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摂津幸彦「荒星(あらぼし)や毛布(もうふ)にくるむサキソフォン」(『俳句という愉しみ』より)・・

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 小林恭二著『俳句という愉しみ』(岩波新書・1995年刊)。一日目「風花(かざはな)句会」ni, 一九九四年一月のとある金曜日のお昼少し前。 わたしと新書編集部の川上君は、中央線立川駅で待ち合わせ、そのまま青梅 (おうめ) 線に乗りこんだ。 (中略)  ほどなく今回の句会の開催地、御岳 (みたけ) である。  このあたりは御岳渓谷と呼ばれている。 (中略)  河鹿園は、御岳渓谷の断崖に乗り出すように建てられていた。 (中略)  文句なしの絶景である。  また丁度対岸が川合玉堂 (かわいぎょくどう) の美術館になっているのだが、いわゆる公共建築風でなく、仙人の住居のようで、おのずから渓谷の閑寂さを深めている。 (中略)  いよいよメンバーが揃って真剣な遊び開始である。 (中略)  初日は嘱目 (しょくもく) である。  嘱目とは目に触れたものを俳句にすることを言う。いわゆる写生というのを思いうかべていただければいいが、別に写生句でなければならないということもない。挨拶句があってもいいし、あるいは眼前の風景から離れた句があってもいい。その意味ではフィギュアスケートなどで言う自由演技のようなものであろう 。(中略)  静かになってきて、いい具合に俳句に集中し始めたかなと安心していると、誰かが吹き出すようなジョークを口にする。それにまた合いの手を入れる人がいて、どうも静まらない。  ちなみにA級戦犯は三橋敏雄、藤田湘子それに岡井隆の三人で、そのジョークに必ず反応するのが有馬朗人なのであった。  が、そのうち大木あまり、岸本尚毅、小澤實といった若手が、つきあいきれないと思ったか三三五五と外へ出てゆき、藤田湘子も自室ひきこもる。 (中略)  摂津幸彦は駅前まで戻っていって、駅前の小さな喫茶店に入り、いちばん端に坐って道行く人を眺めている 。(中略)  初日句会の点数は見事に散った。  結局四点句が最高点句となった。すなわち次の三句である。  17 大寒の日を押してくる青梅線  18 凍蝶になほ大いなる凍降りぬ  68 荒星や毛布にくるむサキソフォン  いずれも含意の深さで勝負するというより、表現の美しさを前面に押し出している。(中略)  68 荒星や毛布にくるむサキソフォン  四点句の最後である。「荒星」「毛布」「さき」と、ある種硬質な叙情性を志向する単語が揃った。 (...

高山れおな「22幼恋/秋麗の金管楽器(ブラス)の如く笑ひしが」(「俳句」10月号)・・

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 「俳句」10月号(角川文化振興財団/発売 KADOKAWA)、特別企画に「古典題詠ルネサンスー恋五十題競詠座談ー」/高橋睦郎×高山れおな×岩田奎・司会 望月とし江。その一部を紹介したい。 (前略) 高橋 れおなさんの句集『百題稽古』が本当に面白いことをやってくれたなと思ったのと同時に、このまま終わってしまうのは勿体ないと思ったんです。これを刺激にして俳句というものが古典の方に足を下ろして未来向かうというのも、今の時代にとって意義があるのではないかと。高山さんが「壮年」の「壮」、奎さんが失礼覚悟で申しますと「幼」、そして僕が「老」で、「幼・壮・老」という年の差がある。その三人が、それも四季題ではなく恋題、それも六百番歌合則って五十題とすれば、「幼・壮・老」の違いも出て面白いのでは?と思ったわけです。 高山 年齢の間隔はちょうど、祖父、父、子といったところですね。 (中略)  1 初恋  摘まん哉けだし恋草思ひ草        睦郎  忽然と胸に恋棲む旱星         れおな  腐りそめながらのうぜんかづら咲く     奎 望月 まずは初めたる恋です。これは、先行する「堀河百首」にもある題です。 (中略) 当時の人は、初恋としては詠まなかった題だと思います。もちろん初恋の意識はあったと思うんですが、時間的概念の強い題だと思います。睦郎せんせいの〈摘まん哉〉はどういう意図で作られましたか。 高橋 僕も恋の初めとして作りました。これは私の師匠であった安東次男の〈隠國のいづこで摘まん初薺〉が頭の中にあったのかなと思います。かなり性的な匂いのする意味深長な句で句です。つまち、草の恥毛のイメージがあるわけですね。 高山 私は藤原良経の一番の歌に「恋草」という言葉が使われているんで、それを採られたのかなと思いました。 (中略)  ところで、俳句を作る時に岩田さんはAIを使いますか。 岩田 はい。語意の認識が間違っていないかとか、自分の句を鑑賞してもらったりとか。『敵』では構成面でだいぶ助けられました。最近のAIは相当読めますので参考にしてますね。 高山 私は今まで全然使ってこなかったんですが、岩田さんの句が一題目でいきなり〈腐りそめ〉ときたことに驚いて使ってみたんです。〈腐りそめ〉が失礼ながら仮に青年客気みたいなことだとしても、なぜ〈のうぜんかづら〉なのかがよくわから...

