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宮崎斗士「脱走兵 夜はアザラシの痣らしい」(「六花」VOL.10 より)・・

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 「六花」VOL.10(六花書林)、表紙に特集記事のタイトル「詩歌について私が知っている二、三の事柄」とある。「六花書林創業二十周年へのメッセージ」には、久保田鶴子、栗木京子、黒岩剛仁、小池光、佐伯裕子、三枝昂之、酒井修一、高木佳子、富田睦子、藤原龍一郎が寄せている。他にも多くの執筆陣がいるが、俳人では大石雄鬼「人間の影」、連載記事に宮崎斗士「俳が流れる8/三十二年目の胴上げ」がある。そこに愚生に触れて書いてくれているので、少し長くなるが、それを以下に紹介したい。   今、私の手元にある一冊のアンソロジー『耀ー『俳句空間』新鋭作家集Ⅱ』。弘栄堂書店より一九九三年十二月二十五日発行。帯には「俳句の無限に腕を振り、俳句の言葉に世界を見る!『俳句空間』新鋭蘭に登場した作家たち16人のアンソロジー100句」とある。この十六人の中に私も含まれている。発行から三十二年が経ってしまった。 (中略)   特に強く心を揺さぶられたのは「新鋭作品欄」。「『俳句空間』では新鋭作品を募集します。小誌では十句を単位として、入選した場合、全句を掲載します。俳句形式に真摯に取り組む方、文学的野心を持っている方々は、ふるって御応募下さい」。この「文学的野心」が殺し文句だった。すぐに火がついた。初めて十句が掲載された時は、ぼっ!と全身炎上した。 (中略)  そして、私以外の十五名の『燿』参加者。オオヒロノリコ、岡田秀則、五島高資、佐藤清美、袖岡華子、高山れおな、田辺恭臣、萩山栄一、平田栄一、前島篤志、正岡豊、松澤隆晴、水野真由美、守谷茂泰といった方々に加え、参加者中最年少、若き日(二十三歳!)の宇田川寛之氏がいた。   桟橋や冬の気配に手が届く        寛之   進化論唱ふる者さへ知らぬ闇   てのひらに虹の余韻をとどめたり     (中略)  俳句作家としての大井さんに関して言えば、大井さんの第二句集『風の銀漢』(一九八五年発行)を初めて読んだ時の胸騒ぎのような感覚、感銘は今も忘れられない。。   たとえば風が、はじまる朝を烙印す    恒行   友よ明日は影を苦しむ夜の蜘蛛   耳のなかのどこか鳴りたる曇天よ とりわけ、   針は今夜かがやくことがあるだろうか  清水哲男氏による跋文「このしずまった破調の針の先端で、詩人はヤジロベェのように安定を求めて揺れているのだと信じたい」と共...

筑紫磐井「攝津忌の一本の毛が総立ちぬ」(第171回「豈」忘年句会)・・

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    左より、なつはづき・佐藤りえ・筑紫磐井・飯田冬眞・酒巻英一郎   11月29日(土)は、隔月開催ながら、第171回「豈」忘年句会(於:十条・ミュージカンテ周)だった。京都から妹尾健が来京。夕刻からの懇親会には、佐藤りえ、高山れおな、なつはづき、林ひとみが参加して、有意義な一日となった。  句会は、いつもは、欠席投句は認めていないが、忘年句会のみは遠隔地の方の投句を受け付けている。今年は、四国の各務麗至、中島進、奈良の堀本吟。ともあれ、以下に一人一句を挙げておきたい。   冬薔薇 着すぎたものを脱いでいる        武藤 幹    たましひの寝ころんでゐる枯野かな        飯田冬眞    何にでも落してみたき寒卵            白石正人    乾坤一擲 われは一滴 潦            堀本 吟    秋深し方位は無灯で良い            川名つぎお    猛吹雪 不知火型 (シラヌイガタ) ノ 女カナ    凌    神話への入り口辿る草紅葉           羽村美和子    私てふ一人は遥か冬夕焼             各務麗至    てのひらの鯨のあぶら絞りきる          山﨑十生    氷河期の残党として鯨吠ゆ           伊藤左知子       この秋の   遠足遠し   はねつるべ                   酒巻英一郎    さみしくないか真直ぐに立つ穂麦          中島 進     ゴンドラに乗って短日やってくる         杉本青三郎    過去形の顔が生きてる枯野かな           山本敏倖    栓抜きも缶切りもない桃青忌            川崎果連    バター味の木枯過ぎて嵐山忌            筑紫磐井    個々に起ちともに撃ちたし厳冬ぞ          大井恒行                   関 周『パパの作りばなし」↑  懇親会の終盤に、歌手でもあり、かつ山口市の公認団体・山口七夕会の幹事長も務めるミュージカンテ周の関周(せき・あまね)に、「パパの作りばなし」を唄っていただいた。        撮影・中西ひろ美「手荒れ初む菊も総出の十一月」↑

