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塚本邦雄「わかものの臀緊れるを抒情詩のきはみにおきて夏あさきかな」(『巨大な夕焼/三島由紀夫の芸術と死』より』・・

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 山内由紀人著『巨大な夕焼/三島由紀夫の芸術と死』(河出書房新社)、帯の惹句には、   三島由紀夫生誕100年!「芸術というのは巨大な夕焼けです。」  存在のすべてを賭けて〈作品〉とし、自らを芸術に捧げた三島由紀夫のいのちの痕跡 とあり、本書の「まえがき」には、  本書は。私がニ〇〇〇年から二〇二四年まで二十五年にわたって発表した三島由紀夫論を一冊にまとめたものである。(中略)それは、十六歳の時に〈三島由紀夫〉という筆名で誕生した小説家が、その後三十年近く華々しい創作活動をしたのち、なぜ四十五歳という年齢で自死を選んだのかということいである。しかもその死は、「盾の会」という民兵隊を結成し、その会員四名とともに市ヶ谷駐屯地において蹶起し、バルコニーでの演説後に割腹するという衝撃的な絶命だった。私は、その死に至るまでの、三島の内面で起きた精神のドラマを知りたいと思った。  そのために、創作のジャンルや作品にこだわらず、三島の生きた時代、その生き方なども大きく視野に入れて論じる方法をとっている。三島由紀夫を小説家というだけでなく、むしろ一人の芸術家として、そのいのちの痕跡を追究したと言いかえてもいい。 とあった。そして「あとがき」には、   「芸術というのは巨大な夕焼です」という三島の『暁の寺』冒頭に出てくる言葉が、高橋たか子の長編小説『亡命者』の中で「作中で一人の人物に言わせていた言葉」として引用されていることに、私は長く気づかずにいた。 (中略) 長い間、この二人を重ねて論じるということは思いもしなかったが、二〇二一年より配信された『高橋和巳・高橋たか子全集』(小学館)の、たか子全十二巻の解説・解題を執筆したときに、あらためてたか子が三島に言及している文章にふれ、強く刺激をうけた。いつか三島とたか子という二人の作家をテーマにして書きたいと思うようになった。それが三島の生誕百年・没後五十五年の今、「巨大な夕焼」という言葉に導かれて一冊の論集になったことに、ふしぎな感慨を覚える。それはおそらく書くことの力であり、文芸批評の力なのである。  とあった。ブログタイトルにした塚本邦雄の短歌は、本書の「三島由紀夫と短歌 塚本邦雄と春日井建」からの引用である。  ところで、愚生には、山内由紀人とはいくつかの思い出がある。彼に最初に出会ったのは、愚生の勤務先であった弘英堂書店...

北大路翼「キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事」(「牧」2025年夏号 NO.22より)・・

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 「牧」2025年夏号 NO.22(牧の会)、「木村晋介の編集長対談/北大路翼の巻 最終回」の中に、 木村 二〇二二年十月、アウトロー俳句の拠点歌舞伎町にあった「屍派」を解散、その翌月には、「天使の涎」を設立、その溜まり場として高円寺に「俳句サロンりぼん」を開設となるわけですね。 (中略) 木村 定款には「新しい時代が生れた瞬間を世界と共有する」とあります。デジタル時代の座の文芸ということですかね。 (中略) 檀 ハイブリッドで句会を運営することで、遠方の人も同じレベルで参加できますし、YouTubeでライブ配信することもできる。 翼 病床から投句してくる会員もいます。それと、ヴァ―チャルリアリティ句会も始めています。僕も初めて参加しましたけど、ゴーグルつけて仮想空間の吟行もできます。 木村 定款に人間の探求とありますね。 翼 僕は人間探求派の生き残りだからね。楸邨イズムの正統伝承者だと勝手に思ってます。 (中略) 人間探求派の継承は、同時に、立川談志の「業の肯定」の承継でもあるんです。(中略)そして談志は最終的にはナンセンスにいきついた。だから俳句も、もっとどんどんナンセンスな方に行けばいいと思ってる。センスがないとナンセンスがわからない。究極の命題だと思います。 (中略)  僕たちは、季語といわずに季感といっています。歳時記に載っていなくても、句の全体のj雰囲気からして、季節感があればそれでOKということで。  とあった。他に第一回「『牧』俳句コンクール」の発表があり、「牧賞」には、小泉瀬衣子「地球ご」、奨励賞に庄子紅子「いつか月に」、田中秋明「光と影」、佳作に高鍋眞木子「大地の恵み」、波切虹洋「日向ぼこ」、深江久美子「戯言の日々」が選ばれている。    地球ごと壊してしまへ西瓜割         小泉瀬衣子    いつか月になりたき水母発光す         庄子紅子   あまつぶの光をならべ冬木の芽         田中秋明    白菜や割かれて息を吹き返す         高鍋眞木子    にんげんを壊してしまふほど長閑        波切虹洋    トランプもプーチンも着るコート       深江久美子  巻頭エッセイは仲寒蟬「大牧広の昭和・平成21/『正眼』」。さらに田中秋明「季語を旅する9/『涼し』」など。ともあれ、本誌本号より、くつかの句を...