篠原鳳作「紅(べに)花の咲ける我家(わぎえ)に君来むは明日(あす)の午砲(どん)すぎひと時の頃」(『定本 篠原鳳作全集』)・・

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 前田霧人編著『定本 篠原鳳作全集』(コールサック社)、帯文は筑紫磐井、それには、   名前を聞くだけで心ざわめく詩人がいる。篠原鳳作だ。 〈しんしんと肺碧きまで海のやび〉……あの老獪な虚子さえ驚嘆せざるを得なかったほどだ。そこには昭和初期の短い青春が、氷柱に閉じ込められたように生き生きと残っている。  評伝『篠原鳳作の季節〉の著者が渾身の力作を今ここにまとめた。  とある。また、序は前田霧人。それには、 (前略) 本年は篠原鳳作の生誕一二〇年、没後九十年に当たり、十年後の二〇三六年には没後一〇〇年を迎える。  本書はそのような節目の年を期し、諸先輩による数多の篠原鳳作作品集に拙著『鳳作の季節』執筆時に得られた諸文献を加え、鳳作の全業績とその息吹きを簡潔・平易・正確に余す所なく再現し、後世に末永く伝えることを第一に、全く新しい方針のもとに再編集を施して、短歌、校歌を含む鳳作の全作品、書簡集、日記を収録し、「篠原鳳作論」、篠原鳳作年譜」を付して、『定本 篠原鳳作全集』として刊行するものである。  とあった。冒頭の「鳳作の俳号、筆名について」に、   まず俳号であるが、篠原鳳作(本名、国堅 [くにかた] )の俳号は使用順に、雲彦(昭和三年二月、昭和五年一月~九年十一月)、未踏(みとう、昭和四年十月~六年十二月)、鳳作(昭和九年十二月~十一年九月)、短歌の雅号は志乃原、自生である。  また、昭和四年十月、彼は本格的に俳句を始めるに際し、俳句手帳「俳句手記」を用意するが、その表紙には、「気運生動 主客一如 雲彦」と明記されている。。  全ての他書は彼の最初の俳号を未踏とするが誤りで、最初の俳号は雲彦であることは、その使用順からも「俳句手記」の記載からも明白である。   未踏とは「未 (・) だ俳壇に足を踏 (・) み入れず」の意であり、昭和四年十~十二月の句会で用いられ、その間、本来の俳号である雲彦の使用と俳誌への投句は封印している。「京鹿子」に未踏の名があるのは鹿児島京鹿子句会報としての記載である。 (中略)  即ち、未踏は本格的な俳壇デビュー前の句会だけでの俳号であり、デビュー後は俳号雲彦の傍らで補助的、例外的に用いられた俳号であるに過ぎず、したがって、雲彦名義の文章はあっても未踏名義の文章は一編もない。 (中略)  次に文章を書く際の筆名であるが、彼は雲彦、鳳...

千野千佳「秋めくや弁当箱に箸の部屋」(『鴬餅』)・・

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 千野千佳第一句集『鴬餅』(ふらんす堂)、装画は霜田あゆ美。序は、堀本裕樹。それには、    (前略) 彼女の軽やかさのなかには、驚くほどの粘り強い芯が強固にあったのだ。軽やかさと粘り強さを併せ持ちながら己の俳句を追求 していく。これが千野千佳の真骨頂である。    門松やうどんにつける小ビール  冒頭から肩の力が抜けている。第一句集の劈頭ともなれば、力みが生じたり必要以上に飾りたくなったりするものだが、この飄逸さである。「小ビール」がいい。正月だから、ちょっと呑みたいのである。それで充分、という気持ちが伝わる。  とあり、著者「あとがき」には、   和田アキ子の名曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」(作詞:阿久悠)に、「あなたに逢えてよかった あなたは希望の匂いがする」(JASRAC001-0051-0)という歌詞があります。十年前に出会ってからずっと、わたしにとって俳句は、「希望の匂い」がするものです。  これからも俳句が「希望の匂い」のするものであるように、楽しみながら俳句を続けていきたいです。  とあった。集名に因む句は、    上向いて鶯餅を食べにけり          千佳   茶に浮いてゐるは鴬餅の粉  あたりだろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    アイスコーヒー履歴書の端濡れてをり          ゆづりはや胎動に手のあつまり来   胎の子が膀胱を蹴る初仕事   ぶらんこを譲りつづけてゐる子かな   詫びるやうな暑中見舞の届きけり   売りものの鶯笛を吹いてをり   蜜かけて葛切の線あらはるる       能登半島地震   海なにもなかつたやうに三日かな   吹く人の鼻にのりたるしやぼん玉   封筒を振れば形代出てきたる   ニ三回余分にくぐる茅の輪かな   柿剥くや触つて硬きところから   セーターの上を涙はしばらく玉   卒園式豆のやうなる椅子に親   餌なげて鯉をうごかす夏休   校歌にも川のぼり来る鮭のこと      千野千佳(ちの・ちか) 1984年、新潟県上越市生まれ。           撮影・中西ひろ美「わけもなく秋思整列実の整列」↑

高橋睦郎「雪頻れ達磨俳諧興るべう」(「コールサック〈石炭袋〉」126号より)・・

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 「コールサック〈石炭袋〉」126号(コールサック社)、特集1が「関悦史が聞く昭和・平成俳人の証言(8)高橋睦郎——自分という出口」。その中に、 (前略 )僕は生まれてすぐ一〇五日で父親が死んでるもんですから、僕を食べさせるために母は色々外に働きに出た。で、最初は大分県の中津っていうところの旅館で働いて、その当時、女性に働き口なんてそんなにあるもんじゃないから、そのあと、下関でやっぱり旅館の女中をしていたわけですね。そこを定宿のしていてる商人がいて、でその商人っていうのが中国の天津 (テンシン) の日本租界で、ボタン類を中心した商いをしてる人。その人が日本に帰ってきた時は、自分の家は佐賀なんですけれど、下関に逗留して、母は寡婦だったけどまだまだ若いですから、その母を見初めたっていうか、で、世話をしたいって言いだして母は歳がかなり違ってるし嫌だったみたいなんだけど、旅館のおかみさんがせっかくああ言ってくれてるんだからお世話になんさいみたいなこと言われて、で、愛人になったんですね。 (中略)  それからあと、母が中国から帰ってきた。そのあと敗戦になり、愛人だった人も、向こうで商売ができなくなって、全部向こうで押さえられて、着の身着のまま帰ってきたような感じで、そのうち、その人との関係もなくなり、かなり貧しい状態でした。僕が小学校の四年ぐらいから母が担ぎ屋というか、いわゆる闇米を運んで売るという仕事をしていて、それの手伝いを僕もして、なんとなくその頃から働いてたんですね。 (中略)  句歌集『稽古飲食』のうち句集の「稽古」っていうのは古きに稽 (なら) うっていうようなことになるわけですけど、その古いっていうのは、白川静に説によれば、物事の一番原型、それを「古」と言うんだと。つまり、古臭いっていうことじゃなくて、一番の元なんだと。それを「古」と言うんだちお、いつも原点を振り返るというようなことなんでしょうか 。(中略)  現代詩っていうものに対しても、最初から現代詩の現代っていう部分には何の興味もない。詩であればいいじゃないか。なんで現代って言うんだって。現代に生きていて書いているから、そこに現代が入り込むのは当り前であって、それをわざわざ目指すと、その現代っていう部分から古びていくんじゃないかって思いがずっとあって、現代詩という言い方には最初から抵抗がありました...

