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森田緑郎「蓬の家か乱入の夜のほしいまま」(「海原」7/8月号より)・・

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 「海原」7/8月号(海原発行所)、森田緑郎遺句抄(堀之内長一・抄出)のページがあって、愚生は,初めて森田緑郎の逝去を知った。令和8年4月17日逝去、享年96とあった。思えば、故多賀芳子宅でお会いしてから、長い間交誼をいただいた。もう一つ、今号の本誌には注目の記事に、齊藤しじみ「わが追憶の満州、熊野そそて広島~俳人・安西篤の産土を辿る~(前編)」がある。  ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    春浅きガザに数なす写楽面         安西 篤    瀕死なる国に原爆落とせと命        武田伸一   天に網昼顔に耳ありそうな        堀之内長一    配膳ロボットときおり青き踏みたがる    宮崎斗士    鳶は衛星になりたい笛を吹くら       十河宣洋    老いてなおわが声紋をみがく春       舘岡誠二    紐いろいろその世の海髪の流れ寄る     山中葛子    巣箱置きますます耳は透明に        若森京子    弾丸を遠くに置いて蟬時雨         中内亮玄    蜥蜴出づお主も金釘流にて生きよ      並木邑人    手の平は虚構の飛び地飛花落花       松本勇二    意思ありて意思なくクラゲ寄り添う   マブソン青眼      橋をいま渡りし友よ著莪真昼       水野真由美   三月三角、四月はなんか四角っぽい     望月士郎    てふてふに生きかはるまで石鹸玉      柳生正名    花の闇真闇火の闇水の闇          山本 掌    花便り掻き消す戦四月の雪         石川青狼    恋猫や島にひとつの雑貨店         小野裕三   少年と夫婦のように端居して      こしのゆみこ   帽子屋の鏡に映る木の葉髪         芹沢愛子    ハルシネーション白き火白き火蛾      田中亜美    桜咲き満ちて宇宙に宇宙船        月野ぽぽな    こんな日は恋人つなぎ櫻雨        石橋いろり    入学や雲形定規穴ばかり          片岡秀樹    風船を逃がさぬように糸と針        河西志帆    淡雪は二・二六を見ていたか        野口佐稔    身の内に蜃気楼あり 春の海        武藤 幹    春愁...

竹岡一郎「卒塔婆這わせてもさみしがるかたつむり」(遺稿句集『人類を薙ぐ』)・・

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  竹岡一郎遺稿句集『人類を薙ぐ』(俳句短歌We社)、解説の抜は関悦史「快力乱神と立てあう音なき音」。それには、     焚火して龍の眠りをおびやかす  「怪力乱神を語らず」とは「論語」のなかの言葉だが、竹岡一郎は怪力乱神を句にする。むしろそれを詠めずして何のための俳句かとすら思っていたかもしれない。題材はおのずと怪談、ホラーに近づく。ただし他愛もない意匠としての怪異ではない。むしろ力での対決を前にし、自分の誇りと身を担保にして腕っぷしの強さをデモンストレーションしているような気迫と、そんなことをしてしまう、せずにいられないがゆえの稚気と目出度さを同時に感じさせるものだ。ドスの利いたイメージの句も少なくないのだが、それらの背後には無垢さ、善性、大らかさが漂っているのである。傷は傷として、痛みは痛みとして抱え、責めは責めとして負っていて、それらもどこか過剰さを帯びたアレゴリカルな句をなさしめる一因でがあるのだが、全体としてルサンチマンは不思議に希薄なのだ。「思邪無し(おもいよこしまなし)といえば『詩経』についての孔子の評言で、怪力乱神を句に招き入れながらも竹岡一郎の座標は、孔子の理念と、じつのところメビウスの輪的に、捻挫しそうな位相でつながっているのではないかという気もしてくる。 (中略)   人類を薙ぐを夢見る鎌鼬  「鎌鼬」が冬の季語ではあるのだが、季語からの発想や連想ではおよそ出てきそうにない句で、ここでも非現実の存在「夢見る鎌鼬」が異様な重量と実体感を帯びて居座っている。「人類を薙ぐ」ことに必要な力量とその手応えが読者にダイレクトに伝わってきてしまうからである。  人類よりは鎌鼬の方に作者はシンパシーを抱き、その夢を別け持ってはいるが、必ずしも鎌鼬イコール作者ではない。薙ぐ方と薙がれる方、その接点から痛みは生じるのである。(中略)  〈殴打の継承断つに霞の心身を〉という句もこの句集稿にあるが、自他の暴力性に対するひとつの胆識(あるいは受容)がそういう視座を形づくったのだろう。  とあり、加藤知子「刊行の経緯について」には、 (前略) 竹岡一郎と私との俳縁は、『けもの苗』(二〇一八年)から始まる。それまで何の接点もなかったし、ほとんど未知の人だった。が、同句集を拝受してから、「We」8号(二〇一九年九月)に、「『けものの苗』考ードッペルゲンガーを中心として」を書...

