宮岸羽合「陽光と差し違へたる揚雲雀」(『川音』)・・
(前略)段々私の選に入るようになって来ると言うことは、好むと好まざるとにかかわらず定型のギブスに嵌ることで、その身動きの取れない不自由さに甘んじて行くことになる。しかし、その不自由さを克服すると、俳句と言う小器に思いも寄らぬ質量のものを盛ることが出来ると知る。その辺りが誰もが俳句の面白さに嵌るラインで、既に自身も嵌ったことを自覚している筈。少々時間に遅れても、実際の句会に身を置くことは大切なことで、私の選に入る入らないは別として、他人の句を見て読み解く、という行為で進む方向を自分なりに見出して、それが今日の羽合俳句の姿勢となっている。この作者、教壇から去ろうとしているのだが、あまりその感慨というものを披歴したことが無い。何十年も間の引率者として、修学旅行に行った先々の句を、私が余り評価しなかった所爲か、残していない。こちらも記憶にない。としたら、個人的な思い出を削ぎ落したことになる。お詫び申し上げる。
とあり、著者「あとがき」には、
(前略)そんな私は、四十を過ぎてから俳句を本格的にはじめました。初心者の私は二〇〇一年頃からインターネットのゴスペル俳句に投句しはじめました。その運営をしておられた、やまだみのるさんには、大変お世話になりました。みのるさんが結社に入ることをすすめて下さったので、面白うそうな俳句を作る中原道夫先生の結社、銀化に入ることにしました。(中略)
この句集には、俳句を知らない方々にも俳句も面白さがわかるようにと、中原先生直々の句評が付いています。二十一世紀の風狂の俳諧師と言われる俳人の鑑賞の鋭さを知り、その句評を通して、読者が俳句の奥深さを知ることが出来ればと願っています。
とあった。集名に因む句は、
螢火や川音(かわと)の節目には巌 羽合
であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。
うららかや海驢の拍手への拍手
菜の花に油を売つてゐるちころ
スローシャッターの音に花火の音ずれて
灯を消して網戸の客を帰しけり
已己巳己(いこみき)の蟻連綿と穴出づる
炎天に労働人(はたらきびと)の絞らるる
初富士の輪転機より現るる
人魂はまずふらここに乗りたがる
のどかさやまぢかなとびのこゑことに
紫雲英田の遠し鉄路に耳をあて
秋空へつつみ隠さず汽笛かな
木の芽時ラヂオテキスト手に取りぬ
生徒の死生徒に伝へ梅雨に入る
被爆者とともに秘話逝く広島忌
ハモニカのひと部屋ごとのそぞろ寒
掃き終へしところへ紅葉落ちたがる
叱れない教師を叱る夜鳴蕎麦
宮岸羽合(みやぎし・はごう) 1960年生まれ。

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