關考一「水澄むや鯉に沈むといふ癒し」(『サイフォン式』)・・

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 關考一第二句集『サイフォン式』(ふらんす堂)、装幀・帯文とも中原道夫。その帯には、    還暦やさくらもみぢの未だ黄色  一寸粋で、鏤骨かどうかは知らぬが、中年から初老になりかけた男の第二句集。  溜飲を下げてくれるかどうか、その保証は読んでのお楽しみ。  軽く一杯のあとの口直しになればいいか。  あっ、酒の前の珈琲は止しとく。  とああり、著者「あとがき」には、    「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使の様に純粋で、恋の様に甘い」                             (タレーラン) (中略)  人生の折り返し点をとうに過ぎた僕には、タレーランの言う理想の珈琲には程遠いにしても、その汚れや濁りと加齢臭以外に味や香りと言える様なものが幾らかでも身に付いただろうか?   思うに、毎日が塩っぽい、口中が砂漠の様で渋で一杯だ、偶に訪れる出来事からは鯉の肝を潰したような後味ばかりが残る。遂には寒覚の麻痺から無味とも思われる様になった人生。そこから、色、熱、エキスや甘美な香りを抽出し、僅かな毒(そういえば香水を芳香にする迄の調合にも微量の悪臭が欠かせないのだそうな)の隠し味を加えて毎回新たな味が出来、同じものは出てこない装置。  そんな都合のよいものがあるとすれば、僕はそれを俳句と呼びたい。しかもこちらが死なぬ限りは現役とは有り難い。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    生じたる亀裂不可逆鏡餅             考一    あの時の余寒よもがへらす余震   春雷や三尸の虫の出る虞れ   一匹の蚊に醒めし後悶悶と   父の日よ最晩年のよみがへる   斑猫のその場しのぎの案内かな   かき氷そなた顳顬 (こめかみ) われ顱頂 (ろちやう)   何と云ふ裂け目の深い桃だこと   どの桃も傷付きたくて熟れてゐる   サイフォンを戻る珈琲秋澄めり   一 (ひと) 度も食うたこと無き一位掌に   層状の秋思を縦に切つてみる   火恋しまこと申さば人恋し   狐火も来よ徘徊の父灯す       死んだふりしてゐた海鼠死んでをり   玉子酒玉子抜きとはぬかしをる   關考一(せき・こういち) 1963年、埼玉県川口市生まれ。 ★閑話休題・・松葉久美子詩集『虎の白猫』(ふらんす堂)・・   ...

伊藤左知子「ラバウルを語る焼き栗剥く手指」(第176回「豈」東京句会)・・

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  9月26日(土)は、隔月開催の、第176回「豈」東京句会(於:白金台いきいきプラザ)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    もみぢしてミノタウロスのゐる厩舎      加藤 閑      靴底の剥がれ花野から出れず        伊藤左知子    否さ世に・じゅく柿と知らず啜りおり      凌    敗兵の唐黍となり佇つ畑          杉本青三郎    踊り場の誰も知らない秋といる       小湊こぎく    色目あでやかなるピクルスの裸体       早瀬恵子    杜鵑草男が吹き矢構えてる         羽村美和子    小鳥来るその木の上のはるかの象 (かたち) 大井恒行    次回は、12月5日(土)は、恒例の「豈」忘年句会(於:十条・ミュージカンテ周)です。(愚生注:いつもの隔月の11月最終土曜日ではありません)。 ★閑話休題・・加藤閑「瑠璃色の襤褸纏ひて草の市」(「門」9月号・第467号より)・・  「門」9月号・第467号(門俳句会)、特集は、「加藤閑句集『四季』鑑賞」、執筆陣は川森基次「〈悲しみ〉は夢の断片」、島雅子「転調を許さぬ愛の交信」、垂水文弥「出会う、追いかける、別れる」、泡水織「加藤閑の世界 多生の旅人」、桐野晃「沙漠に始まる物語」、佐々木歩「行く春や描いていない絵の隅にゐる」、三浦碧「瑠璃色の旋律」。ともあれ、本誌より、いくつかの句を挙げておこう。    九月くぢらよ遥か喇叭を父が吹く       鳥居真里子    妻ゆきぬ呉夫の忌なり句で送る        野村東央留    六月の死や君の絵のなかに入る         成田清子    聖五月仮装の我骨壺に並ぶ           村木節子    花に鳥こども110番の家            島 雅子    死にたいと言ふ人派手な水着干す       中島悠美子    神奈備の白蛾となりてきみへここへ       泡 水織    亮悦の俺おれ俳句青嵐            小湊はる子    みづうみのそこひまなうら麦あおみ       上野龍子    輪廻理念つかめずつつが浮巣かな                  大熊峰子    風船や枝に遠流の王として          三上隆太郎    今...

