今井聖「『仮に』が口癖サングラスの教授」(「街」No.181/創刊三十周年記念号)・・
「街」No.181/創刊三十周年記念号(街発行所)、今井聖「街三十周年記念号巻頭言」には、
愚の如く道転(うたた)寛(ひろ)し 国仙和尚
良寛の師である曹洞宗円通寺の国仙和尚が「良寛庵主に附す」との前書を置いて良寛に贈った「偈(げ)」(漢詩)の冒頭の一行。「愚」の前には「良也(りょうや)」の二文字があり、「良寛という人物は」という書き出しである。禅宗に於いて「愚」とは世俗の「賢」を求める方向に囚われず恬淡としていること。「(だからこそ)あなたの道はいよいよ奥深く広がっていくであろう」六十八歳で遷化する国仙がその前年に三十三歳の良寛に与えた「今のまま行け」という「遺言」であった。
とある。特集Ⅰの対談は池田澄子・今井聖「自分の感受性の変化・師との距離」、特集Ⅱ特別寄稿「外側から見た街」には、大塚凱「街ならぬ村」、阪西敦子「聖さん閑居して」。特集Ⅲは、座談会「内側から見た街」には、太田うさぎ・黒岩徳将・髙勢祥子・谷村行海「今井聖、お前もか――類型への帰着」、特集Ⅳには「街作家自選十句」。その池田澄子と今井聖の対談の中に、
(前略)今井 「幽霊が写って通るステンレス」というのは、幽霊は季語なんだっていうふうに思ってらっしゃるわけじゃないんでしょ。
池田 思ってるよ。思ってなくはないわよ。冬じゃ幽霊も寒くて出てこれないから。
今井 ステンレスを亡霊が通る。まあ亡霊でもいいのか。幽霊が季語だから使うっていうのは不思議だな。
池田 気持悪いわけじゃなくて、幽霊と同居してるみたいな気分ね。
今井 一応意識なさるんですね。
池田 しますよ。だってほら、暑いとか寒いとか、例えばそれってすっごく身近な感覚でしょ。暑いなと思ったら季語だもんね。暑い。だけど、なんか足は冷たいわ。季語よね。だから日本にいたらもう季語っていうより季物、季のものの中で生きてるわけだから。
今井 まあそうはおっしゃるけど、「人類の旬」の句なんかは入っていないと。
池田 どうしても入らない場合もあるよね。
今井 そこがすごいところだな。
池田 だからそれ入れちゃうと、その季節のことになっちゃうでしょ。どうしたって。季節を限ることが出来ないことってあるでしょ。
今井 自分の好きなように作って、入ったら入れていいし、入らなかったらそれでもいいっていう作り方ではないんですね。
池田 じゃない。季語が入ったら、その季節のものになっちゃうから。例えば「前へ進ススメ前へススミテ還ラザル」。これ季語入れられないでしょ。入れられない。ここで夏だったら還ってくるかって。
今井 だけど、一般の人は入らない時に無理に最後に春とか入れちゃうんですよ。
池田 だからそれいけないのよね。
今井 季語は主役じゃないのに、無理やり季語をそこに入れるっていう算段をする。
池田 でもね、そこにね、春と入れることによって、この春の二音の他のものが生きてくれば。それはいいわけじゃない。
今井 ちょっとそれは新しい発見でしたね。兜太は「お前ね、それはガーッと」、五感に触れって彼は言わないけど、「自分の感じたもので作ってみてだな。その中に季語があればいいし、なかったらそれでいいんだ」みたいなことをおしゃってた。
とあった。ともあれ、本誌本号より、幾つかの句を以下に挙げておこう。
匙入れてゼリーに深き森の色 松野苑子
踵なき兵の軍足雲の峰 山田富士夫
水辺には人の抜け殻夕化粧 柴田千晶
じやんけんの相子永遠女郎花 竹内宗一郎
向日葵の上に麒麟の頭見ゆ 西澤みず季
椎に花あの子が欲しい花一匁 横山香代子
やはらかく抓めば飛蝗笑ひをり 大井正志
追うてきた人も食ひ逃げ炎天下 北大路翼
立て膝に膨らむチマや夏の月 二本柳映子
木の家の紙を震はせ蟬時雨 蜂谷一人
緑陰に消え現るる単輌車 府川雅明
麻服やマラカスを振り太鼓打ち 太田うさぎ
壇上の菊人形のみな震へ 加藤右馬
雨傘も日傘も差さぬ墨西哥女(セニョリータ) 栗林 浩
小玉すいか頭に乗せさくらももこの忌 黒岩徳将
おやすみなさい夏帽を伏せなさい 西生ゆかり
紅茶壺に極楽鳥や夏に入る 髙勢祥子
母の目の張り付いてくる熱帯夜 仲村初穂
撮影・芽夢野うのき「こすもすこすもす愛一番の風が吹く」↑

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