櫂未知子「轢死またひとりの歴史晩夏光」(「現代俳句」7月号)・・

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 「現代俳句」7月号(現代俳句協会)、巻頭エッセイの「直線曲線」は山﨑十生「我逢人」。その中に、   一 関口比良男/私は十六歳で「紫」の門を叩き、関口比良男が天に召されるまで師事し、公私に亙り面倒をみて戴いた。関口比良男の存在は、私自身の中で大きなパーセンテージを占めている。俳句結社の運営や編集のこと。芸術一般まで幅広く教えて戴いた。 (中略) 「紫」も今秋十月には、創立八十五周年を迎えることになる。高齢化現象は俳壇全体にも言えることで、「紫」もその波をもろに被っている。来年の十月には創刊1000号が迫っているのに忸怩たる思いである。主宰の私が励みとなっているのは、優秀な作家が育ち、多くの成果を上げている事である。その会員の力を結集して「紫」1000号を目指していく所存である。 (中略)  また、齋藤愼爾の深夜叢書社で堀井春一郎が編集していた「季刊俳句」第四号に「新しい作家」として攝津幸彦と私とが掲載された。攝津幸彦は「あなめりか」、私は「昭和改元論」と気負ったタイトルであった。私も攝津幸彦もまだ、二十代後半で社会性や諧謔性を盛んに打ち出していた時代である。 (中略)  俳句に関わった六十三年間を振り返ると、不思議な縁、さまざまな人との出合いにより、現在の私があることに感謝したい。それが「我逢人」である。   とあった。ともあれ、本誌よりいくつかの句を挙げておこう。   草原に反歌の座あり吾亦紅       安西 篤    文脈にない涼しさよ水の面       松澤雅世    潮に呼ばれし人と夏に入る       曾根 毅    猫撫でて時々掴む猫の骨        星野昌彦    テラスまで届くWi-Fi夜の秋       花谷 清      矛盾するにも背泳ぎの届かざる     髙田祥聖    みどりの夜とくとくとくと脈渇く    内野義悠    激 (たけ) しき鏡 (うつしみ)    山根もなか    熱帯魚な眺め待合室無言       鈴木亜由美    滝壺に蛇を投げれば花群るる      加藤知子 ★閑話休題・・第60回蛇笏賞・大木あまり『山猫伝』/迢空賞・桑原正紀『麦熟るる頃』、日高堯子『日在浜』贈呈式・・  6月28日(日)は、第60回蛇笏賞・迢空賞の贈呈式(於:ホテルメトロポリタン エドモント)だった。旧知の大木あまりもそうだが、歌人の桑...

