髙島愼助「春寒し境内隅に力石(いし)三つ」(『力石を詠む(十四)』)・・
髙島愼助「力石を読む(十四))』(岩田書院)、帯には、 「力石を詠む」第14集!/かつて男達が力を競った力石。 その力石に想いを込めて詠まれたものである。/俳句、短歌、川柳など396作をまとめた。 序文は、伊藤正博(南木曽町文化財保護審議会前会長)、それには、 神社の杉木立は近くの道路の車の音を遮り静まり返っていて、境内の隅にある力石を巡ってその昔、神前で力自慢を競った男たちの険しい顔も賑わいもなく、忘れ去られ寂しく放置されている。動かすのがやっとの重い石を持ち上げて運ぶとは、昔の人達は丈夫な体だったんだなあ。 とある。また、「はじめに」には、 失われゆく郷土および文化遺産である日本の力石を地域ごとにまとめて報国している(1~31)。これらを出版する過程において多くの人々から力石に関する俳句、短歌、川柳、狂歌などが提供されてきた。 それらの作品うぃお紹介した「力石を詠む(一~十三)(32~44)」で力石に関する俳句や短歌など三九三六作品を紹介してきた。今回は「力石を詠む(十四)〈三九六作品〉」をまとめた。 なお、拙著で報告してきた力石は、体育史学でいう一般の人々が鍛錬や娯楽としての力くらべに使用してきた石である。 とあった。冒頭の「力石とは」には、 もともと力石は、農村では米俵を、山村では材木を、漁村や港湾地域においては醤油樽、油樽、酒樽などの運搬に従事する労働者の間から発生したものである。これらの労働者は一定の重量を担げないと一人前と見なされず肩身の狭い思いをした者もあった。農村では男は、最低米一俵(十六貫・六〇キログラム)を担ぐことができなければ一人前と認められず、職種によっては、重さの違う石を用意し、どの石の重さを担げるかによって給金が決められることもあった。そのため若者たちは、力をつけるために様々な物を利用して体を鍛えていた。(中略)そのような鍛錬や力くらべに利用された一つに力石があった。過去には、全国のほとんどの集落にあったと推測される力石であるが、労働の機械化や娯楽の多様性によって急速に歴史の片隅に追いやられてしまった。 ともあった。ともあれ、本書に収載された作品の中から、いくつかを以下に挙げておこう(作品には、作品が詠まれた現場の写真なども添えてある)。 春の日の頂点にあり力石 山田真...