工藤俊雄「争斗や無辜のものみな裸なり」(『幻肢』)・・


工藤俊雄第一句集『幻肢』(現代俳句協会)、帯文は清水伶、それには、


   夕かなかな巨きな影が下りてくる

 九十代に於ける渾身の第一句集。

 工藤さんの人間と歳月が、俳句という最短定型詩に積み上げてきたもの。

 それは『幻肢』という想い以外には決して表現出来ない哀しみ・叙情である。


とある。序文は川森基次、その中に、


  工藤俊雄『幻肢』に世界

  工藤俊雄の第一句集『幻肢』の世界に触れて、まず強く胸に残るのは、この句集が単なる晩年の到達ではなく、老年という時間そのものを、なお内部から噴き上がる力として描き切った作品の数々である、ということだ。九十有余年に及ぶ生の堆積が、回想や感慨へと穏やかに沈むのではなく、むしろ本句集では、、その生の全層が地殻変動のようにせり上がり、戦争、敗戦、昭和、父の記憶、病、死者たち、宗教、美術、音楽、神話、古層としての東北が、季語の磁場に引き寄せられながら、激しく衝突し、発火している。題名の「幻肢」は、まことにこの句集の本質を言い当てている。すでに失われたはずのものが、なお疼き、なお現前し、なお現在の生を内側から支配している。その不在の痛覚こそ、この一巻 を貫く深い主題であろう。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


 俳句を始めて七十年。顧みれば俳界の方々にいろいろとご指導いただきまいsた。そして、「遊牧俳句会」に御世話になって十有余年。齢(よわい)九十半ば、自分にとっては何かと限界でありましたが、塩野谷仁名誉代表、清水伶代表の励ましと、「遊牧」同人の方々のお世話になり、何とか今日を迎えています。(中略)

 心身ともに老化、大けが、重病に傷つき、137万年ぶりに太陽系に姿を見せたバーン彗星とともに、消え去ることを、誰にも気付かれずに成し遂げようと思っていましたが、家族、山城医師、そして「遊牧」の縁(えにし)を得て、彗星に乗らずにすみました。


 とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつの句を挙げておきたい。


  御来光いかなる人も消去せず          俊雄

  ねぶたの志功たふさぎ白く狂ふかな

  初夢の父哭きおれば吾も泣く

  紅い紙魚死後の余生を食いちらす

  火の中へ火蛾落ちてゆくうれしさう

  蟬しぐれこの世のほかにこの世無し

  落ちた螳螂(かまきり)手足どうした有つただろ

  卒寿なり二日に草書「志」

  散る花と共に地べたに坐りけり

  新緑が網膜にある死者洗ふ

  森賀まり聖く烈しき火蛾放つ

  

 工藤俊雄(くどう・としお) 1931年、青森市生まれ。




★閑話休題‥山蔭典子「秋雨の心像変へる泥の川」(立川・こぶし俳句会)・・


 9月10日(木)は、立川こぶし俳句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。本日から、新入会の方が加わった。以下に一人一句を挙げておきたい。


  街中華冷しラーメン紅生姜         和田信行

  雑草(くさ)刈りのうなる機体にも秋霖   山蔭典子

  止まる足「めだかあります」散髪屋     川村恵子

  放棄地の主(ぬし)亡き田畑盆の月     井澤勝代

  鬼ごっこ林を駆ける白い風         髙橋桂子

  老犬よまだ逝かないでひた祈る      樺島美知子

  今朝秋のやっと来たかよ変わるなよ     伊藤康次

  草原に溶けだしているかたつむり      大井恒行

  

 次回は、10月9日(金)、雑詠4句、持ち寄り。  



撮影・芽夢野うのき「天人のしもべとならん蝉の殻」↑

コメント

このブログの人気の投稿

高篤三「Voa Voaと冬暖のメトロ出る河童」(『新興俳人 高篤三資料集』より)・・ 

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

渡辺信子「ランウェイのごとく歩けば春の土手」(第47回・切手×郵便切手「ことごと句会」)・・