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今村俊三「地につばさ与ふるごとく水打てり」(「jaja 「bibi」第1号より)・・

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 「jaja bibi(ジャジャ ビビ)」第一号(短詩型ユニット jaja bibi)、挟み込まれた便りに、   このたび私たちは、久しぶりに活動の拠点をつくりました。jaja bibi。  聞き慣れない音かもしれませんが、2つの母音を入れ替えると、誰でも知っている音になります。  長い間、ことばによる表現を実践してきました。それは森のなかの佇みにいるような時間でした。いま私たちにできることは、ことばの響きに宿る意味を伝えること、いまを生きている人たちと、響きの中でことばを交わしたいと思います。  ユニット。それは、形式でも制度でもなく、いわば関係のかたち。年2回というゆったりとしたペースで、多くの方々と時間、空間を共有しながら、短詩型のありようを考えていきたい、そんな思いをもって、小さな雑誌を創刊します。  とあった。エッセイに、吉野裕之「臍(ほぞ)の緒のごと――今村俊三句集『立歩』を読む」、髙橋みずほ「合図する言葉1——浜田到作品『薔薇失神』」。ともあれ、本誌より、いくつかの作品をあげておこう。   せかいにはたくさんのひと、たくさんのこと 雨が降ったら消えてしまうが   裕之    Iさんが  死ぬなんて思わなかったからぼくはそのままそこを離れていった  いろくずを食うかと聞かれ迷いたり時間がないと応えようとす  人の歩幅なんてわからない朝のつめたき透明道路              みずほ  風にふかれたたたずみに鷲 やさしき風の羽となるまで  てのひらににぎる風をひらけば藍の庭のなかなるひとり  茎立や答へみつからないままに         裕之  島人といふ響きから万緑す   蠅叩きこの使ひ方正しいか ★閑話休題・・津髙里永子「母のこゑなき白濁の金魚玉」(「~ちょっと立ちどまって~2026.7~」)・・  「~ちょっと立ちどまって~」は、津髙里永子と森澤程の二人の葉書通信。   蒲の穂や無垢の柱として火照る      森澤 程     撮影・芽夢野うのき「人の死は四年ひまわりは淋しき花か」↑

季川詩音「歴史書に書かれぬ父の戦利品」(「Aii(アリ)」第2号より)・・

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 「Ali(アリ)」第2号(Ali)、「編集後記」に、   「Ali(アリ)」はイタリア語で「翼」の意味。そんな小さな翼の二号をお届けします。  創刊号の編集後記には「飛翔」という言葉がありました。あれから一年。こうして四人で二号をお届けできることを、まずは素直に嬉しく思っています。この一年は思いがけない出逢いに満ちた時期でした。創刊号が「飛翔」なら二号は「出逢い」かもしれません。  今号では北大俳句会「えぞりす」有志による機関誌「旗手」を読み、座談会を行いました。 (中略) 若い世代の俳句への情熱に触れ、刺激を受けたことも今号の大きな収穫でした。  また、この一年のご報告としてメンバーである坂本眞紅が「第26回中北海道現代俳句賞」を受賞するという嬉しい知らせもありました。今号には受賞作『足りている』も収録いたしました。合わせてお楽しみいただければ幸いです。  とあった。「Ali」は、その創刊号に、   同人誌「ペガサス」で出会った北海道在住の四名が、新たな時空へ自らの俳句を羽搏かせようと結成したユニットです。 とある。ともあれ、本誌本号と同送された創刊号から、いくつかの句を挙げておこう。    優しさの定義分解したら秋        木下小町    冬の月竜宮城は何処ですか         〃    しりとりのけりつけにけり夏みかん    坂本眞紅    冷蔵庫上段奥のスラム街          〃    奥深く吐くわたくしの母語は雪     瀬戸優理子    逆転を狙える手札蛇苺           〃    片虹や胎内に子の戻せたら        高畠葉子    満月や本解にない母の声          〃 ★閑話休題・・和田信行「松の傷撫でる皺の手敗戦日」(「立川こぶし句会」)・・  8月14日(金)は、立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    語り部の被曝アオギリ松葉杖         川村恵子    「ちゃん」と「くん」飛び交い夏のクラス会   三橋米子    慰霊の日あれは私と震える少女 (こ)     和田信行    アルプスを抉じあくリニア通させぬ      井澤勝代    八十一年朝から騒ぐ蝉の声          高橋桂子    五色沼泳いだ記憶雲の峰           伊藤康次...

