田耕衣、阿部みどり女、加藤楸邨、金子兜太、平畑静塔らに関する文章を中心に収めた。「小熊座」に創刊以来連載した「泉洞雑記」や既刊未収録の文章類は第三巻を予定している。


 とあった。思えば、若輩だった愚生に、同時刊行昭和56(1981)年2月に同時刊行された『蕗の薹』『片葉の葦』を恵まれて以来、改めて、本書を眺めるだけでも、遠望、敬愛し、同時進行の時代の多くの方々は鬼籍に入られた。先達俳人に眩暈を禁じ得ない。さまざまな作品に出会う僥倖、胸に迫るものがある。ともあれ、本書に留めらた懐かしい方々の、わずかではあるが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。


  一月のみどり児に降る山埃(やまぼこり)    飯島晴子

  岩魚透く瀬に青絹の母流れ           中島林炎

  蝸牛桜は雲の湧く木なり            廣瀬直人

  いづくかに鹿の闇ある山を焼く         森山夕樹

  我等鷹狩りはにわ固めの夜が燃える       川崎三郎

  岩山の闇に眼が慣れ雪ふれり          清水径子

  北空へ発つ鳥の血をおもふなり         三橋敏雄

  二月革命曲馬の裸馬を無知うてば       加藤かけい

  うねりをかくしわが裏山は東(あずま)に一つ  竹本健司 

  三鬼忌の舌では切れぬ柔乳房          福田 基

  たましひの及ぶかぎりに河豚の毒        髙橋 龍

  食器冷え眩暈のごとく鷗ふゆ          中嶋秀子

  街は痔であるおそろしいパセリ畑        西川徹郎

  ニコよ! 青い木賊をまだ採るのか       横山白虹

  月明の木を離れたる木霊かな         河原枇杷男

  ちちははのかぐろき昼や牛蒡掘り       津沢マサ子

  低い三日月鱗を立てて寝に帰る        林田紀音夫

  けふ水を使はず凍てずをんな寂び       中尾寿美子

  

  思ふべきかな

  沖の

  捨鵜と

  母の雨                    高柳重信

  

  人体冷えて東北白い花盛り           金子兜太

  逃げても工夫大地に暗い穴増やし        穴井 太 



 ★閑話休題・・大井恒行「鳥かひかりか昼の木に移りたる」(第2回「令和俳人展」~1月31日(土)は16時まで・平日は12時から19時まで~より)・・








市原正直氏↑





 今日昼頃に、第2回「令和俳人展」(於:ギャラリーGK)に出掛けた。愚生の短冊が売れて持ち帰られた方がおられたので、追加の小色紙を持参した。同時に置いていただいた「豈」68号も2冊売れていた(アマゾンでも買えます)。「豈」同人では、中嶋憲武、なつはづきが参加している(この両名は、みごとな作品だった)。沖縄からは、おおしろ建と河西志帆。

 いろいろな趣向の作品があって、けっこう見させる。愚生は、藤田三保子の缶バッジがあったので、孫のお土産に買った。是非、お出かけになって下さい。


     撮影・中西ひろ美「凧あげの児は撮してはなりません」↑

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