渡邉弘子「祖父・父と継がれし袴七五三」(第191回「吾亦紅句会」)・・

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  11月28日(金)は、第191回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「七五三」。以下に一人一句を挙げておこう。    神有月アダムとイブをつねりけり      須崎武尚    軒下を借りて花屋の時雨かな       折原ミチ子   着膨れてフェイクの跋扈の世を生きる    田村明通    短日や我を追い越す乳母車         佐藤幸子    通りゃんせ長寿を願う千歳飴       吉村自然坊    路地ゆきて小さき鳥居や一の酉      堀江ひで子    ベンチ風雲の向こうに秋の虹        笠井節子    七五三親子三代ハイポーズ         関根幸子   焼芋や英字新聞羽織るなり         西村文子   新調はかんざしのみの七五三        奥村和子   陸奥や人里恋ふる熊颪           松谷栄喜    着飾りし家族の笑顔七五三        佐々木賢二    石蕗咲けり家主不在の庭の隅        渡邉弘子    落葉踊る色を楽しむ人のいて        武田道代   木枯しや逢える日にこそ媼の遊び      大井恒行  次回は12月26日(金)、兼題は「枯草」。 ★閑話休題・・佐藤幸子「数学の好きな姉切る西瓜かな」(現代俳句協会主催「図書館ポスト8月選句結果」)・・         図書館俳句ポスト8月の選句結果(選者は、太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄)に、「吾亦紅句会」から2名、髙松図書館から入選しているので以下に紹介しておきたい。    数学の好きな姉切る西瓜かな         佐藤幸子    残業の屋上からの遠花火           田村明通            鈴木純一「この世界予定調和で悪かったな」↑  

「週刊文春」・・俳句大募集!締め切りせまる!選者は、大井恒行!・・・

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  「週刊文春」年末恒例企画! 俳句大募集! あなたの俳句で「週刊文春」の誌面を飾ってみませんか? ■募集要項 自作未発表、葉書一枚に3句まで。(応募作は健脚無し。 締め切ちは12月1日、葉書必着。 ネットからは、投句フォームがあります 12 月 1 日(月)夜中 23 : 59 まで受付ますので、 https://bunshun.jp/articles/-/82970 まだまだ間に合います。奮ってご応募下さい。 発売は12月25日発売号、句が掲載された方には掲載誌謹呈!