堺谷真人「夏茶碗宇宙はいつも右回り」(「つぐみ」No.230/8月号)・・

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 「つぐみ」No.230・8月号(編集発行 つはこ江津)、本号の「俳句交流」は、堺谷真人「現在地」、その小文には、  短編小説を書いた。「算術の少年」と題し、去る7月六日、関西現代俳句協会のホームページに公開。小林恭二氏の小説『三鬼』出版に因んで特集を組むに当たり、シンガポール時代の三鬼をモデルにした拙作を載せて頂いたのだ。平素、俳句といふ極致の世界に跼蹐呻吟してゐる反動ででもあらうか、まるで籠から放たれた非力な小鳥のやうに私の筆はふらふらと南洋の陽射しの中を飛び回った。作中には明記してゐないが、舞台は昭和三年(一九二八)。時代の空気を感じ乍ら書きたかったので、表記はすべて旧かなで通した。迷子の小鳥はまだ帰つて来ない。今は三鬼と同時代の祖父の青年期を小説に書いてゐる。  とあった。他に注目したのは、同じ「豈」同人の打田峨者ん「『つぐみ』鑑賞(6月号より)」と伍宇「——突然 降ッテキタ 未知ヘノ 彷徨/加藤閑句集『四季』」、その二例を以下に、 山独活に似た舟に寝て死に向かふ  “ウドの大木“なんて 言わないで/やわらかくて あったかいのよ  そのふねにのり うつらうつらゆめ ゆらぎ      (安楽椅子/一瞬/解脱/恍惚/空) 伍宇    末枯れのオルガン今は野にありし  多くの繊細孤児が現出した日本/立派に成長し 世界の 先頭にたった    あの苦しみ 哀しみ 怒りを 発条(バネ)にして      (手風琴=父なし児=風ノススキ原)    つはこ江津「 追悼 森田緑郎さん/「ありがとうございました」 )も印象に残った。本年4月17日死去、享年93だったという。愚生が初めて森田緑郎にお会いしたのは、30年ほど前だろうか、渋谷の鬼婆こと多賀芳子宅だった。ご冥福を祈る。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を以下に挙げておこう。    一握の十薬に日の燦々と          堺谷真人    風の有無にさてもさてもえのころ草     天空海士   万緑や影だけ残す人の形         夏目るんり    青鬼灯シュプレヒコール横切る      ののいさむ    大縄跳び息を揃えて夏に入る        蓮沼明子    桑の実食べたふふっ思い出も        平田 薫   さそり座にオクラ並べる星まつり      宮本英司   梅雨明けに花を植えよう妻の声       ...

有賀眞澄「人魚魚人心中銀河さかしまに」(『虹のはふり』)・・・

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 有賀眞澄『虹のはふり』(虹蜺舎)、「後書」には、   我が定型文芸の目覚めは、秘技的志向の垂直旅行から単車の旅へと水平的可能性に踏み出す放下の自在にあった。ヰタ・マキニカリスの発動は雨風や虹をかむかふ羇旅の作に連結するのだが、旅を素材にするのではなく度に拠ってする時空の超脱による。切符を切らずに風を切るのだ。そして漂泊は漂流物との親和力と繋がり、タブローもアッサンブラージュへと転位して行くのだが、物語は全て斜めに切り   裂かれる。また断片は流れることに拠って生き返り、またよみがへる。切っても切られても墨流しの中からたち顕はれる。うつろで寄しきものに出会ふため、此処までを来てまた此処からを行く。自分が引き摺り出してきたものとの戯れを焙り出すと、たとへばブラザーズ・クエイの地下世界の光の重力に晒される。新作砂時計サナトリウム「(ブルーノシュルツ)へのオマージュ句一句を集中に挿し入れ、かつてガニメデ誌(二〇〇〇年・十八号)のクエイに献じた五十句連作の道行に我が月下跛行の旅を繋げてみむとす。  とあった。句画集とでもいえばよいか、本集より、いささかの句を以下に、愚生の恣意ながら挙げておきたい。    枯れ山の土の匂ひになりにゆく        眞澄    雪に吊られてをみなは水に戻れない   恋猫やゆ文字は文字のよぼろくぼ   はんげしやう劇中劇の紙吹雪   そこもとのそこをはらへばほうせんくわ   ひしひしと悲歌はひめもす身はミモザ   ひるがほや眼をつむらずにする手淫      有賀眞澄(あるが・ますみ) 1950年、長野県諏訪市生まれ。    ★・・H to H  from here to hirata 2026年9月14日(月)~9月19日(土)/月~金・12:00~19:00/土・12:00~17:00(於:K’s Gallery RoomA/ B)・・   有賀眞澄・五十嵐久美子・池田学・石原智是・岡本たかし・小山雅子・佐々木浩樹・醍醐イサム・竹内敏江・辻忍・露口実・西牧喜文・森美千代・柳田祐希・吉川千里・依田元明  K’s Gallery  中央区日本橋久松町4-6 杉山ビル4F 03-5159-0809          撮影・芽夢野うのき「ひぐらしや痛みは孤独だと気づく」↑

