蕪村「月天心貧しき町を通りけり」(『蕪村』より)・・


 黛まどか『蕪村/「日常の美」の発見者』(新潮社)、そのプロローグに、


 近世を代表する俳諧師と言えば、松尾芭蕉(ばしょう)、・与謝蕪村(よさぶそん)・小林一茶(いっさ)の三人が真っ先に挙げられる。芭蕉は半生を旅に生き、発句の芸術性高めて俳句の礎を作り、一茶は逆境をバネに生活感情を句に吐露した。対照的でありながらそれぞれに異彩を放つ二人の間に挟まって、蕪村はややもすると地味な存在だ。「菜の花や月は東に日は西に」は知ってはいても、人となりや生き方となるとどうも印象が薄いようだ。

 近頃「中動態」が度々話題になる。中動態とは動詞が能動態の形をしながら受動態の意味を表すものをいう。能動態(する)と受動態(される)のどちらにもあてはまらないものを指す。(中略)

 本来の意味とはややずれるかもしれないが、あえて芭蕉、蕪村、一茶の生き方を能動態・中動態・受動態になぞらえたらどうだろう。

 芭蕉は強い意志のもとに行動する「能動態」的生き方の人であった。

  古池や蛙(かわづ)飛びこむ水の音 (中略)

  椋鳥と人に呼(よば)るゝ寒(さむさ)哉     一茶

 幼くして母を亡くした一茶は、継母に虐待され悲惨な幼少期を送った。十五歳で江戸に奉公に出されたが転々と奉公先を変えた。「椋鳥」とは農閑期に江戸へ出稼ぎにくる信濃人を嘲(あざけ)る表現。(中略)

 さて、蕪村である。彼の生涯には謎が多いが、最初にして最大の謎がその出自だ。父は摂津毛馬(けま)村の長であったともされる。姓の「谷口」は母方の姓だから複雑な生い立ちであったようだ。蕪村自身は出自についてつまびらかにしていない。(中略)

 父母と早くに死別し、二十歳前後で江戸に出た蕪村は、俳諧師早野巴人(はじん)宗阿(そうあ)の知遇を得て弟子となる。五年後に宋阿が死去すると、宋阿の縁故を頼って北関東の有力者のもとに寓居し絵画や俳諧に勤(いそ)しみながら奥羽などを遊歴する。

 京に定住するまでの十年間の流浪の日々は、「漂泊の思ひやまず」旅立った芭蕉のそれとは明らかに違う。まず先に漂わざるを得ない状況が訪れ、その中で蕪村は回遊するのだ。能動であり受動である。或いはそのどちらでもない「中動態」的な生き方だったといえないか。


とあり、エピローグには、


 ちょうど本書の稿を起こした頃、大阪府池田市にある逸翁(いつおう)美術館で呉春(ごしゅん)「松村月渓(げっけい)」の展覧会が開かれていて足を運んだ。呉春は二十歳の頃に画・俳において蕪村に師事し、「画は愚老も恐るるばかりの若者」と言わしめた。

 蕪村没後は応挙に弟子入りを望んだが、応挙は蕪村の高弟である呉春を友として迎えた。そして共に「円山四条派」を築き上げてゆく。

 呉春は蕪村の薫陶を受けて、南画・文人画・山水画、俳画など様々な画を描いた。(中略)

  お目当ての「白梅屏風図」を前にして、私は呆然と立ち尽くした。

   しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり

 それは蕪村が最期に目にし、辞世に詠んだ風景だった。呉春は臨終に立ち会った数人のうちの一人だ。もはや絵筆を持つことができない蕪村に代わって、師の俳諧も画も精神も知悉(ちしつ)した弟子が、辞世の句を画に表現したのだ。渾身のオマージュというよりほかない。(中略)

 さて、蕪村は俳諧や画に多種多様なバリエーションを持つことは本書で度々触れたが、私が最も愛唱する句と画を選ぶとすれば、次の作品だ。

  月天心貧しき町を通りけり

 月の光が家々に遍(あまね)く降り注ぐ町を通り抜けていく旅人の視点で表現されている。(中略)

 画では、「夜色楼台図(やしょくろうだいず)」を挙げる。雪の夜の京を思わせる水墨画で、町の背後にある山は雪を頂き、家々は屋根に“雪“を積もらせている。(中略)

 「芭蕉を深まりの作家というならば、蕪村はひろがりの作家ということができましょうし、前者の方法を求心的というならば、後者の方法は遠心的といってもよいでしょう」(『芭蕉・蕪村』尾形仂)。中動態的生き方こそがその“ひろがり“を創り上げたといえるだろう。絵師に俳諧師に一個人に、“与謝蕪村“は貫かれている。蕪村は己の二河白道(にがびゃくどう)として中動態を歩んだ。

 西行は“花“に狂い、芭蕉は“風“に狂った。蕪村は狂う対象を持たないまま、俳諧に画に花を咲かせ、風を吹かせた。


 とあった。ともあれ、本書より、蕪村のいくつかの句を挙げておこう。


  夏河を越すうれしさよ手に草履        蕪村

  ゆく春やおもたき琵琶の抱心(だきごころ)

  春水(しゅんすい)や四条五条の橋の下

  牡丹散(ぼたんちり)て打(うち)かさなりぬ二三片

  ほとゝぎす平安城を筋違(すじかひ)に

  祇園会や真葛が原の風かほ(を)る

  さみだれや大河(たいが)を前に家二軒

  鳥羽殿(とばどの)へ五六騎いそぐ野分(のわき)哉

  門(もん)を出(いづ)れば我も行人(ゆくひと)秋のくれ

  我もまた碑に辺(ほとり)せむ枯尾花(かれをばな)


 黛まどか(まゆずみ・まどか)1962年、神奈川県湯河原町生まれ。


★閑話休題・・新宅秀則「留守電の声消せぬまま盆の父」(第57回「きすげ句会」)・・・


 9月24日(木)は第57回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。兼題は「影」。以下に一人一句を挙げておこう。


  影うすき背戸のきままな秋海棠       寺地千穂

  能登キリコ海より神の渡御(とぎょ)の秋  濱 筆治

  無人駅雨粒重き彼岸花           井上芳子

  秋天をゆく機影あり無音なり        山川桂子

  秋雨や礼文の花の影を踏む         高野芳一

  秋日影老いが老い押す車椅子        新宅秀則

  なおしとき廊下の陰に戦争を        清水正之

  枕木の隙間狭しと芒かな          杦森松一

  雨雲に影隠す秋街の音          大庭久美子 

  曼殊沙華面影女人の立ち尽くす      久保田和代

  戦争の影曳く以呂波紅葉かな        大井恒行


 次回は、10月15日(木)、兼題は「友」。



      撮影・中西ひろ美「こぼれずに銀木犀のよい子かな」↑

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