山田耕司「草の芽や男泣きなら四ツん這い」(「We」第22号)・・


  俳句短歌誌「We(うい)」第22号(俳句短歌We社)、本号の招待作家は山田耕司15句「殴れよ今」。表紙に「竹岡一郎句集『人類を薙ぐ』刊行記念とあり、まつわる記事は、関悦史「竹岡一郎句集『人類を薙ぐ』逍遥」、故竹岡一郎再録「豊里友行句集『地球の音符』を読む/赤ン坊(アカングワ)のために」。他の論考には斎藤秀雄「短詩グラマトロジー 第16回:撞着語法」。その冒頭に、


 撞着語法をもっとも厳密に定義するなら、こうなる。 「互いに排他的(共通部分が空)であり、補集合のない概念同士が結びつくことで、心理的に摩擦を引き起こす修辞」。「独身である既婚者」「不法な合法」は、互いに排他的で、かつ、補集合のない概念同士の結びつきである。独身でも既婚でもない人物は存在しないし、不法でも合法でもない行為もない(いわゆる「死法」はあるが、たんに処罰されないというだけである)。難解に映るかもしれないが、この定義は重要だ。矛盾律に抵触する事態であって、単なる意外な並置ではない。「青い血」「白いカラス」は意外であるかもしれないが、矛盾はしていない。

 しかしながら、あまりに厳密な定義は、現実的ではない(実用性をそこなう)。(中略)

 撞着語法は古典的で歴史の長い修辞技法である。「急がば回れ」「慇懃無礼」のような成句。《きれいは汚い、汚いはきれい》(シェイクスピア『マクベス』)。《黒い四角/は/黄いろい/朝食であった》(北園克衛「黒い装置」)などの文学作品。(中略)

 そもそも「撞着語法」の原語のOXYMORON自体が、ギリシャ語のmoros(愚生注:記号は略。鈍い、愚かな)を組み合わせたものであり、「賢い愚かさ」「鋭い鈍さ」を意味する撞着語法である。


 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。


  あの丘へさらきづかれて蛇苺        塩永孝一

    *「きらさづかれて」は、さまよい疲れてという意。熊本北部の方言

  歳月の玻璃剥ぐたびの仄曇り        斎藤秀雄

  数珠持つ手支へ合いたる小春の日      島松 岳

  りんご匂うきみの中にもいた妖精      竹本 仰

  みなしごはをどりこかたかごのとりこ    田中目八

  大根の花無人駅まで歩く          林よしこ

  感情の奥を歩いていると深夜の踏切があった 早舩煙雨

   かはたれに鶴舞い上がる父の墓       阪野基道

  短夜の消去・上書きはせず        松永みよこ

  神の顔見えなくなりぬ苔の花       籾田ゆうこ

  人間をこらえきれずに浮いてこい      森さかえ

  豆飯を一口大地を讃う          内野多恵子

  メモしてメモを忘れて雲の峰        江良 修

  花片に包まれてゐる椿の死        小田桐妙女

  蜘蛛がくる蜘蛛の輪郭線がくる       男波弘志

  レントゲン次は曲がり胡瓜のようにと女医 柏原喜久惠

  十七両編成の腕が通り抜けて行つた     加能雅臣

  ロボットぢやないと念押しする案山子    貴田雄介

  それまでは紙の鎧で誤魔化せる     しまもと葉浮

  にじ弾くに長子三連符の勝手好く      加藤知子



 ★閑話休題・・吉田久美「ギイと開く秘仏の厨子や涼新た」(第5回「多摩塾句会」)・・


 9月14日(月)は第5回「多摩塾句会」(於:ルミエール府中)だった。兼題は「憩」。以下に一人一句を挙げておこう。


  秋夕焼山車曳く子らの憩ふ辻      富山 勉

  街フェスのゴスペル響き憩う秋     森 和子

  憩うとき切り裂かれたりガザの夏    小川幸子

  反戦の父兄の忌に靖国へ        上阪則子

  白秋の目覚ラジオより訃報       吉田久美

  新涼のピアノの調べノクターン     花見育子

  ホオズキの朱色はじける静物画     中西雅子

  海賊の憩う洞(ほら)あり月明かり   篠木裕子

  ヒカゲチョウ小楢に憩ひかくれんぼ  早川ひろ美

  秋色や憩いの楽を奏でいて       大井恒行


 次回は、10月5日(月)、兼題は「木槿」。



       撮影・芽夢野うのき「雨のあと九月の花と母の息」↑

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