大井恒行「雪遣い雪野の兎さまよえる」(「俳句」12月号)・・

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  「俳句」12月号(発行角川文化振興財団/発売KADOKAWA)、特集は「遠景と近景」。執筆陣は能村研三「総論『景』の多角性/誠実な写生精神」、各論に西山睦「遠景を詠む醍醐味」、久保純夫「限定されない、できない景として」、髙田正子「遠景の次元」、今井肖子「近景からはじまる」、福永法弘「近景ー二人の作家に寄せて」、網野月を「視覚的近景は最も遠い」、今井聖「飯田龍太の『距離』」、四ッ谷龍「『遠景近景』から『レイヤー』へ」。連載に、青木亮人「小林秀雄の眼と俳句 第21回」、角谷昌子「俳句の水脈・血脈ーー平成・令和に逝った星々/第54回・斎藤夏風」、井上泰至「現代俳句時評 最終回/虚子生誕百五十年と昭和百年」、坂口昌弘「蛇笏賞の歴史ーその作品と受賞理由を読む・第36回 最終回/脱俗仙境に遊ぶ隠者―-相生垣瓜人」など。  ともあれ、以下に、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    身のどこか荒ぶカンナの緋なりけり         正木ゆう子    花火の彩・炸裂いま我生きてをり           鈴木貞雄    断層の炎が走る冬の山                対馬康子    ラフランス「みだぐなす」とは醜女 (ぶす) のこと   細谷喨々    雪晴や挑まねば老い容赦なし            柴田左知子    枯れ芒靡くではなくなびかせる            秋尾 敏     百才は蝶を百回見たさうな              柿本多映    冬麗の野や止めどなき牛の尿             遠山陽子    冬銀河一詩に一志ありぬべし             中里麦外   冬木立かはたれは耳敏くなる             坂本宮尾    どうしても舌でてしまふ七五三            千野千佳    口切や心新たに備へ居る               小川晴子    ブーゲンビリアの子になる神のしっぽかな       大井恒行    母の日やウクライナに母ガザに母          笹本千賀子    ポケットが手を恋しがる冬隣             森岡正作    悠々も自適も無縁鰯雲                白濱一羊    てにをはのてにてをとって冬に入る          中内亮玄   星月夜玻璃の器のやうな宙 (そら)         窪田...

山口誓子「八田木枯幕営せずに津へ帰る」(『生誕百年 八田木枯戦中戦後私史』より)・・

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 『生誕百年 八田木枯戦中戦後私史』(晩紅発行所)、インタビュー編は聞き手に藺草慶子。対談編には、)八田木枯×うさみとしお。その他、八田木枯自選百句、西村麒麟選「八田木枯百句」、エッセイに藺草慶子「身におぼえなき光」、)西村麒麟「百年目の木枯」、八田夕刈「百歳の父の貌」など。その対談編の中に、 (前略)としお  あの夜は松崎豊さんはいませんでしたね。 木枯  松崎さんが加われば、俄然座が盛り上がり、色めき立ちます。三橋さんは松崎さんに一目置いておりました。書画骨董、歌舞音曲、これらは松崎さんの独擅場です。猥談もまた一流というべき人でした。猥談も二流三流までありますから……。ともかく面白い話はたくさんあります。 としお  あなたと会うと言えば、まず深川でした。東京で私がいちばん縁の深いところは深川ですよ。 木枯  深川は私のホームグランドですから……。三橋敏雄、松崎豊、うさみとしお、八田木枯と揃うと、泥鰌鍋で始まり、お座敷で松崎さんの芸を見るのが愉しみでした。 (中略) 茶屋で歌仙を巻くなんて、松崎さんの世界ですね。久保田万太郎の馴染みの芸者、といっても当時八十を過ぎていた女ですが、その飲みっぷりのいいのに驚いたことや、苦労人の話は骨に沁みますね。万太郎師匠の裏話は活字に出来ない話ですがね。 としお  江戸は下町情緒の世界ですね。    そういえば、攝津幸彦は蕪村の軸や短冊を集めていて、ある日、それらを松崎さんにみせたら、ほとんどが偽物だった、と笑って話していたのを覚えている。松崎さんは晩年咽頭がんの手術をされてからは機械で会話をされていたのを思いだす。それと愚生が思いだすのは、第一期の八田木枯主催の花見の宴「花筵雨情」の市ヶ谷土手だ。三橋敏雄、亀田虎童子、松崎豊も健在だった。  ともあれ、木枯自選百句から、いくつかの句を以下に挙げておこう。   汗の馬なほ汗をかくしづかなり         木枯    汗の馬芒のなかに鏡なす   洗ひ髪身におぼえなき光ばかり   天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし   手をつなぎながらはぐれし初夜 (そや) の雁   あを揚羽母をてごめの日のくれは   家ごとに母はひとりや春の水   さかりにも戦死ざかりや花ざかり   思はねば何一つなし浮き氷   鳥は鳥にまぎれて永き日なりけり   天袋よりおぼろ夜をとり出しぬ   さざ波はか...