山下知津子「まつさきに火とならむ髪洗ひをり」(『一隅』)・・

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  山下知津子第三句集『一隅』(ふらんす堂)、「あとがき」には、  『一隅』は『文七』『髪膚』につぐ私の第三句集です。  二〇〇五年以降の四〇四句を収めたこの句集を出すことができたのは、ひとえに私の背中を強く押してくれた「麟」の仲間のおかげです。(中略)  「麟」の仲間、そしてふらんす堂の皆様に深く感謝申し上げます。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   鶏頭に佇ちぬ鶏頭よりかろく        知津子     八月四日 青山葬儀所 小田実氏告別式    柩見送りデモ動き出す蟬しぐれ   刑務所刊合同句集寒昴   十万年後のきれいな空気黄水仙       染谷佳之子さん『橋懸り』上梓   臘 梅にうるみふくらむ天地かな      母逝く   明日ありと眠りて覚めず白障子   福は内内なる鬼を飼殺し      駒木根淳子さん星野立子賞受賞   差し交はす好文木の紅と白   澄む水の濁りひとすぢ太りゆく   ダリア立つあなたにはまだ剪れざると   青蜥蜴イエスはいつも震へゐし   アフガンの銀河の下の蛇籠かな   冬の日やもう動かざる猫を拭く   開戦終戦男が決めて冴返る   小暗さの沖や冬虹散りしきる      悼 黒田杏子先生     〈花に紛れ闇に紛れ我に逢はむ 黒田杏子〉ありて   花に紛れ己に逢ひにゆかれけり     伊東柱 (ユドンジュ) の忌や北天に梅真白   白といふ重き椿のありにけり   裸木に裸木の影差しゐたる   戦後百年ありや白花曼珠沙華     山下知津子(やました・ちづこ) 1950年、神奈川県生まれ。   撮影・鈴木純一「上海も広東と南京から東京にヨコハマの薔薇を召しませ」↑         8 月 13 日   上原げんと   没   ( 1914 から 1965 )作曲家

三輪初子「平和と書くは易し薔薇は難し」(「わわわ」第10号記念号)・・

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 「わわわ」第10号記念号(発行人 三輪初子/編集 三輪初子・豊田すずめ・象ぞう造)。その「編集後記」に、  年一回の刊行誌『わわわ』が10号の晴れ姿を披露できたのは、大きな意義を持つ。  発足者豊田すずめ氏の引き合わせで、アーチスト同志句会が結成。「生きる語らい」の句座から生まれた自詠句と各芸術品の展示会を句誌と共に続けた十年間は「宝」である。  時代の変化伴に世の愁いに大いに怒って笑ってきた十四年間は、充実した余生を導くだろう。関係各位の御支援御厚情に深く感謝を申し上げます。世界の平和を心底願う。  とあった。以下に本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    太陽に向かひ裸になる木々よ          三輪初子    戦争は無くなりました四月馬鹿        豊田すずめ    枯尾花わたしの夢は死ぬことよ        岩石むそむ    介護者の「もう春ですね」夫の笑む      小野田信子    走り書き解読不能のまま日永         五木田心華    スキップの上手く踏めない草若葉        小林 繭   刺身さえわびさび気取り春の果         象ぞう造    梅月夜逝く後先の譲り合ふ          滝沢ひとし    フリル振るフラメンコたる鶏頭花        中嶋月草    秋澄むや追ひ越されても一歩ずつ        西田遊々    煤払ひ真似て振りたる小さき手        野村くじら    徒然なるままに新米来たりけり         浜野桂子    人はふと上を向くもの短き日       森田ふらみんご    春月やだいだらぼつちあくびせり        山﨑猿屋   冬日向陽だまりを追ふ植木鉢         須崎ひつじ ★閑話休題‥小川幸子「 宿六のああ、うん、いいや、異 (こと) も無し 」(第4回「多摩塾句会」)・・  8月10日(月)は、第4回「多摩塾句会」(於:府中市市民活動センタープラッツ)だった。兼題は「宿」。以下に一人一句を挙げておこう。    せせらぎに湯の音混じる夏の宿        富山 勉    盆提灯ゆれて今年も生きている        篠木裕子    神宿る祭りは果てぬあさぼらけ        小川幸子    フェンスに絡まる我は零余子の輪廻故    早川ひろ美    心天シュルリ午後の...