小澤實「志文芸にあり藪虱」(『小澤實前期句集集成』より)・・

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 『小澤實前期句集集成』(ふらんす堂)、著者の「前期句集集成刊行についてのあとがき」には、   句集『砧』『立像』『瞬間』それぞれが、絶品品切れになって、長い。三句集を再録した『小澤實集』もまた、絶版品切れになってしまっていた。  ここに三句集および『礼の形』を収録して『小澤實前期句集集成』を刊行する。  この三句集に収めた句は、ほぼ旧師藤田湘子の選に入った作品である。湘子の選と向き合わなければなしえなかった作品である。あらためて、師に謝意を述べたい。 (中略)   現時点において、わが中期、後期の句集がどうなるのか、まったくわからない。いつ中期が終わるのか。すでに後期が始まっているのかもしれない。ただ、その作品の充実のために、日々努めていくしかない。 (中略)   本書を「澤」創刊二十六周年記念出版として上梓する。  とあった。そして「礼のかたち/こころには、姿がある」から一篇を紹介しておきたい。   梅雨に入り鬱陶しい毎日がつづいています。こんな日は君に会いたくなります。  国宝に指定されている垂迹曼荼羅である「那智瀧図」に対して  君よばわりしてもうしわけありません。  昨秋、久しぶりに根津美術館で君を見ました。  以前の公開のときにも見ていたのですが、それは修復がなされた直後で、  実は落胆したのです。  画面が洗われて像が明るく鮮明になったのですが、  全体から神秘性が失われているような気がしたのです。  それが今回会って、峻厳な神秘的な絵であると思っていた君が  実に親しみ深い風景画であることに気付いたのです。 (中略)   君の作者は神聖な瀧そのものとわたしたち人間とを君を通して結びつけているのです。  ぼくらは自然の風景がそのまま神となる伝統のなかに生きています。  しかし、ふだんその感覚を忘れてしまっています。  それを呼び起こしてくれるのが君なのです。    平成十四年六月二十日                   小澤 實  那智瀧図録様     那智瀧図に香木を贈る  瀧しぶき浴び立ちつくすばかりなり   とある。ともあれ、本集より、いくつかの句を挙げておきたい。    さらしくぢら人類すでに黄昏れて        實    ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな    ふはふはのふくろふの子のふかれをり   河童忌や手もて蝶なす影遊び ...

須崎武尚「裸婦像の囮(おとり)の髪や女郎蜘蛛」(第198回「吾亦紅句会」)・・

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  6月26日(金)は、第198回「吾亦紅句会」(於:立川市高松学習館)だった。兼題は「夏至」。以下に一人一句を挙げておこう。    蜘蛛の巣の目に囚われて地球かな       松谷栄喜    廃校のコミニュティ広場梅雨明ける     折原ミチ子    スーパーのオープン目玉枇杷並ぶ       渡邉弘子    さくらんぼルージュのように触れてみる    関根幸子    風神と龍のセッション台風来        堀江ひで子    農作業二十四節気夏至にあり         村上さら   どこまでも植田続くや鷺の舞ふ        奥村和子    螢や熱くならざる恋も恋           田村明通    特攻花かざして送った夏至の朝        齋木和俊    老鶯の味ある途切れ小節かな         須崎武尚    茄子の花妣の言葉を想い出す         武田道代    高幡不動の紫陽花めぐり今年また       高橋 昭    十二階ありしあたりの梅雨の暮れ       大井恒行  次回は7月24日(金)、場所は いつもと変わって、立川市女性総合センターアイム。兼題は「虹」。  ★閑話休題・・森幸一「大変だ熊に団栗地球もだ」(第30回「西山俳壇俳句大会/法主賞」)・・ 「ひかり」第797号(西山浄土宗総本山光明寺護持会)、「第30回西山俳壇俳句大会を開催」の記事中に、   風薫る五月十九日、西山俳壇俳句大会が総本山光明寺の紅葉の間にて開催されました。 (中略)  その後、法主賞一句、総長賞一句、選者賞三句の入選句が詠み上げられられました。 (中略) 西山俳壇俳句大会は、初めての方にも楽しんでいただけるよう、説明を加えながらゆっくりとすすめております。皆さまお誘いあわせのの上、是非ご参加ください。  とあった。ともあれ、以下に、俳句大会と西山俳壇の句をいくつか挙げておこう。    経をよむ僧の背後にうちわ風        中尾美寿江(総長賞)    青もみじのシャワーを浴びて俳句会      髙野照弘(選者賞)    山門のものみな容れて若葉風         山田順子( 〃 )    左足から観音ファラオ青葉かな        松田弘子( 〃 )    新顔を二人迎へて溝浚へ      和歌山県日高町 市ノ瀬翔子    五月雨音にも君の脈を聞く     ...