其角「切られたる夢はまことか蚤の跡」(『増補 書を読んで羊を失う』より)・・

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 鶴ケ谷真一『増補 書を読んで羊を失う』(平凡社)、解説は樋口覚「書物と人間」、その中に、  (前略) 鶴ケ谷真一はすぐれた地上の訪問者であり、貪欲な探索者であり、文体において当今珍しいスタイリストである。批評家でもないし、随筆家でもない。文章家というのがふさわしい。引用の仕方が上手で、文章がポリフォニーを奏で読者を夢幻境の世界におびきだす。  凡人が納得し定説として安んじている事柄を転覆させるという意味で革命家である。守備範囲は古今東西を問わず、その学識は広範である。  このことは知識の多寡や蔵書の多さを意味するのではない。  ボードレールを震撼させたジョゼフ・ド・メーストルは、「なんたる雑誌臭」といったが、雑誌とは無縁な香気と懐かしさが、どの章からも感じとれる。 (中略)  すでに「古人」は現代を予言するかのように次のように書いている。  人は書物を購入することをその内容の体得と混同している(ショーペンハウエル)   新刊の書物が出たときいたら、いつでも古典を読みたまえ(小泉八雲)  近著の『月光に書を読む』では「読書人柴田宵曲」が論じられている。柴田宵曲は静かなブームを巻き起こしているが、宵曲の人と生涯について現在書けるのはこの人しかいない。 とあり、著者「あとがき」には、 (前略) 題名は、『荘子』聠拇篇にある「読書亡羊」の故事による。羊を牧していた男が読書に夢中になるあまり、肝心の羊がどこかへ行ってしまったことにも気づかなかったという、身につまされる話なのだが、これはまた、読書がいかに人の心をとらえたかということにもなる。いくらかの反省に加えて、本への思いをこめたつもりである。 とあった。そして、本書の「夢中の詩歌」に、  「切られたる夢はまことか蚤の跡」刀で切られた夢が、実は蚤に刺されたわずかな痛みによるものだったという奇抜。意表に出るこの其角の句はまた、後世の実験の心理学をまたずととも、夢という現象のある側面を解きあかして鮮やかだ。その其角と同じ寛文元年(一六六一年)に生れた鬼貫には、夢のなかでよんだという句がある。「京の町で竜がのぼるや時鳥」何だかとりとめのないところが、夢らしい。   とある。愚生のブログでの紹介はこんなところで、興味をもたれた御仁は、本書に直接あたられたい。愚生が、興味をもったの、解説者が樋口覚とあり、愚生の若き日、確かに歌人だっ...

蕪村「月天心貧しき町を通りけり」(『蕪村』より)・・

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 黛まどか『蕪村/「日常の美」の発見者』(新潮社)、そのプロローグに、   近世を代表する俳諧師と言えば、松尾芭蕉( ばしょう) 、・与謝蕪村 (よさぶそん) ・小林一茶 (いっさ) の三人が真っ先に挙げられる。芭蕉は半生を旅に生き、発句の芸術性高めて俳句の礎を作り、一茶は逆境をバネに生活感情を句に吐露した。対照的でありながらそれぞれに異彩を放つ二人の間に挟まって、蕪村はややもすると地味な存在だ。「菜の花や月は東に日は西に」は知ってはいても、人となりや生き方となるとどうも印象が薄いようだ。  近頃「中動態」が度々話題になる。中動態とは動詞が能動態の形をしながら受動態の意味を表すものをいう。能動態(する)と受動態(される)のどちらにもあてはまらないものを指す。 (中略)  本来の意味とはややずれるかもしれないが、あえて芭蕉、蕪村、一茶の生き方を能動態・中動態・受動態になぞらえたらどうだろう。  芭蕉は強い意志のもとに行動する「能動態」的生き方の人であった。   古池や蛙 (かわづ) 飛びこむ水の音  (中略)   椋鳥と人に呼 (よば) るゝ寒 (さむさ) 哉     一茶  幼くして母を亡くした一茶は、継母に虐待され悲惨な幼少期を送った。十五歳で江戸に奉公に出されたが転々と奉公先を変えた。「椋鳥」とは農閑期に江戸へ出稼ぎにくる信濃人を嘲 (あざけ) る表現。 (中略)  さて、蕪村である。彼の生涯には謎が多いが、最初にして最大の謎がその出自だ。父は摂津毛馬 (けま) 村の長であったともされる。姓の「谷口」は母方の姓だから複雑な生い立ちであったようだ。蕪村自身は出自についてつまびらかにしていない。 (中略)  父母と早くに死別し、二十歳前後で江戸に出た蕪村は、俳諧師早野巴人 (はじん) 宗阿 (そうあ) の知遇を得て弟子となる。五年後に宋阿が死去すると、宋阿の縁故を頼って北関東の有力者のもとに寓居し絵画や俳諧に勤 (いそ) しみながら奥羽などを遊歴する。  京に定住するまでの十年間の流浪の日々は、「漂泊の思ひやまず」旅立った芭蕉のそれとは明らかに違う。まず先に漂わざるを得ない状況が訪れ、その中で蕪村は回遊するのだ。能動であり受動である。或いはそのどちらでもない「中動態」的な生き方だったといえないか。 とあり、エピローグには、   ちょうど本書の稿を起こした頃、...

鳴戸奈菜「ダンテの忌髪に野薔薇や星や百足」(「風琴」第6号より)・・

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  「風琴」第6号(風琴の会)、長谷川裕「風琴スケッチ/第五号を読む」の中に、     ワタクシを焼き尽くすまで寒夕焼    西谷裕子  ドブ川の両岸は強制疎開で建物が取り払われ、原っぱが広がっていた。木枯らしの夕暮れ、凧をあげた。遠ざかっていく黒い点が、血の落日に吸い込まれて消えた。私の夕焼と言えばその光景である。あの夕焼けに焼き尽くされて、ここまで生きてきたんだな。    秋の鳥舌 (べろ) が発光して居りし    矢田 鏃  焼けた鉄をハンマーで叩くと火花が飛び散る。その一つ一つが俳句だ。鳥も生きる熱量を持っているから、それぞれ舌が発光するには当然だ。シジュウカラは互いに会話しているとか。それが聞き取れないのは、我ら人間が愚鈍、愚蒙であるからに他ならない。   とあった。特集は「キネマと俳句と」のエッセイで、五十嵐進『沓掛時次郎 遊侠一匹』、M・M『鰯雲』、柴田獨鬼『芙蓉鎮』、関根順子『おとうと』、月犬『地獄の黙示録』。連載に皆川燈「耕衣から径子への葉書⑤」、五十嵐「フクシマから見えるもの⓺え?原発素材でフライパン?」等。ともあれ、本誌より、いくつかの句を以下に挙げておこう。    あ、あ、蟻、の、た、隊列、く、くずれ、ゆく (愚生注:く、ゆ は横にズレて表記)       絨毯の模様をたどる指先          月 犬    蓮華野を突っ切ってゆく白狐           西谷裕子    蝶ちょうは森の宝石恋したい           三池 泉    母の日へ紙飛行機でゆくあはれ          皆川 燈    一・一七らふそくの火をみつむ          矢田 鏃    母の日の鏡にうつる父の顔            結城 万   風下にいて風上を考える             五十嵐進    花でなく貝になりたい敗戦日            M・M    紙の鶴息吹きかけて折鶴忌            柴田獨鬼    わたくしに逢ひにゆく日は花の雨         関根順子         撮影・芽夢野うのき「地球から飛び出てごめん赤々茸」↑

