藤田湘子「愛されずして沖遠く泳ぐなり」(『藤田湘子の世界/超克の軌跡』より)・・

  大石香代子著『藤田湘子の世界/超克の軌跡』(ウエップ)、著者「あとがき」には、


 私が「鷹」に入会し、藤田湘子先生にはじめて見(まみ)えたのは、二十六歳のときであった。その頃先生あh、俳句専業になられてたばかりの壮年の活力に満ちていた。体力維持のために週に何度か自宅に近い横浜の美しが丘のスポーツクラブに通い、一日に二千メートル位は軽く流して泳ぐという二の腕の筋肉を誇らしげに示されたことも懐かしい。(中略)

 終戦直後の日本の混乱は、先生をも筆舌に尽くし難い労苦に巻き込み、当時のことはあまり語られなかったが、先生の人生に少なからず影を落としている。だが、苦学生の頃からの国鉄勤務は、日本各地を巡り、旅をするのに都合よく、戦後、俳人湘子を大いに育くみ、援けたと思う。新幹線開通と同時代に「鷹」が創刊されたことは象徴的である。

 平成の時代に入って放送の分野で始まったNHKBS吟行は、各地の文化と文芸が結びついた質の高い教養娯楽番組として大衆文化向上に資するもので会ったろう。第一回から出演している。まさに、時代に求められた時代の申し子なのであった。(中略)

 挑戦の軌跡は十一冊の句集に見てきた通りであるが、一冊一冊の句集にくっきりとした相貌と変化を見せ、戦後俳句のムーブメントを吸収しながら自分自身の俳句を希求した軌跡が瞭かである。


とあった。ともあれ、以下に本書より、いくつかの湘子の句を挙げておこう。


  雁ゆきてまた夕空をしたたらす       湘子

  音楽を降らしめよ夥しき蝶に

  口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か

  枯山に鳥突きあたる夢の後

  日のみちを月まあゆむ朴の花

  湯豆腐や死後に褒められようと思ふ

  あめんぼと雨とあめんぼと雨と

  寒泉や定型といふ無尽蔵

  蛍火忌と呼ば無晴子逝きたる日

  ちゆと吸へば土用蜆もちゆと応ふ

  死ぬ朝は野にあかがねの鐘ならむ


 大石香代子(おおいし・かよこ) 1955年、東京都生まれ。



     撮影・中西ひろ美「蔓の先梅雨明けを指示するように」↑

コメント

このブログの人気の投稿

高篤三「Voa Voaと冬暖のメトロ出る河童」(『新興俳人 高篤三資料集』より)・・ 

田中裕明「雪舟は多く残らず秋蛍」(『田中裕明の百句』より)・・

渡辺信子「ランウェイのごとく歩けば春の土手」(第47回・切手×郵便切手「ことごと句会」)・・