葛原妙子「水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪(チーズ)黴びたり」(『野の骨を拾う日々の始まり』より)・・


 魚住陽子短編集『野の骨を拾う日々の始まり』(駒草出版)、帯には、


 野にさまよう/女の魂は還らず

 芥川賞候補作の前後に書かれた鮮烈な詩的感性溢れる表題作他、

 魚住陽子文学の情熱と気品と静けさが堪能できる短編集


 とある。また、跋文とも言える三浦美恵子「同人誌時代の作品について」には、


 一九八七年、同人仲間になった頃、魚住さんは十年くらい前に書いた詩のコピーを、私に手渡してこういった。「詩の枠に言葉が納まりきれなくなり、自然に散文へ移っていった」と。

 コピーには「草の種族」と題された作品が三つあり、いずれの作品も言葉の鮮烈さが目を惹き痛々しいほどの若さにに充ち溢れていた。(中略)

 魚住さんは、父の不在による窮乏や孤立感を実体験していない。四人兄弟の末っ子らしく家族の溺愛、俳句に親しんでいた母の教養、四季折々の花々に彩られた東京郊外の豊かな自然等々に育まれて成長した。物怖じせず明るく闊達であり、軽妙な語り口で会話を弾ませ、そこに集う人々を笑いの渦へと巻きこんでいった。

 現実の振舞いと内面は必ずしも一致しない。小説を志す者にとって、魂の空洞をどんな風に埋めていくか、その過程をどう表現するかは、大きな課題だが、魚住さんは独特のこだわりを鮮やかな手法で創り上げていった。(中略)

 作家デビューのこの時期に、腎臓病を患っていた魚住さんはついに人工透析に踏み切った。以来、腎臓移植、再び人工透析と、長く厳しい闘病生活が続いていった、そのなかにあっても小説を書き続け俳句を作った。やがて病状の悪化が目立つようになり、何度も入退院を繰り返し、家に戻ると決まって電話で報告してくれた。見舞いに行くと、顔色はまだ悪くても声だけは元気だった。

 次の作品の構想や俳句が浮かび上がる瞬間をユーモラスに話し、「不思議ね、俳句なら点滴中でも十句はつくれる」と、笑った。


 とあった。そして、加藤閑「あとがき」には、


 (前略)二〇二一年に魚住陽子が他界してはや三年が過ぎた。この間に『夢の家』を皮切りに四冊の遺稿小説集を駒草出版から上梓することができた。その書名と発行日を以下に挙げる。

 夢の家 二〇二二年七月十日

 坂を下りてくる人 二〇二三年八月二六日

 半貴石の女たち 二〇二三年十二月二二日

 五月の迷子 二〇二四年五月三一日

 これに本書を加え、魚住陽子の未刊作品の刊行に一区切りをつけることができると思っている。(小説以外の詩歌俳句、エッセイ等の作品や、データの失われてしまった作品等がまだあるにはあるが、その処遇については次なる機運を待ちたい)


 ともあった。 ともあれ、小説「鵙(もず)日和」の中の登場人物の句を以下に挙げておこう。


  手術前冬菜の寝床見て帰る      晴子

  坂道で秋のしっぽを踏んでいる    玉枝

  穂薄や風の住処に風帰る      (私・玉枝)

  照柿や野の心臓の息遣い      (房子先生)

  短日やドロップ五つ分けられて     〃

  野分船どこへ行こうか草の波    (玉枝)

  花薄立ち泳ぎして彼方まで       〃

  我が影の啄みし後鵙猛り        〃


 魚住陽子(うおずみ・ようこ) 1951年~2021年、埼玉県生まれ。

  


        撮影・中西ひろ美「母と子に釣瓶落しの面会日」↑

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