妹尾健「いにしえは『ひ』音を『い』と読む冬ごもり」(「コスモス通信」第82号)・・
「コスモス通信」第82号(発行・妹尾健)、論考は「中川浩文『現代俳句表現考』についてーその現代俳句論をめぐって・続ー」、「鈴木六林男第三句集『第三突堤』に関する覚え書ー情況について④ー」、作品は「冬の日」66句。その中川浩文について、
(前略)「今後にも成長を期る用字面の注意が細微にわたらねばならぬ」とするのである。そのためには「活字によって伝達される現代の俳句にも、ちょうど現代詩の人々が活字の一コマや空白、行割りに気を配ると同様な注意がなさるべきです。」と主張する。(中略)ここまで読んでくると、私はここに伊丹三樹彦の三リ主義(リリシズム・抒情)・リアリズム(現実主義)・リゴリズム(厳粛性)を根本とし四主張「定型を活かす、現代語を働かす、季語を超える、分かち書きを施す」を実践するという第二次青玄の俳句現代派の理論的萌芽をよみとることができるとかんがえたいのである。伊丹三樹彦の主張にいちはやく注目しその理論化によって、その方向を支持した多くの人々の中に、中川浩文もそのひとりであったと思うからである。(中略)今となって中川浩文の主張を読んでいくと、彼の現代俳句表現考の中には、明日の俳句に向かっての革新的な思いと、来たるべき俳句(それは過去の趣味的俳句ではなく、明日の俳句の読者へむかっての可能性開拓の呼びかけ)への思いをうかがい知ることができるのである。それだけにそこに当時の私などは俳句の表現方法のみを強調する青玄主流との「落差」を感じたものである。現に当時私は中川浩文に、或る時、
「先生、吟行を計画しているのいですが」
と水をむけたことがある。すると
「妹尾君、ぼくは吟行で、いい俳句ができるとは思いません」
とにべもない返答があって、ポカンとしたことがある。吟行を拒絶するとは!という理解不能の場面に遭遇したのである。まさに俳句現代派中川浩文の面目躍如ともいえる発言であったのだ。
とあった。ともあれ、以下に、本紙本号から、いくつかの句を挙げておこう。
地下足袋凍る徹夜の君ら会えば笑む 鈴木六林男
ボスに対う意志の黒靴足裏濡れ 〃
冬ざれて主人公のみ生き延びる 妹尾 健
怒りにもつもるものあり十二月
咳き込んでさてもむつかし国語論
咳ばかりして会議にはくわわらず
冬ごもり両耳違う音立てて
「ゑ」と「え」には鍵のあるはず冬日中
みな貧しされども潔し生誕祭
★閑話休題・・末森英機&駒沢裕城(於:下北沢・lete)・・
2月11日(水・祝)15時~は、下北沢leteに於て、ヒデキスエモリ(exナマステ楽団)with駒沢裕城 公演に出掛けた。その案内のFBbには、
月がでているときは兄弟子と手をつないで歩き
月の出ていないときには歩くことができないので背負(おぶ)われて戻った弟弟子
銀河系の平均率と粗筋
とあった。
撮影・中西ひろ美「いつもより安くて春の遠からじ」↑



コメント
コメントを投稿