後藤昌治「がうがうと裸祭は彼方なり」(「韻」第52号より)・・
「韻」第52号(韻俳句会)、その「編集後記」に、
『韻』創刊当初から現在まで、「韻」代表であられた後藤昌治氏が逝去された。享年九十三歳。
二〇一五年の一九号より二〇二三年の四四号まで、ー「戦後から現在に至る長い期間の中で甚だ自己中心的ではあるが、俳句に関わりつつ書き抜いてみようと思う」ーと『長い時の流れの中』と題して、来し方思い出などを書いていただけたことは、この地方で俳句に関わっているものにとっては、本当に貴重な記録であり、よく書き続けて下さったと、ただ有難い気持ちで一杯である。
☆後藤昌治氏と同じ、創刊同人であった米山久美子氏が令和八年二月二十三日逝去された。享年九十五歳。
とあった。ご冥福を祈ります。また、小笠原靖和「追悼 後藤昌治さんのこと」には、
濃尾平野の一隅、愛知県清須市西枇杷町(現在)に誕生し、終生一所定住した後藤昌治さんの第一句集「石の群れ」序・同行言(小川双々子)には、ごとうは微高地の詩人である。「石の群れ」はその強靭なきらめきの充満である。私はそのきらめきにうたれつづけて同行した。
と記されている。後藤さんの俳句は双々子を師と仰ぎつつ密接に同行することによって結実したと言えよう。(中略)
後藤さんが二七歳のときに誓子邸を訪問した折、『昌治の俳句は新旧の屋根伝い、それは中庸の道を進む』と云われた、と年譜に残した。その言葉を銘記していたかどうかは知る由もないが、私は後藤さんの作句方法(つまり俳句観)は最後まで誓子主張の、いわゆる「根源俳句」を基調としていたように思う。(中略)
「地表」創刊時に主宰小川双々子を支えた五人の運営同人の、最後の一人として後藤さんが世を去った。私としては「地表」という一つの時代が幕を閉じたな、という感懐が深い。
とあった。愚生もまたその思いを抱いた。ともあれ、以下に追悼句の一覧から、記しておきたい。
葬送の尾張微高地麦ばうばう 小笠原靖和
種おいて逝きたる人や麦の秋 有本仁政
こころざし継いでゆきたし合歓の花 石川京沙
物種となりし人ゆく大西日 岡田真由美
ゴドー待つ双蛾のまさにはるばると 金子ユリ
春の雨遠くギターの音たしか 菊山千月
春の風俳句は永遠の愛と共に 車 春吉
振り返る朝紫陽花のよみがえる 千葉みずほ
身に何も帯びず沈黙今年竹 永井江美子
麦のかぜ息をひそめて美濃路逝く 前野砥水
巨星墜ツ白キ言霊ヒカラセテ 松末充裕
爽涼や美濃街道に紡ぐ詩 山内基成
東海の空わけて星流れけり 山本左門
撮影・芽夢野うのき「幸不幸おしろい花の刹那せつな」↑

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