飯野あきこ「秋茄子の渾身の紺母の紺」(『青嵐』)・・

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 飯野あきこ第一句集『青嵐』(角川書店)、著者「あとがき」に、  私は人生の大半を市井の勤め人として過ごした。俳句とは無縁であった。俳句に出会ったのは定年退職後を経た二〇〇七年、「天草俳壇」の鬼塚金剛がその主宰となってからである。それに伴い、首都圏在住者による「天草俳壇東京句会」が発足した。二〇一九年「天草俳壇」は終刊となったが、二〇二六年現在、句会は続行中である。  ここに収めた句はすべて二〇一〇年以降に作句したもので、かつて「天草俳壇」に掲載されたものとメール句会(コロナ禍以降はメールによる句会となった)に投句したものばかりである。私の俳句のすべては「天草俳壇」に集った人たちによって育てられた。  とあり、巻尾のエッセイ風「解説」の一つには、     インド ガンジス河  大方のインド人にとって、死後はガンジス河に葬られるのが理想でらう。このため死期を悟ると、ガンジス河に面し、大きな沐浴場と火葬場の集中するコルカタ(英語名カルカッタ)にやって来る。ここはマザー・テレサが設立した「死を待つ人の家」があるが、そこに収容しきれない人々が常に路上にあふれている。私たちの宿泊したコルカタのホテル前のアーケードのある舗道には、暗くなると足の踏み場もないほどぎっしりと人が横たわり、一夜を過ごす。そしてそのうちの何人かは朝になっても起きてこないのだ。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。    鶴引くや潟に残せし古代文字        あきこ    雛壇の奈落に控へ御所車        朧夜の黒猫すでに魔のにほひ      東日本大震災一年後   一時帰宅二時間だけの鯉のぼり   砂すべる森閑として蟻地獄   昭和史にムンクの『叫び』蟬しぐれ   秋空に兜太墨痕プラカード   霜柱ざくざくと父征きし音   少しづつからだを捨てて生身魂      インド ガンジス河(一九七五年)   屍焼く火や炎天の聖河べり   寒雷やカフカ籠りし庵より      エルサレム パレスチナ 死海(二〇一七年)   冬ぬくし嘆きの壁は男児別   冬の蜂憤死けはしき分離壁   冬麗の死海に拾ふ塩の石  飯野あきこ(いいの・あきこ) 兵庫県八鹿町(現・養父市)生まれ。 ★閑話休題・・山内将史「逃亡や銀河を渡るアドバルン」(「山猫便り/2026年9...

木暮陶句郎「小鳥来る桑都の風に透けながら」(『窯変』)・・

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  木暮陶句郎第四句集『窯変』(東京四季出版)、著者「あとがき」には、   句集『窯変』は私の第四句集である。元号が令和に変わって以降の令和八年四月までの約七年間の三二六句を編年体で編んだ。  窯変とは焼物が窯の中で思ってもみなかった佳き色彩や風合いに変化すること。人知の及ばない神秘的な現象に陶芸家たちは魅了され、火の神に感謝を捧げるのである。俳句もまた四時の循環の中で対象と真摯に向き合えば、窯変のごとく自分以上の作品が出来るのかもしれない。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。   かもめ飛び交ふ白南風を繋ぎつつ       陶句郎   蹴轆轤に人日の艶ありにけり   案山子立つ赤城の幅に手を広げ   春宵の灯へ恋占の手をひらく   花屑の風の大学通りかな   むささびの飛んでみどりの夜をつなぐ   空にヘリ地に踏絵めくマンホール   空蟬の軽さを幹へ戻しけり   夏霞蒼し浅間のあるあたり   空蟬の裂け目が風の笛となる   きんいろの雪降るポインセチアかな   風低くあり吉兆の蛇の衣   鷹よりも鷹匠の眼の鋭さよ   火の神の力を恃み去年今年   花ごころつなぎて大和こころかな   陶工の常の深爪葛の花   まづ山を望みて轆轤はじめかな   木暮陶句郎(こぐれ・とうくろう) 1961年、群馬県渋川市生まれ。             撮影・鈴木純一「大津絵の鬼に新酒を持たせやり」↑         9 月 21 日   古今亭志ん生・五代目   没   ( 1890 ~ 1973 )

各務麗至「 霊山墓地かういふ風に生きて死んで」(「詭激時代つうしん」30より)・・

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 「詭激時代つうしん」30(詭激時代社)、巻末「覚書にかえて……」には、   若い頃から、難しい理屈でなく、こうありたいと思う生きざまを主人公に託して書いて来たように思う。 (中略)   私小説私俳句と言えばそれはそうかも知れないが、何かそんなものとも違うような気がするが、人間として恥ずかしくないように、目の前の現実と闘っているだけ、 と、そういう諦念もないではなかった。まだまだ至り難く道遥かにして……、である。  とあった。本誌より、句をいくつか挙げておこう。   春の日はくやし涙は自責かな        麗至   昔々老いて矍鑠五月晴れ    林間涼風わたくしの日課なんですよ   百年を一括りとせむ原爆忌   木枯らし木枯らし死んで生きてやる ★・・夏礼子「鍋の湯が沸きすぎている憂国忌」(「詭激時代つうしん」31より)・・   各務麗至「追記…」には、 令和八年「2026 かがわ文化芸術祭」参加誌、文芸「青い鳥」に寄稿した「秋桜」小説等部門で「香川県知事賞」を賜ることになった。因みに夏礼子は詩歌部門。  その内定進行電話が、佐代子の誕生日の七月二日に……、思い一入で、感謝。 と記されていた。 その「秋桜」の冒頭は、 万緑の山々に紅葉が目立つようになってきた。 今年七十三歳の妻だが、 この夏に二回目の脳梗塞や、透析など闘病生活四十数年で、初冬の現在腰椎圧迫骨折に多機能障碍で再入院していた。 そんな妻が、明るい目をして、 孫とも行ったりした不動の滝の桜のみごとさを嬉しそうに私に語るのである。 まさか……、 三途の堤の桜並木か、——ムヤミニキレイダッタので、来年も、と、サクラバカリミテイタだけが忘れられないらしい。 ――ソラバカリミテイタ。ソレデアカルクナレタ、 と同じような声を聞いた記憶があった。 とあり、末尾には、 病床の妻が、不動の滝の桜のはずが、——ハシノムコウニイッテ、ひかりにつつまれたと言った。そして、  何度もなんども、揺れる桜の花に感激したとのその話から、  コスモス、の、風に揺れるひかりの中のその人を思い出してしまった。妻もまた、ひかりの中に消えてなくなるのを知らされたのだろうか。……。死んで、死なれて残る私のことを心配させないように憂えていたのだろうか。  その人は、天のことわりに照応するように、地のふるまいを見せてくれた。  一周忌は、季...

