福田若之「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」(「現代短歌」No113 より)・・
「現代短歌」No113(現代短歌社)、特集は「震災15年」。特集記事の巻頭は、帷子耀「十五歳になるきみへのメモ」、鳥居「〈かわいそう〉その後」、福田若之「こころのおく」。ここでは、福田若之の部分を引用する。 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 書いたとときは、書くことだけで精一杯だった.どう読まれるかなんて、考えもしなかった。ニ〇一一年三月のラジオが歌うーー〽なにが 君のしあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる そんなのはいやだ!ーーやなせたかしの詞は、トマス・ジェファソンが書いた独立宣言の一節をあのころの僕に思いおこさせるーー自由、生命および幸福の追求。その思想は、第二次世界大戦のあとで、GHQの草案のもと、この国の憲法にも刻まれることになった。しあわせになることではなく、しあわせを求めること。花見さえ慎みを欠くというときに、句を書くなんてどうかしている。けれど、僕には僕のしあわせがどうしても要る。昨日から今日へ、今日から明日へ、手から手へ渡る言葉によって弱い自分に授けられた、なけなしの権利のうちのひとつを、僕はむなしく書いたばかりだ。(中略)書くことはしあわせだろうか。書くことはしあわせを求めることだ。しあわせからほとんどどうしようもなく遠ざかりながら、そのつど、しあわせへ手を伸ばす。 とあった。また、歌人の鳥居は記す。 (前略) 岩手県の人は言った。 「東京のテレビの人は、苦しいとか悲しいとかsそういうのばかり欲しがる」 被災者のもっとへ取材に来る〈東京の人〉は、笑って元気な被災者を撮らない。楽しい瞬間もあるリアルな生活の姿ではなく、フラッシュバックで苦しみ泣いている様子を撮りたいという。 それは、まったく私も経験したものだった。私も世間から〈かわいそう〉を消費されていた。 私たちは一緒に〈東京の人〉の悪口を言った。岩手県の人と私は、似たような傷で、すこし通じあえた気がした。 ともあれ、本誌より以下に、いくつかの歌を挙げておきたい。 三月十一日 春うすくたれのうへにも来てをりぬたれとはいまを生きて在るひと 髙木佳子 3・11 (さんてんいちいち) よりも強い揺れだった 八戸の人の息漏るるこゑ 梅内美華子 「復興」の二文字の意味...