佐々木歩「夏蜜柑だつて血なんて通はない」(「円錐」第102号)・・


 「円錐」第102号(編集部/発行所 山田耕司)、特集は「第8回 円錐新鋭作品賞 受賞者最新作」。その他の「展・展・望・望」の特別寄稿に髙橋修宏「カウンター・カルチャーとしての六林男」、また摂氏華氏「作者の情報はどの程度必要か」、原田もと子「桐生吟行記」。そして論考に、山田耕司「澤好摩との時間を振り返って」、吉冨快斗「ロラン・バルト『表徴の帝国』試論(一)―—『意味の家宅侵入』」、今井泉康弘「七月七日の詩学―—織姫の巻」、その今泉康弘の中に、


 《1 七夕はいつなのか》

 雑誌「NHK俳句」二〇二四年七月号巻頭には、新暦による七月のカレンダーが見開きで載っている。その七日の欄に、「七夕」とある。即ち、同誌では新暦の七月七日を七夕だとする立場に立っている。 

 同号は七夕の特集をしている。その発売日は六月二十日であり、これは新暦七月七日を七夕だとする認識に対応している設定だろう。

 ところが、その立場・認識とは異なる記述が、その後にある。「季語深掘(ふかぼり)」という特集欄があり、「七夕」を特集しているのだが、(「深掘」とは「深い堀」のことではなく、「深く掘る」の省略形らしい)、そのうちの「七夕の名句」という記事では「七夕は、旧暦の七月七日」だと断言している。同記事を読む限り、他に日付への言及はなく、これは新暦七月七日ではないと定義している、と考えられる。(中略)

 その結果、七夕について一方では新暦七月七日だとし、もう一方ではそれを否定する、という矛盾が生じた。ここにあるのは、文学上の理念の一慣性ではなく、きつく言ってしまえば商業主義、ご都合主義から生じる矛盾である。(中略)

 それが一八七二年(明治五)十一月、政府は突如として、改暦を発表した。(中略)その留守を預かっていた大隈重信らのもとに、同年夏、翌一八七三年(明治六)の暦が出来上がって献上されてきた。大隈はこれを見て、大いに驚いた。なぜ驚いたかというと、明治六年には閏六月があった。六月が二回あるのである。閏月があること自体は旧暦において当然のことである。しかし、大隈はこれに驚いた。なぜか。その前年、官員の給与が年俸制から月給制に改められていた。閏月があると、一年の中で通常より一回多く給与を支払わなくてはならない。(中略)とても給与を一回多く支払うよう余裕はない。そこで、閏月のない太陽暦の採用に踏み切った。突如の改暦は財政問題であった。(中略)

 一九二〇年代、東京という都会では新暦が普及していたこともあり、七夕祭という行事はすっかり縁遠いものになっていたのである。

 こうした地方でのあり方に対して、東京では、民間行事は異なる現代的な形で七月七日に七夕をまつることが行われるようになった。

 三越デパートは一九一六年(大正五)七月に、催事として七夕祭りを行っている。(中略)「七夕祭が江戸時代には五節句の一つとして重(おも)んぜられて居たのに、明治の初期からいつとはなしに衰へて、今日の東京では殆んど忘れられてしもひさうなのは、遺憾なことと存じます。(略)(中略)此度児童用品研究会の諸先生とも相諮り、当店に於いて七夕祭を復興致すことに致しました」―—。


 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておきたい。


  もういない人がいた日の暮の雷      来栖啓斗

  つい嚙んでしまふのど飴春の風      福田潤子

  つばくらめ上総のひかり飲みこぼす    丸喜久枝

  かなしみが足りぬプールに浮いてしまふ  佐々木歩

  冷房の無き法学部二号館        青木ともじ

  ■■の底に仰向けけふのつき      織田亮太朗

  栗臭き天使扼殺者の荷札         加藤 閑

  天使魚の瞠目ペンを執れといふ      内野義悠

  塗り潰し 描き重ね ・ 陽の鳥よあれ  とみた環

  風炎や宿に魚拓のくろぐろと      山田すずめ 

  枝豆の豆吸はれ果てうつろなる      山田耕司

  ひとりゐのひとつのつえをまた立たす  荒井みづえ

  初風呂にシンの温もるシンつて何処    小林幹彦

  良き雨を降らせよ庭の濃あぢさゐ     大和まな

  大楠の力技にて木下闇          後藤秀治

  戰史そは殺しあふこと記録せず      横山康夫

  歩き歩き見し遠雷の西の雲        矢上新八

  浴びている雷と雨詫びている     赤羽根めぐみ

  ぴゆるんとミルキーだつた春の水     吉冨快斗

  主権在民なら薄氷の上にある       味元昭次



     撮影・中西ひろ美「盆用意なのかこの家の静けさは」↑

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