和田久太郎「もろもろの悩みも消ゆる雪の風」(『アナキストの悪戯(いたずら)』より)・・

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  伊藤野枝『アナキストの悪戯(いたずら)』(マヌケ出版)、編集後記には、  伊藤野枝といえば「フェミニスト」であり、「アナキスト」で、肩書だけ書いてしまえば何だか難しい人のように感じるかもしれません。ですが本書を読んでいただければおわかりになるように、非常にユーモラスでチャーミングな方であったように思います。編者がとくに笑ったのは人物評で、悪口のようにも思えるその文章は切れ味が凄まじく、傍若無人の書きっぷりに笑わずにはいられませんでした。  とある。特別付録・栞「野枝さんのこと」に、佐久間裕美子 「伊藤野枝」 、高島鈴「 伊藤野枝についてのごく当たり前の話」 、氷上アクア「 ストリップ劇場から抵抗をこめて 」。その氷上アクアは、   私はストリップ劇場で踊ることを仕事にしている。ストリップは警察の恣意的な摘発で いつ営業停止処分をくだされるか分からない興行だ。そんなグレーゾーンのなかで、多くの踊子は自分自身でプロデュースした演目を見せている。  2025年10月、私は新作の『野枝』をはじめた。伊藤野枝の生涯を私なりに解釈して演じている。二兎社の『私たちはなにも知らない』を観たばかりのころ、仲が良い同僚に「あなたって世が世なら投獄されそう」と言われたことで野枝が心にとどまった。“投獄されそう“を過大評価と感じたのはうっすらとした破滅願望では、と思い赤面する。 (中略)  演目に話を戻すと、『野枝』では自分の感情を追体験するようにしている。野枝がいつどのように思っていたか、なんて分かるはずがないし分かった気にもなりたくない。だから、事実とされている出来事をなぞり、似た体験のときに私が表したり表せなかった感情を再現している。インナーモノローグ(演劇用語で声に出さず心のなかでつぶやいている言葉を設定したもの)はすべて、私自身が出会ってきた人たちの固有名詞が入っている。 (中略) 実在した人物をストリップで演じることが故人への冒涜や暴力として受け取られかねない、というおそれがあった。初演の週に一旦それらの不安が払拭されたため『野枝』として演目のタイトルを公開した。しかし、ストリップで演じる限り、この危険性 は常に意識していたい。  『野枝』のラストシーンは、うす暗い劇場のなかで真上に手を伸ばすポーズで終わる。百年前に憲兵に殺され、古井戸に捨てられた野枝のイメージであ...

出口王仁三郎「山火事は数里に続き雲の色茶に染まりつゝ天日焦げたり」(『樺太を訪れた歌人たち』より)・・

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 松村正直評論集『樺太を訪れた歌人たち』(ながらみ書房)、その「はじめに」には、  そもそも樺太に興味を持つようになった最初のきっかけは、短歌評論同人誌「ダーツ」第六号(二〇〇四年一二月)に、「出口王仁三郎『東北日記』を読む」という文章を書いたことであった。『東北日記』は東北・北海道・樺太への巡教の記録なのだが、そこには文章とともに多くの短歌が収められている。  まず印象的だったのが樺太の地名である。「多蘭泊 (たらんとまり) 」「藻白帆( もしらほ)」「 羽母舞 (はぼまい)」、「 仁多須 (にたす)」、 「久春内 (くしゅんない)」 など、ルビがなければ到底読めないような駅名が続く。アイヌなど先住民の付けた地名に漢字を当てたものだろう。それから「山火事」「養狐場」「ロシヤパン」「鰊漁」など、内地や現代とは異なる暮らしの様子にも興味を惹かれた。 (中略)  その後、少し調べてみると、戦前には多くの歌人が樺太を訪れて歌を詠んでいることが分かった。北原白秋、石槫千亦、斎藤茂吉、北見志保子、土岐善麿、下村海南。 (中略)   なぜ、戦前はこれだけ多くの歌人が訪れ、これ だけ多くの歌も残っているのに、今では樺太に触れる人が少ないのか。 (中略)   けれども、戦前の歴史をなかったことにして忘れれてしまえば済む問題ではない。事実に蓋をしてお終いにしてしまうのではなく、歴史は歴史としてきちんと見つめることが大事なのではないか。戦前の樺太に四十万人もの人々が住み、様々な暮らしを営んでいた事実をきちんと受け止めたいと思う。  とあり、また、「あとがき」には、 (前略) 「なぜ、樺太か」という問いに対する明確な答えはまだ見つからない。しかし、サハリンを訪れてみて一つだけ感じたことがある。それは「鎮魂」ということだ。鎮魂と言っても亡くなった方々への追悼という意味だけではない。戦前の樺太に暮らし、樺太という土地に様々な夢を描いた人々の思いは、敗戦によって断ち切られてしまった。それらを何らかの形で受け止めて、鎮めることが必要なのではないかと感じたのである。  とあった。愚生のブログでは、本書を紹介しきれないので、是非、直接、当たられたい。ともあれ、本書の中から、樺太在住だった歌人を含めていくつかの歌を挙げておこう。   群立ちて白鳥は陽にかがやけり遠去りゆくに声のかなしさ    ...