福本弘明「頬かぶりのままで私としたことが」(「新・黎明俳壇」第17号より)・・

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                「新・黎明俳壇」第17号(黎明書房)、特集は「気鋭の俳人10人が鑑賞!/橋本多佳子の名句20句を読む」。気鋭の執筆陣は、川島由紀子、横山香代子、杉山久子、植田かつじ、かわばたけんぢ、星野早苗、水木ユヤ、川崎果連、なつはづき、若林哲哉。扉には、 (前略) 今回は、多佳子俳句に造詣の深い松永みよこ氏に、「多佳子の求めるビ」の観点から20句を選んでいただきました。  そして、松永氏には、次頁で「橋本多佳子 吾の美にたどりつくまで」をお書きいただきました。/ご一読ください。/(武馬久仁裕)  とあった。執筆陣の中では、川崎果連が多佳子の2句「 乳母車夏の怒濤のよこむきに 」「 いなびかり北よりすれば北を見る 」について、 (前略) 俳句に限らず、人間が生み出す「作品」に「たくみ」がないわけはないので、それがみえるかどうかを問題視することには賛同するが、この2句にかぎって言えば、注目すべきはそういうことよりも「時間の描写テクニック」であるとわたしは思う。  時間には言うまでもなく現在を挟んで過去と未来があり、それぞれおおまかに前期・中期・後期とに分割できる。どこを詠むかはもちろん自由だが、いちばん面白いのは当然「現在」であり、特に美味なのは「もう少し続いていきそうな現在」よりも、「どうなるかわからない未来の直前としての現在」である。 (中略)  句は「北を見る」という前書きを持つ連作10句のうちの1句である。詩歌に限らず演歌や歌謡曲にいたるまで日本人は「北」を好む。(中略)それにしても、この2句を並べてみると「シンプル・イズ・ベスト」という言葉が改めて説得力をもってくる。   と記していた。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を以下に挙げておこう。   六歳のままの写真や鳥帰る        太田風子   熊眠る熊には熊の子守唄         赤石 忍   ククヲヨムコエガコガラシツレテクル   朝倉晴美    鯛焼を何度あたためなおしても      二村典子   枇杷ほどの土竜果てたる梅雨入かな    金山桜子      野遊びのいずれの声も高かりき      竹澤 聡(第56回黎明俳壇特選)    野狐まじへ宴たけなわ花見酒       新座惠子( 〃 ユーモア賞)    一村に一本の川夏燕           浦城亮佑(第57回...

柴田獨鬼「連れ歩く月日重たし夕もみぢ」(『ままのまま』)・・

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  柴田獨鬼第二句集『ままのまま』(東京四季出版)、序詩・序句・結句、跋に相当する「獨鬼俳句を読む」には、冨士真奈美「ドッキリ叙情派」、原満三寿「残日のままのまま」、関根順子「獨鬼俳句における『生の在りよう』」、月犬「〈死と再生〉生の悲しみと切なさ」、皆川燈「『ほたる』と『にんげん』の往還物語」。著者自身による序詩は、   うぶすなは/ほたるの郷よ/ちちははの/愛しき人の/もろびとの/こぞりて来たる  ああ ほたる/われもまた/いつかほたるの/灯とならむ   序句は、   初日記起承転転書き始む           獨鬼 結句は、    年を越す起承転転獨鬼の忌      とあった。愛情あふれる冨士真奈美の御文には、  (前略) 柴田さまの御作は語彙も豊富で、叙情に充ちていて、確実に読む人を魅了する力をお持ちだと思います。生と死、父と母、喋々と蛍など、今度の御句集ではテーマが絞られていて、表現なさる叙情の世界は、あまり広くないようにも思われました。ですから真正長嶋主義者のいわば明快好きな私なんぞは、三百余句を拝読するうち、もっと違った型で提出していただければ柴田さまのの世界がぐんと広がる、という願望を持ったりもいたしました。  例えば、私が御句集の中で思わず笑い出し、これいいじゃん!と思った御句は、   懐かしき幽霊もゐて踊りの輪   俳句らしいおかしみと考えれば、奥深さを感じられもし、愉快です。   にんげんのままで迎へる初あかね  と年を迎えて、   年逝くやなほにんげんのままのまま  ときては、あまり目出度くない。一句くらい、一茶みたいに、正月の子供になってみたきかな、と呟いてもいいんじゃないでしょうか。ままのまま、と可愛い感じの言葉。子供のままのまま、と響きもいい。 (中略)   おもかげは白き貌して秋の色   たましひのかそけき影や冬の蝶  美しい「おもかげ」や「たましひ」を脱皮してこの一句。   枯木立百樹の中の一樹われ  いいですね。私もまた、枯木立群の一樹です。枯木が生意気なことばかり申し上げて、お許し下されたく。   とあり、著者「あとがき」には、  現代詩から出発した文学遍歴のせいか、表面的現象や事象を捉えただけの俳句に関心を持てず、客観写生や花鳥諷詠から早々に離脱し、内面観想の果ての虚実皮膜の夢を自分の俳句としてきました。  わが半生のなかで多...

