井上信子「国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ」(『十七音で戦争に抗した杉並の川柳人たちの群像』より)・・


  十八世・平川柳著『十七音で戦争に抗した杉並の川柳人たちの群像/ー井上剣花坊・信子・鶴彬・鶴子の反戦平和川柳の足跡ー』(あけび書房)、帯の推薦文は二名、それには、


 杉並には川柳おを通して平和を求め、戦争に抗した人々がこんなに大勢いらしたことに驚いたと同時に誇らしく思いました。川柳という普段とは違う視点からあの戦争を検証している意義深い一冊です。(岸本聡子 杉並区長)

 長野の無言館のそばに「昭和俳句弾圧不忘の碑」があり、治安維持法違反とされた作品が刻まれている。多様な変化球で権力に抗ってきた川柳についても歴史を跡づける営みを待ち望んでいたが、本書はまさに待望の書である。(安斎育郎 立命館大学名誉教授)

  

 とあり、「はじめに 井上剣花坊の『川柳人』―-百年の軌跡―-」には、


 ニ〇ニ五年(令和七)年は、「治安維持法」制定から百年目の年です。

 ちあんは一九二五年(大正十四)五月十二日に「普通選挙法」と同時に施行されました。

 一九二八(昭和三)年二月、第一回の普通選挙でマルクス主義を実践する「日本共産党」のチラシが配布される事態を受け、三月十五日、一道三府二十七県におよぶ共産党員の大規模な検挙が断行されました。(中略)

  手と足をもいだ丸太にしてかへし     鶴彬

『川柳人』(第二八一号)にはこの鶴彬の代表句を含む六句の「反戦川柳」が掲載されました。この鶴彬の「反戦川柳」により「安寧(アンネイ)秩序を紊(ミダ)スモノ」の罪で『川柳人』は発売禁止に処せられました。同年十二月三日、鶴彬は特高に治安維持法違反で検挙され、中野野方署に留置されました。(中略)

 古川柳家の山路閑古は著書『古川柳』(岩波新書、一九六五年)の中で、「ふる雪」の「古川柳」を紹介し、「発句(ほっく)」(俳句)と「川柳」のリズムの違いを次のように説明していまあす。


  リズムには、(略)耳に響き、心に感じられる音楽的リズムもあるが、それとはべつに、       知性を振動させる、声なき声のリズムというものがある。これを「内在律」というが、「古川柳」が詩として「発句」と対抗し得るのは、こうした「内在律」の面においてである。(中略)


 江戸時代の「俳諧」の「発句」は「花鳥諷詠」の文語定型の「短詩」ですが、「雑排」の「古川柳」は「人間諷詠」の切れない「内在律」の口語定型の短詩文芸なのです。


 とあった。ともぁれ、以下に、本書より、いくつかの句を挙げておこう。


  川柳と号す其の他に伝はなし         井上剣花坊

  金魚鉢かきまはしたい気にもなり        浅井五葉

  手鏡の裏を返せば浪がある           川上日車

  運命と一緒に下駄をぬいで行き        木村半文銭

  子よ妻よばらばらになれば浄土なり       麻生路郎

  河童起(た)ちあがると青い雫(しずく)る 川上三太郎

  生きやうか死なうか生きよ春朧(おぼろ)     雉子郎

  核廃絶叫ぶ田螺も泥の中            佐藤岳俊

  雑巾を持って集まれ 空がよごれてる      根岸川柳

  居眠りのマリアカラスは紅葉す         脇屋川柳

  雪の母乳だよ 戦場の墓標           青田川柳

  少年に託す 海に足跡をつけろ         石川蝶平

  水晶の夜ルにユダヤの曼殊沙華          平川柳



     撮影・芽夢野うのき「あっけなく万物は死ぬ鳥も花も」↑

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