筑紫磐井「若き妻を野干と知らでさくら狩」(「俳句」3月号より)・・

 

「俳句」3月号(角川文化振興財団)、大塚凱「現代俳句時評Ⅲ/『悪さ加減の選択』を」の中に(少し長くなるが引用する)、


(前略)個々の俳句観の如何を問う議論ではなく、それらさまざまな俳句観を綜合し包摂した上でどのように俳句を取り巻く共同体と言論の蓄積を維持し発展させていくことができるか。私の関心はそちらにある。(中略)

 しかし、登録を試みる政治的な動機はそもそも「資金や人的資源等の支援を獲得すること」であろう。この動きを先導し、文部大臣としての政治経験もあった故・有馬朗人氏が、そのリソースを用いた俳句コミュニティの維持発展に貢献することを念頭においていないはずがない。ニ〇〇六年に発効した「無形文化遺産の保護に関する条約」によれは、無形文化遺産は「消失の危機から保護」の対象となり、国内においては「保護の促進のための措置」がとられうる。また、「国際的な水準での無形文化遺産の保護のため」「専門家の派遣、必要な人材の訓練、機材及ぶノウハウの提供等の国際的援助を行うため、締約国の分担金及び供出金からなる無形文化遺産の保護のための基金を設立する」こととなる(外務省webページ内)。(中略)掲げられた文言をそのまま受け入れれば、これが「俳句」を「保護」するためのリソース獲得を目的としたプロジェクトであることは論を俟たない。(中略)

 とすれば、我々が真に議論すべき課題は、協議会のもたらす定義の是非ではない、のではないか。指摘されるべきは「そのようにして獲得できたリソースを配分するコントロール機能を誰が担うのか」、そして、「そもそもどのようにリソースを獲得するのか」という、バックキャスティングによるグランドデザインの不在である。その分配の受け口として協会を統一するか、あるいは国際俳句協会の動向が示すように各協会のハブとなる受け口の団体を組織するかのいずれにしても、リソース配分の困難が予期される。(中略)

 どうやら「無季俳句や非定型俳句を含めるかどうか」が俳句の定義になっているようだが、私見としては、過去にも現在にも無季俳句が存在している以上、自然な成り行きとして、協議会は無季俳句を含めるような俳句の定義文を定めなければ、そもそもの俳句コミュニティを横断する合意形成は不可能だ。(中略)

 では、俳句界が外部から仮に何らかの利益を享受できたとして、具体的に何を達成することを目指すのか。第一に考えるべきは、過去の俳句へのアクセスを確保し続けることであろう。俳人協会の運営する「俳句文学館・図書室」のように、過去の俳句とそれにまつわる文献やデータをできる限り蓄積し、平等にアクセス可能な状態にすること。そして、その状態を維持するために投資されるべきである。そもそも、ユネスコ無形文化遺産登録の如何を俟たずして、このインフラストラクチャーの構築を達成すべく務めることが、自らの手による俳句の保護に資するものである。本丸はこちらだ。その実現なしに安易な協会統一が進められるというのであれば、私はこの動向に反対を表明する。取り組みにおいて協議会に名を連ねる自治体による地域振興といった論理は現前しているように思うが、その担い手となるべき俳人たちの主体的かつ具体的なゴールの設定や目的意識が、私には曖昧に感じられている。(中略)

 登録ができたとしてもそれは早くて数十年後のことになる。(中略)そのときの分配や「統治」をやがて実務的に意思決定し、担うことになるのは、私の近辺の世代である。本件がどう転ぶにしても、我々の世代が過去の俳句へアクセスを確保し続けるという課題に対して、針の穴を通すような解決策を導き出さなければならない。(中略)

 この問題は、俳句が社会や国家とどう向き合ってきたかという歴史の延長線上にあり、情緒的な反対によって片付けてよい問題でもない。(中略)

 「悪さ加減の選択」を、この俳句界で、誰が意思決定できるのか。いったい誰がその責任を

、いま、主体として、引き受けようとしてくれているのだろうか。教えて欲しい。いるのだとしたら、私はその人を信じたい。


 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。


  鳴き尽くし自爆せし虫わが同志      宮坂静生

  ころびては立ち帰りては下萌ゆる     岩岡中正

  索引は意味を尽くせず梅の花      渡辺誠一郎

  春浅しちちはは壺におさまりし      角谷昌子

  探偵の一寸先は闇の梅          仁平 勝

  なのはなのうへに海揺れ安房上総     大屋達治

  花見して水平線を持ち帰る        攝津幸彦

  手のばせば腋かがやきぬ鳥の恋     高山れおな

  露和辞典見返し露国全図冷ゆ       池田瑠那

  凍る夜の貨車ながながと無礼なり     鈴木鷹夫

  福助のお辞儀は永遠に雪がふる     鳥居真里子

  有袋の月魂やがてはは呻く        村木節子



      撮影・芽夢野うのき「花咲くを待ちたる雨の日の手足」↑

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