各務麗至「それは駄目オノコロ島の磯巾着」(「詭激時代つうしん」29」)・・

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 「詭激時代つうしん」29(詭激時代社)、その「覚書にかえて……」に、  何を思い立ってか……、で、「忘れたらダメよ」との声が聞えそうで、絶版作品集の編集発刊の足跡を、奥付と記憶から改めてここに記録することにした。麻生知子等の創刊(昭和四十八年)した同人誌「白翔」があったが、その七年前からの個人活動だった。 (中略)  扨、個人誌の始まりは昭和四十一年で、令和八年の今年「詭激時代」は創刊六十周年になるという事らしい。書き上げたと思えた「粥盗人」はその三年前だが、そんな始まりの頃の、麻生知子に、今号久しぶりに巻頭に登壇して貰った。詩集「つうのための断章」は、夭折の志都一人と同じように当時当界に激震を呼んだ。私にとっては当然で、 定本や文庫の発行月日八月十二日は、麻生知子の命日で……、私には何の記念すべき褒章名誉もないが、それこそ麻生知子だけでない、第三次詭激時代「戞戞」百六十五号は妻の追悼号、通巻二百九号のその後「詭激時代つうしん」になったが、 それこそ出会って教えられての師友あまた……、無論家内もで「そんな縁あればこそが勉強で何がしかの感謝が成果で、それで、随分十分だよ」と笑ってくれているかも知れない。  とあり、その巻頭、麻生知子「『つうのための断章』から」には、 識る/あたしは鳥だったからひとのかたち借りた/ひととして生まれていたら あたしは鳥になれたか 腕をのばし指先をそりおえて羽撃き翔べたか ゆきの曠野でたおやかに舞えたか しろさを超えいろのない世界で 爪先だってくるりとまわり 透けてくるおもぃこめて舞えたろうか 霏霏とふる音のない闇にうずくまり 与ひょうとひとこえたかく呼べたか あたしのしろさに降りつむゆきをかなしいと見たか そしてなによりもおまえだけのためにこのいのち紡ぎこのいのち織れただろうか /凍てついた指で血のにじむ羽毛を織りこみ /なおもしろい布である いちまいのいのちを とあった。以下は、各務麗至の句作品から、幾つかを挙げておこう。    しやらくせいどつこい春が通ります      *とはいへ永遠夢幻    万緑や何かきこへてくるやうな    *生き方を見せられ見せて    見上げれば妻よまう空がある   秋桜に風こそよけれ風そよけれ   AIに警鐘乱打せ核の地久   落ちてきて蟬それつきりこれつきり    *さて どう生きる    生...

大井恒行「白鷗の一巨花二十五周年」(「鷗座」8月号・第478号)・・

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 「鷗座」8月号・第478号(鷗座俳句会)、巻頭は松田ひろむ「千日千句抄ーバンクシー」、    夏草や瓦礫ながらにバンクシー       松田ひろむ  松田ひろむ「鷗座二十五周年を迎えて」には、  「鷗座」はこの八月で、創刊二十五周年、通巻四七八号となった。「鷗座」の創刊は二〇〇一年八月であるが、その前に鴎の会があった。  鴎の会は、一九八二年、板橋区で松田ひろむを中心に数人の句会として発足。一九八四年四月にはその「会報」が創刊されている。その後、古沢太穂先生のご逝去のあと、「鷗座」として創刊されたものである。 「鷗座」は、「創刊のことば」にあるように「平明清新、抒情、生活感覚」「自在な発想と自由で多彩な作品」を目指してきた。 (中略)  創刊二十五周年を経て、私もこの八月二十五日で八十八歳となる。同人、会員も八十代が増えてきたものの、ようやく実務の多くは六十代以下の仲間が担うようになってきた。人生百年時代、私の気力、体力がどこまでつづくかわからないものの、百歳現役を目指したいと思っている。  世界も日本も、けっして明るい現実ではないもの、そのなかで生き続ける俳句の力を信じたい。明日に向かって、この二十五周年を跳躍台にしたいものである。  とあった。ともあれ、「鷗座創刊二十五周年 近作三句」からと本誌よりいくつかの句を挙げておこう。    大樹あり即ち次々小鳥来る          池田澄子    朝日昇る海翔びくるや太穂の鷗        大井恒行    ことだまよ鷗の羽根の白涼し         神野紗希    鮮やかな現世つぎつぎ滴りに        佐怒賀正美    どろどろと黒南風夜の雨戸うつ        中村和弘    敗戦日それからずつと敗戦日         堀田季何    妻といふ名の悪友と寝待月          木村晋介    歌麿の女の引き目つりしのぶ        白石みずき    しんがりの子よいそぐなよ楸邨忌       古川搭子    羽抜鶏生きるためならエンヤコーラ      宮 沢子    八月来戦争タグを付けたまま         石口 榮    人口減ビールの泡のほとばしる       石口りんご    催促はしたくはないが緋のカンナ       小髙沙羅    覚書交わす傍から紙魚奔る          米原拓土 ...

