行方克巳「図書館の地階のさむき灯によりて/ただにゐしのみ/ひとののしりて」(『歌の訣れ』)・・


 行方克巳歌集『歌の訣れ』(東京四季出版)、栞は伊藤一彦、その中に、


 短歌界は逸材を失っていたのだな、行方克巳さんの若き日の短歌作品を読んでの私の感慨である。(中略)

 人生は劇(ドラマ)の連続である。ことに青春時は将来に影響を与える大きな劇が些細なことから生じる。村木道彦が行方克巳に自作を読ませたことで短歌界は一人の逸材を失い、俳句界は一人の逸材を得た。(中略)

  さくらがひいしだたみはたよめがかさ

  つのがひふじつぼ

  安房の海の夏

 桜貝、石畳、嫁が笠、角貝、藤壺。すべてひらがな書きである。写生を徹すると、こういう歌になるのか。私はニヒリズムを感じる。村木道彦との出会いがなくても、歌の訣れは必然だったか。

  さくら貝あとくされなき恋なんて

 「俳句」二〇二五年六月号の行方克巳さんの近詠である。渚にうちあげられている桜貝が美しいのは「あとくされ」だからである。短歌では詠み得ない作品と感じ入った。


 とあった。また、本集には行方克巳の「随筆」2篇が収められおり、一つは村木道彦の「儒ルナール律」の10首すべてを引用。なかでも、愚性も当時、 「めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子」にインスパイヤされたことを思い出した。二つめは愚生には初耳の関谷正孝についてのもの。それには、


 関谷正孝という私にとって忘れることができない男がいる。私の十九歳までに作った歌の集を出そうと考えた理由の一つは、この関谷正孝の歌を何らかのかたちで世に残したいという思いがあったからに外ならない。

 わずか十九首しか私の手元には残されていないのであるが、これが私の知る関谷正孝の作品のすべてである。その筆書きの歌稿には、「昭和四十三年六月三十日うつす」と私のメモがある。

  暖房の職員室に佇みぬ女

  教師にさからえぬまま    (以下略)


 とあった。ともあれ、本集より、行方克巳の歌のいくつかを以下に挙げておきたい。


  ためらはずわが頬打ちし

  少年の 今住むといふ

  鉄柵の家


  教師にはなるなと言ひて

  高笑ふ師の横顔の

  とみに老いたり


  楽しげに蜜柑食ひゐし女らよ

  その皮をあまた車窓(まど)

  すてにき


  利根川にかかるつりばし

  その橋の

  なかほどにして会ひし少女よ


  ゆくりなく煙草とり出し

  ライターの音ひびかせぬ  

  講義なかばに

     講義半ばで煙草を吸うことが

     講義を引き受ける条件であった


  草の名をひとつ

  知り得しよろこびを

  けふ一日の大切として


  売るほどの獲物なければ

  砂の上に鰯わかちて

  散りゆく人ら


  女湯と口疾に何か言ひ交はす

  男ありけり

  ペニス貧しく


  喚き合ひののしり合へり

  たはやすく懐柔されてひしめける

  mass


  火の山のふところに秋立つころよ

  火の山は猛き

  乳房ならずや


  行方克巳(なめかた・かつみ) 1944年、千葉県生まれ。 

  


     撮影・中西ひろ美「寒晴に思ういつかはいつなのか」↑

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