前田霧人「どうしようもない私は滝になる」(『新歳時記通信/歳時記篇』より)・・

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 前田霧人著『新歳時記通信/歳時記篇』(コールサック社)、宮坂静生の帯文には、  明治以来の歳時記の枠組、時候、天文、地理を季節の暦を軸に天地と気象に再編。大胆にして細心。季題の解説も古今の文献を正確に踏まえ、かつ現代感覚に富む。 俳人であり地球物理学者十六年の労作。わくわくする快著である。  とある。また、前田霧人の序には、 (前略) その特徴は次の四つで、第一に暦学的、第二に文献的、第三に科学的に綿密な検証を行い、第四に常に読者を念頭に(書手にとって)必要で、(読者にとって)十分な記述を心がけたこといである。  第一の暦学的にでは、令和の現在になっても明治の福沢諭吉著『改暦弁』の誤謬を引きずる歳時記の世界を正すために、暦の成り立ちから筆を起こし、旧暦(太陰太陽暦』とは何か、 新暦(太陽暦)とは何か、新暦に基づく歳時記とは何かを明確にし、その季節区分の骨格を為す二十四節気七十二候の成り立ちと役割を明示した。  第二の文献的にでは、尾形仂、山本健吉始め先人の成果を踏まえながらも、独自の新たな視点で全面的に再考証を行い、主要文献、主要歳時記・連歌俳論書、あわせて一千余の文献を駆使し、一切の孫引きを廃した原典主義を貫くと共に、全ての引用文の原典と所収文献を明示し、和漢の古文献には簡単な解題を施した。  とあった。ここに、これまでの歳時記の記述の誤りには、いちいちの言及があり、愚生らは、その恩恵にあずかることができる幸運を得た。愚生もまた図書館に蔵書のリクエストをしたいと思っている。大冊である。    ブログタイトルにした滝の句には、「(一)解説」の部分の「②連歌・俳諧・俳句」の(h )に、   『俳諧例句新撰歳時記(増補版)』(大正五)  筆者注索引の夏の部に〈滝〉記載されるが、本文になく、この記載漏れは大正一四年〈五十七版〉に至るも解消されていない。 (中略)   『万葉集』に〈滝(たき)〉と言っているのは、今いう滝ではなく、奔湍(ほんたん)(早瀬(はやせ))である。動詞〈たぎつ〉は水が急湍(きゅうたん)(流れの速い浅瀬)をなす意味である。今言う滝は、万葉時代には〈垂水(たるみ)〉と言った。  とあり、例句に、以下の句があった(掲載句すべてではない)。    滝の上に水現れて落ちにけり        後藤夜半    空を掴 (つか) み引き...