山田耕司「早苗植う顔なき影の顔に植う」(「円錐」第110号)・・

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 「円錐」第110号(編集委員 山田耕司/今泉康弘)、特集は「第十回円錐新鋭作品賞受賞者新作」。特別寄稿に大塚凱「書評『澤好摩俳句集成』/最後の墓守」、池田瑠那「円錐110号の作品を読む/触覚・視覚・聴覚・痛覚」。評論に今泉康弘「神戸、流れてどうなるの 第4回ー西東三鬼・『神戸』・『冬の桃』」、その他に、山田耕司「土佐・佐川町訪問記(二〇二六年)/西へ西へ」、今泉康弘「ガザの見える映画館/パレスチナ・イスラエルについての近年の映画と本から考える」等。「ガザの見える映画館」の中に、  (前略)イ スラエルに襲撃される惨状を、ガザの内側からの報告・映像によって見せるドキュメンタリー映画がある。『手に魂を込め、歩いてみれば』(監督セピデ・ファルシ、二〇二五、フランス・パレスチナ・イラン)だ。ファルシ監督はイランからフランスに亡命した人物。彼女はガザの実情を知りたいと希望し、ガザへ向かう。だが、ガザは封鎖されている。そこでガザに住むジャーナリストで写真家のファトマ・ハッス—ナと携帯電話(スマートフォン)を使ってお互いの顔を見ながら会話をやり取りしてゆく。その映像を中心にまとめたのが本作である。監督の年齢は不詳だが、六十代くらいだろうか。ファトマはこのとき二十四歳。母と娘のような年齢差の女性二人が会話を重ねてゆく。その背景としてのガザはイスラエルにより封鎖と攻撃に曝され、緊張と不安との真っ只中だ。監督はファトマの携帯電話からの報告を通してガザの様子を知る。ファトマは生まれてから、ガザの外に出たことがない。(中略)  またファトマは爆撃の音を録音している。監督はその音を劇中で大きく流す。その時、映画の画面 (スクリーン) は真っ黒になり、劇場内は闇に包まれる。そうして、劇場の優れた音響装置で爆音を聞くと、観客であるこちらもまた、空爆の中にいるような気持がする。(中略)  そして、「最後の通話」とテロップに出る。「この映画がカンヌに出品されることになった。あなたはカンヌに行きたい?」と監督が問う。ファトマは答える、『もちろん行きたい。ただし、ここに戻ってくる。隅々まで破壊されても、ここを離れることはできない」。  そのあと、「ファトマが空爆で死んだ」というテロップ出る。ファトマの一家の住む階だけがイスラエルのミサイルによって攻撃され、ファトマは家族もろとも殺された。イスラ...

林桂「夕風(ゆふかぜ)を得(え)て草笛(くさぶえ)の響(ひび)きけり」(「イリプス」Ⅲrd 16・通巻72号)・・

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 「イリプス」Ⅲrd 16・通巻72号(冨岡書房)、その「あとがき」に、 ■本誌は一九九年、俳人の出口善子さんの肝入りで私の個人編集でスタート。二〇〇七年18号で終刊。以後同人制に移行。松尾省三君を編集者に、以来年二回から現在は季刊体制に、同人も全国にまたがり、順調に推移して今日に至った。通巻はこの当初に拠る。何よりも互いの個性を一義として、あくまでも個の集合における表現の場としてこれからも精進していきたい。                                                                (倉橋健一)  とあった。「豈」同人でもある冨岡和秀が「 無と無限の美術館 」を寄稿している。長文なので、ほんの少しばかりになるが、以下に紹介しておきたい。  〈私〉は《箱》である。男でも女でもない。単なる青い《箱》である。基本的には正六面体を大きくしたり小さくしたり、楕円球になり、完全に丸い円球にもなれる。丸いままで大きくなれるし、小さくにもなれる。また、三角錐つまり四面体にもなれる。そのような柔軟な《箱》である。それが〈私〉である。そして、他者を求めて柔軟な《箱》は《無と無限》の美術館に展示されに行く。そこで常設展示されるのだ。展示場で美術品の〈私〉は話すことができる。独り言を言ったり、観覧者と話すことも可能である。観覧者は美術愛好家であり、美の目利きである美の専門家である。美学者も観に来る。『美とは何か』を専門家や美学者は教えてくれる。実際に絵を描く画家も観覧者である。そのうちでもとくに画家が〈私〉を凝視する。《箱》の〈私〉が話のを聴く。画家は《箱》のなかに人工知能があり、話しているのだと思っている。 (中略)   犬狼は答え始めるが、その際に耳を立ててグッと伸ばす。電波塔のように長く耳を伸ばすと、その耳の長さは三メートルにもなる。まるで宇宙からの見えない波動を受信し発信もするアンテナのようである。    「〈僕〉には身体がありますが、主人の〈アピロクティ〉は《箱》であり、、身体とは言えません。しかし《箱》は《箱》なりの審美眼があり、《箱》であるにもかかわらず、丸い球体にも成り、大きくもなり、小さくもなります。場合によってはこの美術館よりも大きな《箱》になれます。つまり美術館を呑み込んでもっと...

