高橋修宏「新玉(あらたま)の/蝦夷穴(えぞあな)/揺(ゆ)らす/魂魄(こんぱく)よ」(「ふらんす堂通信」187より)・・
「ふらんす堂通信」187(ふらんす堂)、特集は「受賞特集」で、第27回小野十三郎賞「詩評論部門」受賞の高橋修宏著『暗闇の眼玉―-鈴木六林男を巡る』。その「受賞のことば」の中に、
(前略)俳句や詩を含め文芸作品にとって、その作者の〈死後の生〉こそ普遍的な課題と呼べるものではないでしょうか。少しでも、そのことに寄与できたならば望外の喜びです。
とあり、受賞記念特別寄稿の「〈死後の生のために」には、
「如何に有名な俳人であったとしても、その死後に作品が読まれなくなってしまったら、もう一度死んでしまう……」。俳句初学の頃に、ふと出会った印象的な言葉である。(中略)
六林男を戦争俳句という範疇において、その評価を定説化しようとすると、はみ出してしまうものがある。あるいは、戦後の社会性俳句という状況において捉え返そうとすると、やはり違和感の方が優ってしまう。そんな六林男評価に付きまとう〈余剰〉や〈異和〉を、彼自身の句作行為の単独性として取り出してみること、そして、〈戦後俳句〉と呼ばれるひとつの可能性の中心として考えてみることが、本書全体を通底するテーマであった。(中略)
六林男俳句の〈死後の生〉。あの有名な戦場俳句でも、また、戦後の社会性俳句においても、たえず単独者として格闘し、文学としての句作行為を重ねてきた鈴木六林男ーー。その軌跡は、渾沌とした現代俳句にとって、いまもなお立ち返るべき示標のひとつだという確信を、漸く手にすることができた。
とあった。ともあれ、本誌中より、いくつかの句を挙げておこう。
月代(つきしろ)の
一湾(いちわん)を
蒸(む)す
甑(こしき)かな 髙橋修宏
龍の玉よくまあ人の逝くことよ 池田澄子
座布団のうすきが椅子に暦売 山口昭男
緊急熊出現情報有線より 小澤 實
あまのがは脛を過ぎつつ水となる 澤 好摩
光陰のなだれ落ちたるさくらかな 藺草慶子
冬銀河よりアザラシの零れ落つ 金子 敦
撮影・中西ひろ美「火よ点くな風除山はまだ眠り」↑

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