水野真由美「木々芽吹く音のうしろに水祀る」(「鬣 TATEGAMI」第95号)・・

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 「鬣 TATEGAMI」第95号(鬣の会)、本号の特集は「第23回鬣俳句賞」と「『俳句ユネスコ無形文化遺産登録』推進の現在を読んで」。「鬣俳句賞」については、愚生の『水月伝』に関して、九里順子「大井恒行『水月伝』、『雪月花』を水に繋ぐ」で、見開き2ページを費やして、実に精緻な評をしていただいている(深謝!!)。他の二者の受賞句集の評も懇切丁寧で、林桂「伊藤政美句集『天王森集』評ー桃源郷創造」、深代響「松本勇二『風の民』小論ー精霊の沃野から」、この上ない名誉なことであろう。愚生のことで、恐縮だが、冒頭と結びの部分を紹介させていただきたい。   「水月」には、水に映る月影、すべては虚である、心に汚れがない。人間の急所 (みぞおち) 、水の月(水無月)とさまざまな意味がある。『水月伝』(ふらんす堂 二〇二四)の「あとがき」は、「尽忠のついに半ばや水の月」という句で締め括られているが、「忠君愛国」が道半ばというのは、反語なのか詠嘆なのか。句集タイトルの多義性とそれに呼応する「あとがき」の句は、季語の美意識を攪乱し、天皇制的規範から解き放とうとする大井の姿勢が打ち出されている。 (中略)   『水月伝』は、季語と真摯に向き合い、季語が一元的な花鳥諷詠に回収されることを拒み、私達が生きてきた・これからも生きていく時間の言葉に変えようとする営為なのである。  とあった。もう一つの特集「『俳句ユネスコ無形文化遺産登録』推進の現在を読んで」の論考は、九里順子「俳句の生きる場所」、外山一機「次の議論につなげるために」、関連するテーマに関わって、林桂「不首尾の理由の不首尾はー福田若之氏へ」、池田楠「前号批評/秘儀をひらく――『鬣 TATEGAMI 九四号』評」、大橋弘典「前号批評」が展開されている。いずれも真摯だ。ともあれ、以下に、本誌本号より、いくつかの句を挙げてこう。    どろどろと人を吐く駅昭和の日          日下部友奏   目が覚めてからが本当の春の夢           青木澄江      PK戦終わらず一日の日暮れ            中川伸一郎    グッドラック 銀河ではとてもたりない旅だ     外山一機   抱きしめてもとうめいな体温          西躰かずよし       戦塵 (せんぢん)    はるか   海 (うみ) の平 (たい) ...

中居由美「ふんと金魚ふふんと金魚翻る」(「子規新報」第2巻第106号より)・・

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 「子規新報」第2巻第106号(創風社出版・子規新報編集部)、特集は「中居由美の俳句」、中居由美30句の抄出は小西昭夫。寺村通信・小西昭夫の対談「中居由美の俳句」には、 小西 ぼくの俳句仲間は大抵の人がぼくより俳句がお上手ですが、その中でも中居由美さんはピカピカに上手な方です。十七文字の俳句のリズムをしっかり身に付けていらっしゃいます。だからといって、古い感じは全くしません。多く俳句は日常に根差していますが、ごく自然体で新しい世界を開いて見せてくれます。 (中略) 寺村 年譜を見ますと、中居さんは一九五八年のお生まれですね。宇和町で俳句を始められ、松山に戻られて夏井いつきさんのカルチャー教室を受講されています。その後、坪内さんの「船団」に参加されたのですね。 (中略) 小西 相変わらず平明で軽やかな句は健在ですが、平明さの中に深さを感じさせる句も増えています。   階段の上の階段春隣   せりなずな南斜面に仏の座 などそうですね。それから、ユーモアのある句も増えています。紙幅の都合で一句だけしか上げられませんが、   道徳心ありあんまんに肉まんに  はぼくの一番の愛唱句です。   とあった。他に、連載に、三宅やよい「動物アラカルト28 猿」、大廣典子「子規の風・子規からの風 83/子規の絵75」、神野紗希「俳句の技巧/第65回 意識の流れ④」、福田安典「続 驚きのえひめ古典史89 伊予の短冊収集」、宇田川寛之「となりの芝生ー短歌の現在188」、わたなべじゅんこ「母屋のひさしー俳句史の風景ー181」、森原直子「遠くの親戚ー現代詩への誘いー88」、堀本吟「近くの他人ー現代川柳論ー157」、青木亮人「時のうつろい、句の響き40/花蓮の林田村(下)、世良和夫「俳句こぼれ話56」など。ともあれ、本号より、いくつかの句を挙げておこう。   今日虹を見たこと草を踏んだこと       中居由美    青空を歩く職人花の昼            池田 毬    花芽葉芽握り拳の生命線          川島由紀子    ブランコに座れなければ大人です    キム・チャンヒ   末黒野の夜明けアーサークラーク忌       恋 衣    龍天に登るこの世をはみ出して        小西昭夫    ままごとのプリンかがやく春の土       杉山久子    新年へ中学校の時計台...