大井恒行「木と石とあつめてわたし暗くいる」(『昭和俳句作品年表(戦後編Ⅱ/昭和46年~64年)』より)・・

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 『昭和俳句作品年表(戦後編Ⅱ/昭和46年~64年)』(現代俳句協会)、その帯の背には「戦後俳句作品年表完結!」とあり、表帯には、  円熟から新風へ/高度成長の余熱から平成前夜までの俳句を網羅‥‥堀田季何  解説は、川名大「 『戦後派』俳人の円熟から『戦後世代』俳人の新風へ 」、高野ムツオ 「はじめに 」には、  (前略) 『昭和俳句作品年表 戦前・戦中編」が完成したのは、平成二十六年(二〇一四)、『昭和俳句作品年表 戦後編Ⅱ』(昭和四十六年〈1971〉~昭和六十三年〈一九八八〉)と合わせて昭和全期に渡る主要な俳句を網羅した年表三部作がようやく完成したことになる。企画発足以来、実に十八年の長い歳月を要した。  とあり、また、中村和弘「おわりに」には、 (前略)今回の「戦後篇Ⅱ」をもって『昭和俳句作品年表』三部作の完結となるが、前二巻と比べるとこの度の「戦後編Ⅱ」は、最も難事業だったのではないかと思う。それはこの時代(昭和四十六年~昭和六十四年』に作品の評価があまり定まっていないことによる。この 時代の膨大な俳句作品を収集し、編纂員会全員で秀句を洗い出すようにして選ぶ。まさに気の遠くなるような作業である。選考委員各々の選句眼も異なり、それをどのように統一していくか。「戦後篇」の宮坂静生の「はじめに」にあるように「編纂委員はそれぞれ俳句観、選句眼を異にするため、選集委員の過半数が佳句として推したものは原則として収録し、過半数に満たないものでも強く推す句であれば吟味し採択を決定した」とある。おそらくこれ以上の妥当な方法はないであろう。(中略)  この『昭和俳句作品年表』を自由に読み活用していただきたい。  最後に『昭和俳句作品年表』の完成をみることなく亡くなられた村井和一氏、大畑等氏に哀悼の意を表すとともに、長年にわたり編集に携わってきた編集委員の皆様に心より感謝申し上げます。  とあった。本ブログでは、「豈」同人であった俳人を中心にして、本集に収録された句を挙げておきたい。    打ちのこす釘の頭や冬の空        白木 忠(昭和47年)   泳ぎ終へしわが脂浮く中の姉       大屋達治(昭和48年)    美術展はじめに唇を処刑せり         〃 (  〃  )   酒ちかく鶴ゐる津軽明りかな         〃  ( 〃 )    男根担ぎ仏壇...

攝津幸彦「糸電話古人の秋につながりぬ」(「俳句四季」12月号より)・・

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「俳句四季」12月号(東京四季出版)、その記事なかの、佐藤りえ「LEGEND/私の源流・攝津幸彦」が3回の連載で完結した。その 文中に、 ( 前略) 平成八年一月、幸彦は、同人誌「恒信風」のロングインタビューを受ける。小学館の編集者(当時)村井康司が起こした同誌は、小林恭二、三橋敏雄、岸本尚毅、澤好摩など独特な人選のロングインタビューを掲載する。パソコン通信から始まったユニークな俳誌である。記事翌二月発行の「恒信風」第三号に掲載された。幸彦はフランクに、自身の来し方から俳句に対する根本的な考え方までを縦横に語った。  いちばん難しい俳句っていうのは、なにかを書き取ろうとして、実は無意味である、しかしなにかがある、みたいな俳句だろうと 思っているわけです。  (前略)僕はやっぱり現代俳句は文学でありたいな、という感じがあります。(中略)読み返すたびに新しいなにかが見いだされて、その底にある種の悲しみとか、あるいは毒ですね、そういうものがないとあまり書く意味はないんじゃないかと。                         (「恒信 風」インタビュー『俳句幻景』)  平成六年の平凡社「太陽」では「高邁なチャカシ、つまり静かな談林といったところを狙っている」とも述べている。幸彦の俳句観「意味」を拒絶した出発点から、いつしか俳諧へと直に繋がる境地へと歩を進めつつあった。 (中略)  第一句集とはその俳人の作家性が特に顕著に表れるものではないか、と常々思うものであるが、幸彦の場合、残された句集のどれにおいても、驚くべき一句、子規風に言えば「印象明瞭」な一句を発見することができる。それはとてつもないことなのではないか。そのとてつもなさが、未だよく解明されてはいない。  とあった。ともあれ、文中の幸彦の句のいくつかを挙げておこう。    ひんやりとしゆりんと朱夏の宇宙駅       幸彦    雪の日の戦後に生れて以後も戦後   チェルノブイリの無口の人と卵食ふ    春ショール春の波止場に来て帰る   南国に死して御恩のみなみかぜ   階段を濡らして晝が来てゐたり   国家よりワタクシ大事さくらんぼ   露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな   山桜見事な脇のさびしさよ ★閑話休題・・佐藤りえ『玻璃玻璃日記』(文藝豆本ぽっぺん堂)・・  佐藤りえの写真集の冒頭に、   骨董市や中古...