木村晋介「妻ですか虹の水替へしてをります」(『句集のやうな』)・・

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  木村晋介著『句集のやうな』(朔出版)、序は仲寒蟬、栞に宮部みゆき「これこそが俳句の力」、夢枕獏「釈迦も思わず……」、坪内稔典「天国と死顔」、北大路翼「距離感の名人」。中書きに椎名誠「晋ちゃんの名作『たき火節』」、そして、著者「後書き」の中に、 (前略) さて、私のこの句集には、四つの特徴があります。 (中略) わが句集では、俳句は基本一ページに一句としました。こうすればページの余白が余韻となり、一句の持つ喜怒哀楽の情をうまく読者に伝えることになると考えたからです。これが、第一の特徴。  第二の特徴は、原則一句ごとに、即 (つ) かず離れずのショートエッセーをアレンジしたことです。仲寒蟬さんが序文でおっしゃっているように、私の句の本分は、読んで楽しんでいただきたいということにあります。これにエッセーを添えることによって、私の一生の中に在る出来事が、私の犯した過去の過ちが、今は亡き父母の生きざまが、あるいは私の妄想が、句に乗り移って句の鑑賞を豊かなものにする、より楽しいものにすると考えたからです。  第三の特徴は、他の俳人の方々を多数引用したことです。それは、同じようなテーマでも、私とは違うさまざまな詠みのバリエーションが俳句世界には展開されていることを知っていただきたかったからです。 (中略)  私は句集のつもりなのですが、ちょっと引いたタイトルにしました。これが四つ目の特徴です。   とある。あるページの句と、添えられたエッセーの一部を引用する。    老いるとは流れ解散鰯雲  流れ解散、六〇年、七〇年のころ、デモでよくありましたね。解散地点は土橋や鍛冶橋の交差点あたりとか、日比谷公園とか。「鰯雲」は秋の季語。古い友人が、五月雨的に、流れ解散的にこの世を去っていく。有名人であれば、去ったときには記事になる。それでも、あの俳優は死んだのか来ているのかわからなくなり、スマホで生存しているか調べることがある。我ら一般人の生存確認方法はほとんど記憶に頼るほかない。  かくして生死の確認ができない友人の数は、いわし雲のように流れて増えていくのである。   デモの年汗に腐りし腕時計      沢木欣一   屋上は青年のものいわしぐも     大牧 広   鰯雲消えて旅愁は消えざりし     藤﨑久を  ともあれ、以下に、本書より、句のみになるがいくつかを挙げておきたい。  ...

園田秋桜花「夏の夜おにぎはひ時はベル・エポック」(『桜隠し』)・・

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  園田秋桜花第一句集『桜隠し』(コールサック社)、解説は鈴木光影「海を越えて自己と対話し精神世界を詠む俳句——園田秋桜花第一句集『桜隠し』に寄せて」。そにの中に、 (前略) そもそも作者の俳号「秋桜花」の由来は、母の介護中に慰められた山口百恵の曲「秋桜」と自らの生まれた秋の好きな花から、自分で付けたという。黒田杏子氏におそるおそる俳号を持っていくと、「それでいいわよ」よあっさりと了承された。杏子氏は、俳人「園田秋桜花」の誕生に立ち合い、自主性を重んじることによって、その前途を祝福したのだ。   とあり、また、著者「後書き」には、  俳句を詠むとき、自らの心に耳を澄ましていると、昔フランスの片田舎の修道院で聴いたグレゴリオ聖歌が流れます。それは人間の儚い存在と、肉体は滅びても永遠に続く魂の音楽です。 (中略)  阪神大震災で住まいを失くした後、久しぶりに芦屋を訪れた際に、ちょうど芦屋川沿いの花が咲き始めた時期と重なり、郷愁をこめて詠んだ句からタイトルの「桜隠し」を選びました。当日は肌寒く、雪がちらほら舞っていました。  とあった。集名に因む句は、    うす紅の桜隠しか芦屋川       秋桜花  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    北の地に屍 (かばね) 野ざらし花の雨   白鳥帰る人はかへれぬ北都へと    ひまはりのひまはりで立つ孤独かな    仮装ではない絵の中で踊る人   洗礼の水のつめたき睦月かな   永訣はさはみづこほりつめるころ   終末時計のこり二分の冬木立   師を送る今日立春の雪花かな   日だまりに涙こぼして雪うさぎ   「天地無用」郷里に送る雪見舞   マンハッタン雪の聖夜のキャロルかな   はじまりの雪におはりの花吹雪  園田秋桜花(そのだ・しゅうおうか) 1962年、神戸生まれ。 ★閑話休題・・第34回「立川市シルバー大学文化祭」(於:立川市柴崎福祉会館) 平日は9時半~16時半。~6月27日(土)正午まで・・    立川市シルバー大学文化祭みんなの作品展は、デジタル一眼レフカメラ講座をはじめ、書道、水彩画、木彫り、折り紙、絵手紙、ハンドメイド、塗り絵、陶芸、俳句、篆刻など多くの講座の作品が出品され、俳句も短冊展として同好会のものも出品されている。愚生の関わっている俳句講座とこぶし句会の...

