村林硯生子「向日葵や憩ふ工夫に日蔭なく」(『俳句の一欠片(ワンピース)』より)・・

 

 林桂著『俳句の一欠片(ワンピース)』(ウエップ)、帯の惹句に「近代俳句の黎明期から平成の時代まで、さまざまなエピソードが鏤められた14篇」とある。また、著者「あとがき」の中に、


 年々歳々評論の筆が重たくなるのは怠惰なゆえに外ならないが、一方資料の細部を掘り起こす楽しみは、歳を重ねて強くなってきている。(中略)したがって、必ずしも評論らしいなにがしかの結論や提示もなく、資料紹介の範疇で終わってしまってもかまわないと思って書いたものである。そのとおりの文章なのだが、その細部を読むことで否応なく立ち上がってくる自分なりの読みに、心動かされずにはいられなかった。独りよがりのオタク読みと言われても仕方ないが、私個人の体験から言えば、資料が語りかけてくるのに耳を澄ました思いである。そして何より、その瞬間を楽しむことができたのは貴重な体験であった。


 とある。目次を以下に挙げておくので、地味でほとんど忘れさられている俳人(当時は一世を風靡していたであろう)への言及など、興味ある方は是非手にとっていただきたい。林桂の発見したそれぞれのことが、じつに大切、かつ重要なことだと分かるに違いない。

 

 しんしんと――『篠原鳳作全句文集』/たらちねの母よ――『片山桃史集』/マルクスは偶像なりや――自筆草稿『渡辺白泉句集』/朝虹――長谷川零余子と鈴木虎月/些細な事柄――『癖三酔句集』/破魔弓――闇討会の青春/炉――昭和一〇年の永田耕衣から/三つの詞華集――昭和一五年前後/消ゆることなき航跡――七冊の「旗艦」詞華集/上州風物詩と多行形式――富澤赤黄男「戦中俳句日記」/吹雪く芦――岩田雨谷『貧しき夕餐』/ルビ俳句――河東碧梧桐と高柳重信の晩年/堕天使におごとき焚火――阿部青鞋の視覚/三橋敏雄――伝統と前衛を統ぶ者


 例えば「消ゆることなき航跡――七冊の『旗艦』詞華集」の一部に、ブログタイトルにした句、村林碩生子「向日葵や憩ふ工夫に日蔭なく」村林秀郎「へやのもの白し潮の香ほのあをく」について、


 (前略)京大俳句弾圧事件の密告者として三鬼が誤って擬せられたが、川名大がNの表記で論じ、『昭和俳句の検証』(笠間書院・平成27)で、実名を明かした、特高警察のへの協力者を疑われる人物である。村木秀郎、及び前集の村林硯生子は神生彩史の筆名及び本名である。


 とあった。また、「『炉』――昭和一〇年の永田耕衣から」には、


(前略)永田耕衣展の図録『企画展 生誕百二十年記念 永田耕衣展』(二〇二〇年一月)の「Ⅱ俳誌遍歴ー《俳壇の渡りもの》」である。ここには大正一〇年の「ホトトギス」初入選から、昭和一五年の「寒雷」創刊号への投句まで。耕衣が終戦期までに拘わった俳誌の一覧が時系列に表にされており、その数は一八にのぼる。(中略)果たして「炉」は、「鹿火屋」系に分類され、「昭和九年、一〇年頃投句」と注記されているのであった。(中略)

 「炉」に言及されてしているのは、管見のかぎりこの一カ所である。耕衣の自筆年譜にも該当年に言及はない。また、姫路文学館の蔵書検索によっても、所蔵は確認できない。果してこの記載は何を根拠になされたものか。作成者の姫路文学館の学芸員・竹廣裕子氏にお聞きする以外に方法はなくなったので、問い合せさせていただいた。耕衣は作品のスクラップ帳を作成しており、そこに「炉」に掲載された作品が貼られているとのことであった。ある号の表紙と作品の切り抜きが残されている。したがって、厳密に何年何号の掲載か、また作品のすべてかを特定できないため「昭和九年、一〇年頃投句」のような推定の記述にしている。また公的機関所蔵を調査したが、確認できないとのことであった。どうやら耕衣資料として、小さいながら新発見の資料とみなしてよさそうである。


 とあり、林桂の手許の「炉」17冊の発行順に句が引用されている。この中での「炉」の耕衣掲載号は8冊だという。この論考の最後には、(付記)として、「当該資料『炉』は、樽見博氏より姫路文学館に寄贈された」とあった。

  

   死近しとげらげら梅に笑ひけり        耕衣

   日のさして今おろかなる寝釈迦かな



★閑話休題・・「YOーEN唄会 黄昏に恋して⑱2デイズ」・・



 一昨日、11月5日(日)午後4時~「YO-EN唄会 黄昏に恋して⑱」(於:ギャラリービブリオ)に出掛けた。不思議な縁ながら、ギャラリービブリオのご主人・十松弘樹は、仁平勝の塾時代の教え子で、かつ、愚生の兄貴分だった故首くくり栲象や友人だった故ワイズ出版・岡田博の知人でもある。そして、今は国立に住んでいる詩人にして、「豈」同人だった生野毅にも再会した。生野毅はヨーエンとの朗読のコラボレーションも行っている。

 今日は、秋思の日に相応しい?ヨーエンのカバー歌謡曲、水原弘「黄昏のビギン」でステージを閉じた。もちろん、愚生の好みであるオリジナル曲「魂ふたつ」や茶の花忌の八木重吉の詩の曲も織り込みであった。先日の曼荼羅Ⅱにも行ったし、追っかけに近い愚生ではある。 



     芽夢野うのき「杜鵑草とうとうふたつとなり昼が過ぎ」↑

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