佐藤鬼房「やませ来るいたちのやうにしなやかに」(「澤」8月号・創刊二十六周年記念号)・・

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 「澤」8月号・創刊26周年記念号(澤俳句会)、特集は佐藤鬼房、記事に高野ムツオ・小澤實対談「雷雨を浴びまっすぐ立っている木/『佐藤鬼房全句集』を読む」(2025年12月27日、朝日カルチャー立川教室主催リモート対談の再録)、論に、小田島渚「春雷に打たれよ」、梶等太郎「飽くなき詩魂/第一句集『名もなき日夜」、周藤迪之相「辺境に立ち境涯を詠む/第二句集『夜の涯』」、井上雅惠「傷の記録/第三句集『海溝』」、オオタケシゲヲ「大地から空へ/第四句集『地楡』」、池田瑠那「地を這う鳥の矜持/第五句集『鳥食』」、佐藤涼子「土俗の人間の風景/第六句集『朝の日』」、山口刃心「鬼房五番立/第七句集『潮海』」、野崎海芋「歩き出す/第八句集『何處へ』」、木内縉太「貫ぬいてあるもの/第九句集『半跏坐』」、江藤鳥歩「行方知れたる/第十句集『瀬頭』」、村上佳乃「かんかん虫を志す/第十一句集『霧の声』」、山下希記「無心の境地/第十二句集『枯峠』」、深井十日「重さのさきにあるもの/第十三句集『愛痛きまで』」、押野裕「最後まで持ち続けた希望/第十四句集『幻夢』」。その他、一句鑑賞に各同人約50名。他の特集に小澤實『近現代俳句』刊行記念講演録、池田瑠那星野立子賞・俳人協会評論新人賞等々、第26回澤潺潺賞・澤新人賞等など。保存版の一冊。内容の紹介などは、愚生のブログでは到底無理なので、直接、本誌に当たられたい。  ともあれ、本誌より、以下にいくつかの句を挙げておきたい    フクイチ一時立ち入り許可証セーターの胸に垂らす      小澤 實    この店に良き井戸ありて心天                高橋睦郎    友手製のずんだおはぎや追ずんだ             小澤たえみ    技術的特異点 (シンギュラリティー) 近しと男みかん剥く  笠井たかし    年賀状書ける喜び米寿われ                上村ヒナコ    祝い膳より進むビールや父百歳              牧原奈緒美    しやきといふ石炭シャベル引き抜けば            山下希記    野遊びの茣蓙に胡坐や授乳せる              遠藤ちひろ    牡丹雪の滲み積もりや戦中                 相子智恵    海霧わたる野よ先行くは楸邨か               池田瑠那...

藤井南帆「本日はイルカとならむ水眼鏡」(『花縮砂』)・・

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  藤井南帆第一句集『花縮砂』(ふらんす堂)、序は藤田直子、それには、  (前略) 草月流の師範である南帆さんは、俳句と生け花には似たところがあると言う。生け花に「疎密強弱」という言葉があり、「生けるときには、花に密度と強弱をつけなさい。一番主張したい部分の爲に、他の部分は思い切って捨てなさい」と教えられた。俳句を作るにもこの言葉が念頭にあると話す。  とあり、跋の黒澤真麻生子には、  (前略) 蜩や悲しむことをためらはず      叶ふ夢叶はぬ夢やひなあられ  光と影、始まりとと終わり、心のやわらかいところ、生きとし生けるものたちの様々な事象や感情を繊細に感じ取り、己の感性を信じて句に仕立てることができる作者である。  とあった。また、著者「あとがき」には、      旅の夢は沖を見つめて花縮砂  句集名となったのは南の島への旅で詠んだ一句である。  小さな頃から南の海に憧れて小学生になると写真集やポストカードを集めては眺めた。暖かい季節が好きで寒いのは大の苦手。一年中夏だったらいいのにと思いながらプールの底に沈んで水面を眺めるのが好きな子供だった。  大人になって常夏の島に行けるようになり、波の音を聴きながらかいだ花縮砂の香りは甘くて、憧れが叶ったとおもった。  本好きで、言葉や文学に興味があり、図書館や本屋が大好きな私にとって自分の句集が出来上がることもまた一つ憧れが叶うことである。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    団栗のみな一点に光もつ          南帆    白鳥の夢みる力おとろへず   かなかなの悲しとまでは言ひ切らず   生くるもの皆傷負うて冬銀河   ふくろふにもおばけにもなる芒かな   春泥に羽をよごさず鳩歩む   千年を生くる言葉よ蓮の花   真円ははかなきかたち大花火      祖母永眠   永訣の手向けに桜一枝を   白鳥の生涯白を裏切らず   ぬかるみの中の光や建国日   終はりゆく昭和百年除夜の鐘  藤井南帆(ふじい・なほ) 1977年、兵庫県生まれ。     撮影・芽夢野うのき「雨しきり降る秋の木に真っ赤ないのち」↑