鴇田智哉「夏至の団地の一階暗くある」(「新京大俳句」創刊号vol.1.0より)・・

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「新京大俳句」vol.1.0(編集 馬場叶羽)、表紙には、 Tunisiaの夜禿鷹が円を書く/カジオ・ブランコ 戦略的な造形は単に/季語の風景に隷従する/だけであることを 蒋草馬「神野紗希mにおける口語の文体戦略」/京大俳句  とある。また、冒頭にはマニュフェストとして、 新京大俳句創刊宣言/時制を殺害せよ。/ポエムを奪還せよ。/思考しつづけろ。 環境は不快でなくてはな。/テーゼはすべてつまらない。 物から物へ手渡された引導へ目覚めよ。/詩が喪失した言葉自体の素材をかいせよ。 わたしたちは盆地とデルタのフォルムに記憶と妄念の体躯を這わせ、見慣れたふを問い直しつづけながら、あるいはいまらした問い立てをすべて棄却して単にように漂流しつづけていく。二義的な漂流のあいだわたしたちはなにものにもならず、だれにも捕捉されないまま具体的でありつづける。漂流に対する偶発的な切断面としてここに本誌の出発とする。                 令和8年2月於百万遍 原案 蔣草馬   とあった。また、「創刊号特集」に「京大と俳句~戦後から現在まで~」の執筆寄稿に、竹中宏・江里昭彦・堀本吟・仮屋賢一・蒋草馬。創刊号発行記念対談に鴇田智哉×カニエ・ナハ。表論には、蝦龍軒主人「形式と逸脱の生成論ー俳句史のドゥルーズ的読解試論ー」、蒋草馬「神野紗希における口語の文体戦略」、川嶋ぱんだ「写生の境界 不器男の写生はどこが新しかったのか」、佐々木幸喜「俳句と阿部公房」、喃多哩唖里玖「言葉を刈り、事柄を駆る」など。  ともあれ、本誌より、いくつかの作品を以下に挙げておこう。    四月一日 日の冒頭 (はじまり) の鴉聲 (あせい) かな  石井鴒端    髪洗ふ受胎を夫に告ぐ前に           岡本竜旺    忘れておればあらぬこと抜歯式     カジオ・ブランコ   灰に近き青に覆われ春の山             牛進    森が丸ごと蝉の身体で声がする         澁谷夏輝    ドーナツの斜めに並ぶ涅槃の日          武田歩    誰かの飴を百回コピーしたやうな日永      田中段波    猫交るけふだけ効いて入場券          田村転々    さむぞらにパターンのビル上部で捻じれ    超文学宣言    日が覚めて昼すぎてゐる花水木         津原悠太   ...

