伊藤伊那男「吾が骨も団扇の骨もあらはなる」(『狐福』)・・
伊藤伊那男第4句集『狐福』(北辰舎)、著者「あとがき」に、
これまでの私の句集を顧みると、第一句集の『銀漢』は平成十年、四十九歳で出版。第二句集『知命なほ』は平成二十一年、六十歳、第三句集『然々と』は平成三十年、六十九歳の時の出版であった。概ね十年単位で纏めてきた。第四句集は喜寿の年辺りを節目に纏め始めようか、と思っていた。ところが二年程前七十四歳の秋に胆管癌を発症した。胆嚢、十二指腸を全部切除、膵臓を半分切除、胃腸を四分の一切除とという内蔵の地図が変わるような手術をした。そのご経過は徐々に厳しさを増しており、昨秋肝臓への転移が確認された。そんな病状にて少し繰り上げて、まだ元気な内に区切りを付けようと思い立ったのである。(中略)
銀漢亭を閉じて五年以上が経つ。もともと読書や旅が好きであったが、自由な時間を得て、更に密度濃く俳句と歴史探訪の旅を重ね、知的好奇心を満たす貴重な日々を過ごすことができた。
「狐福(きつねふく)」という言葉がある。私の郷里、信州伊那谷を漂泊していた井上井月の〈松茸や薪拾ひの狐福〉という句でそれを知った。もともとは稲荷信仰から生まれた言葉のようだが、それを離れて「思いがけぬ幸福。僥倖」を指す。思えば私の人生は狐福であったとつくづく思う。これが本句集の題名の由来である。
さて本句集は自分では、「自己透視の目が少し加わってきたかな、と思っているのだが、どのような評価を受けることになろうか。
とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。
この羅漢涅槃このかた泣きどほし 伊那男
浅草へ橋もなかばの良夜かな
一月二十一日
久女忌は妻の忌やはり雪催
叩くほかなく石庭の石叩
露草の露もて妣への便りせむ
古日記空白なるは悲しき日
黴兆す遺品となればことごとく
日本橋
橋桁に戦禍の焦げや都鳥
花筏組むに手を貸す罔象女(みずはのめ)
初鏡遺影の妻がすぐうしろ
春の蚊の人の温みに来て打たる
熟るるまで仏に預けおくメロン
胆管癌の手術を受く
芭蕉忌の曾良とも頼む点滴棒
自問して自答して秋深みかも
靖国の落葉は万の手紙めく
伊藤伊那男(いとう・いなお) 1949年、長野県駒ケ根市生まれ。
撮影・中西ひろ美「よその子に遠慮がちなる地蔵盆」↑

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