小池正博「風媒花不信の風に特化する」(「川柳スパイラル」第27号)・・

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 「川柳スパイラル」第27号(編集発行人 小池正博)、「編集後記」に、 (前略) 特集の「現代川柳と私」には、かつて本誌に投句していた詩人の水城鉄茶、本誌会員の野に咲くお花・下野みかも・森砂季、前号のゲスト作品に招待した桜庭紀子に執筆依頼。これまで会員作品のやりとりだけだった方もエッセイを書いていただくと作品の背景がよくわかる。  とあった。その執筆タイトルは、水城鉄茶「 若干あやふやな思い出——私の現代川柳備忘録 」、野に咲くお花「 現代川柳は楽しい! 」、下野みかも「 現代川柳と生活と私」、桜庭紀子「やわらかなソファ」 、森砂季「 現代川柳ボカロPのススメ 」。また、巻頭のエッセイは、小池正博「 現代川柳の再構築 」。  ともあれ、本誌本号より、いくつかの作を以下に挙げておこう。    御旗に飛ばすケチャップソース        南雲ゆゆ    絶版の周波数に女雀の・V・O・I・C・E    水埜青磁    地球語は解読してもしょうがない      空野つみき    兵器工場に近すぎる遠足          加那屋こあ    初雪寂しい東京都のおもてうら降る      馬場叶羽    蒸しあがる 話を逸らす順番に        小沢 史    捏造のほとんどはある馬を焼く        林 やは    アガリの悔恨                湊 圭伍    羽つき甕棺そら見上げてくしゃみ     性懲りもなく野鳥通信         宮井いずみ    此の世に罰おおし紫陽花を手折る       川合大祐    あの時は仕方なかっただけを拭く     まつりぺきん    香水の事情を知らぬふりをする        小池正博    陰謀論イヌは他人の口で「はい」       猫田千恵子    立つ笑うそして誰かになっていく       畑 美樹    青梅なチャメクタラファで毒を盛る      石川 聡    俎板の鯉(あたくし)ににてる国       西脇祥貴    たましいが液状なので泳げない       清水かおり    ご注文承ってから呪文            兵頭全郎         撮影・中西ひろ美「烈日の恋しくもあり狐花」↑

山田耕司「草の芽や男泣きなら四ツん這い」(「We」第22号)・・

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  俳句短歌誌「We(うい)」第22号(俳句短歌We社)、本号の招待作家は山田耕司15句「殴れよ今」。表紙に「竹岡一郎句集『人類を薙ぐ』刊行記念とあり、まつわる記事は、関悦史「竹岡一郎句集『人類を薙ぐ』逍遥」、故竹岡一郎再録「豊里友行句集『地球の音符』を読む/赤ン坊(アカングワ)のために」。他の論考には斎藤秀雄「短詩グラマトロジー 第16回:撞着語法」。その冒頭に、  撞着語法をもっとも厳密に定義するなら、こうなる。 「互いに排他的(共通部分が空)であり、補集合のない概念同士が結びつくことで、心理的に摩擦を引き起こす修辞」。「独身である既婚者」「不法な合法」は、互いに排他的で、かつ、補集合のない概念同士の結びつきである。独身でも既婚でもない人物は存在しないし、不法でも合法でもない行為もない(いわゆる「死法」はあるが、たんに処罰されないというだけである)。難解に映るかもしれないが、この定義は重要だ。矛盾律に抵触する事態であって、単なる意外な並置ではない。「青い血」「白いカラス」は意外であるかもしれないが、矛盾はしていない。  しかしながら、あまりに厳密な定義は、現実的ではない(実用性をそこなう)。 (中略)  撞着語法は古典的で歴史の長い修辞技法である。「急がば回れ」「慇懃無礼」のような成句。《きれいは汚い、汚いはきれい》(シェイクスピア『マクベス』)。《黒い四角/は/黄いろい/朝食であった》(北園克衛「黒い装置」)などの文学作品。(中略)  そもそも「撞着語法」の原語のOXYMORON自体が、ギリシャ語のmoros( 愚生注:記号は略。 鈍い、愚かな)を組み合わせたものであり、「賢い愚かさ」「鋭い鈍さ」を意味する撞着語法である。  とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    あの丘へさらきづかれて蛇苺         塩永孝一     *「きらさづかれて」は、さまよい疲れてという意。熊本北部の方言    歳月の玻璃剥ぐたびの仄曇り         斎藤秀雄    数珠持つ手支へ合いたる小春の日       島松 岳    りんご匂うきみの中にもいた妖精       竹本 仰    みなしごはをどりこかたかごのとりこ     田中目八    大根の花無人駅まで歩く           林よしこ   感情の奥を歩いていると深夜の踏切があった  ...

峯岸一茂「戦止まず兜太の句碑の灼けてをる」(『九曜』)・・

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 峯岸一茂第一句集『九曜(くよう)』(朔出版)、序は橋本榮治、その中に、  (前略) 一茂さんの控えめで明朗な性格と明晰な判断は決して作品の邪魔にはならないが、それまでの作品は纏まりが過ぎて、何か一つもの足りないものを感じていた。しかし、第一章で言えばほんの初期の作だが、   野遊や一打で開くベビーカー は間違いなく明晰な思考で表現した明快な成功作だろう。また、ア音とイ音が交互に出て来る若々しい響きが内容に合致することにも注目したい。同様に響きが魅力的な作品として、   送り火やぢいだばんばの海暮るる  が挙げられる。控えめな情の表現に対し、象潟の方言「ぢいだばんば」の跳ねるような音を効果的に使い、暮れゆく初秋の景色を読者の心に印象付けている。   とあり、また,著者「あとがき」には、    妻が編物を共に習っていた方から句会への参加を勧められたが、辞退したため私が行くことになった。祖父が白髪頭にベレー帽を被り楽しそうに句会に行くのを見ていたが、私とは縁がないと思っていた。  初めての句会は、木内彰志を中心に「海原」の重鎮が並ばれた会場の隅で小さくなっていた。それを見兼ねて俳句の手解きをしてくださったのが本杉純夫氏で今に至っている。  入会後、すぐに妻を亡くし、その翌年度に彰志氏が遷家された。数年後の結社誌の終刊に伴い、「枻」に入会し、橋本榮治先生の教えを頂くこととなった。 (中略)  句集名は家紋の九曜から採った。家紋を見ることは殆ど無いが、私の小さい頃は寺で焚いた盆の火を持って帰る提灯に付いていた。実家を畳み、墓が残るのみであるが故郷は常に心にある。   とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    つなぐ手の少し冷たき初蛍          一茂     妻は   抱くことの叶はぬ稚 (やや) の毛糸編む   結納の隠しに遺影春あはし   半夏生草津波の痕の窓の錆   僧のほか席順不問夏座敷   被災者のカタカナ表記身に入みぬ   海光の影を作らず水仙花   狐の剃刀手折りて妻に会ひにゆく   小さき手の小さき木の実貰ひたる   草いきれ果てて産廃処分場   稲光見えざるものの影を生み   原発か海市の巨き建物は   正答も誤答もあらずところてん   地の果とふ古着の店や鳥渡る  峰岸一茂(みねぎし・かずしげ) ...