島田輝子「平和ながかれ朝のみみずに野の弾力」(「KENOBI」vol,4)・・

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 「KENOBI」vol.4(小川楓子・黒岩徳将・寺沢かの)。特集は「生誕100年/島田輝子の世界」。その小川楓子と黒岩徳将の対談の中に、  (前略)黒岩  ほかに特にこれを語りたいというのはある?  小川  彼女が長崎で被爆した経験として「厚葉夜は垂れて爆土のアマリリス」(第四回長崎原爆忌俳句大会より)がある。でも、私が取り上げたいのは「梨など見えて私の骨壺ウフフ満月」。  黒岩  未来を見ているような感じで、自分の死を予測している。  小川  お兄さんを介護していて、現実的に死と隣り合わせであるって感じはあったんだろうなって。若さゆえのフェティシズムみたいなものもありつつ「ウフフ」って躱していくんですね。 (中略)  黒岩  たとえば、同じ平和を詠んだ句を比較してみる。島田「平和ながかれ朝のみみずに野の弾力」、池田「前へススメ前へススミテ還ラザル」では、ストレートな主張という点では一部共通していて、相違点は池田さんはアイロニーを込めた意味性で通していて、島田さんは切れの断絶で「みみず」の物質感がいきなり出てくるところなのかな。あと、「何が分かったら輝子さんの俳句をより楽しく面白いと感じられるのか」で言うと、リズム感ですか。  小川  リズム感と言葉の斡旋かな。単純にいわゆる「俳句」として読まないでほしい。  黒岩  一行詩、みたいな?  小川  「魂の一行詩」みたいなものとも違うかな。俳句というのは季語が必要でこういう単語しか使っちゃいけない、という先入観なしで島田輝子俳句を読んでもらえたら嬉しい。(中略)  お汁粉匂う鎌倉紅葉してたよね 黒岩 お汁粉の色とか匂いを感じながら、紅葉を思い出している。ついさっき行った鎌倉かもしれないし、一年前かもしれないけど、「してたよね」って相手に届けるような言葉っていうのが情が滲み出てていい。景色がポンと飛ぶ魅力。  小川 一緒に鎌倉吟行したときの句だと思う。でも一緒に吟行していなくても、記憶を共有しているあたたかさが、お汁粉の匂いにつながっているということは読者に伝わるんじゃないかな。さっき見たものを私たちに手渡すような「してたよね」。  とあった。島田輝子(結婚後は成田輝子)、1926年(大正15年)横浜市生まれ。2020年没とある。ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。    八月十五日なんで...

北夙川不可止「みづからを象(かたど)り神の造りしとふ人われの身は独房にあり)(『ねこのあたま)・・

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  北夙川不可止第2歌集『ねこのあたま』(エディション・エフ)、巻末の小川優子「『ねこのあたま』に寄せて」には(原文は旧仮名遣いに正漢字)、  題に騙されて可愛らしい内容や猫の登場を期待してもだめだ。第一歌集の愛読者は落胆するかもしれないが、実はこの『ねこのあたま』こそがホンモノの北夙川不可止であり、短歌の真髄を究めている。  一九九〇年代の前半、短歌を始めて漸く『アララギ』に慣れてきた私は、とんでもない歌に出会い衝撃を受けた。「独房」「鉄格子」「獄」「金網」などのパワーワードが並ぶその一連は、三千首以上の歌が載っている誌面で、そこだけ異彩を放っていた。   独房の午後何もなく日時計のごとくうつろふ鉄格子の影   独房の窓より見ゆる橋一つ赤き尾灯がつぎつぎに去る    (中略)     そうやって北夙川不可止という目立つ名前はたちまち私の記憶に刻まれ、以後毎月『アララギ』を開くと、自分の作品もそこのけに北夙川の名を探すようになった。  それを見つけるのは容易だった。千五百人にも及ぶ会員の作品は一人あたり1~2首の掲載が平均だったが、なんと彼の作品は5~8首が特選欄に載っていたからだ。それはどんなベテランにも真似できない技で、そのクオリティの高さは目を見張るほどであった。  とあり、著者の自抜には、  私にとって第二歌輯となる本書『ねこのあたま』は、可愛らしきタイトルとは裏腹に、獄中歌輯である。  千九百九十四年一月に逮捕されてより三十年目となつた二千二十四年十月、私は還暦を迎へた。  千九百九十九年五月に仮釈放されてから数へても、四半世紀が経つたことになる。あの時の私はまだ二十九~三十四歳の若者なりしに、今はさういふわけにはいかない。そろそろ作歌当初の作品を纏めておかぬと、当時のことを鮮明に思ひだせなくなるかもしれない。さういふ思ひもあり、近作ではなく作歌当初の作品を纏めることにしたのである。 (中略)  「ぬばたま」は亡くなつた愛猫の名前。そして彼に献呈した歌輯である。ぬばちやんは優しくて美しくて賢い、最高の猫であつた。そして第二歌輯も「ねこのあたま」となつた。意図した訳ではないが、期せずして猫シリーズ、平仮名シリーズである。 (中略)  前歌輯『ぬばたま』では徹頭徹尾旧仮名、旧漢字を貫いたが、『ねこのあたま』では短歌作品とこの跋文は旧仮名、旧漢字。しかし...

