木割大雄「鬱王の残党吾れに十二月」(「カバトまんだら通信」第44号・終刊号)・・



 「カバトまんだら通信」第44号・終刊号(カバトまんだら企画)、木割大雄が畏友という榎本匡晃「じつのところ」に、


 ある日ある時、関西俳句女流四天王といわれる西村和子先生、大石悦子先生、山本洋子先生、宇多喜代子先生の吟行会を計画したので運転手を頼む、と木割大雄からお願いされた。平成八年のことでした。(中略)

 ひとしきり一日の感想や俳句の話で盛り上がっていたところで、西村和子先生が、

「実は赤尾兜子の名前は知ってるけど、どんな人かあまり知らないのよ」

と木割大雄に向かって言われた。

すかざす宇多喜代子先生が、

「木割君兜子のこと書きなさい」

「わたしなんかが兜子先生を語るなんて…、とてもとても」と、逃げの大雄。

「何言ってんの、いつまで二階で寝てるつもり、一階に降りて来てちゃんと働きなさい。私たちは一階で仕事してんのよ」と、宇多喜代子先生。

木割大雄、たじたじとなりながら「そやけど、俺一人では何もできないですよ」

すると宇多先生が、

「ここに、ええ相方がいるじゃない。」と、私を指した。

私は(えええっ!俺?、何をすんねん、どないしたらええねん?)とびっくり。

木割大雄は、ほぞを固めたように「そうやなぁ、ほな、やろうか」

「はあ、はい、どうしたらええんですか」と私。

「まあ、ぼちぼち考えるわ」と、木割。(中略)

以上ののことがまぎれもない二十七年前の『カバトまんだら通信』の始まりのきっかけです。


 とあった。最終号に相応しい充実の内容、目次をひろうと木割大雄のエッセイ「この名前憶えておけ」「兜子への旅」。資料⓵②③に時実新子「魚吹(うすき)の宮」「魚いる秋」「赤尾兜子小論ー中年の塔」の復刻。他に木割大雄は「想い出の時実新子」「断章―兜子先生の周辺」、資料④に「神戸新聞」(2022年2月4日の「日々小論」)、木割大雄「鬱王の残党 87句」など。 

 木割大雄は、スポーツニッポンに1984年から13年間、阪神タイガーズの試合があるたびに「虎酔」という俳号で俳句を詠み続けていた。今年の優勝には、次の句を寄せている(負ける時の句はすぐ生まれるのですが、という)。


  秋のわが四番打者の泪(なみだ)かな    虎酔


そして、その記事中には、「あの85年10月16日、21年ぶりに優勝した当日」は、


  肌寒く勝利の中でふるえけり       虎酔


とあった。ともあれ、本誌終刊号のなかの句をいくつか挙げておこう。


  会うほどしずかに一匹の魚いる秋     赤尾兜子

  俳句思へば泪わき出づ朝の李花       〃

  

  目醒め

  がちなる

  わが尽忠は

  俳句かな                髙柳重信 


  スキー帽群れて無帽の父を消す      時実新子

  遠い群衆鳴らぬ時計は耳に当てよ      〃

  万作と教へて呉し花に似る        杉本 零

  さくら咲き語尾のやさしき伊予言葉   篠田悌二郎

  暖房や時実新子の少女ぶり        木割大雄

  「永遠の戦後」と彼の書き初めに      〃

  切り株のまた新しや鬱王忌         〃

  別の名を虎酔と名乗り捨団扇        

  冬の雨草に死生を問うなかれ                    

  馬一頭置いてみたきや大枯野        



     撮影・中西ひろ美「山の高さのトンネルの長さ 冬」↑

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