羽村美和子「自由と銃からみ合ってる烏瓜」(『青いジャズ』)・・
羽村美和子第三句集『青いジャズ』(東京四季出版)、帯文は愚生、それには、
現代俳句という迷妄の中に、羽村美和子は何を観ようとしているのであろうか?音楽や数式、あるいは植物に託された、その身ひとつの、渾身の俳句を身よ!/身ひとつをかけた表現の一切は、その直観、心情にかけられてこそ真の姿を現わして来てくれるはずだ。現在に未来を孕みながら……。
自由と銃からみ合ってる烏瓜
とあり、著者「あとがき」には、
『青いジャズ』は、第一句集『ローズティー』、第二句集『堕天使の羽』に続く、私の第三句集である。二〇一二年秋より二〇二五年秋までの作品を纏めた。
第二句集上梓後、十三年の歳月が経ってしまった。(中略)
文芸は自己表出であると同時に、他者への共感である。その人を織りなす全てのものの中から立ち上がってくる。その言葉と思いと俳句形式とのせめぎ合いの中から俳句は生まれる。そして、第二句集のあとがきにも書いたが、「俳句は詩魔を宿していると実感する」「これだと思って一句なし得ても、詩魔は二度と同じ顔を見せてはくれない。それでも永遠の恋人のように追い求めているから不思議だ」。その思いは今も変わりがない。
ますます俳句の深みに嵌りつつ、やはり俳句とは何かと日々思う。
とあった。集名に因む句は、
花菖蒲風吹くたびに青いジャズ 美和子
であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。
春日遅々人蘇るゲームして
美しい数式次から次へ羽化
これよりは核の灯りと月夜茸
国というまぼろし真夜の烏瓜
雪吊りの星につながる糸電話
花水木風の数式教えます
シースルーエレベーター満月が乗ってくる
抽象の入口で待つ 海鼠
神話の扉開きそう春の山彦
どこまでが海どこまでが僕海月
観覧者ひとりふたりは月の人
戦場の死角へ春風連れてゆく
火の鳥の羽音隠してのうぜん花
ひまわり迷路絶望的に晴れている
月光の梯子を降ろせ国境
君を守る兵器はいるか冬すみれ
魂を時に選別銀竜草
シーラカンス春の化石という自由
言語野に忘れた翼つばめ来る
ふくろう鳴く森が図案化されてゆく
羽村美和子(はむら・みわこ) 1950年、山口県生まれ。
撮影・芽夢野うのき「憂鬱なのか鬱なのかひたすら沈むこの欅」↑


コメント
コメントを投稿