髙田正子「ちちははの旅の終りの青山河」(『紅藍』)・・

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 髙田正子第4句集『紅藍(こうらん)』(ふらんす堂)、著者「あとがき」に、   『紅藍』は『青麗』(二〇一四年刊)以降二〇二三年秋までの作品を収めた第四句集です。  母のあと父を送り、新型コロナ禍を経て、黒田杏子師の急逝という霹靂に打たれるまでの九年間を三百句にまとめました。  これまで句集は、章ごとにテーマを立てる編み方をしてまいりましたが、このたびは制作年を意識し、且つ逆編年体で編むことにしました。すると、読み直すたびに亡き人が息を吹き返し、病む人が立ち上がるのです。  句集は新しいスタート地点を確認するためにの標であると考えておりますが、思いがけないメモリアル効果に驚くことになりました。 (中略)   結社「青麗」設立は二〇二三年八月十日です。その時点までの歳月をここに総括し、来る三周年へ向けて、心あらたに歩み出したいと思います。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。   発たれしや辛夷の空をまなうらに       正子     同月齋藤愼爾氏、翌月大石悦子氏も    ひとりづつ去る花の塵踏み分けて    鰯雲どこかに赤き戦の火   夢と知りつつちちははへ初電話   足音を涼しく去りてゆかれしよ   鳥の恋始まつてゐつはるかな木   あたたかな色にならむと枯れ急ぐ   ほうたるを待ち荒草にうづくまる   たましひの遊びだすまで滝の前   子に見えて吾には見えぬ帰り花   冬麗と冬のうららかとは違ふ   秋澄むや水のごとくに火を描き   龍の涙か炎天の一雫      髙田正子(たかだ・まさこ)1959年、岐阜県生まれ。 ★閑話休題・・唄い弾き・狂犬バクシーシ/ギター流師(ながし)・丹野恭司/ストリップティーズアメノウズメ・牧瀬茜(於:下北沢tomboy)  6月21日(日)午後は、ヒデキ・スエモリこと狂犬バクシーシの詠んだ「のどかさよおののきよ虫のあゆみよ」と出だしをギターに乗せてのライブだった。牧瀬茜詩集『うみにかえりたい』(七月堂刊)があったのでもとめた。       撮影・芽夢野うのき「傘の字に四人と十字架蟬羽月」↑

春風亭昇吉「祭着のぴんと畳まれたるままに」(第80回「ことごと句会」)・・

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  6月20日(土)は、第80回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「予」。  以下に一人一句を挙げておこう。   白守宮ゆめのしつぽのまたはえて      林ひとみ    ナルシストのお喋りだろう 噴水      江良純雄    戦争のノーアイロンのアロハシャツ     宮澤順子    波音を身に秘め夏の夜間飛行        渡邉樹音    ぶらんこを漕いで長生きしたくなり     石原友夫    風車風の速さを待てば死ぬ         照井三余    半夏生おいでさよなら白いハンカチ     金田一剛    梅雨寒や別れの約束してしまふ      春風亭昇吉    虹消えて千鳥ヶ淵のひとばしら       杦森松一    神さびて多摩見下ろせり虹二橋       渡辺信子    夏兆す兄には兄の行く処          武藤 幹    予め夏は暑いと仮定する          村上直樹   蛇の舌あらゆるものを予め        杉本青三郎    泣き愁い生きるいにしえ山さんご      大井恒行 ★閑話休題・・森澤程「母の日の鍾乳洞より吐息洩れ」(「ちょっと立ちどまって」)・・ 「ちょっと立ちどまって」は、森澤程と津髙里永子の二人の毎月の葉書通信。いつもは記されている発行月が、今回は入っていない(順番から推測すると、2026・5だろう)。もう一人の相方の句を、     風知草昼から飲める酒房あり    津髙里永子          撮影・鈴木純一「命より情たいせつ五月波」↑          6 月 20 日   四代目 市川 小團次 没 ( 1812 ~ 1866 )  