多田孝枝「心音のしづかに激し天の川」(『心音』)・・

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  多田孝枝句集『心音』(花乱社)、序文は筑紫磐井「心音は永遠に」。その中に、  「ばあこうど」、多田薫さん、さらに福岡の広い文化人ネットワークとの私との関係はすべて孝枝さんを通じてであった。その一方で、孝枝さんが持つ福岡以外の広いネットワークは私の俳句のネットワークとかなり重なっていた。私が東京周辺の友人と、全く知らないだろうと思って偶然孝枝さんのことを語ると多くの人が知っていて驚くことがしばしばあった。私の知己でこういう人はほとんど例がないと言ってよかった。 (中略)  しかし、「ばあこおど」10号(二〇〇九年四月)以降は活動が休止する。孝枝さんの体調がよくなかったこと、特に代表である谷口氏の逝去が大きな原因だろう。かくして新たな代表に薫さんが就任し、二〇一五年二月、装いを改めて、俳誌「六分儀」を創刊(ばあこおど」を解題・通巻11号)とする。こうして新たな歩みが進もうとしていた折、二〇一八年十一月十五日、薫さんは永眠されてしまった。 (中略)   これほど仲の良い夫婦も珍しかった。第一句集は、二〇〇〇年六月、薫句集『草笛』・孝枝句集『道草』の二冊函入りであるが、二〇〇〇年一月、くもい膜下出血で倒れた薫さんの生還を祝っての刊行である。これを機に、孝枝さんは勤務をやめて夫婦水入らずの生活に入った。夫婦ともどもに人生の区切りを付けたいという思いがあったのでろう。二〇〇六年十二月医にも薫句集『蜻蛉』、孝枝句集『秋桜』を出しているが、これは薫さんの退職に併せての刊行であった。終活にむけての整理のような気がする。そして二〇一九年二月、遺句集『谺せよ』刊行、二〇二六年孝枝句集『心音』の刊行。  ただ仲の良いことだけで孝枝さんを語れるものでもない。実は、俳句関係の研究をしている者として「ばあこおど」にもっとも注目する理由は、川端茅舎に関する資料の探索を営々と続けられている点である。 (中略)     心音しづかに激し天の川  「心音止むや十一月十五日」もあり、心音は夫・薫さんの動悸であろう。そこには夫の心臓と同期(シンクロ)する作者の心臓の音もある。素直であるが心象性の高い俳句だと思う。 (中略)   寒晴や夫の言霊谺せり  勲さんの「全山の木の実降らせよ谺せよ」の句による句集名『谺せよ』と唱和する句だ。薫さんの句が山全体に共鳴するような作者の思いだとすれば、そうした夫・薫さん...

沖ななも「石一つ拾いてみたり 石一つ捨ててもみたり 軽くなりたり」(『木陰の思想』)・・

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  沖ななも第11句集『木陰の思想』(角川書店)、その帯には、    何人の人と会ったのだろう何人の人と会えなかったかこの世に生(あ)れて  木陰は光と影のあわい――。  神と仰ぐ木、民と暮らす木、その揺るぎない存在の下に佇み、たどり着いた。  澄みわたる詩想の記録。  とある。著者「あとがき」には、   前の歌集『白湯』『日和』を上梓してからだいぶ時が経ってしまった。。その間に大事な人を多く失っている。〈時〉は残酷でもあるし癒しでもある。(中略)こんどの歌集名はだいぶ大仰なものになってしまった。  樹木が私に与えた影響は思ったより大きかったのかもしれないと思い始めた。  また最近読んだ アラン・コルバン著・小黒昌文訳『木陰の歴史』にも少し刺激されたかもしれない。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を以下に挙げておこう。   あとからあとからあとからあとから落ちてくる水滴を雨とよびかえている  「どこ行くの」「いいとこ床屋の縁の下」遠くなりたる縁の下闇  ある時は断る理由にあるときは割引申請に使う年齢  海に遠し山にも遠く住むゆえに海にも山にも行かず託 (かこ) てる  老いゆけば忘るることを重ねゆく忘れなければ恥ずかしからん  一万年前の穴とて覗き込むキリストも釈迦もおらぬ宇宙に                       (上黒岩岩陰遺跡)  王の字にひとつ輝く雫あり玉の賞象 (かたち) は雫をまとう  わたくしが立てばわが影も立ちあがり坐れば座る 自律せよ影  飼われいし縞馬ついに脱走し密なる自由を味わいて死にき  竜田川に沿って歩けと教えられ沿いて歩くに道離れゆく  酉年はとっちらかす (・・・・・・) と言われつつ散らかしたままの人生である  木も国も組織も地球も人も病む経年劣化は公平に来る  開けんとして開かず閉めんとして閉まらず わが玄関は頑 (かたくな) である  ゆっくりと梅のつぼみの開きゆくこの世の時間 (とき) をすべらせ  彼(か)の岸がにぎやかそうな春三月父逝き母逝き兄も昨年  帰り来て家の明かりをつけてゆくそこここに影を生み出しながら  咲ききれば散るほかはなくはなびらは風吹けば散る風もなく散る     沖ななも(おき・ななも) 1945年茨城生まれ。   ★閑話休題・・志鎌猛展「不易流行」(於:日本...

