高山れおな「22幼恋/秋麗の金管楽器(ブラス)の如く笑ひしが」(「俳句」10月号)・・


 「俳句」10月号(角川文化振興財団/発売 KADOKAWA)、特別企画に「古典題詠ルネサンスー恋五十題競詠座談ー」/高橋睦郎×高山れおな×岩田奎・司会 望月とし江。その一部を紹介したい。


(前略)高橋 れおなさんの句集『百題稽古』が本当に面白いことをやってくれたなと思ったのと同時に、このまま終わってしまうのは勿体ないと思ったんです。これを刺激にして俳句というものが古典の方に足を下ろして未来向かうというのも、今の時代にとって意義があるのではないかと。高山さんが「壮年」の「壮」、奎さんが失礼覚悟で申しますと「幼」、そして僕が「老」で、「幼・壮・老」という年の差がある。その三人が、それも四季題ではなく恋題、それも六百番歌合則って五十題とすれば、「幼・壮・老」の違いも出て面白いのでは?と思ったわけです。

高山 年齢の間隔はちょうど、祖父、父、子といったところですね。(中略)

 1 初恋

 摘まん哉けだし恋草思ひ草        睦郎

 忽然と胸に恋棲む旱星         れおな

 腐りそめながらのうぜんかづら咲く     奎

望月 まずは初めたる恋です。これは、先行する「堀河百首」にもある題です。(中略)

当時の人は、初恋としては詠まなかった題だと思います。もちろん初恋の意識はあったと思うんですが、時間的概念の強い題だと思います。睦郎せんせいの〈摘まん哉〉はどういう意図で作られましたか。

高橋 僕も恋の初めとして作りました。これは私の師匠であった安東次男の〈隠國のいづこで摘まん初薺〉が頭の中にあったのかなと思います。かなり性的な匂いのする意味深長な句で句です。つまち、草の恥毛のイメージがあるわけですね。

高山 私は藤原良経の一番の歌に「恋草」という言葉が使われているんで、それを採られたのかなと思いました。(中略) ところで、俳句を作る時に岩田さんはAIを使いますか。

岩田 はい。語意の認識が間違っていないかとか、自分の句を鑑賞してもらったりとか。『敵』では構成面でだいぶ助けられました。最近のAIは相当読めますので参考にしてますね。

高山 私は今まで全然使ってこなかったんですが、岩田さんの句が一題目でいきなり〈腐りそめ〉ときたことに驚いて使ってみたんです。〈腐りそめ〉が失礼ながら仮に青年客気みたいなことだとしても、なぜ〈のうぜんかづら〉なのかがよくわからなかったからなのですが、AIに読ませてみたら素晴らしい読みで負けた!と思いました。ジェミニ曰く、「初めたる恋というテーマにおいて、最も深く妖艶な余韻を残す句です。凌霄花は夏に爛漫と咲く生命力あふれる花ですが、ほとりと花ごと落ちた後も、色を保ちながら衰えていく性質があります。恋のはじまりとは逆行するような不穏な言葉を頭に置くことで、この恋が始まった瞬間からすでに破滅や終わりを内包しているかのような濃厚なエロティシズムと宿命をかんじさせます」。もう圧倒的ですね。

岩田 つまり今回の企画は各題に対してアプローチする時に、全体の恋の連作のように詠むことも大事なのかなと思いましたので、後ろに控える「絶恋」などに繋がるように作ってみたということです。

高山 仰る通り、、「絶恋」とか「恨恋」とかがありますよね。そこを視野に入れつつ作られたのかなと私も思いました。

岩田 判詞にいう「題の心かすかなり」な部分なのかもしれませんが、読んでいて補助動詞的に「初める」という語を使ってる歌があったので、やってみたいなと思ったというくらいなのですが。

望月 AIの読みはすごいですね。

岩田 先ほどの〈摘まん哉〉の句も、れおなさんの〈旱星〉もなにやら不吉な感じの印象を、僕は受けました。三句ともおめでたくはない。

高山 それは王朝時代の恋歌の問題でもあると思うんですが、やたらぺシミスティッックなんですよね。

望月 恋の喜びは詠まないんですよね。

高山 『万葉集』の恋の歌なんか、ひたすら「一人寝がつらい」ばかり言ってますからね。ほんとかよという……。


紹介を続けると50題、各人50句もあるので、興味のある方は、直接、本誌に当たられたい。

ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。


  いつの世へ向かふ馬車なる初嵐        片山由美子

  眼閉づればさらにまばゆし芒原         奥坂まや

  澄江堂の晩夏晩年砂糖水            岸本尚毅

  不器用な長州生まれ夏蜜柑          村上喜代子

  震災生まれの十五の夏やユーフォニアム     永瀬十悟

  帰宅とは木枯に背を向けぬこと         仲 寒蟬

  酔芙蓉こころ齢に追ひつかず          三輪初子

  サックスの狂ひはじめや星流る         朝吹英和

  ゆるやかな両手両足風は秋          永井江美子

  花めうがここにも神の降臨す         山田真砂年

  負けん気を引き摺っている秋祭         岡田耕治

  赤とんぼ母の刈り上げつむりに来        山尾玉藻

  宙空へシノプス張って 裸木は         伊丹啓子

  水踏んで鹿は小暗き沢に沿ふ          星野早苗

  鳴かずして月のうさぎの今宵ダン        木村聡雄

  朝顔や手脚が伸びて淋しくて         佐々木貴子

 


       撮影・鈴木純一「こいはんは何ンも知らんと堀の月」↑

            9月29日  山崎 豊子  没  (1924~2013年)

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