前塚かいち「バッハとは小川の意なり小鳥来る」(『眼張島』)・・
前塚かいち第一句集『眼張島』(香天文庫)、装画も著者。序は岡田耕治「母なる島」、それには、 (前略) かいちさんは大学在学中にキリスト者学生会に誘われ、聖書と出会った。阿倍野のプールで洗礼を受け、一時は激しく信仰の火を燃やした。その後、大阪市内の島之内教会で説教を聞いたことを機に、社会に開かれたキリスト教のあり方を深く考えるようになる。 読み初めの聖書荒野に身を置きぬ わが罪もダビデの咎も受難節 ルカ伝の時空を超えるクリスマス これらの句には、聖書の言葉を自らの肉体的な痛みや、人間の根源的な「罪」のあり方、そして、社会の不条理へと重ね合わせる誠実な眼差しが息づいている。 (中略) この句集『眼張島』に収められた数々の句は、小豆島と大阪という二つの故郷を往還し、キリスト教の信仰と社会の痛みに眼を開いて向き合ってきた、一人の人間の魂のクロニクル(年代記)である。読者はこれらの句を通じて、瀬戸内海の凪いだ海のように穏やかでありながら、その深底に人間の罪と救い、そして家族への不変の愛を湛えた、前塚かいちという表現者の、静かなる祈りに触れることになるだろう。 とあり、著者「あとがき」には、 (前略) 句集のタイトルとした「眼張島 (めばるじま)」 。私にとって、小豆島は単なる故郷ではない。戦火の記憶、母との別れ、そして再会。物心つく前の記憶を形作るのは、この島の海と山、そして岩石に宿る精霊たちのささやきだ。若き日にキリスト教という一神教の教えに触れながらも、心の奥底では、あらゆるものに命が宿ると説くアニミズムの感覚が消えることはなかった。この二つの精神の間で揺れ動き、その狭間にこそ、私の俳句の核があるように思う。 (中略) この二十年、世界史的にも個人史的にも、決して平穏な日々ばかりではなかった。しかし、だからこそ見えてくる景色がある。折々の季節の移ろい、猫の寝息、教え子たちの面影、そして島に帰れば変わらずにまっていてくれる空と水。それらを手繰り寄せ、俳句という形にしてきたことは、私のささやかな抵抗であり、祈りでもあった。 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。 三度目の招集の父敗戦日 かいち 死者生者差別なき世の盆踊 心耳もて胸に手を置く秋の声 ほっこり...