澤好摩「倒木がふたたび倒れてみたき夜」(「円錐」第111号より)・・
「円錐」第111号(編集部/発行所 山田耕司)、「書評『澤好摩俳句集成』」の特別寄稿は茅場康雄「古人も多く」、寺澤一雄「澤さんを二度誘った」、宮﨑莉々香「わたしにとってのテクスト派」。その宮﨑莉々香は、
澤さんとはじめて会ったのは高校二年生の夏で、俳句同好会は部室がなく空き部屋を使って活動していたから実験室で横山さんも一緒に句会をした。味元昭次さんのことは昭次さんと呼んでいて、指導というか、確か本人は指導じゃないきね、と言っていた気もするから、一緒に句会をしたり俳句の話をする時間を過していたということにする。澤さんは厳しいかもしれんけんど気にしすぎなよ、とか言われて句会をしたけれど、その当時は厳しいとは思わなくて、ただ楽しかったな、とかそんな感じだった。(中略)
澤さんの句を改めて読み返し、マジで色んな俳句を書いてたんだな、と思った。言葉の質感に沿って毎度違う句を書いていたテクスト派の作家と言いたくなる。(中略)
同時に、句会でよく言われていた言葉を思い出す。言葉一つ一つの効果を考えて書きなさい。句会の講評で高橋龍さんと助詞レベルの議論をよくした。意味もないのに簡単に切るんじゃないと、特に切れ字の「や」には厳しかった。当時は考え方が少し古いと感じもしたが、切れ字の「や」は今回改めて読んでも多くはなかった。使い所を限定しているからこそ、「や」の効果が発揮されているのかもしれない。(中略)
(3)頭韻の揃え
渡り鳥わたしひとりの晩ごはん
寂しけれひかりの中の日のかたち
雛あられ色とりどりに味同じ
W音の繰り返しの一句目。ひかり・日は同じ属性の言葉で、頭韻も揃えている。けれ・かたちのK音も加えて。あられと味のA音の繰り返しは味同じというなんてことないオチだけじゃないことの発見も加えられている、音も同じ。
澤さんという友達はもうこの世にはいないけど、読みつつ書くことが澤さんを通じてわたしの中に残りながら、俳句を今も読みつつ書いているよ。
と記していた。他の評論には、今泉康弘「三鬼の戯画——小林恭二『三鬼』における虚構の中の『事実』を問う」、摂氏華氏「ひっちはいく⑧/生と死と山田耕司句集『不純』を読む」等。ともあれ、本誌本号より、いくつかの作品を挙げておこう。
コスモスは猫のパンチに耐えながら 赤羽根めぐみ
想像の滝に三回目の身投げ 立木 司
南国の海へと集ふ茄子の馬 丸喜久枝
雪酔ひに思慕のラクダがをりまする 神山 刻
雪ふると言ふささやきに満ちる空 原田もと子
手配書に参謀本部の蝶(本当です) 摂氏華氏
霧をあゆむあちらに立つを人と決め 山田耕司
赤トンボロボット走って走って走って 大和まな
秋雨をいふ長雨をまちぼうけ 後藤秀治
崖上の洋菓子店や昼の月 大川原弘樹
花野から銀河につづく蜘蛛の糸 森下 菊
老涙のいまさらながら好摩の忌 横山康夫
女の子いつも先ゆくプールかな 土屋幸代
紙治ごと風に揺らるる生り瓢(ひさご) 和久井幹雄
鉛筆を買ひ足す五本九月尽 小林幹彦
露の世は露の世ながら九条在り 味元昭次
あるときは人を思っているように傘をさしつつもう少しいる 来栖啓斗
★閑話休題・・腰前八重子「海を見て海に見られてハンモック」(「ひかり」11月号・「西山俳壇」)・・
「ひかり」11月号/第801号・城貴代美選「西山俳壇」(西山浄土宗総本山光明寺護持会)より、以下にいくつかの句を挙げておこう。
店毎に枇杷の不作を歎きけり 福岡県苅田町 中村癸未
離乳食新米仕立て味いかが 福岡県築上町 新木真理子
秋一日ミニシアターの「勝手にしやがれ」 海南市 羽賀 明
一粒も無駄なき雨や蜜柑山 和歌山県有田川町 岩倉由紀子
一瘤は秋思を溜める駱駝かな 宗像市 髙野照弘
油照る金網越しの基地兵器 福岡県みやこ町 宮下正夫
抱き人形忘れられたる神無月 城貴代美(選者吟)
撮影・中西ひろ美「奥多摩の秋の改札出て左」↑

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