水野真由美「木々芽吹く音のうしろに水祀る」(「鬣 TATEGAMI」第95号)・・
「鬣 TATEGAMI」第95号(鬣の会)、本号の特集は「第23回鬣俳句賞」と「『俳句ユネスコ無形文化遺産登録』推進の現在を読んで」。「鬣俳句賞」については、愚生の『水月伝』に関して、九里順子「大井恒行『水月伝』、『雪月花』を水に繋ぐ」で、見開き2ページを費やして、実に精緻な評をしていただいている(深謝!!)。他の二者の受賞句集の評も懇切丁寧で、林桂「伊藤政美句集『天王森集』評ー桃源郷創造」、深代響「松本勇二『風の民』小論ー精霊の沃野から」、この上ない名誉なことであろう。愚生のことで、恐縮だが、冒頭と結びの部分を紹介させていただきたい。
「水月」には、水に映る月影、すべては虚である、心に汚れがない。人間の急所(みぞおち)、水の月(水無月)とさまざまな意味がある。『水月伝』(ふらんす堂 二〇二四)の「あとがき」は、「尽忠のついに半ばや水の月」という句で締め括られているが、「忠君愛国」が道半ばというのは、反語なのか詠嘆なのか。句集タイトルの多義性とそれに呼応する「あとがき」の句は、季語の美意識を攪乱し、天皇制的規範から解き放とうとする大井の姿勢が打ち出されている。(中略)
『水月伝』は、季語と真摯に向き合い、季語が一元的な花鳥諷詠に回収されることを拒み、私達が生きてきた・これからも生きていく時間の言葉に変えようとする営為なのである。
とあった。もう一つの特集「『俳句ユネスコ無形文化遺産登録』推進の現在を読んで」の論考は、九里順子「俳句の生きる場所」、外山一機「次の議論につなげるために」、関連するテーマに関わって、林桂「不首尾の理由の不首尾はー福田若之氏へ」、池田楠「前号批評/秘儀をひらく――『鬣 TATEGAMI 九四号』評」、大橋弘典「前号批評」が展開されている。いずれも真摯だ。ともあれ、以下に、本誌本号より、いくつかの句を挙げてこう。
どろどろと人を吐く駅昭和の日 日下部友奏
目が覚めてからが本当の春の夢 青木澄江
PK戦終わらず一日の日暮れ 中川伸一郎
グッドラック 銀河ではとてもたりない旅だ 外山一機
抱きしめてもとうめいな体温 西躰かずよし
戦塵(せんぢん)
はるか
海(うみ)の平(たい)らを
照(て)り返(かへ)す 中里夏彦
春愁い昨日の船がまだ居りぬ 堀越胡流
ティッシュペーパー小鳥にならず風光る 吉野わとすん
ブナの木は水の柱や春の星 齋木ゆきこ
信濃路を逃水時速五〇km 齋木敬史
囲われし闇の中へも雪起し 九里順子
蒼穹に昇りゆくもの春隣 佐藤清美
砲弾のふりしていたりつくづくし 蕁 麻
鷹匠の捨身(しゃしん)となりし初時雨 堀込 学
絵のなかの鳥抱かれてあたたかし 加那屋こあ
花筏いま生まれつつ水のいろ 水野真由美
空を刺す
塔の
懈怠を
櫻かな 深代 響
夕焼けの影をつくって辛夷咲く 樽見 博
駅駅(えきえき)に桜(さくら)あかりや吉野行(よしのかう)
林 桂
川下るきみの腕(かいな)に緋の花弁(はな)が 丸山 巧
わが殻を火のまぐわいに抛りけり 後藤貴子
大いなる振り子の戻る音なりき 西平信義
ニ〇二五年二月八日『井口時男批評集成』見本届く
四十年を封じて新著冴え返る 井口時男
★閑話休題・・筑紫磐井「俳句四協会の近況ーユネスコ登録論争の論点」(「俳句四季」6月号)・・
(前略)最も新しい「鬣」九四号で林氏の「提言しなおします」(特集の番外で書かれている)では次の参考項目を提言している。長い文章なので節略して示させていただく。
1、ユネスコ登録の在り方:文化庁の登録検討する対象を何とするか。
2、俳句の定義:有馬朗人氏が立ち上げた(協議会)資料に俳句とは何かの名言がない。きっちり文章化すべきである。
②俳人協会の対応:俳人協会は無季も認めていると読む向きもあるが、俳人協会から自らの無季容認の説明を聞く必要がある。
3,協議会からの脱退:協議会からの脱退を求め賛否の評決を求める。
これに直接回答しなければ、当事者の議論は進んでゆかないだろう。(中略)
3,協議会からの脱退:現在文部科学省では、和歌俳句川柳などの範囲について調査を行っている。この調査の結果、俳句には無季俳句が入ることとなる可能性が非常に高い。万が一この調査で無季俳句が認められないのなら、「脱退」などという消極的態度でなく、健全な俳句文学の発展に支障があるいう理由で積極的に「登録反対」すべきだ。これこそが有馬朗人氏の前述の遺志にもかなうこととなるはずである。実際、三協会の一つでも反対したら登録は止まると思う。
(本論執筆後、「毎日新聞」紙上(四月三〇日)でユネスコ登録の是非をめぐって、能村研三氏と大井恒行氏の激論が一面にわたって交わされ、大問題となっている)
とあった。
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