三原由紀子「うつくしまふくしま唱えて震災の前に戻れる呪文があれば」(『ふるさとは赤』)・・


  三原由紀子第一歌集『ふるさとは赤』(本阿弥書店)、著者「あとがき」には、


 この歌集は、十六歳から三十三歳までの十七年間の作品をまとめた第一歌集である。

 中学時代の国語の先生、佐々木文恵先生に勧められ、高校時代から短歌を作るようになった。先生は長年、病と闘いながら短歌を作り続けていた。私が社会人になる直前に、浪江のお寿司屋さんに連れて行ってもらったのが、先生と会話をした最後だった。私はのちに夫になる人と付き合い始めた頃で、先生は私の表情から、幸せだということを感じとったのか、ご自身の亡き夫との思い出をとても楽しそうに話してくれたのだった。私は一人の女性として先生と話をできるようになったことが、とてもうれしかった。(中略)そして、私が社会人二年目の二〇〇三年四月にお亡くなりになった。先生との出会いがなければ、今の私は存在しない。この歌集を先生の墓前に捧げたいのだが、お墓は双葉町にあって、それもかなわない。(中略)

 二年前の三月十一日以降、それまでに自分が続けてきたことや、ずっと気にかかってきたこと、疑問に思う事への答えが出たような気がしている。

 今日は四月一日。私のふるさとである浪江町は区域再編により、避難解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域に分断される。私の実家は避難解除準備区域にあたるが、昼間の立ち入りが緩和されるだけで、十五歳未満と妊婦の立ち入りは不可。宿泊もできない。それが意味するのはどういうことなのか。そして、今後どうすればいいのか。この歌集を手に取ってくださった皆様と一緒に考えていけたらと願っている。

  二〇一三年四月一日 並榎町区域再編の日に

                           三原由紀子


 とあった。集名にちなむ歌は、


 iPad片手に震度探る人の肩越しに見るふるさとは 赤    由起子


 であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、幾つかの歌を挙げておきたい。


 完璧を求めてしまう母のようツノが二センチ伸びている朝       

 その先の未来を歩むためふたりを乗せてスーパーひたち

 隠しごと増えてゆくたび打ち明けたいことも増えてゆくよ 深緑(しんりょく)

 「さごはち」をみんなで歌おう真夏日に拳振り上げ誇れ故郷を!

 一月の同窓会に集まりし数人はいま1F(いちえふ)に就く

                  1F=東京電力第一原子力発電所

 脱原発デモに行ったと「ミクシィ」に書けば誰かを傷つけたようだ                   

 浜通り/双葉郡/浪江町/避難民 憎しみ合って分かれてゆきしか

 「十年後も生きる」と誓いし同窓会その二ヶ月後にふるさとは無し

 盆正月迎えるたびに受け入れてしまうのだろうかふるさとの死を 

 刈り取られた稲藁のように束ねられどこに運ばれてゆくのかわれら

 国民を難民にして今もなお稼働させたきひとは小愚民(こぐみん)

 ふるさとを失いつつあるわれが今歌わなければ誰が歌うのか

 走らないスーパーひたちは雑草に襲われてゆく駅のホームに

 除染という仕事を与え福島の人ら集めて二度傷つける

 「仕方ない」という口癖が日常になり日常をなくしてしまった

 「元気だよ、被曝してるけどね」って笑顔の絵文字の返信メール

 「二〇一一年三月十二日浪江町死者一名」は大伯母だった

 「おばんです」大伯母の声が玄関に響きしわが家は幻影となる

 むき出しの原子炉建屋に作業する人らがありて続く日本(にっぽん)

 「福島に何度も(俺が)来てるって言ってよ」支援者からのお願い

 偽りの言葉ならべる〈つながろう、絆、がんばろう、元気です〉

 福島をFUKUSHIMAと表記する人ら福島にいてはりきっている

 「あんなところ行くわけないよ」と嗤われてあんなところで育った私

 三五八が好きだと言えば通じ合うママは三五八漬けでもてなす

 人住まぬ家に鼠は生き生きと住んでいるらし糞散らかして

 二年経て浪江の街を散歩するGoole ストリートビューを駆使して


 三原由紀子(みはら・ゆきこ) 1979年、福島県双葉郡浪江町生まれ。



★閑話休題・・薄井崇友展「ーFUKUSHIMAー」(於・ぎゃらりー由芽~9月6日・日まで・木曜休み)・・


            
                   薄井崇友氏↑

 愚生は、思い立って、三鷹・ぎゃらりー由芽(ゆめ)の薄井崇友写真展「ーFUKUSHIMAー」に出掛けた。案内チラシには、


 この日、通算20回目の事故原発から出た水が海洋放出されていた・・・。(中略)国はこの水を〈汚染水〉ではないといい〈処理水〉と呼ぶ。1キロ沖までパイプを延ばして流しているから〈海洋投棄〉にはあたらないとし〈海洋放出〉と呼ぶ。有季フッ素化合物(PFAS)に例えれば、1938年に発見・活用がはじまり、90年代に環境汚染・健康への影響が科学界で認識された。2004年に国連機関で締結(POPs条約)された。約60年間に渡りその深刻な毒性は事実上無視されてきた。

 いま流されているモノは大丈夫か。汚染水を陸上保管し減衰を待つのはまだ可能だ。流し始めたばかり、いつ終わるかわからない。


 とあった。

 薄井崇友(うすい・たかとも)  福島県白河市生まれ。



     撮影・芽夢野うのき「天の川泳ぐ一夜の痛みうたかた」↑

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