關考一「水澄むや鯉に沈むといふ癒し」(『サイフォン式』)・・
關考一第二句集『サイフォン式』(ふらんす堂)、装幀・帯文とも中原道夫。その帯には、
還暦やさくらもみぢの未だ黄色
一寸粋で、鏤骨かどうかは知らぬが、中年から初老になりかけた男の第二句集。
溜飲を下げてくれるかどうか、その保証は読んでのお楽しみ。
軽く一杯のあとの口直しになればいいか。
あっ、酒の前の珈琲は止しとく。
とああり、著者「あとがき」には、
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使の様に純粋で、恋の様に甘い」
(タレーラン)(中略)
人生の折り返し点をとうに過ぎた僕には、タレーランの言う理想の珈琲には程遠いにしても、その汚れや濁りと加齢臭以外に味や香りと言える様なものが幾らかでも身に付いただろうか?
思うに、毎日が塩っぽい、口中が砂漠の様で渋で一杯だ、偶に訪れる出来事からは鯉の肝を潰したような後味ばかりが残る。遂には寒覚の麻痺から無味とも思われる様になった人生。そこから、色、熱、エキスや甘美な香りを抽出し、僅かな毒(そういえば香水を芳香にする迄の調合にも微量の悪臭が欠かせないのだそうな)の隠し味を加えて毎回新たな味が出来、同じものは出てこない装置。
そんな都合のよいものがあるとすれば、僕はそれを俳句と呼びたい。しかもこちらが死なぬ限りは現役とは有り難い。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。
生じたる亀裂不可逆鏡餅 考一
あの時の余寒よもがへらす余震
春雷や三尸の虫の出る虞れ
一匹の蚊に醒めし後悶悶と
父の日よ最晩年のよみがへる
斑猫のその場しのぎの案内かな
かき氷そなた顳顬(こめかみ)われ顱頂(ろちやう)
何と云ふ裂け目の深い桃だこと
どの桃も傷付きたくて熟れてゐる
サイフォンを戻る珈琲秋澄めり
一(ひと)度も食うたこと無き一位掌に
層状の秋思を縦に切つてみる
火恋しまこと申さば人恋し
狐火も来よ徘徊の父灯す
死んだふりしてゐた海鼠死んでをり
玉子酒玉子抜きとはぬかしをる
關考一(せき・こういち) 1963年、埼玉県川口市生まれ。
★閑話休題・・松葉久美子詩集『虎の白猫』(ふらんす堂)・・
松葉久美子詩集『虎の白猫』(ふらんす堂)。略歴に、「1955年、横浜生まれ/大学在学中『現代詩手帖』『ユリイカ』に詩を投稿」、「1981年句作開始『琴座』『鷹』所属」とある。以下に、短い詩1篇のみになるが、紹介しておこう。
赤いひかり
みとれていると 金魚のかたちは溶けて
水のなか こどもがふわりとこちらを向く
やわらかな水の音楽に触れるたび
存在を整え 満ち足りる ひかりのふわり
かたちが溶けても水の流れに逆らって動く
赤いひかりたち
こどもの手は水草 いつ いつか
なにかを包む
どこか 遠くの 乾いたひとと
撮影・芽夢野うのき「この闇だけに祈りを放ち酔芙蓉」↑

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