井上昭子「山寺や檀家総出の吊し柿」(第72回三鷹市市民文化祭俳句会「文化祭賞」)・・

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   去る11月9日(日)、第72回三鷹市市民文化祭俳句会(於:三鷹市中央防災公園・元気創造プラザ)が開催され、その俳句会会報(発行人・根岸操)が届いた。選者は津久井紀代氏と愚生。以下に、いくつかの句を挙げておこう。  【特選】   天高し君骨片となり地に帰すか      佐藤マリ        ぶどう買ふ房の重さを掌にはかり     谷口一郎        片づかぬ机上のメモや秋あつし      西條 訓  【佳作】   ガザの子や繃帯の手で揚げる凧      横森茂樹        かいぼりや楽しげな子等泥だらけ     杉浦洋子        写経して心解かれる涼しさよ       金子圭一        鶏頭の数のゆかしき子規の庭       深沢矩子        海風を包んで閉じる白日傘       齋藤えり子        先を行く母は逃げ水抜けてをり      山口明子  その他、愚生の選んだ入選句と合わせて、いくつかを…        立ち漕ぎの少年の息冬に入る       柴田幸子        カタツムリあちらこちらにVサイン    黒沢園子        ひそやかに老いは来るものいわし雲    三矢惠啓        「マイウエイ」の同窓会の秋の宵     大門由紀子          温めるも冷ますも母の息白し       加藤祐子        囀りの杜に囲まれカフェテラス      大島寛治        終戦日芋でつないだ我が命        大貫久和        ぴかぴかのなすびお代は缶カンへ    齋藤えり子  ★閑話休題・・第20回池袋モンパルナス回遊美術館/江戸川乱歩オマージュ絵画展「幻影城」(於:東武百貨店池袋店6F一番地画廊)11月20日(木)~26日(水) 最終日は午後5時終了・・・                 有賀眞澄「うぇ態」↑  展示作品は、 赤錦 「The Twin」、 有賀眞澄 「うぇ態」、 井関周 「マグダラのマリア」 榎俊幸 「黄金豹」、 北見隆 「幻の塔」、 清田範男 「バベルーGの手」、 恋月姫 「夢の渚」「夜に歌う」、 清水真理 「盲獣」、 須川まきこ 「Hope」、 立石修志 「幻想建築術」、 田口淳子 「幽麗塔~彼女の数奇な運命~」、 鳥飼規世 「Ghost」、 樋上公実子 「夕暮れ...