おおきせつか(大木雪香)「みぎみみも ひだりのみみも せみのこえ」(『ケンタくんのしらなかった』)・・

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  原案・しゅんちゃん/絵・まさきくん/制作・よっちゃん/文・おおきせつか『ケンタくんのしらなかった』(サンプロセス)。大木雪香の便りに、「 このたび2冊目の絵本が完成しましたので…(中略)次回第3巻では作画を新たな方にお願いし 俳句の心を大切にした絵本を目指す予定です 」と。また、大木雪香の編集後記には、 どうぶつむらシリーズの第2巻では、より「会話」重視の絵本を心掛けました。読み手と聞き手との会話にも繋がることを願っています。少しだけ俳句の要素も織り交ぜました。美しい日本語、しらべの心地よさを感じ、皆様の興味の範囲が広がりましたら、こんなうれしいこちはありません。  とあった。ともあれ。本文中に挿入されている句を、以下に挙げておこう。    はなすすき/きんのえのぐと/ぎんのしずく     みゆきばれ/やますみずみの/しんこききゅう   ほしまつり/みらいはいつも/むげんだい   大木雪香(おおき・せつか) 1973年、千葉県松戸市生まれ。     撮影・鈴木純一「ころもがへ世界が三で調和して」↑

藤岡巧「盲目となりし猫に手のひらの愛のチュールをそっと差しのべ」(「月光」89号より)・・

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 「月光」2025年2月、89号(月光の会・発売:晧星社)、特集の「旅」の扉には「言葉のみを持って、遠くへ行こう―ー大和志保」とあり、次の四首が掲げられている。  野にほそく長く静かに歌うものあれば月夜の伴侶と思え         鹿野 氷   宇宙より地球に旅し棲みつきシ生命のひとつぶの我を愛 (いと) しむ   大林明彦  戦後つ子の履き違へたる自由なり親をうつちやり旅への逃避      髙橋凛凛子   窃視 (モニタリング) せし情事目蓋に縫い閉じて夜 猥らけきおんなよにっぽん                                   大和志保  エッセイには山本茂「東ドイツーー独裁者のベッド」、足立尚計「橋本左内の旅」、大和志保「書かれた言葉たちとその身振りを巡って—ーあるいは砂漠、または『眼の旅』」、岡部隆志「東京荒都歌 荒廃した東京を過ぎる旅の歌」、渡邊浩史「伝蔵の背な」、福島泰樹「テロル、追憶への旅一 追憶は追憶を産み育み/追憶は又新しく追憶を生む!中浜哲」。  ブログタイトルにした「 盲目となりし猫に手のひらの愛のチュールをそっと差しのべ 」の藤岡巧は愚生の数十年前の知人で、労働組合の優秀なる活動家の一人として敬愛していた一人だ。その名と短歌を見つけたので、思わず懐かしくなってしまったのだ。健在とあれば、喜ばしい。確か、今は亡き冨士田元彦の雁書館から歌集を出されていた。ともあれ、以下に、本誌本号より、いくつかの歌を挙げさせていただく。    大正十二年一月、戸塚兵衛町にギロチン社設立  極東虚無黨総裁中濱鐡デアル組織ヲ嫌イ起チシ男ラ           福島泰樹  まつはれるものらはすべて流れゆき枯螳螂の動かざる朝         竹下洋一  夜通どうしの屋根打つ雨は秘めやかに声つまらせて泣く鳥のよう     藤岡 巧  轍さえ見えない道を走り出す滑るようにか祈るようにか         川崎秀三     美空ひばりも小林旭も都はるみも矢沢栄吉も松坂慶子も松田優作も…     みな朝鮮人やぞ、あほんだら!   キムチ臭いと泣かす奴らも泣く奴もしばきたくなる苦い苛立ち      凛 七星   陽だまりに紅 (あか) く椿は落ちだまる 逃るるすべのなき土( つち) の面 (も)                              ...