豊田美根「ががんぼやがまんがまんの人となる」(『家族のカタチ』)・・

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 豊田美根遺句集『家族のカタチ』(私家版)、跋文は三輪初子「句集『家族のカタチ』跋文にかえて」、それには、    美根さんとのこんな再会の演出を纏められた豊田紀雄こと豊田すずめ氏は、やっぱり素晴らしい美根さんの御夫君です。その豊田氏と私は、その昔ある俳句同人会の同志として、句座に吟行に志を同じにしていた頃、彼女は気負いなく静かな佇まいに身を委ねていたと記憶している。 (中略)     やっかいなあんこう鍋と夫かな    蔦たぐり自分をさがす自分かな  晩年は病と闘い、夫を見つめつつ逝かれたと想うと切ない。  とあった。 ともあれ、以下に、本集よりいくつかの句を挙げておこう。    あはははと笑ひ尽せし寒さかな         美根    日の丸や吹かれしままのおらが春    暖かな猫の手役にたたずとも   お袋もそのお袋も星月夜   本能と言ふ能を用ひし冬の草   憲法記念日先ずは眼鏡を拭いてから   おーい土筆そこから日本海見えるのか   おぼろ夜の胸のときめき無限大   すぐ転ぶ足不揃ひの茄子の馬   敗戦日その一日は無言なり   心落ちさうで落ちさうで懐手     豊田美根 埼玉県与野市生まれ、享年82。   ★閑話休題・・Raum 旅と滞在 5月18日(月)~6月19日(金)(於:YOKOTA/TOKYO)・・  愚生は、「Raum  旅と滞在 /Christian Cornell Wvans/Hiraide Murakami Takiguchi」展(於:YOKOTA TOKYOU)の最終日に滑り込んだ。目当ては、平出隆と瀧口修造。                    撮影・中西ひろ美「あじさいの山盛り隣家住み替り」↑

月波与生「板垣死すとも(予備あり)の安心感」(「現代川柳/満天の星」第8号)・・

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  現代川柳「満天の星」第8号(満天の星社)、興味を引いたのは、第一回「ジュニークの山文学賞/受賞作発表」である。大賞は白水ま衣、準賞が真島芽。受賞作から各一句を挙げておくと、    宿罪として初日の出       白水ま衣    直感で発芽しちゃった      真島 芽    愚生には、聞き慣れない「ジュニーク」だが、どうやら、西沢葉大によって提唱された様式の川柳のこと。5・7または7・5の12音で詠む新しい定型の川柳。応募作の中から少し、引用紹介したい。   咲くまでは無料体験       郷田みや    初恋を。中抜きのまま。     牛田悠貴    色褪せた男と果てる     濱邉稲佐岳    前例のない肌ざわり      汐田大輝    りんりからふる鈴音       未 補 その他、本誌本号より、いくつかの作品を挙げておこう。    音姫に聞かれて困る音がない        白水ま衣    空洞が集まってくるレイトショー     空野つみき    何にでもなれて 何にでもなれない     蟹口和枝    わかりやすいペナルティたちが騒ぐ     牛田悠貴    月光に定員二人だが(良いか)       佐藤 紅    ポイントのたまる癖毛を育ててる     小沢 史    口ごもる言葉の尻尾引っ張りに       きりん    おつかいの途中で消えた近未来      汐田大輝    おとといの水のめぐりは椅子にある     蔭一郎    一部始終の灯台だった         宮井いずみ    いぬふぐり其れでも欲しいケセラセラ   片羽雲雀    背の高い書棚にかけた腰の精      山田真佐明    ポロポーズだつたの亀が鳴いたけど  しまねこくん    満天の鼻の奥から赤ホクロ         うつわ    ゴミ出しの日の征夷大将軍(粗大)     月波与生      撮影・芽夢野うのき「がんばりました花丸あげて夏空」↑