佐藤弓生「一瞬の百年 冬の稲妻(いなずま)がやがて虚空にもどりゆくまで」(『歌画集 花やゆうれい』)・・

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  佐藤弓生短歌/町田尚子画 歌画集『花やゆうれい』(ほるぷ出版)、構成は第一章「花やゆうれい」、第二章「隙間の向こう」、第三章「かげにひげ」、第四章「ここは雪です」、第五章「夜と毛糸玉」、第六章「一瞬の百年」。  本歌画集より、歌のみになるが、いくつかの歌を以下に挙げておこう。   花と死と花でない死と分けながら いいえ、誰もがいずれゆうれい   弓生  のみならずきっと銀河も越えてきた今夜の雲はつばめのかたち     どこにでも入ってゆける猫だから爪あとほどの夜の隙間へ  透かし見る夏のひかりは砕かれて黒いリネンの隙間の向こう  おくれ毛がうるさい夜は火星にも風吹く夜か いのち減る夜    パンジーのはなびらほどのあしあとの光って、消えて、―-やがて、あけがた  吹けよ風 からだが涸 (か) れてしまうまでかなしいことを泣いてしまえよ     しらほねのにおいがします春の午後あるじのいない明るい部屋は  夕あかり汚れるままに 水を汲む この世からしか汲めない水を     佐藤弓生(さとう・ゆみお) 1964年、石川県生まれ。  町田尚子(まちだ・なおこ) 1968年、東京都生まれ。 ★閑話休題・・武藤幹「同齢の幹に手を置く冬日和」(第74回「ことごと句会」)・・   11月22日(土)は、第74回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿3丁目店)だった。 兼題は「幹」。以下に一人一句を挙げておこう。    大根の白喋り過ぎではないか          江良純雄    夏果てる鏡の中の嘘ひとつ           武藤 幹    王として去り行く際 (きわ) のシンフォニー   渡辺信子    日向ぼこゆるむゆんでを置き去りに      杉本青三郎    霜月の 幹の法身 (ほっしん)  百年樹     春風亭昇吉    青い沼から生えている幹 幹 幹        金田一剛    靴紐を結び直して秋麗             石原友夫    深爪をして冬夜の幹をあたためる        照井三余    逆らいたい風なら逆らう風見鶏         林ひとみ    翼竜の形に冬の流れ雲             渡邉樹音    侘助よ軍靴の音が聴こえぬか          村上直樹    形見分けすべてあげたい秋彼岸         杦森松一    橙に若干みだらな清純...

井上信子「国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ」(『十七音で戦争に抗した杉並の川柳人たちの群像』より)・・

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  十八世・平川柳著『十七音で戦争に抗した杉並の川柳人たちの群像/ー井上剣花坊・信子・鶴彬・鶴子の反戦平和川柳の足跡ー』(あけび書房)、帯の推薦文は二名、それには、   杉並には川柳おを通して平和を求め、戦争に抗した人々がこんなに大勢いらしたことに驚いたと同時に誇らしく思いました。川柳という普段とは違う視点からあの戦争を検証している意義深い一冊です。(岸本聡子 杉並区長)  長野の無言館のそばに「昭和俳句弾圧不忘の碑」があり、治安維持法違反とされた作品が刻まれている。多様な変化球で権力に抗ってきた川柳についても歴史を跡づける営みを待ち望んでいたが、本書はまさに待望の書である。(安斎育郎 立命館大学名誉教授)      とあり、「はじめに 井上剣花坊の『川柳人』―-百年の軌跡―-」には、  ニ〇ニ五年(令和七)年は、「治安維持法」制定から百年目の年です。  ちあんは一九二五年(大正十四)五月十二日に「普通選挙法」と同時に施行されました。  一九二八(昭和三)年二月、第一回の普通選挙でマルクス主義を実践する「日本共産党」のチラシが配布される事態を受け、三月十五日、一道三府二十七県におよぶ共産党員の大規模な検挙が断行されました。 (中略)   手と足をもいだ丸太にしてかへし     鶴彬 『川柳人』(第二八一号)にはこの鶴彬の代表句を含む六句の「反戦川柳」が掲載されました。この鶴彬の「反戦川柳」により「安寧 (アンネイ) 秩序を紊 (ミダ) スモノ」の罪で『川柳人』は発売禁止に処せられました。同年十二月三日、鶴彬は特高に治安維持法違反で検挙され、中野野方署に留置されました。(中略)  古川柳家の山路閑古は著書『古川柳』(岩波新書、一九六五年)の中で、「ふる雪」の「古川柳」を紹介し、「発句(ほっく)」(俳句)と「川柳」のリズムの違いを次のように説明していまあす。   リズムには、(略)耳に響き、心に感じられる音楽的リズムもあるが、それとはべつに、       知性を振動させる、声なき声のリズムというものがある。これを「内在律」というが、「古川柳」が詩として「発句」と対抗し得るのは、こうした「内在律」の面においてである。 (中略)  江戸時代の「俳諧」の「発句」は「花鳥諷詠」の文語定型の「短詩」ですが、「雑排」の「古川柳」は「人間諷詠」の切れない「内在律」の口語定型の...