塚本邦雄「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」(「塚本邦雄研究の会」より)・・

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    本日、5月25日は、「没後20年記念 塚本邦雄研究会」(主催:玲瓏の会)が神保町出版クラブビルホールで開催された。「玲瓏」発行人・塚本靑史の挨拶の後、講演は川野里子「妙子&邦雄『幻想の重量』」、そのクロストークに川野里子×尾崎まゆみ。休憩を挟んで「映像で蘇る塚本邦雄『NHKビッグ対談 飯田龍太×塚本邦雄』」。  パネルディスカッションは進行に魚村晋太郎、パネラーに髙良真実&上篠翔。会の終わりの質疑応答で、参加していた藤原龍一郎がよどみなく応答し、その他、かねて知り合いの江田浩司や歌人の方々の発言を聞いてたら、突然、発言を促されてしまった(大いなる誤算・・・)。              塚本靑史↑   尾崎まゆみ×川野里子  それでも、実に何十年ぶりに、林和清に会えたのは嬉しかった。また、永島靖子さんも高齢ながら来られていた。ともあれ、会の内容は、濃密で、到底紹介しきれないので、レジメの中から、いくつかの歌を紹介しておきたい。  やぶれはてなほひたすらに生くる身のかなしみを刺す夕草雲雀      塚本邦雄  曼殊沙華のきりきりと咲く野に立てば身の底に湧く飢ゑもくれなゐ     〃   日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも         〃   かざし来し傘は盾かもしれぬこと気づきたるとき壊れてゐたり     佐藤モニカ   市 (いち) に嘆くイエスの孤独 いつさいを掃き淨めたりし憤怒を思ふ  大口玲子  われの身にわが血はめぐりあたらしき神話のごとき朝がきてをり    横山未来子   アダムの日記、イブの日記読みたったひとつの顔を洗った        大森静佳 上篠翔&髙良真実 魚村晋太郎↑  来年の研究会は京都開催だそうである。帰りのお土産にもったいなくも、塚本邦雄第12歌集『天變の書』(書肆季節社)をいただいた(深謝!)帰宅して開いてみたら、一首と書名入りだった。      撮影・中西ひろ美「約束の欠片のごとく君影草」↑

森山光章「虚構の(・・・)の/“日本“を/鞭打つ/悦楽の夜(・)」(「不虚(ふこ)」21号)・・

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  「不虚(ふこ)」21号(発行・編集 森山光章)、冒頭の「 更なる〔終わり〕へ 」の中に、    * 〔言之葉〕は、〔題目〕を一万篇 (・・・) 唱えないと、〔感応〕しない。通じない (・・・・) のだ。〔常住坐臥〕。〔御本尊〕と共にある (・・・・)。     *   〔詩人は、マイナーで本質的である〕しかない。それは〔義〕である。 (中略)    *  〔自分のために生きるとは、すでに(・・・)終わった〕。〔終わり〕だけが、ある。    *  〔ぼろぼろになる迄、頑張ったのか〕―—深き言葉 (・・・・) である。 (中略)    *  わたしは、個人誌「不虚」を「刊行」しつづけることが〔義〕である。    *  〔一切 (・・) は、題目 (・・) にある〕―—これが、〔覚智 (さとり) 〕の内実 (・・) である。その他には (・・・・・) 、何もない (・・・・) 。      彼の便りに、 「昨年の九月十日の夜、道路横断中、車にはねられ、十メートル飛ばされました。死ぬところでした。肩、肋骨、骨盤、恥骨、左足を骨折しました。死ぬところでした。三ヵ月で退院できました。元気です。普通に歩行しています。二月から、ボランティアも再開しています 」とあった。ご自愛祈念!!!   他に、詩篇の大森雄介「旅館」。エッセイに前田俊範「教員の働き方改革の究極は少人数学級の実現で」、森山光章「優しき『正論』」などがあった。ともあれ、本誌より、いくつかの作品を挙げておこう。    皇国の夢に淋しきもぐらかな          木戸葉三    待望の雨降り来れば赤白青の傘並びゆく梅雨の夕ぐれ    佐藤ミヨ子     九・一一は   人工地震なり   殲滅   のみがある                   森山光章  ★閑話休題・・大井恒行「俳句入門講座/~はじめての句会~」(於:東大和市立清原図書館)・・  本日、5月24日(土)は、大和市立清原図書館での一日限りの「俳句入門講座~はじめての句会~」だった。14時~16時まで2時間。10名の方が参加された。前半を「俳句とは何か?」という基礎的な講義編と、後半では、各自に自分の名前を詠み込んでいだいて、自己紹介俳句を作ってもらった。その余の時間は、図書館俳句ポストの今月末締め切りの兼題「柏餅」で、一句ずつ作っていただき、...