大井恒行「トランプ・タカイチ浮かれジョーカーカードでない」(「俳句人」8月号・N0.784より)・・

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  「俳句人」8月号・No.784(新俳句人連盟)、特集は「平和特集/憲法が危ない 九条を守ろう!」、俳句とエッセイに田中陽、石寒太、大井恒行、小林貴子、望月周、丸山美沙夫、吉平保、金子まさ江、鳥羽しま子、星ゆきこ、田中勝久など。記事に梅澤優「戦後間もない百里基地反対の闘い」、特別寄稿に金子勝「『平和憲法』の純像」の、その中に、  二〇二六年四月一二に開催された自由民主党の「第93回定期大会」において、高市早苗内閣総理大臣は、、自由民主党総裁として演説し、次のような改憲の“大号令“を発した。(中略)「立党から、70年、時は来ました。『憲法改正』に向け、党員・党友の皆様の総力を挙げて、全国各地で国民の皆様への憲法に関する説明を行うとともに、国会においては、『結論のための議論』を進めてまいりましょう。そして、改正の発議について、『なんとか目途が立った』と言える状態で、皆様とともに、来年の党大会を迎えたいと考えています」。 (中略)   武力を行使しないで、「対話」で自国を防衛する権利は、「自衛権」とは呼ばない。それは、国家主権の一環としての「平和的外交抵抗権」である。  「対話」(平和的外交抵抗権)で国家が自国を防衛するのが、日本国憲法の理想である。国民も、「平和的抵抗権」で侵害に抵抗するのが、日本国憲法の理想である。  「第九条」の「戦争放棄」の純な理念は、自衛戦争の放棄にあり、「平和憲法」の純像は、自衛戦争を放棄した憲法である。(中略)  このことは、二一世紀は、自衛戦争を放棄して、対話で紛争を解決し、永久の平和を目指すことを掲げた日本国憲法「第九条」の「非戦・非武装・対話・永久平和主義」の実践の理念が、人類の「導きの星」となる時代であることを意味している。 「第九条」が創出した戦争を廃止する究極の方法である自衛戦争の放棄に基づく「対話による平和」を、「改憲クーデター」を阻止しようとする私達のスローガンにしようではありませんか。   とあった。ともぁれ、本誌より、いくつかの句を以下に挙げておこう。   永遠の戦後吉永小百合が朗読する      田中 陽   反戦の父の晩年夏帽子           石 寒太   見果てぬは叛の火・炎ホトトギス      大井恒行   滅びゆく世界をあばく蛇の衣        小林貴子   秋を待つ鳩の去りたるのちも日矢   ...

小林鮎美「死してなお村を出られず草いきれ」(『女王蟻』)・・

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 小林鮎美第一句集『女王蟻』(ふらんす堂)、序句は櫂未知子。    わたくしの城へようこそ女王蟻       櫂未知子 跋文は佐藤郁良、それには、   小林鮎美さんと初めて出会ったのは、二〇一一年の秋、第三回石田波郷新人賞の授賞式のことであった。私が選者を務めていたこの賞で、鮎美さんが奨励賞を受賞されたのである。当時鮎美さんは二十五歳、華奢な印象の中にもしっかりとした芯の強さをを感じさせる女性であった。   人も馬も痩せれば青し旱星   生まれつき手持ちぶさたで深雪晴  これらの句は、その時の受賞作品に収められていたものである。 (中略)   鮎美さんの同世代には力のある女性俳人が数多くいるけれど、小林鮎美の実力はその中でも出色だと私は信じて疑わない。すでに俳句歴二十年、ようやく上梓にいたった第一句集『女王蟻』を、私は自信を持って世に送り出したい。そして、鮎美俳句の一人のファンとして、これからも彼女の俳句を応援し続けたいと思っている。  とあり、また、著者「あとがき」には、    大学時代から現在まで、大体二〇年くらいの間に作った句をまとめました。実体験の句、妄想の句、どうやって作ったか覚えていない句など、二九八句を収めています。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。 (中略)  また、九年前、出産の際に三・六リットル出血しICUにて治療を受けました。医療関係者と献血をしてくださった方々に感謝いたします。  とあった。集名に因む句は、    水やりは女王蟻に届くまで       鮎美  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。    人類は街を創りてクリスマス   ごきぶりと暮らすごきぶり殺しつつ   コンビニに電池・秋思に周波数   花ミモザ手紙は一度旅をする   万緑や死ぬまで座る椅子の数   春の雪マトリョーシカに闇の層   蚊の中で混じる夫の血わたしの血   星座には入らぬ星よ流氷期   人死んで家族集まる春の家   ぶらんこの鉄の匂いよもう泣くな   人生は実写版かも冷素麺   この星の遠心力と飛魚と   まぼろしの鳩を吐くまで止まぬ咳   水仙喋る喋るけど全部文字化け   巻貝の中はまっしろ春の夢       小林鮎美(こばやし・あゆみ)1986年、群馬県利根郡生まれ。                   ...