山川桂子「苔寂びの古木の洞(うろ)の小春かな」(第47回「きすげ句会」)・・

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                11月29日(木)は、第47回「きすげ句会」の吟行だった。場所は、JR国分寺駅南口徒歩2分の殿ヶ谷戸庭園(髄宜園)・紅葉亭だった。紅葉は見ごろである。吟行句会の後は、駅近くで懇親会が行われた。  以下に一人一句を挙げておこう。    逆光の紅葉に吾が魂吸われたり         山川桂子    紅葉の山来し方の恋はなやぎし        久保田和代    ふらふらの蚊よ来て血を吸へ冬を越せ      濱 筆治    竹林の道冬の日差しと滝の音          井上芳子   何もないよいえいえ石碑が二百年        寺地千穂     雪吊りの向うに映える紅葉かな         清水正之    空青き庭にひっそり石蕗の花          新宅秀則    秋空や静寂の庭の残り花            杦森松一   馬頭観音かの湧水も紅葉して          大井恒行   次回は、12月18日(木)、府中市生涯学習センターで、兼題は「鍋」。        撮影・中西ひろ美「百歳の母に大きな冬が来る」↑

大井恒行「かたちないものもくずれるないの春」(塚越徹「ないの春」より)・・

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  塚越徹の便り「ないの春」は、愚生の句集『水月伝』に寄せられた評である。同封されたコピーには、詩人塚越徹(本名・高橋立男)のことが記されていた。それは、『吉本隆明全集』第38巻・書簡Ⅱ・Ⅲ(晶文社・2025年10月刊)の部分である。それには、1968年10月7日(月)の封書で高橋立男様/…吉本方 試行社)とあり、   前略/「試行」26号よりの予約領収証をお送りいたします。26号10月下旬刊の予定で進行しております。  さて「天皇制」の件です。/「天皇制」というコトバを、小生は「制度としての天皇」=「政治権力としての天皇」(旧憲法の「万世一系ノ天皇コレヲ統治ス」にあたるもの)という意味で考え、戦後崩壊したとかんがえています。ただ貴方の云われるようにそれですっきりするかというとそうでないことは確かです。  新憲法では、国民の統合の「象徴」としての天皇が規定されています (中略)   「象徴」までおちた天皇が、「制度」として復活することは、反動革命の成就以外にはありえませんから、一般的に戦後の政治権力を考察する場合にまったく問題にしなくてよいとおもいまあす。  小生もべつにスッキリしているわけではありませんから、相当に固執するわけですが、政治権力を問題にするかぎり考慮しなくてよいのではないでしょうか。                                     吉本 拝  髙橋様  (中略) (註2)高橋立男は、『試行』第一八号の頃、田端の著者宅へ直接講読の申し込みに行ったが、講読継続に際して、「天皇制」について質問を発した。その後、『われらの内なる反国家』に文章を寄せたり、私家版詩集『浅い眠り』を出したが、筆を折ったという。  とあった。ところで「ないの春」評を以下に紹介したい。    かたちないものもくずれるないの春     大井恒行  「形のないもの」と云えば、それこそ「形而上」ということだが、それが「くずれる」と云うことは、たとえば (・・・・)   私の年少の友人から「妄想がある。」と云われたことがある。その一言で深刻さはすぐ分った。  この句は、そのようなきびしい場面を思い描いたものではないかもしれない。  私には、この句の下敷きとなった句がある。   階段が無くて海鼠 (ナマコ) の日...