佐藤幸子「アメ横のせり出す露店夕薄暑」(第185回「吾亦紅句会」)・・

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 本日、5月23日(金)は、第185回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「柏餅」。 以下に一人一句を挙げておこう。    万緑やバックパッカー腕あらわ         西村文子    七匹を操るリード青嵐            折原ミチ子    自販機に名水並ぶ夏初め            佐藤幸子    柏餅ガザに供えへて鈴 (りん) 鳴らす      須﨑武尚    麦の秋三人席をひとつ空け           関根幸子   基地フェスの花火の爆音ガザの子や       渡邉弘子    能登の地や田植え始まる千枚田        佐々木賢二    熊注意切り株までが熊に見え          武田道代    子も孫も女ばかりや柏餅            松谷栄喜    杜若小顔の人に譲る径               田村明通    柏餅手土産にして長居かな           奥村和子    柏餅頂きもののおすそわけ           齋木和俊   雨傘に花びら乗って春は行く          笠井節子    万歩計歩数が増す増す京の夏         三枝美枝子    車窓開け薫風浴びる一人旅          村上さら   柏餅でてきて餅に笑窪かな           大井恒行  次回は、6月27日(金)、兼題は「雨蛙」。 ★閑話休題・・佐藤幸子「池の亀少し位置かえ冴返る」(「図書館俳句ポスト」2月選句結果)・・  「図書館俳句ポスト」2月(選者は太田うさぎ・岡田由季・寺澤一雄)の選句結果が、立川高松図書館に掲示されていて、吾亦紅句会の佐藤幸子と田村明通の両名が選に入っていた。    薄氷の影遊びをりバードバス         田村明通      撮影・芽夢野うのき「まなじりを押すゆび薄暑薄暑」↑

春風亭昇吉「リラの雨古き付箋を剥がしけり」(第69回「ことごと句会」)・・

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    第69回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)、兼題は「助」。句会の新メンバーに春風亭昇吉を迎えて、といっても、今回は欠席投句であったが、本句会初登場である。彼とは、コロナ前、TVプレバト出演以前には、村上直樹、石原友夫、武藤幹、愚生らとともに「遊句会」で研鑽を積んだ仲間である。ともあれ、以下に句を挙げておこう。    たんぽぽのぽぽぽぽぽぽぽポピュリズム      村上直樹    かまきりの助太刀できぬ定めかな         杦森松一    水底のふるさと叩く若葉雨            林ひとみ    補助輪を外す背中へ風薫る            江良純雄    筍を食べて背骨の真っ直ぐに           武藤 幹    米を研ぐ日常すこしずつ朧            渡邉樹音    寝坊助の夢を許せよ青あらし          春風亭昇吉    夏みかんだけは酸っぱくいておくれ        石原友夫   はつなつの補助線もたれすぎている       杉本青三郎    花崩す単3電池二本分歩く            金田一剛    滅多に流さぬ五月の心痛             照井三余    お役目で咲いて散るのも楽じゃない        渡辺信子    若葉寒ガマンに我慢の一心太助          大井恒行  その他、愚生が特選にした句、と面白いと思った句は、   助詞めくるめくかざくるまの回文          林ひとみ  雷神よプリーズ/プリーズ/ヘルプ/ガザ      村上直樹  である。次回は、6月21日(土)の予定。 ★閑話休題・・森澤程「吊革に青年眠る遅日かな」(「~ちょっと立ちどまって~2025・4」)・・  「~ちょっと立ちどまって~2025・4」は、森澤程・津髙里永子の二人のはがき通信である。    風呂敷を洗へば裂けて竹の秋         津髙里永子        撮影・中西ひろ美「走り梅雨本格までの道のりは」↑

