和田久太郎「もろもろの悩みも消ゆる雪の風」(『アナキストの悪戯(いたずら)』より)・・


  伊藤野枝『アナキストの悪戯(いたずら)』(マヌケ出版)、編集後記には、

 伊藤野枝といえば「フェミニスト」であり、「アナキスト」で、肩書だけ書いてしまえば何だか難しい人のように感じるかもしれません。ですが本書を読んでいただければおわかりになるように、非常にユーモラスでチャーミングな方であったように思います。編者がとくに笑ったのは人物評で、悪口のようにも思えるその文章は切れ味が凄まじく、傍若無人の書きっぷりに笑わずにはいられませんでした。

 とある。特別付録・栞「野枝さんのこと」に、佐久間裕美子「伊藤野枝」、高島鈴「伊藤野枝についてのごく当たり前の話」、氷上アクア「ストリップ劇場から抵抗をこめて」。その氷上アクアは、


 私はストリップ劇場で踊ることを仕事にしている。ストリップは警察の恣意的な摘発で

いつ営業停止処分をくだされるか分からない興行だ。そんなグレーゾーンのなかで、多くの踊子は自分自身でプロデュースした演目を見せている。

 2025年10月、私は新作の『野枝』をはじめた。伊藤野枝の生涯を私なりに解釈して演じている。二兎社の『私たちはなにも知らない』を観たばかりのころ、仲が良い同僚に「あなたって世が世なら投獄されそう」と言われたことで野枝が心にとどまった。“投獄されそう“を過大評価と感じたのはうっすらとした破滅願望では、と思い赤面する。(中略)

 演目に話を戻すと、『野枝』では自分の感情を追体験するようにしている。野枝がいつどのように思っていたか、なんて分かるはずがないし分かった気にもなりたくない。だから、事実とされている出来事をなぞり、似た体験のときに私が表したり表せなかった感情を再現している。インナーモノローグ(演劇用語で声に出さず心のなかでつぶやいている言葉を設定したもの)はすべて、私自身が出会ってきた人たちの固有名詞が入っている。(中略)実在した人物をストリップで演じることが故人への冒涜や暴力として受け取られかねない、というおそれがあった。初演の週に一旦それらの不安が払拭されたため『野枝』として演目のタイトルを公開した。しかし、ストリップで演じる限り、この危険性は常に意識していたい。

 『野枝』のラストシーンは、うす暗い劇場のなかで真上に手を伸ばすポーズで終わる。百年前に憲兵に殺され、古井戸に捨てられた野枝のイメージであり、同時に、今まさに警察にしょっぴかれるかもしれない私が一体になる。その瞬間、自然と満面の笑みが浮かぶのだ。


 とあった。附録に村木源次郎「彼と彼女と俺」、和田久太郎「僕の見た野枝さん」と「伊藤野枝とその周辺 略年譜」を収録。マヌケ出版は栞の裏側に、「100年後の革命のために本をつくる」と言挙げしている。


 伊藤野枝(いとう・のえ) 1985(明治28年)1月21日~1923(大正12)年9月16日、福岡県生まれ。

 和田久太郎(わだ・きゅうたろう)1928(昭和3)年、秋田刑務所で縊死。享年36。


 ★閑話休題・・天の川くぢら「蔓のこころ色なき風にためされて」(第82回「ことごと句会」)・・


 9月19日(土)は、第82回「ことごと句会」(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。兼題は「丸」。以下に一人一句を挙げておこう。


  雁渡る港の果ての加工場        春風亭昇吉

  破れ芭蕉あらゆるあるを受け入れる   杉本青三郎

  丸亀のシェイクうどんを手に銀河     宮澤順子

  ひまわりのひらめく花のこうべかな    杦森松一

  流星やデラシネ同士杯呷(あお)    武藤 幹

  正露丸一錠秋の香を奪う         江良純雄

  海猫は泣けど笑えど宮古宮古       金田一剛

  でもやっぱ九月は素手で掴めない     村上直樹

  乳房雲を笑ろうておるな秋の空      石原友夫

  丸窓のマダムは秋の雨を聞く       渡邉樹音

  丸顔の姉妹昭和のほうかむり       渡辺信子

  列をなす整列に秋風が舞う        照井三余

  手しごとにうまれるあそび丸亀うちは 天の川くぢら  

  にじむ涙のスピードで守宮は帰る鏡かな  大井恒行


 次回は、10月17日(土)。



       撮影・中西ひろ美「ふと香る柿の葉寿司や秋彼岸」↑

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