前田霧人「どうしようもない私は滝になる」(『新歳時記通信/歳時記篇』より)・・


 前田霧人著『新歳時記通信/歳時記篇』(コールサック社)、宮坂静生の帯文には、


 明治以来の歳時記の枠組、時候、天文、地理を季節の暦を軸に天地と気象に再編。大胆にして細心。季題の解説も古今の文献を正確に踏まえ、かつ現代感覚に富む。

俳人であり地球物理学者十六年の労作。わくわくする快著である。


 とある。また、前田霧人の序には、


(前略)その特徴は次の四つで、第一に暦学的、第二に文献的、第三に科学的に綿密な検証を行い、第四に常に読者を念頭に(書手にとって)必要で、(読者にとって)十分な記述を心がけたこといである。

 第一の暦学的にでは、令和の現在になっても明治の福沢諭吉著『改暦弁』の誤謬を引きずる歳時記の世界を正すために、暦の成り立ちから筆を起こし、旧暦(太陰太陽暦』とは何か、

新暦(太陽暦)とは何か、新暦に基づく歳時記とは何かを明確にし、その季節区分の骨格を為す二十四節気七十二候の成り立ちと役割を明示した。

 第二の文献的にでは、尾形仂、山本健吉始め先人の成果を踏まえながらも、独自の新たな視点で全面的に再考証を行い、主要文献、主要歳時記・連歌俳論書、あわせて一千余の文献を駆使し、一切の孫引きを廃した原典主義を貫くと共に、全ての引用文の原典と所収文献を明示し、和漢の古文献には簡単な解題を施した。


 とあった。ここに、これまでの歳時記の記述の誤りには、いちいちの言及があり、愚生らは、その恩恵にあずかることができる幸運を得た。愚生もまた図書館に蔵書のリクエストをしたいと思っている。大冊である。

   ブログタイトルにした滝の句には、「(一)解説」の部分の「②連歌・俳諧・俳句」の(h

)に、


 『俳諧例句新撰歳時記(増補版)』(大正五)

 筆者注索引の夏の部に〈滝〉記載されるが、本文になく、この記載漏れは大正一四年〈五十七版〉に至るも解消されていない。(中略)

 『万葉集』に〈滝(たき)〉と言っているのは、今いう滝ではなく、奔湍(ほんたん)(早瀬(はやせ))である。動詞〈たぎつ〉は水が急湍(きゅうたん)(流れの速い浅瀬)をなす意味である。今言う滝は、万葉時代には〈垂水(たるみ)〉と言った。


 とあり、例句に、以下の句があった(掲載句すべてではない)。


  滝の上に水現れて落ちにけり       後藤夜半

  空を掴(つか)み引きずり降ろす滝の水 高岡 修 

  滝落ちてこの世のものとなりにけり    曾根 毅

  うなずくからどんなに遠い滝だろう    福田若之

  千年の留守に瀑布を掛けておく      夏石番矢

  滝壺に滝活(い)けてある眺めかな    中原道夫

  手のひらに火照り女滝に触れてより   なつはづき

  いとさんが傘傾けし瀧見茶屋       筑紫磐井



 ★閑話休題・・前田霧人著『新歳時記通信/俳論篇』(コールサック社)・・


 筑紫磐井の帯文に、


  歳時記は人を惹きつける魔法の書。これに引き寄せられ迷宮に導かれた人は数知れない。

 こうした中で、前田霧人こそ未来の錬金術を究める最良の導士だ。この論書で、彼は求め訴える、エロイム・エッサイムと。


 とある。因みに主要目次を挙げておくと、


 一、俳句論 二、ホトトギス論 三、歳時記雑話 四、俳人の一句 五、篠原鳳作論 附録


また、前田霧人の序には、

 

 本書は不定期刊行の個人誌「新歳時記通信」を一冊にまとめた『新歳時記通信』(「俳論篇」、「歳時記篇」)二分冊の一、「俳論篇」である。同誌は二〇〇八年四月の創刊第一号から、二〇二四年四月の終刊第十三号まで、十六年にわたって刊行された。(中略)

 本書は、第一に暦学的に(新暦に基づく歳時記とは何か)など、第二に文献的に(一切の孫引きを排した原典主義など)、第三に科学的に(天文学、気象学、民俗学など)、綿密で正しい記述を心がけた。


 とあった。


 前田霧人(まえだ・きりひと)1946年、香川県高松市生まれ。



    撮影・鈴木純一「くれなゐの序列を薔薇は飛び越した」↑

コメント

このブログの人気の投稿

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

秦夕美「また雪の闇へくり出す言葉かな」(第4次「豈」通巻67号より)・・

山本掌(原著には、堀本吟とある)「右手に虚無左手に傷痕花ミモザ」(『俳句の興趣 写実を超えた世界へ』より)・・