金子敦「野遊びやイーハトーブへ続く道」(『ポケットの底』)・・

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   金子敦第7句集『ポケットの底』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、    僕は、九十四歳の父との二人暮らしである。父が元気なうちに、もう一冊句集を出しておきたいと思った。もちろん、父がこれからも元気で長生きしますように!という祈りをこめて。  そして、僕はパニック障害という病気を患っている。いちも得体の知れない何かに怯えつつ生きている。 (中略)   もしかしたら、僕は自分自身の心を癒すために、俳句を詠み続けているのかもしれない。俳句には、「心を癒す」という大きなパワーがあるような気がするのだ。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。   太筆と同じ重さの破魔矢かな         敦    水底に沈みたるまま浮いてこい   水平になれぬシーソー鳥雲に   水筒のちやぷんちやぷんと青き踏む   苗札の裏にも何か書かれあり   紙魚の這ふ画数多き旧字体   猫の尾に色なき風の絡まりぬ   チェシャ猫の前歯ずらりと秋の闇   振り向けば枯野が広くなつてゐる   涅槃図に透明な猫駆け回る   菜の花や戸板に舟の時刻表   蚊を打つて生命線に血の滲む   大花野どこにも出口なかりけり   小箱てふ異界へ戻る雛かな   白玉のどれもが少しいびつ   五色豆の箱の六角七五三   待春や赤き鯛抱く招き猫  金子敦(かねこ・あつし) 1959年、横浜市生まれ。     ★閑話休題・・「特別展・没後10年 作家 車谷長吉展」(於:姫路文学館北館 ~6月22日(日)まで)・・  「特別展 没後10年 作家 車谷長吉展(於:姫路文学館北館) ~6月22日(日)まで)。案内のリーフレットに、   平成の世に現れ、「最後の私小説作家」と呼ばれた姫路出身の直木賞作家・車谷長吉。その死からはや十年の時が経ちました。一語一語にこだわり抜いた鬼気迫る無二の文学世界は、今も多くのファンの心を揺さぶり続けています。(中略)  このほど、妻で詩人の高橋順子さんより、東京都文京区の終の住処「蟲息 (ちゅうそく)山 房」に作家が残した遺品が当館に一括寄贈されることとなりました。遺愛の品々に加え、蔵書は約千冊、ノートやメモ、原稿類は約五百点、書簡類は約二百点にのぼります。  本展では、これらの膨大な資料により、生真面目でわがままで臆病で虚栄心ばかり強かっ...

松本清張「北海に京をあえたるいもぼう哉」(「いもぼう平野家本店」にて)・・

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  愚生は、去る17日(土)に新幹線を乗り継いで、翌18日(日)に開催される「日本太極拳法一楽庵九州総支部45+2周年記念大会」(於:長崎県立総合体育館メインアリーナ)に参加するために、長崎入りし、演舞会を終わると、祝宴の会は辞して、18日(日)夕刻には、京都での用事のために、再び新幹線で乗り継いで上洛したのだった。   書肆山田の鈴木一民と実妹・妙淨のはからいで、大泉史世命日5月19日に合わせて、大井由美子(救仁郷由美子)の回向を知恩院でともにしていただいたのだ。  それが終わって、知恩院友禅苑をみて、「いもぼう平野家本店」にて会食。その入り口に、あったのが、ブログタイトルにした松本清張の挨拶句「 北海に京をあえたるのらぼう哉 」が色紙にして飾られてあったのだ。  久しぶりの京都での途中下車で、偶然の巡りあわせとはいえ、二条城で開催中の「アルゼルム・キーファー:ソラリス」展~6月22日(日)が開催されていたので、足を運んだのである。リーフレットには、  1945年3月にドイツで生まれたアンゼルム・キーファーは現代で最も重要なアーティストの一人です。彼にとってアジア最大規模となる本展では、33点の彫刻が二の丸御殿台所・御清所とその周辺の庭に展示されます。 (中略)  第二次世界大戦の終結と広島・長崎への原爆投下から80年を迎える本年、キーファーは本展を通して、人間はなぜ悲劇的な歴史を繰り返のかと問いかけています。  とあった。今夜はゆっくり休みます。       撮影・芽夢野うのき「聖五月道に垂直みどり濃し」↑