水原秋櫻子「冬菊のまとふはおのがひかりのみ」(『水原秋櫻子の百句』)・・
野中亮介著『水原秋櫻子の百句』(ふらんす堂)、巻末に、野中亮介「秋櫻子の絵画」がある。それには、
秋櫻子俳句は絵画、あるいは展覧会や画家の生涯に発想を得て作句することが少なからずあったが、「野口謙蔵」(「雑談」昭和21年9・10合併号)の中で興味ある作句経緯を明かしている。「或る絵画雑誌で『野口謙蔵』号を特輯したことがある。七八年も前であつたらう。その頃私は曾宮さんの画室にあそびにゆくと、そこへその雑誌の記者が原稿を依頼に来てゐた。/『野宮謙蔵なら僕も大好きだ。帝展に出た霧の朝(・・・)といふ絵をいまでもはつきりとおぼへてゐる。』/(中略)『あの人の絵を見ていると、すぐ俳句が詠めますね。この頃は俳人で魞(えり)の句を詠むのが多いけれど、油絵であれを描くのは野口さん位のものでせう。』」とその絵画に描かれた風景を俳句に詠むことを明かしている。(中略)
このように秋櫻子は絵画そのものに影響をうけつつ、帝展や院展、清龍会や二科の画家、画壇の動向を自らの行動の基準に置いていた可能性がある。ただ、大正末期から昭和初期に始まった新興美術運動については関心を寄せていないことは、この俳人の立ち位置を明確にするものである。
とあった。一句鑑賞の一例を上げ、それ以外は、句のみになるが、いくつかの句を挙げておこう。
むさしのゝ空真青なる落葉かな 『葛飾』
大正十五年
武蔵野に秋櫻子はよく足を伸ばし、医学博士を取得するべく勉学を重ねていた時期にも、寸暇を惜しんで吟行している。国木田独歩の『武蔵野』に描かれた風景に惹かれたのかもしれないが、楢や欅の高木樹林が一斉に葉を落とし幕を切ったように現れる青空に驚く心中が中七に滲む。後年、交遊のあった富本憲吉の開窯にも参列して、より好む地になったようだ。また、秋櫻子が「ホトトギス」を辞する覚悟を固めたとき最後に武蔵野探勝会で粕壁(現・春日部)吟行を提唱し幹事を買って出ている。秋櫻子の「むさしの」には様々影が錯綜する。
高嶺星蚕飼の村は寝しづまり
夜の雲に噴煙うつる新樹かな
葛飾や桃の籬も水田べり
梨咲くと葛飾の野はとの曇り
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
馬酔木咲く金堂の扉(と)にわが触れぬ
蟇ないて唐招提寺春いづこ
妻病めり秋風門をひらく音
湯婆や忘じてとほき医師の業
瀧落ちて群青世界とどろけり
黒百合や里帰りたる高き空
天国(ぱらいそ)の夕焼を見ずや地は枯れても
釣瓶落しといへど光芒しづかなり
野中亮介(のなか・りょうすけ) 1958年、福岡県生まれ。

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