飯野あきこ「秋茄子の渾身の紺母の紺」(『青嵐』)・・
飯野あきこ第一句集『青嵐』(角川書店)、著者「あとがき」に、
私は人生の大半を市井の勤め人として過ごした。俳句とは無縁であった。俳句に出会ったのは定年退職後を経た二〇〇七年、「天草俳壇」の鬼塚金剛がその主宰となってからである。それに伴い、首都圏在住者による「天草俳壇東京句会」が発足した。二〇一九年「天草俳壇」は終刊となったが、二〇二六年現在、句会は続行中である。
ここに収めた句はすべて二〇一〇年以降に作句したもので、かつて「天草俳壇」に掲載されたものとメール句会(コロナ禍以降はメールによる句会となった)に投句したものばかりである。私の俳句のすべては「天草俳壇」に集った人たちによって育てられた。
とあり、巻尾のエッセイ風「解説」の一つには、
インド ガンジス河
大方のインド人にとって、死後はガンジス河に葬られるのが理想でらう。このため死期を悟ると、ガンジス河に面し、大きな沐浴場と火葬場の集中するコルカタ(英語名カルカッタ)にやって来る。ここはマザー・テレサが設立した「死を待つ人の家」があるが、そこに収容しきれない人々が常に路上にあふれている。私たちの宿泊したコルカタのホテル前のアーケードのある舗道には、暗くなると足の踏み場もないほどぎっしりと人が横たわり、一夜を過ごす。そしてそのうちの何人かは朝になっても起きてこないのだ。
とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。
鶴引くや潟に残せし古代文字 あきこ
雛壇の奈落に控へ御所車
朧夜の黒猫すでに魔のにほひ
東日本大震災一年後
一時帰宅二時間だけの鯉のぼり
砂すべる森閑として蟻地獄
昭和史にムンクの『叫び』蟬しぐれ
秋空に兜太墨痕プラカード
霜柱ざくざくと父征きし音
少しづつからだを捨てて生身魂
インド ガンジス河(一九七五年)
屍焼く火や炎天の聖河べり
寒雷やカフカ籠りし庵より
エルサレム パレスチナ 死海(二〇一七年)
冬ぬくし嘆きの壁は男児別
冬の蜂憤死けはしき分離壁
冬麗の死海に拾ふ塩の石
飯野あきこ(いいの・あきこ) 兵庫県八鹿町(現・養父市)生まれ。
★閑話休題・・山内将史「逃亡や銀河を渡るアドバルン」(「山猫便り/2026年9月12日)・・
「山猫便り」は、山内将史の個人葉書通信。その中に、もう一句、
黄泉夜長わが母われを忘れます 高橋睦郎『十年』
黄泉にも秋の夜長があり、母は私を、私も母を忘れる。「根源的な記憶は断たれている」と鷲巣繁男の葉書のどこかにあった。鷲巣の本には「全き喪失は全き獲得である」「正統を志向しない異端はない」「カタストロフなき牧歌なく牧歌なきカタストロフはない」とか名言だらけ。
とあった。
撮影・中西ひろ美「嵐来と月にむらくも青松虫」↑

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