谷村しげを「芒にくすぐられ猫が出た」(『一人百句(イチニンヒャック)yellow』)・・

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   谷村しげを句集『一人百句(イチニンヒャック)yellow』(私家版)、その巻末に、 (前略) 俳句をはじめて十年になる。この世界では洟たれ小僧だが、この間に七冊の句集を出せたのは随分ありがたい。これも椌椌・OKAMO・後藤さんをはじめとする多くの友人たちの贔屓のおかげだ。本当に感謝感謝。  で、この手の「あとがき」はこの辺にして、この「イエロー」にも入選?した句に解説を付けて、お茶を濁します。 (中略)     雲が歩いてる おだやかおだやか  昨年十一月に亡くなったYさんの最初で最後の句集『花を抱いて会いにいく』が届いた。「ほんとうはあちら と思う道しるべ」「伝銀板 カサとおきました かえります」「後ろ手を組んでやさしい傍観者」などなど。なんてオシャレな句だろうか。軽い嫉妬。ただただ感服です。そして合掌。  とあった。 他刊にいただいた一年に一冊『一人百句』のレッド版(2022年刊)、グリーン版(2023年刊)、ブルー版(2024年刊)、それぞれ、中村彰一「刊行に寄せて/百の情景をめぐって」、南椌椌「『一人百句グリーン』はわからない」、増田育三「谷村氏のこと」の跋文が寄せられている。  ともあれ、愚生は、最近刊行のイエロー版からのみ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    天気が動かないそっと窓あける       しげを    しいんしいん気圧の音する      鳥が飛んでゐる空の手柄だ   つくってもつくっても風になり   子供は只一つのジャンルだ   漢字が平かなに見える春になり   ゆうれいがひらかなでよかった風まかせ   墓石を数えてゆけば日暮れなり   紅葉手がそっと大人をつかんでる   屋上のあるヒトになりたい空見てる   天と地と時雨でつなぐ寒さかな   出口のない寒さが冬の自慢だ      谷村しげを(たにむら・しげを) 1950年、東京都渋谷区生まれ。   撮影・芽夢野うのき「手毬つきつつ門に入りゆく鬼の子よ」↑  

森山光章「永劫に転生する我(・)、〔許しはしない〕」(『咒禱』)・・

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 森山光章句集『咒禱』(不虚舎)、その「後記」には、   句集『咒禱』は、〔狂気と悪意と暴力〕の言説 (・・) である。  〔一万篇以上の唱題〕のなかで、涴 (か) いた。〔終わり〕の闇 (・) に、  〔終わり〕がわたしを呼んでいた (・・・・・・・・・) 。〔諾 (ダー) !〕。   とあった。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう(原句は、旧正字体)。   〔国体〕の 守護を祈念する 「提婆達多 (わたし) (文殊)」は、〔終わり〕を 痙攣する      〔詩は死なり (そうかもしれない〕 〕、宗教と同体する詩的行為(だいじです)、〔終わり〕を観想する  ユダヤの「狂気 (いいのよ) 」に回春する (・・・・) 、 統合失調症の 夜 (・)   自死 (とうぜん) するツェラン、 ユダ公のお為ごかしの 夜 (・)  〔棄教 (ころ) びなさい〕 、 沈黙の夜に顕現する  神(合格です)  〔ユダヤによるユダヤ人の虐殺〕、いつもの豚さがりの夜 (・)  勤行唱題をしない 「創価学会員」に、仏罰を与える 森山光章の夜  〔咒禱〕―- 刻むべきは、 ユダヤ「お前だ 」(そうかもしれない)   〔彼方と生成〕の構造 (・・) を思念する、冨岡和秀氏、 シュプレヒコールを送る  〔刑死した〕 人麻呂と道真、 〔祟らなければならない〕   イスラエルとハマスは野合 (おなかま) で 虐殺する、 快楽 (いいですね) の夜 (・)  いつもながらの 「有季定型 (かんがえちがい) 」を 筑紫磐井する、 御為倒 (おためごか) しの 夜さがり  同性愛の恋唄を高山れおなする、 エリートの夜さがり (・・・・・・・・・)  〔悪魔ごっこ〕する 参政党、 (いつもながらの) ユダヤの夜さがり   〔自死念慮〕 に耐え 、〔冥土〕 より出立する、 「刃 (やいば)」 は 血濡れている 森山光章(もりやま・みつあき) 1952年、福岡県生まれ。        撮影・中西ひろ美「紅葉す神無し月の色として」↑